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意識が浮上しかける眠りの浅い瞬間がある。
目は閉じているから周りの景色は見えてないし、ただ誰かに髪を梳いてもらう心地良さしか感じていなかった。
あれ?
私の部屋ではない?
ふと目を薄らと開けると、まず肌色が視界に入った。
ん? 肌色?
それから誰かの温もり。
え?
「あ、起こしちゃった?」
「……!? フェリクス殿下!?」
にっこりと微笑むフェリクス殿下と向かい合ったまま寝ていた。しかも腕枕で。
上半身裸のままの彼を見て、夜の記憶が一斉に蘇った。
深いキスをして、体に触れられて、それから色々なところに触られて……それから。
その瞬間、顔から火が出るかと思った。じわじわと熱くなるのではなくて、一瞬にして沸騰したような心地だ。
「あっ……えっと、私……その」
寝起きで淑女として取り繕う術など吹っ飛んでしまった私は、とりあえず彼の腕から頭をずらして下ろし、彼の胸元に両手を置いて、ぐぐぐっと押しやるのだけど……当然ながらびくともしない。
それどころか、フェリクス殿下はそんな私を微笑ましそうに見つめている。
「なっ……はだ、裸……」
「下は穿いてるし、裸じゃないよ。レイラは治療とかするから、男の上半身くらい見慣れているかと思ってた」
「仕事とはまた別です!」
思わず目をぎゅうっと瞑っていれば、背中を撫でられてそのまま抱き締められた。
もちろん、彼の生肌に押し付けられる形で。
「っ……!? まっ、待って、くださ……ええ!?」
「レイラと朝からこうするの夢だったんだよね。ほら、好きな子との朝ってロマンじゃない?」
髪に顔を埋めた彼は、私の肩を優しく撫でている。
朝っぱらからフェリクス殿下の声は明らかにご機嫌だった。
早朝。まだ日が出ていないところを見るに、まだ午前五時前だ。
「フェリクス殿下……お戯れは……そのっ……!」
首をくすぐるみたいに指を這わせられて、だんだん私の声は悲鳴のようになっていく。
「そういえば、昨日から思っていたんだけど、結局殿下呼びだったなあって」
「あっ……」
完全に失念していた。
「まあ、気が向いた時に名前で呼んでくれたら嬉しいな」
「……?」
あれ?今日はあまり突っ込まれない?
身構えていたから拍子抜けだった。
どうやらかなりご機嫌らしい。
「レイラ。体の調子はどう? 魔力は回復している?」
そう聞かれて、自分の体に意識を向けて、あることに気が付いた。
「かなり回復しています。それどころか前日よりも少し多いくらいで……。それにこの魔力、元は私のではないような?」
おや?と思っていたら、フェリクス殿下は納得したように頷いた。
「ほら、昨日は私と一緒に色々なことをしたから。魔力供給になったんじゃないかな?」
「も……もう! そういうことは! 平然と言わないでください!」
思わず彼の胸元に顔を埋めていれば、フェリクス殿下は肩を震わせていた。
「ルナじゃないけど、これはからかいたくなるのも無理はないなあ。まあ、ルナはからかっているつもりはないだろうけど」
「二人がかりでおかしなことを言うのはおやめ下さい……」
赤裸々発言はお腹いっぱいである。
「レイラは普段、淑女の鑑のような完璧な微笑みを浮かべていて、その立ち居振る舞いも隙がないけど、私が関わると崩れることが多いから、どうしても自惚れてしまうんだ。色々な表情が見れると思うと、からかいたくなる」
「……やりすぎは良くないと思います」
というか、小学生男子の発想に近くない? それ。
「そういえばレイラ。さっきから気になってたんだけど、どうして目を逸らしているの? 昨日はあんなに色々と受け入れてくれたのに」
私はバッと顔を上げて、ここでようやくフェリクス殿下の目を見た。
悪戯めいた目をしている!
「ご、語弊のある言い方はお止めください……! まだ私たちは一線を越えてはいません」
「私の忍耐力は本当にギリギリだったけどね」
やっぱりからかわれていたらしく、そっと目を逸らしていれば、フェリクス殿下はそんな私にお構いなしといった具合で、私の顔を両手で包み込んで顔を近付けて、私の唇をペロリと味見するように舐めた。
ここでそういう接触があるとは思わなくて、思わず固まった。
「昨日はキスを強請ってくれたのに、正気に戻っちゃうと恥ずかしがり屋だよね、レイラは」
フェリクス殿下が照れなさすぎるだけだと思う。
いつか、このお方も照れさせてみたいというか、観念させてみたい気もするけど、私には無理だろうなあ。
フェリクス殿下が強すぎる。
私はしばらく引き摺りそうなのに。
私を抱き締めて、今度は耳を甘噛みして来たりと今日のフェリクス殿下は要注意人物だったので、私はガバッと跳ね起きた。
「わっ。びっくりした」
フェリクス殿下の腕の中から勢い良く飛び出して、ささっと距離を取るべくベッドの上を後退る。
ちょっとフカフカしすぎて上手く立ち上がれなかった。
「レイラ……。その後退り方、すごく可愛い。追い詰めたくなる」
何かフェリクス殿下が真顔で言っていて、肉食獣みたいに舌舐めずりをしている雰囲気が伝わって来たので。
「ルナ! ルナー!」
『呼んだか、ご主人』
狼姿のルナが、フェリクス殿下の前へ立ち塞がるようにベッドの上へ現れた。
「うーん。月の女神を手に入れたかと思ったけど、やっぱり狼に守られたまま……か。最初はじめて会った時も思ったけど、ルナは正真正銘、守護者だね」
ふとルナは狼姿から人の姿へと化けながら、ベッドから飛び降りて着地した。
「ご主人が危ない目に遭わないように守るのが私の役目だが、自重しない男から守るのも私の役目だ」
そろそろと私が距離を取っていれば、フェリクス殿下は苦笑いをしながら、普通にベッドの端へと腰かけて、私の方へとクルリと振り向いた。
「ふふ、ごめんごめん。からかい過ぎたよ。そう警戒しないで。何もしないから」
「……えっちなのは、いけないと思います」
「……レイラも、男を煽る発言は気をつけてね。今の台詞、レイラの口から出ると背徳的に聞こえるから」
今の台詞のどこが!?
「ご主人。この男にかかれば、そなたの些細な発言は、見事に背徳的な台詞に早変わりだ。つまりは諦めろ」
理不尽すぎやしないだろうか?
なら、私は日常会話をどうしろと。
「ごめんね。レイラ。私はこれでもいたいけな少年だから」
フェリクス殿下からその言葉を聞くと、詐欺か何かに聞こえるのは私だけだろうか。
「そういえば、ご主人」
「ルナ? どうしたの?」
何やら思い出したようにルナは私とフェリクス殿下を交互に眺めた。
そしてルナは首を傾げながらとんでもないことを言い出した。
「魔力量に変化はないし、結局、交尾はしなかったのか? やり方が分からない訳ではないだろう? 動物も人間も変わらず後ろから──もがっ」
ルナのあまりにもアレな台詞に、私はふるふると震える手でルナの口をそっと塞いだ。
「………………」
ルナも自重するべきだと思った。
フェリクス殿下は肩を震わせて爆笑しているし、とりあえず私は窓の外を眺めて現実逃避をした。
これ以上、状況が悪化する前に出勤して、書類を捌いて頭を整理するべきだ。
「フェリクス殿下、私、今日はもう出勤します」
「うん。それはいいけど、レイラ。顔が赤──」
「出勤しようと思います!」
「うん。ごめん。盛大に弄りすぎました」
顔を真っ赤にしながら私は、この日早めに学園の医務室へと戻ったのだけれど。
学園が始まる時刻、朝から嬉嬉として学会へと出かけた叔父様を見送った。
叔父様は午後に帰って来るらしいけど、私の方でも事務仕事をしないと色々と間に合わない。
そして、書類をホッチキスで留めていた頃に、その方たちは襲来した。
「レイラ様! レイラ様! 私の父から聞いたのですけども! 王城に泊まったと言うのは本当ですか?」
「レイラ様! レイラ様! 私のお友達から聞いたのですけども!絶世の美女なのに眼鏡でわざわざ顔を隠しておいでだというのは本当ですか!?」
似たような台詞だけど内容は全く違う台詞がユニゾンして聞き取りにくいけれど、彼女たちが物凄く楽しそうなのは分かった。
学園の授業が始まる少し前、高位の貴族令嬢たちが五人程、医務室に必要な書類を渡しに来るという大義名分を掲げて、襲来したのだった。




