ある伯爵令息の失恋
ある伯爵令息視点です。
その日、俺は失恋した。
「元気出せって。元々、レイラ嬢は倍率が高かったんだ。お前がモノに出来る確率なんて低かったんだから」
友人は慰めているんだか、慰めていないんだか分からない台詞を口にしながら俺の肩を叩いた。
うう。知っていた。そんなの知っていた。
授業で教室を移動して、友人が俺の分の席を取ってくれていたのだけど、どうやら俺は死人のような顔をしていたらしい。
というのも、簡単な話だ。
「それにフェリクス殿下が婚約者なら叶うはずがない。かなり溺愛している噂だろ?」
「そうなんだけどさ。なんなら良い雰囲気だという噂は聞いてたんだけどさ、今日の噂はさすがに堪えた」
「婚約なら、いつか結婚するだろ。お前も分かっていただろう?」
「……」
それは分かっていた。レイラ嬢はフェリクス殿下の婚約者で、いずれ結婚したら初夜だって迎えただろう。
だが、まだ学生だった訳で、それなら婚約だって一時的だったかもしれない。
だから諦めの悪い俺はまだ、彼女を諦めては居なかった。
だというのに。
今回、フェリクス殿下がレイラ嬢を王城へと連れ帰り、彼女が一晩泊まったという話が出回った。
王太子の私室に泊まったという噂さえあるくらいなのだ。
「これで、レイラ嬢とフェリクス殿下の結婚は確定的だ。俺の付け入る隙は完全になくなった」
「いやいや、お前が付け入る隙なんてなかっただろう」
「…………」
その通りなのだが、ハッキリ言うのは止めて欲しい。
思春期少年の心は硝子のハートなのだ。
黙り込んだ俺を見て友人は慌てた。
「もしかして、けっこう本気だったのか?」
「……」
だからそうだと言っている。
俺はレイラ=ヴィヴィアンヌ侯爵令嬢に惹かれていたし、紛うことなき初恋だったのだ。
それはありふれた始まりだ。
新入生なので魔術訓練で怪我は多く、その際にレイラ嬢に手当をしてもらったことが始まりだ。
彼女にしてみれば仕事だ。男の上半身裸なんて怪我人の手当で見慣れているのだろうし、彼女は模範的な医療従事者だった。
ただ、その白くて細い指が触れる度にドギマギしてしまうのは仕方ない。
消毒が染みたのに、彼女が真摯に手当をしてくれていたというのに、不謹慎にも抱き締めたいと思った。
まあ、そんなことをしたら普通に嫌われるし、そもそも彼女に体術では適わない気もするけれど。
医務室の彼女、レイラ=ヴィヴィアンヌ侯爵令嬢は、眼鏡がとてもよく似合う知的な美少女だ。
男としてはお近付きになりたい者も多いのだけど、彼女と接しているとそんな下心さえ穢いような気がする。
ただ、不埒な思いを抱こうとも、彼女の強さは有名だし、返り討ちにされそうだけど。
それでもすれ違った時などは、緊張して胸が高鳴る。
女の子は皆そうなのか、彼女が特別そうなのか分からないが、レイラ嬢からはほんのりと花のような香りがした。
特に香水は付けていないとのことなので、彼女本来の香りなのかもしれない。
とにかく、そんな高嶺の花であるレイラ嬢に憧れる男は多く、俺もそのうちの一人で。
実家の重圧に苦々しい思いを抱いていた俺の愚痴を彼女は聞いてくれて、柔らかい声音と笑顔に癒された。恋をするのは必然だった。
そして彼女に話を聞いてもらっているうちに自分を見つめ直すことが出来て、実家の家族が俺に重圧を与えていたのは俺の独りよがりだったと気がつくことになった。
自意識過剰だったり、目の前しか見えていなかったせいで、多面的に物を見れば見る世界が変わる。つまりはそういうことで。
レイラ嬢は俺に説教をした訳でもないし、積極的なアドバイスをした訳ではない。
ただ話を聞いてくれただけで、俺は気付けば方向性を見出していた。
その手腕は見事なものだったし、彼女は聞き上手だった。
何を言ったところで色眼鏡で見ないし、純粋に話を聞いてくれる存在は貴重だ。
そうして用がある度に顔を出していて、やがて俺は自分が初恋というものをしていると自覚した。
早めに行動すれば良かったのだけど、俺は動くことが出来なかった。
その結果がこれだ。
「まあ……元気出せよ。初恋は叶わないって言うだろ」
「それ、慰めになってないぞ」
「いや、何て言えば良いのか」
友人は、俺が思ったより傷心していることに驚いていた。
いや、でも。好きな女の子が他の男と噂になるのを聞いて、結婚は確定だと耳にすればさすがに荒れる。
行動しなかったのは俺だけど。
レイラ嬢は学園に通わずに仕事に邁進していたから、結婚を考えていないのだと思っていた。
少なくとも、しばらく猶予はあると思っていた。
そっと教室の中心に居る生徒に目をやった。
俺は溜息をついて、ボヤいた。
「人望もあって、勉強も出来て、魔術も、剣の腕もあって、しかも仕事も出来るって超人だよなあ。それに性格も良い」
「ああ、フェリクス殿下? あの方を見ていると、完璧超人は居るんだなって思うよなあ」
友人も教室の中心を見やった。
クレアシオン王国の王太子──フェリクス殿下は、数人の男子生徒に囲まれていて、勉強を教えているようだった。
フェリクス殿下はよくハロルド殿たちと居るのを見かけるが、それ以外の生徒とも普通に話すし、彼の周りから人は絶えない。
この国の王太子だというのに、彼は寛大で社交的な性格をしているのだ。
いつも紳士的で親しみやすく笑っているイメージだ。
それなのに、甘く見られたり舐められたりしないのは、独特な威厳を彼が持ち合わせているからだと思う。
ふと俺は遠目にフェリクス殿下を見ながら呟いた。
「なあ、結局のところ、レイラ嬢とは昨日何かあったと思うか?」
「お前……、自ら傷を抉るようなことを……」
「いや、だってなあ……そうは見えないっていうか」
もしかしたら、まだ希望を探しているのかもしれない。
だが、あんな爽やかな王子がレイラ嬢に手を出して不埒な真似をするとは思えない。
物語の王子のように手を繋ぐとか、頬にキスをするとか、それくらいかもしれない。
男は皆、下心がある生き物だが、あれだけ完璧な王子なら、レイラ嬢と健全に付き合っているかもしれない。
レイラ嬢と二人清廉なイメージが強いから、尚更だ。
「お前、いい加減諦めろ。いずれは彼女も結婚して子供も産むんだぞ」
「……」
しばらく諦められそうにない……がおそらく俺だけじゃない。
レイラ嬢に恋焦がれている男子生徒は一定数居るのだから。
「文句が言えないのが、また何とも言えないんだよなあ。フェリクス殿下は良いお方だし」
「そうだろうな。お前、前に実験で植物が暴走しかかった時に助けてもらったじゃん」
迷惑をかけても、フェリクス殿下は責めることはせずに、片付けを皆と手伝ってくれた。
青ざめていた俺に『悪気がないのは見れば分かるよ』とも『また次から気を付ければ良い』とも言ってくれた。
どうやら殿下は、人の顔色を窺うだけで嘘なのかどうか判断出来るのかもしれない。
フェリクス殿下の性格が最悪なら良かったのに、彼は現実、良い人だ。
本当に……だから、余計に複雑なんだ。




