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 叔父様の研究室にあるこじんまりとしたソファ。そこに二人で座ると密着することになる。

 肩を引き寄せられ、彼の左腕に寄り添う形になりながらも私は俯いていた。

「本当にどうしたの?」

 顔をひょいっと覗き込まれ、何気ない仕草で彼が私の前髪をそっと持ち上げた。

 そう。それはなんてことない普通の仕草なのだけれど。


 私の手なんてすっぽりと包んでしまいそうな大きさの手は、節くれだっていて性別の違いを感じさせるが、指はすっと長く美しい。

 私はこの手を見て、ドキドキしてしまう。

 昨日、私の色々なところに触れた指先は、とても器用だった。

 どうも私は様子がおかしい。

 もしかして私は手フェチだったのか?

 フェリクス殿下の手を見て、なんてエッチなのだろうと思う私は変態なのだろうか?


 顔から血の気が引いていく。

『ご主人。何やら余計な心配をして、どうでも良さそうなことを悩んでいるような気がするから言っておく。何も問題ないと思うぞ』

 いやいや、問題大ありだと思う!


「レイラ、私の手がどうかしたの?」

 ……見ていることに気付かれた!

 なんとなくなのか分からないけれど、フェリクス殿下は膝の上に重ねてあった私の右手に、自分の手をそっと重ねると、「どうしたの?」と言わんばかりに軽く首を傾げた。

 うう……。不埒でごめんなさい。私は昨日のことを簡単に切り替えるのは無理です。

 私の手が私の手の上に重ねられている。

 頬がじわじわと熱くなり、キャパオーバーになりそうになったけれど、さすがに何も言わないのは不自然なので。


「フェリクス殿下の手は、大きいなと思ったのです」

 あの指先が、私に触れて、それで。

 意識すればする程、触れられているこの瞬間がとんでもないものに思えてくる。

「逆に、レイラの手は小さいよね。指も細いし」

 私の指の間に自らの指を差し込んで、重ねた手が上からそうっと私の手を握る。

 フェリクス殿下は、指先を絡ませながら時折、私の指や手の甲を愛撫するように指先でくすぐってくる。

 触り方がいやらしく感じるのは、自意識過剰?

「そんな風に触られると……」

「どうしたの? 顔が真っ赤だよ?」

 フェリクス殿下の手の私とは違う熱に、思わずぎゅっと目を閉じた。

 私に無理はさせないためなのか、そっと話しかけるフェリクス殿下の声音には私を労わる響きがあった。

「私に触れられるのが嫌な訳ではないと、それだけは分かるよ。だから遠慮はしないけど」

『この男、ご主人をからかったことについて反省を全くしていないな。心なしか楽しそうに見えるのだが』

 どうやら私が恥ずかしがっていることはお見通しらしい。

 肩を抱き寄せるフェリクス殿下の手に少し力が込められて、ビクリと私の体が震えた。

 この距離だと、昨日のことを思い出してしまう。

「フェリクス殿下は、昨日の今日で何ともないのですか? ……意識しているのは、私だけでしょうか? いつも、余裕に見えるから……どうなのかと思いまして」

 先程から気になっていることを聞いてみれば、私の手に重ねていた手に力が込められる。

 先程の冗談めかした空気は霧散していた。

 それは思いの外、真面目な声で。

 ふと苦笑した響きで彼は応えた。

「そう見えるなら、上手くいっている……かな。余裕ではないよ。いつも。レイラに触れるのは、至福の時間だけど、同時にすごく辛い」

「辛い……のですか?」

 そっと顔を上げると、間近のフェリクス殿下と目が合った。

「思春期には色々あるんだよ。私はこれでもウブな少年なんだから」

 フェリクス殿下は微笑していたが、苦笑のようなものも混じっていた。

 え? 本気で言ってるの?

『ウブ、とは……?』

 ルナもポツリと呟いた。

 うん。殿下はウブには見えない。


 フェリクス殿下は私の手の上に重ねていた手をそっと外そうとした。

 外そうとしたのだけど……。

「レイラ?」

「あっ……」

 はしっ!と離れていったフェリクス殿下の手を掴む私の両手。

 何をしてるの!? 私の手は!!

 顔から湯気を出しそうなくらいの羞恥に襲われた私だったけれどフェリクス殿下は、一瞬だけ目を見開くも特にからかうこともしなかった。

 ただ、私の肩を優しく撫でるだけ。

 掴まれた自分の手はそのまま私に預けた。

 フェリクス殿下が特に私をからかうこともしなかったからだろうか。

 私が少しだけいつもより大胆な行動をしてしまったのは。

 節くれだった指の関節、それから彼の剣ダコを興味深そうに触れて観察する。

 どうやら鍛錬はかかせないらしい。

 あっ……これは、ペンダコかしら。

 書類仕事に追われているということだろうか?

 男の子の手って硬いんだ……。

 肌の肌理は細かい方らしいけど、武骨な手は完全に男の人の手だ。

 だけど、爪の先まで手入れをされ短く切り揃えてあり、清潔感がある。

 そっと自分の手を彼の手のひらに滑り込ませてみると、やはり私のよりも大きくてすっぽりと納まった。

 指の長さも太さも私のと違う。そっと手のひらを合わせようとしていれば、フェリクス殿下はクスリと笑う。

「レイラ、手のひらを出して?」

 何なのかと思っていれば、彼は自分の左手と私の右手を合わせた。

「お、大きい……」

「こうやって比べると、大きさがよく分かるね。レイラはこんなにも小さな手で毎日、仕事を頑張っているんだなあって。採取の時も魔術を使う時も」

「大したことではありませんよ?」

 フェリクス殿下だって、いつも執務に追われているというのに。

 私は前世で社会人として働いていた記憶持ちだし、成人したこともあるのだから例外として。

 フェリクス殿下の場合は正真正銘、歳だけでいえば青少年なのだ。

「いや、仕事をして社会貢献しているのだから、大したことだよ。だから……レイラ。ごめんね」

 肩に回っていたフェリクス殿下の手が離れる。

 唐突にどうしたのだろうと思って、私は再び彼の片手を自分の両手で包み込みながら、顔を覗き込む。

「どうされたのですか? 突然」

「……リーリエ嬢がこうして突撃するのも、元はと言えば私の初期の対応が間違っていたんだ。こうして迷惑をかける形になってしまって、本当に申し訳ないと思っている。レイラの仕事も邪魔しているよね……」

「リーリエ様のことについては、フェリクス殿下にはお立場があったのでしょうし」

 むしろ振り回された被害者なのだと私は思う。

 フェリクス殿下は軽く首を振った。

「私は、誰にでも良い顔をする癖がある。皆が求めるだろう完璧な振る舞いを演じてきたつもりだ。上部だけ飾り立てているも同然だと知っていて、それを止めなかった。真意なんて見せるつもりなどなかったし、私の顔が好かれるらしいと知ってからは散々利用してきた」

 淡々と語るフェリクス殿下は、どうやら私に返事を求めてはいなかった。感情が見えない声。

 だから私はフェリクス殿下から目を逸らさずに、彼の手を掴む手をきゅぅっと握る。

「リーリエ嬢にも、私はいつもと同じようにしたんだ。穏やかに微笑んで、人好きのする良い顔で立ち回って、不満さえも飲み込んで心を配ったし、理解者のフリをした。…………本音と建前を知らず、貴族の仮面を被ることも知らない平民出身の彼女に対してするべきではなかった、と思う」

「……リーリエ様への対応ですか。確かにとても難しい……ですね」

 フェリクス殿下の場合、普通に笑うだけで誰しも勘違いしそうなくらい、完璧で麗しい王子様スマイルを浮かべているのだ。

 誤解されないように立ち回るのって結構難易度が高いのではないか。

「やりすぎたのは本当だ。私は、外面だけは良いから。ああやって光の魔力の持ち主だと特別扱いして、いつも傍に居て……なんて、そんなことしていたら勘違いするのもおかしくない。私に婚約者が居なかったから余計に拍車をかけていたのだろうね」

 周りに女性が居なかったため、あの頃フェリクス殿下の一番傍に居た女の子は、リーリエ様だった。

 だけど、結局のところそれはリーリエ様の感情であって、フェリクス殿下がそこまで責任を持つことなのだろうか?

 フェリクス殿下はリーリエ様に愛を囁いていた訳でもないのに。

「リーリエ嬢を増長させる切っ掛けは精霊でもあったけど、その土台を作ったのは私だと改めて思った。まさかここまでレイラに迷惑をかけてしまうとは」

「フェリクス殿下。私も多少のトラブルは想定しています。王太子殿下の婚約者なのですから」

 リーリエ様に関わる時点である程度は覚悟していたのだから、これは迷惑などではない。

 フェリクス殿下の手を握りながら顔を覗き込んでいれば、「レイラ」と名前を再び呼ばれた。

「……誰にでも良い顔をするって聞いて幻滅したかもしれないけど、私は貴女を離すつもりはない。だから、私は我儘で、結局自分勝手で申し訳ない」

「……」

 フェリクス殿下は誰にでも笑顔で、私はそれを長所だと思っていたけれど、彼は自分を評価するどころか欠点だと思っていた。

 欠点だと自覚しつつも、それを止めるつもりはないのだ。

 悩みは人それぞれとは言うけれど。

「でもそれって言い換えれば誰にでも平等ってことですよね? 何がいけないのです? 優しく接してもらって不快に思う人は誰もいません」

 フェリクス殿下はハッと虚を突かれたように目を瞬いた。無防備な男の子の顔。

 全ての物事には別の側面があるものなのだ。八方美人? 誰にでも良い顔をする?

 それの何がいけないのだ。皆に良い顔をしたことの何が? それ自体は誰かに迷惑をかけるものではないというのに。

 少なくともフェリクス殿下は人の意見に左右されてフラフラしている訳ではないし、彼は自分の中に確固たる信念を持って生きているのだから、それで良い。

 むしろ、どんな人の意見も蔑ろにしないで聞こうとするフェリクス殿下は、立派だ。

 彼はまず人の言い分を聞く。

 ただ、クリムゾンを相手にすると例外のようだけど……。


 もしかしたら失礼かもしれないけど言っておきたいことは言っておこうと思う。

「フェリクス殿下が腹黒いことは既によーく知っております」

「ふふ、そこはハッキリ言うんだ?」

「私は、そんなフェリクス殿下らしいところも好きですから。だから今更ですよ。むしろ私に対して我儘になることは大歓迎です。……誰にでも平等で公平な貴方に、特別扱いをされているみたいで嬉しいですから」

 包んでいた彼の片手をそっと持ち上げて、そっと指先に唇を寄せる。ちゅっ……ちゅっ……と何度か口付ける。

 触れる度にフェリクス殿下の指先がピクリと動く気配に、私は思わず微笑んだ。

 フェリクス殿下は空いている方の手で、顔を覆って私から顔を逸らした。

 大きな手の隙間から覗く肌の色は薄ら赤い。

 指の隙間から覗く目が、私を軽く睨む。

「レイラの天然。小悪魔。人たらし。口説き魔」

『大体合ってる』

 何故かルナも口を挟んだ。

「随分な言われようですね?」

「うん。そりゃあね。…………レイラがあっけらかんと言うから、悩む必要なんてなかった気がしてきた。ありがとう」

 フェリクス殿下は身を乗り出すと、私の唇に己のそれを軽く重ねる。

 それを受け止めつつ、彼の頭をおそるおそる撫でていた。

 フェリクス殿下の髪はキラキラしていて、撫でると触り心地が良い。

 私の触り方がおっかなびっくりだったからだろうか。

 キスしながらフェリクス殿下が思わず笑うので、触れる息がくすぐったい。

 そうやって少しの触れ合いをしていたのだけど。


『レイラ。例の客人ですが、先程お帰りになりました』


 叔父様からの念話だ。どうやら私たちがここで話している間に、襲来され追い返していたらしい。


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