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「レイラ様! つまりは、昨日、王城に泊まったということは、そういうことがあったということでよろしいですの? よろしいんですわよね!?」
「きゃー!想像したら、居ても立ってもいられなくなりましたわ! ねえ、エミリー様!」
公爵令嬢たちは彼女の後ろに隠れるようにして立っている令嬢に声をかけた。
隠れていた一人の令嬢は二人の手によってグイグイと引き出されていった。
「こちらのお方はエミリー=ベネット侯爵令嬢ですわ、レイラ様!二年生ですの!」
エミリー様と紹介されたその令嬢は、薄茶色のミルクティー色をしたサラサラ髪のどこか大人しそうな雰囲気の女の子だった。
「お名前だけは存じ上げておりますが、お初にお目にかかります。改めまして私はこの医務室で助手をしておりますレイラ=ヴィヴィアンヌと申します。エミリー様とお呼びしてもよろしいですか?」
公爵家令嬢直々に紹介されたということは、友好的になることを求められているのだろう。
いつも通り挨拶をしてニコリと微笑めば、エミリー様は何故か、狼狽し始めた。
先程から目が合わない。
「……あっ。レイラ様が目の前に……! 尊い! えっ、あっ…私たち同じ空間で呼吸してる? あっ……ええと。私は怪しいものではなくて、ええと! ……ファンです!! 貴女が生まれてきてくださったことに感謝しています!」
『なるほど。ご主人の周りに集まる変人たちの新メンバーか』
ルナ……。
確かにお兄様とか叔父様とか、ちょっと変わっていらっしゃるけれど、悪い人ではないのだから。
……何故、私は弁護しているのだろう?
エミリー様は真っ直ぐ顔を合わせられないのか、チラチラとこちらを窺っている。
ええと。既視感があるような?
前世のオタク友だちと似たような反応だった。
某夏と冬の祭典で好きなキャラクターに変身した憧れのコスプレイヤーを目の前にした前世友人の反応そっくりだ。
私はコスプレイヤーだったこともないので反応に困ったが、それを見せる訳にはいかないし、無視する訳にはいかない。
私はゆるりと不思議そうに首を傾げるのみにして、そのまま微笑んだ。
「よろしくお願いいたします。エミリー様」
「待って……無理…辛い。いいえ! 今の首傾げもう一回お願いします!!」
何故か手を合わせられた。
そして「尊みを感じる……」と呟いている。
何故この反応なのか分からなかったけれど、公爵令嬢の二人がうふふーと笑いながら説明してくれた。
どうやらエミリー様の反応には慣れっこらしい。
「エミリー様は、なんと! あの素晴らしき聖典の作者なのですわ!」
せ、聖典? 聖典? 神話に銀髪の女性って居なかったような?
と思っていたら、一人の令嬢がうっとりと頬を染めた。
「フェリクス殿下とレイラ様の恋物語ですわ! お二人を推す私たちとしては、エミリー様は流星のごとく現れた有望な新人作家なのです」
あっ。噂のナマモノの二次創作のことだ。
私とフェリクス殿下をモデルにした小説。
本当に流行っているらしい。
エミリー様は首を恐ろしい勢いでブンブンと振り始めた。
「私は妄想──ゴホン! 想像を書き散らしているだけで、才能はないです! それを記すのが私の使命というか! あっ、別にストーカーではないですよ! ちょっと観察して情報を集めているだけで! 怪しい者ではないです!」
『怪しい者は、皆そう言うのだ』
もちろん、ルナの声はエミリー様には聞こえていない。
「レイラ様に認識されているとは!! ハッ! もしや、貴族の方々の名前と顔を一致させているという、よくある凄い人パターンなのでは!?」
確かに貴族の名前と顔は一通り一致させているし、領地の名産品なども頭に入れたりはしているけれど。
とりあえず私は頷いて肯定しておく。
「まだまだ足りませんが、貴族の方々のことは知っておこうと日々精進しております」
「ハッ! 解釈が一致した!! レイラ様ならそういう凄いことを、しれっとやりそう! あっ……でも逆に一生懸命努力して覚える影の努力家タイプでも可愛い……。実はドジっ子とかでも良し……」
突然早口になり、によによしながらこちらをチラチラと窺っている彼女。
最初隠れていたのが嘘のように、彼女は饒舌になっていた。
オタクの友人の反応と似ている……。
『ご主人の周りにはこういった特殊な何かが集まるのだろうか』
そしてルナは初対面の人に失礼である。
「レイラ様……。握手しても良いですか?」
「……? え、ええ」
私との握手に価値はそこまでないと思うのだけど、改めて向き直ると、彼女は顔を真っ赤にしていた。
戸惑いながらも頷いて手をそっと差し出せば。
「い、いいい良いんですか!? 料金とか……握手権とか」
私はアイドルではない。こんな反応をされたのは初めてでどうしたら良いのか分からない。
手を握ると、彼女は私の指の間まで、おっかなびっくりと触り、さわさわと私の手を揉んでいた。
『触り方が卑猥な気がするのだが』
ルナ。それは気の所為だと思う。
それに女性だし。卑猥も何もない。
「あっ……柔らかい。指もほっそい……爪も可愛い」
『波動がそなたの兄と似ている気がするのだが』
……き、気の所為だと思う。
近くに居てこちらを見守っていた令嬢たちがサッと動いて、エミリー様を引き剥がした。
「エミリー様。レイラ様が驚いておりますわ。いくらレイラ様とフェリクス殿下のファンだからといっても」
「ふふ。レイラ様。エミリー様は、お二人の大ファンなのですよ。私たちの間でも彼女は特にそうなのです」
引き剥がされたエミリー様は、こちらをチラチラと眺めながらボソボソとこう言った。
「お二人が一緒に居るところを見ると、胸にキュンとくるのです。お二人をセットで推しているんです」
ええと。つまりは、前世流で言えばカップリングで推している……ということ?
そうしてそんな彼女と四人がここに来たのはどういう訳なのか。
「聞きたいことがあるんです! レイラ様は、婚約者と愛し愛されているというのは公式で良いんですよね!? いや、見ていれば本当だって分かるんですけど。それをあえてレイラ様の口から聞くと、それはそれで胸が熱いというか。というか眼鏡系美少女だと思っていたら、眼鏡を外すと絶世の美女だって本当ですか!?」
グイグイと迫り来るエミリー様の勢いに、固まっていたら、彼女はサッと引いた。
そしてブツブツと何やら呟いている。
「落ち着くのよ。私……レイラ様が混乱している……美少女の戸惑い……。例えばここにフェリクス殿下が居て、そんな彼女を宥めていたとして。それはなんて美味しい。いや、私は良識を持ったファン……迷惑をかけてはいけないわ」
そんなエミリー様をよそに、四人の公爵令嬢に取り囲まれて。
「あっ……」
『あっ』
サッと眼鏡を取り払われた。ルナもその手際の良さに驚いていたようだ。
「あっ、眼鏡……素顔…、書かないと」
それだけ言ってエミリー様はフラフラとしていた。
公爵令嬢たちは私の素顔を見て、ほうっと息を吐きながら、「これは……見事ですわ」「ええ……これは」などと言っている。
「せっかくなので、レイラ様。髪を上げて項を見せてみるのはいかがですか? 普段と違う髪型に殿方はきゅんとするものなのです」
「いいですわね! いつもの白衣姿だからこそ、違いが分かって良いのですわ」
私をソファまで連行すると、さっと座らせて後ろから髪を整える令嬢一人、私の前にどこからか出した鏡をサッと出す令嬢がもう一人。
『見事な連携だな』
ルナも何故か感心している中、私の後ろに立つ令嬢は嬉嬉として私の髪を触っている。
「麗しき花園……」
エミリー様はぽつりとそんなことを言って、何故か部屋の片隅から見守っていた。
『何故、一人だけあそこまで遠いのか』
「私は壁……そう壁なの」
『……世の中には様々な人間が居るのだな』
ルナは黙った。
「うふふ。髪飾りは、私のものを差し上げますわ!見事な銀髪に映えて──」
うきうきした令嬢の声がピタリと止んだ。
「……あの?」
この状況に流されつつあった私は、不思議に思ってそっと声をかけようとしたのだけど。
「きゃあああ! 首の後ろ……これはキスマー──」
「お黙りなさい! レイラ様に気付かれてしまいますわ。私たちはひっそりとお二人を見守る会なのですから!」
「あらあら、まあまあ! 髪で隠れる場所だなんて!」
「やはり、泊まった部屋は殿下の部屋ですわ、きっと! そこでこうなったに違いないわ!」
『ひっそり、とは』
ルナの声は私にしか聞こえない。
きゃあきゃあと騒いでいる彼女らに私は声をかけた。
「何か問題がありましたでしょうか?」
「いいえ! 問題はないのです! レイラ様。ちょっと虫刺されが……今の時期ですからね!」
虫刺され? そんな記憶はない。
「そう大きくて豪華な虫ですわ」
「それは失礼なのでは? 蝶々にしておきましょう」
「それは良いですわね!」
何だか納得したような二人。
「蝶は人を刺しませんよ?」
と素で返した瞬間、ふと記憶が過ぎる。
首の後ろ。虫刺され……? つまりは赤い痕。
ハッと気付いた私は笑顔のまま、固まった。
そういえば昨日、フェリクス殿下が首筋に吸い付いていたことを思い出したから。
えっ、嘘。キスマーク?
というか、今! み、見られて……?
待って。今、皆様は見なかったことに、気付かなかった振りをしてくださっている……。
これは知らぬ存ぜずを突き通せば。
淑女の微笑みを浮かべながらも、頬が熱い。
少し、顔が赤くなっているのは確実だった。
だが、狼狽さえしなければ、この顔の赤さは部屋が暑いせいだと誤魔化せる。
落ち着くのだ。
落ち着いて返答すれば何も分からない。
「あとで、薬を塗っておきます。髪はそのまま結わなくて構いません。お気持ちだけいただきます」
『ご主人も役者だな』
我ながら言うけれど大分頑張った。
エミリー様は部屋の隅で、天井を仰ぎながら呟いていた。
「供給が……供給が……ありがとうございます」
これは後日、小説にそういうシーンが加えられることは必須だろう。
後でフェリクス殿下に一言物申さなければ……。
確かに、首の後ろは髪で見えないけれど!見えないけれども!
「そうですわね。そうした方が良いですわ。レイラ様」
「うふふ、ここまで来た甲斐がありましたわ」
「更なる情報収集をしませんと!」
「頑張ってくださいましね!」
生暖かい目で見られているのはとりあえず分かった。
授業が始まるので楽しそうに去って行った令嬢五人を眺めて、私は遠い目をしていた。
そうして、その日は何故か、皆の様子がおかしかった。
女子生徒は生暖かい目で私を見ている。
昨日、王城に泊まったことは極秘でも何でもないから、どこからか情報が回ってきたのだろう。
そして、何故だか男子生徒は、私を見てしばらくして若干涙目で去って行ったり、何故か微妙そうにこちらを見つめていることが多い。
哀愁が漂ってすら居た。
あまり歓迎されていない?
『ご主人。細かいことは気にせずに仕事だけをした方が良い。更なる火種を撒くのは止めるのだ。つまり、男子生徒のことは気にするな』
ルナがそう言うので、その言葉の通り、深く考えないことにした。
そんなこんなで叔父様が帰ってくる頃には、私が学園内で話題になっていることが窺い知れたのだ。
貴族の子女らしく、深くは聞いては来なかった。
朝一番の令嬢たち以外は、皆ソワソワしていたけれど。
「すごいですね、それにしても」
叔父様は満面の笑みで帰ってきた。
この人が満面の笑みだと不安になるのは私だけだろうか。
『一抹の不安が……』
あ、ルナもだった。
「叔父様。書類仕事、出来るところはしたけど、後は叔父様じゃないと出来ない分よ」
「いやあ、ありがとうございます。さすがレイラ。優秀ですね!」
『私はご主人が結局甘やかしている気がするのだ』
ルナがぽつりと呟けば、彼の声を聞ける叔父様は反論した。
「違いますよ、ルナ様! レイラのこれは優しさです!」
『大人として、姪の優しさに甘え切っているのは、どう思うのだ?』
叔父様は目を逸らした。
一応、自覚はあったらしい。
なおもルナが何かを言おうとした気配を察したのか、叔父様は一際大きな声を上げた。
「ああ! そう言えばフェリクス殿下とレイラの婚約を妨げようとしている貴族のあぶり出しですが!」
あからさまに話を変えてきたが、その情報は知りたいので黙って聞くことにした。
しかもこの部屋に瞬時に防音魔術をかけたので、重要な話かもしれない。
「とある子爵令嬢が、密告したんですよ。光の魔力の持ち主の恩恵を預かろうと暗躍する怪しげな貴族一覧を」
「子爵令嬢、ですか?」
叔父様がソファに座ったので、冷蔵庫の中から冷たい紅茶を注いで目の前のテーブルにコトリと置いた。
「そう! レイラを王太子の婚約者から引き摺り下ろそうとする輩なんですが。その子爵令嬢は自らの実家が不穏な動きをしていることに気付き、王城の者へと密告したそうです。実家の伝手を使って他の貴族たちの情報を手に入れてから、チェックメイトという訳です」
聡明なその令嬢は実家の不始末の責任を取るつもりで動いたのだろうか?
でもその令嬢は?
「それは、その令嬢だってただでは済まないのでは……?」
路頭に迷うことだってあるかもしれない。
「ああ。心配しないで良いですよ。実家を売る形にはなりましたし、他の余罪も判明したその実家は最終的に没落しましたが、彼女の功績を称えて、彼女だけは王城に就職したそうです」
『たくましい令嬢だな』
とりあえず衣食住は保証され、醜聞が立たないように処理されて、仕事を見つけることが出来たらしい。国王陛下と宰相の采配にホッとした。
「こうやって名前を伏せているのは、情報統制のためです。没落した家は他にもありますし、特定は出来ないようになっております」
「そうね。そのまま、醜聞にならないままで居て欲しい」
王家が処理したなら確実だとは思うけれど。
「そういう訳で、レイラを払い落とそうとする敵はもう居ませんし、兄上の過保護のおかげでレイラには学園がバックについていると印象付けられました!」
そういえばそうだった。
お父様が計画した学園とヴィヴィアンヌ家と王家の協力体制。
そのおかげで私は学園側に守られた形になり、最終的には学園が味方についていると貴族たちの中では認識された。
学園には叔父様も居るし、学園を敵に回すものは早々居ないはずだ。
最近、私の周りが守りで固められている。
周囲にとても心配されていることがよく分かった。
「叔父様もありがとうございます。こうして情報を知っているということは、叔父様も動いてくれていたのでしょう?」
「僕は動いたと言ってもメッセンジャー程度ですよ。最終的な顛末を知ったのはさっきです。今日の朝、念話でフェリクス殿下が教えてくれました」
フェリクス殿下……。朝から会ってない。
その名前を聞くだけで緊張するのは重症かもしれない。
朝ということは、私が出ていった後の話なのかもしれない。
彼は色々と忙しい人だ。
コンコンコン。
ガチャガチャ。
ドアをノックする音が聞こえ、叔父様はついでに医務室を施錠していたらしい。
防音と施錠を魔術で解くと、医務室に誰か生徒が入室してきた。
「あれ?」
ルナは私の影の中に戻っているし、何故か隠形魔術をかけていた。
そしてその生徒を見て、私は首を傾げる。
こんな生徒、居たっけ? 見慣れない顔……?
「じゃあ、レイラ。頼みますよ」
「ええ、分かった……」
キョトンとしたまま、見慣れない男子生徒で。
髪は天使の羽みたいな白をしていて、肩くらいに切り添えられている。
瞳は見事な金色。
服装から男子生徒だと分かるけれど、なんというか中性的な男の子だ。
「レイラ=ヴィヴィアンヌ侯爵令嬢は、貴女ですよね」
透き通った声は、低くも高くもなく、美しい響きをしていた。
こちらに向ける瞳には、悩ましげな色と。
なんだろう? 罪悪感? 戸惑い?
そんな感情の色が宿っていた。
『ご主人』
隠形魔術を使ったまま、ルナが戸惑ったように声をかけてきた。
どうしたのかと思っていたら。
『この男。精霊だ。それも光の精霊。リーリエとかいう者の。まだ若いのか魔力の消し方は雑だが、いつもより魔力を小さく気取られぬようにしているようだ』
リーリエ様に付いている精霊?
人の姿をしているのは、私に接触するためなのか。
ルナが人の姿に変身出来るのなら、他の精霊だって出来て当然なのかもしれない。
「話が、あります」
その声は固かった。
「……」
だけど不思議なことに彼から敵愾心のようなものも警戒心のようなものも、一切感じなかった。




