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「じゃあ簡単にまとめて言うけど」
私はピクっと体を震わせる。
何故って?
今、私はフェリクス殿下のベッドの上、彼にお膝抱っこをされ、後ろから抱き締められているからです。
殿下が真面目な口調になったところで、耳元で美声を聞かされるこっちの身にもなって欲しい。
ぎゅっと目を瞑る私を知ってか知らずか、彼は後ろから私のお腹に手を回して拘束してきた。
「……!!」
「諜報部隊からの報告で色々と信じ難い真実が発覚したんだ。今まで教会内部に入り込むことは出来なかったけど、今回この騒ぎのおかげで入り込むことが出来た」
「……」
どうやら教会内部を探るための諜報専門の騎士団の部隊が駆り出されていたらしい。
暗殺されるということは、それなりの理由があってしかるべきだからだ。
それにしても。
平然としていることからして、フェリクス殿下は私をからかっているつもりではないらしい。
『ご主人。王太子の行動に深い意味はないぞ。ただ自分がしたいからしているだけで』
確かにからかう素振りはなく、本人が満足げにしているだけだった。
し、心臓に悪い……。
普通、この年齢の男の子って、そういうことを恥ずかしがるお年頃じゃないの?
思春期なのでは?
時折、髪の毛先を梳いてみたりと、やりたい放題である。
とりあえず私がわあわあ言ったところで状況は改善しないし、話も進まないので大人しくしておこう。
その信じ難い事実を先に聞いておきたい。
フェリクス殿下は、さも嘆かわしいと言わんばかりに溜息をついた。
耳が擽ったい……。
何これ、拷問なの?
さりげなく腕を外そうとしても、余計に力を込められるだけだし。
フェリクス殿下の一挙手一投足に釘付けだった私も、次のフェリクス殿下の言葉に固まった。
「大司祭はね、汚職と詐欺の罪を犯していたんだ」
「……」
一瞬、大司祭と罪状が繋がらなくて混乱した。
え? 汚職? 詐欺?
「情報が錯綜しているから、他にも罪状がありそうなんだけど、とりあえず確定しているのは汚職とか詐欺だけ。他は調査中。ほとんど調べ上げたところだけど、念の為裏を取っているところだ」
「大司祭は一体何を……?」
「特権を利用して違法な賭博や闇オークションの参加券を融通してもらったり、意味のない浄化魔術の使用による献金の要求とか、他にも色々あるけど」
意味のない浄化魔術の使用?
ピンと来なかったので、説明を求めてみれば。
「具体的に言えば、呪われてもいないのに呪われていると脅かして、無理矢理浄化魔術を行って金銭を要求したり、意味もないのに高い壺を買わせたり」
悪質な霊媒商法ではないか。
「ここで言いたいのはね、浄化魔術も壺を買わせるのも違法ではないということ。実際に効果はある訳だし。正しい教義と戒律があるのに、一部の愚者が行った欺瞞行為により、信仰とは陰りを見せるものなんだよ」
そう。この世界では、浄化魔術も呪術を解くし、その壺も実際に瘴気を吸い取ってくれるもの。瘴気に悩んでいない人にとっては、ただの壺になって宝の持ち腐れになってしまうけれど。
だけど、こうした詐欺が一度でも横行し、露見してしまったら、そちらの側面だけが着目されて、教え自体に疑いの目を持たれるようになってしまう。たとえ、大半が悪くないとしても。
ただでさえ、精霊とは目に見えないものだというのに。
教会サイドが暗雲としてしまえば、貴族たちの立ち位置にも影響が出てしまうし、無関係では居られない人は多数居る。
確かに、大罪だ。
フェリクス殿下は私を膝の上に置いたまま、疲れたように首筋に顔を埋めた。
「……っ!?」
さりげなくしてるけど、このお方何やってるの!?
「だから今回、暗殺されなくて良かった。暗殺されたと話題になれば、あらぬ憶測が立つかもしれない。まともに職務を全うしていれば暗殺なんてされる職業じゃないんだから」
余罪はまだありそうだと、彼は言う。
首筋に息が当たり擽ったくて仕方なかったけれど、彼はふと顔を上げて私の手を取った。
私がホッとしていると。
「ルナのところに他の精霊が干渉して来たのも、今回の大司祭の大罪があったからなんだろうね。教会のトップの腐敗を明らかにしようと、珍しく干渉してきたに違いない」
クリムゾンの主は、何を思って大司祭を消そうと思ったのだろう?
秩序が乱れると行動しにくくなるから?
それだけとは、なんとなく思わなかった。
私が首を傾げていれば。
『おお。ここまで都合良く解釈してもらえるとは。頑張った甲斐がある。ご主人、良かったな』
ルナの言っていることは間違いないんだけど、聞いていたら私の胃が痛くなってきた。
嘘をつけない分、精霊は素直すぎる。
本音と口が直結している。
ルナ的にはラッキーくらいの感情らしい。嘘をついたことがない分、嘘吐きになった罪悪感など感じないのかもしれない。
それか、仕方ないと割り切っているのか。
「あと、例の暗殺者の言っていた爆弾だけど。くまなく探してもらった結果、確かに爆弾が発見された。ヴィヴィアンヌ医務官がそれを聞きつけて解析し始めてね。本当に彼には世話になってるなあって」
「……」
叔父様、書類仕事飽きたんだ……。
そう思ったけど、純粋にありがたく思っているフェリクス殿下には何も言わないでおいた。
「そうしたら恐ろしいことが判明した。その爆弾、一つ爆発するごとに流された血を魔力へと変換して術者に集められるらしい。つまり、事故が起これば怪我人だけでなく、暗殺者も手強くなっていくということ」
「敵に回収される前に回収出来て本当に良かったです。もしかして、フェリクス殿下。すぐに手を回されました?」
彼は頷いた。
「魔導騎士の探索隊に依頼したら、すぐに捜索してもらえたんだ」
私が気を失っている間に色々と済ませていたらしい。
うう。情けない。あまりお役に立ててないような気がする。
「今は出来ることを大方片付けて、ようやっと戻って来れたところ。本当はずっと付いていたかったけれど、思ったより時間がかかってごめんね」
「いえ。むしろ、ご迷惑をおかけする形になり……。安全性の高い部屋に保護していただきましたし」
えげつない魔術がたくさんで恐慄いたけれど。
「ふふ。迷惑なんて。今日はレイラの魔術のおかげで助けられたんだし。……そうそう、ハロルドと愉快な仲間たち──じゃなかった一部の鍛錬の好きな騎士たちからレイラに熱心な要請があったよ」
「要請ですか?」
思い当たることが全くなさすぎて、訳が分からない。熱心って何?
「レイラの不思議の国。あれをかけられたまま動くことが出来たらそれは一人前の証なのではないかと話題でね。是非、鍛錬のメニューにと一部の騎士たちが懇願していてね」
「…………」
ドMかな? ドMなのかな?
「ほら、距離感とか平衡感覚とかを滅茶苦茶になるでしょう? それがまた己を鍛える鍛錬になるとか言ってて。とりあえずハロルドに見つからないようにした方が良いよ。彼、今回参加出来なかったから余計にアレな感じで」
『頑張れご主人』
どうしよう。ルナに諦められた。
フェリクス殿下は私を抱えたまま、時折髪にキスを落としたりしていたけれど、大司祭の罪とか叔父様が仕事を抜け出したとか、ハロルド様とか色々なことを聞いたせいで私は固まっていた。
「そういえば、晩餐がまだだった。部屋に持ってきてもらえるように頼んだから、食べようか。お腹は空いてる?」
フェリクス殿下の無骨な手がスルスルと私の腹部に移動して、ちょうど下腹の辺りをやんわり摩られた。
「……ひぇっ……!」
「お腹空いていない?」
「空いてます! 空いてますけど!」
この人は何シレッとセクハラをしているのか。
恋人同士だと普通なの?どうなの?
誰か教えて! 切実に!
忍び笑いしているから、確実にわざとなのが分かる。
ここで何か言ったら余計にからかわれることは目に見えている。
一通り話して小休憩ということなのか、真面目な空気は既に吹き飛んでいた。
「それで、レイラ。今日は遅いし。この部屋に泊まっていかない?」
あ、これは本気で言ってるんだなあ。
からかうように口にしている割には、声が少し緊張しているのが分かる。
つまり、これは初めてのお泊まりというやつだ。
二人きり。防音の部屋。
え? どうするべきなの?
「食事が終わるまでに決めてくれれば良いから」
私に答えを託すみたいに伺いを立てているけれど、熱が宿る目は「ここに居て欲しい」と言っていた。
だから、私はそのまま頷いた。
食事?正直、味など分からなかったが、問題はデザートを口にしていた時だ。
プリンアラモードに舌つづみを打っていたら、唐突に顔を寄せられて、唇の横に唇が触れて、チロリと小さく舌が触れた。
「クリーム、付いてた」
わざわざ私の唇についていたクリームをペロリと舐め取ったのだ。
「……っあ」
あまりのことに一瞬声が出なかった。
「んっ……、甘いね」
「そ、それは……そのクリームですから、甘いですよ。クリームには砂糖が含まれていて」
「それだけじゃないんだけどな」
一仕事終わったから開放感でおかしくなってしまったとか?
『ご主人、これは今夜決めるつもりだぞ』
何を!?
ちょっと意味が分からないと思ったのは、その後。
何故か城の侍女たちは、私を連れて行き、湯浴みをさせられ丹念に清められて、丹念にボディクリームやら何やらを塗り込められ。
あまつさえ。
「頑張ってくださいね!」
「何をですか!?」
待って。色々とおかしい。結婚前なんですけど!? 婚前交渉勧めるのおかしいでしょ!
その辺を侍女に突っ込みを入れてみたところ、「陛下的には結婚が確実になるので大賛成だそうです。レイラ様は、貴族令嬢の中でも優良物件なので!」
という情報を頂いた。指をぐっと立てられて、私はもはや何も言えなかった。
というか、明日は普通に仕事なのですとも反論出来ない雰囲気だった。
泊まるだけじゃないの?
全て整えられてフェリクス殿下の部屋に押し込まれ、そわそわと待つしかなくなった。
しばらくしてから、奥の個室からガタリと音がして、なんと部屋の奥にシャワールームとバスタブがあったらしい。
部屋の中に居る私に気付いて、フェリクス殿下は数秒間固まったけれど、やがていつものように微笑んだ。
「……温まった?」
「はい。とても良い香りの香油も髪に塗り込んでもらいました」
私の方が贅沢をさせてもらった気がして、なんとなく恐れ多くなった。
一人で身を清めていたらしい彼は、髪をタオルで大雑把に拭きながら言った。
「湯浴みはここの方が楽だし、何より落ち着くし。個室な分、他と比べると小さいかもしれないけど私はこれで十分かな」
「今度、一緒に入る? 二人でも余裕はあると思うよ?」とからかってきたので、私は思わず後ずさった。
冗談……よね? これは、フェリクス殿下なりの冗談だよね?
というか、ここまで準備万端になったからには泊まるしかないではないか。
むしろ最初から用意されていたとしか思えない。
私が彼の「泊まる?」という質問に頷いたことを知らないはずの侍女の方々に、笑顔で連行されたのだから。
「さっき、仕事をしてる最中に『レイラが泊まっていってくれたら良いなあ』って零したから気を使ってくれたらしいね」
『犯人はそなたか、王太子』
これ、私の答えとか関係なしに泊まらせる気満々だったのでは?
距離を取りつつ、ジト目で窺っていれば、「違う違う」と手を振られた。
「ほら、暗殺騒ぎがあった後だし、当日くらいは一緒に居た方が安心だし。私的には泊まって行って欲しかったんだ」
「リアム様が付いてくださるのでは?」
などと正論を言ってみたけれど、フェリクス殿下は首を振った。
「うーんと、ほら。あれだ。リアムも疲れが溜まっているかもしれないから……かな?」
「なるほど!」
確かに護衛の方も配慮しなければいけなかった。
私はそこまで思いつかなくて、リアム様に少し申し訳ないことをしそうになった。
人間だもの。疲れる時は疲れる。
『いや、どう見てもあの護衛は疲れてなど──野暮か』
ルナはボソボソと小さな声で何かを言いかけて止めた。
最近、ルナが小声で一人言を言うようになった気がする。
「じゃあ、寝ようか? おいで」
「……はい」
曇りなき眩しい笑顔を浮かべられて、彼の元へとテコテコと歩いて行った。
今日ずっと寝ていたベッドの上に上がろうとしたところで、未成年の私たちがこの状況なのはマズいのではないかと思い立つ。
「あの……私、別のところで……。そのソファでも貸していただければと」
「何故?」
何故も何も。
「その……こういう状況はマズいのでは?」
薄着で二人きりで。
フェリクス殿下はふっと微笑んだ。
なんと綺麗な笑顔なのだろうと、こういう時ですら思う。
「マズいと思うなら、拒否すれば良かったんだよ。でも、貴女は結果的に頷いた。今も逃げようとはしていない」
その通りなので何も言えなかった。
でも、まさか。そんな。
まさかね?
混乱の境地に居た私の手首を引く彼の手は、いつもよりほんの少し性急さがあった。
くいっと引かれて、ベッドの上にぽすんと座らせられて。
『ご主人。私は見回りに行ってくる』
「え? ルナ?」
ルナは私の影からすっと出て、扉をすり抜けて部屋の外へと出ていってしまった。
「ルナがどうしたの?」
「見回りに行くって、出て行ったんです……」
「気を使ってくれたみたいだね」
気を使うって……。嘘。
今までそういう雰囲気ではなかったのに?
普通に話していて……。
ベッドの上に居た私へと近付いたフェリクス殿下は、顔を寄せると突然口付けた。
「んっ……!? ぁっ……んむっ……」
突然、舌が入り込んでくる深い口付けを仕掛けられ、私は彼の体にそっと手を添えて押し退けようとしたけれど。
そのままベッドの上に押し倒されて、そのまま覆い被さったまま、口付けが続行される。
「な、な……んで……んっ」
舌を吸われ、口内を蹂躙され、上顎まで撫で上げられて背筋に甘い快感が迸る。
舌と舌が絡み合ううちに意識がぼんやりとしてきて、気持ち良くて仕方なくなった。
流されると分かっているのに、このタイプのキスをされると、私ははしたなくなる。
もっとして欲しくなるし、下腹の奥が疼いて仕方ないのだ。
だから、口をついてこんな言葉が出る。
「もっと、して……もっとください」
「うん。私も、もっとしたい」
唇の隙間から喘ぐような彼の声。
合わせられた口元は熱く柔らかい。
しばらく味わっていたらしい口付けが解かれる。
「私も聖人ではない。好きな人が自分のベッドに居て何も思わない男は居ないよ」
「……でも前は……んっ」
私の反論は口付けで塞がれて、数秒間たっぷりと絡み合った後、フェリクス殿下は付け足した。
「前は我慢してただけだ。言ったよね。辛いって。限界だって。さすがに今日は無理だった。だってこんなにも、おあつらえ向きなのだから」
二人きり。防音。湯浴み上がり。薄着。お泊まり。彼の部屋。ベッドの上。
完全に据え膳だった。
ただ実感が湧かなかった。前に二回ともフェリクス殿下は、手を出すのを止めていたから、なんとなく。
フェリクス殿下は私の耳を甘噛みしながら、内緒話をするように囁いた。
「大丈夫。明日は仕事だろうから、無茶はさせない。誓って一線を越えるようなことはしない。ただ、味見はするけれど。レイラの中の快感を育てるために」
「快感……?」
「そう。初めてを迎える時に、レイラが少しでも気持ち良くなるように、ね。そうしたらきっと癖になる。レイラには癖になってもらいたいから」
「癖に……? どうしてですか?」
「……こういうことをする瞬間くらいは、憂いなど何もかも忘れてしまえば良いと思ってるからかな。癖になってしまえば、少しでも罪悪感なんて忘れてしまう」
罪悪感? それはもしかして、私の?
フェリクス殿下は、私の様子に気付いていた?
肉食獣の瞳をしたフェリクス殿下はそう言って、私を押し倒したまま、見下ろしている。
そこにあるのは、熱の篭った目と、私を気遣うような視線だった。
「レイラは私を見ていつも申し訳なさそうにしているけれど、そんな必要なんてなくて、少しでも開放されて楽になって欲しい。私は、結局のところ、貴女が傍に居ればそれだけで幸せなんだって言いたかっただけだよ」
ああ。私のことをこの人は知ろうとしてくれているんだ。
「あっ……。殿下は私のことをそこまで考えて……」
「そこまで高尚で誇り高い人間って訳でもない。今だって結局のところ、私はレイラに触れたいから、こんなことをしてるただの男だよ」
頬に唇が落とされ、間近で熱の篭った彼の目と合ってしまった。
焦がれるように縋る瞳が雄弁で、私はそっと微笑んだ。
フェリクス殿下は、呟きながら下唇に甘く噛み付いた。
「レイラ。安心して。何をされたとしても私は貴女から目を離さない。レイラが思っている以上に、私はしつこい人間なんだ」




