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「叔父様、今日は仕事をお願いします。研究は程々に。三食の食事は摂ること!」

 教会の大司祭の暗殺予定日の当日を迎え、私は医務室を空けることになったので、諸々の伝達事項を叔父様に伝えていた。

 暗殺予定日はなんと、情報をフェリクス殿下に伝えてから二日後だったのだ。

「わかってますよ。最低限は──」

「ちなみに、医務室セルフサービス運営は駄目よ、叔父様」

 叔父様の笑顔が固まったので、さらに付け足していく。

「書類仕事もお願いね、叔父様。重要なものと日にちが迫っているものは順番に並べてあるから、どれをやれば良いか分からないなんて言い訳は通用しないわよ」

「…………」

 叔父様の顔が笑顔のまま、青ざめた。

『前科があるのか、この叔父は……』

「仕事をしないとルナが呆れて、研究に協力してくれなくなると思うわ」

「やります」

 叔父様は即答した。

『早すぎだろう』


 不安は残るものの、叔父様に医務室を任せて私は白衣を脱いで外出だ。

 元々私は助手なので、当たり前な気もするけれど。

 学園内を白衣なしで歩くのは珍しかった。


 学校関係者用の出入口を通りかかったところで、その付近で待っていたらしいフェリクス殿下に声をかけられた。

「準備は終わった?」

「思ったより遅くなりました。私の叔父が確実に書類仕事を出来るように細工をしておりましたので」

「一つ思ったんだけど。それって元々、ヴィヴィアンヌ医務官のやる仕事なんじゃ……」

『普通はそう思うだろう、普通はな』

 私の苦労を見ていたルナも、何やら含みがあるような物言いだった。

 何やら察する部分があったのかフェリクス殿下は私の頭をそっと撫でた。

 好きな人に撫でられるのは、やはりときめいてしまって、私はそっと顔を伏せた。

 ふっと微笑む気配があったけれど、恥ずかしいので知らない振りをする。

「可愛いね」

「…………」

 知らない振りを……。

「そういう反応されると食べちゃいたくなる」

 し、しらないふりを……。

 こちらに向けられている視線を知らない振りで誤魔化していたが、じっくりと熱心に見つめられているのが分かる。

「ちょっとだけ、触っても良い?」

「……っ! も……もう。こんな時にからかうのは……」

「うん。少しは肩の力が抜けたようだね。来た時から少し体に力入ってたから」

 ポンと肩を優しく叩かれた。

「……」

 フェリクス殿下のこういうところ、本当に敵わない。

「じゃあそういうことで、目的地に行こうか」

「身一つに見えますが、徒歩ででしょうか?」

「こういった案件に王太子が直々に関わるのは、いらぬ憶測を呼ぶからね。移動しているのを見られる訳にはいかない。……ということで、手っ取り早く魔術を使う」

 魔術?

 フェリクス殿下が私の腰を引き寄せた瞬間、殿下の足元に魔法陣が広がっていく。

 これは、空間転移魔術だ。

 魔力の粒子がキラキラと輝き、私とフェリクス殿下の周囲が眩く光り輝いて、体に浮遊感を覚えて──。


 気が付けば、どこかの客室らしき一室に居た。

 空間転移が終わり、光が晴れていくのと同時に私は周囲を見渡していた。

「ここは当の教会からは大分離れているけど、教会の裏門から斜め向かい側方面にある観光客用の宿だよ。視力強化すれば教会の様子は窺えるし、ちょうど良いと思う」

「私たちはここから近衛騎士の皆様の支援をするのですか?」

「うん。そういうこと。この宿に私服の騎士が駐屯しているし、リアムにも守らせるから大丈夫。私たちはここから後方支援。さっきも言ったけど、こうした案件に王族の私が堂々と関わるといらぬ憶測を呼ぶからね。私たちがここいることは近衛騎士しか知らない」

 どうやら、教会側と王太子の繋がりが密と知れれば、情勢が変わってしまうらしい。

 表立った魔術行使は出来ないけれど、正直フェリクス殿下の魔力量はとてつもなく、戦力としてとても頼りになるので、こうして参戦している。

 ちなみに騎士たちには、フェリクス殿下の持つ特殊な情報源からの報告だと説明しているらしい。


 予定時刻までは、一時間程。

 私はフェリクス殿下と使う魔術の最終確認を行って、お互いの行動や、今日の手順などを確認していた。

 捕まえることは出来なくても良い。命を優先し、今回は追い払うこと第一という方針だった。捕まえる努力は最大限にしておきたいが、かなりの警戒レベルでアビスは止めた方が良いと忠告した。

 一通りの説明を終えた後、フェリクス殿下が窓の外を眺めているのを確認しながら私はポーチの中から魔力回復薬の小瓶を取り出して机の上に並べる。

 以前より魔力量は増えたかもしれない。それでも私の魔力では足りない気がした。


 準備を終えて一時間は割と早く経過していき、フェリクス殿下が念話で合図を入れてから魔術行使が始まった。


 不思議の国(ワンダーランド)

 一定の空間、全ての距離感と自らの質量の感覚、平衡感覚などをおかしくしてしまう魔術。

 効果対象は殺意を持つ人間。

 視力強化で教会付近を視認して、遠くにあるその場所付近へ魔力で編み上げられた術式を展開させる。

 闇の魔力の気配が教会を包み、巻き起こった魔力が徐々に収まり、その空間に固定された。

 もちろん、私服に着替えた騎士たちや隠形魔術で姿を隠している彼らの身には何も起こらない。

 あとは私への合図待ちだ。発動寸前でピタリと私は止めた。

 フェリクス殿下はそれを確認すると、周囲に散らばる近衛騎士の一人一人に、それも屋根などに潜む者も含めて総勢三十名の手練に身体強化の魔術を施した。

 加速魔術と、硬化魔術である。

 相手が使ってくる魔術に対抗するための手段。

 彼ら自身と彼らの武器を硬化させ、簡単に切断されないように。

 フェリクス殿下の干渉力を使えば、防ぐことは出来るはずだ。


 すごい……。フェリクス殿下から見えない者たちも感知して、魔術を施しているなんて……。

 改めて尊敬の思いで見つめていれば、彼が私に声をかけた。

「来るよ」

 フェリクス殿下が一言口にした瞬間。

 キャスケットを被った少年が裏から入ろうとするのを確認して、私も一歩遅れて気付く。


 不自然な魔力量に。これは。

 なんとなく違和感。これは殺気?


『ご主人、あの少年から独特の気配がする。狩りに赴く者特有の臭い』

 ルナは断言する。

 間違いなどなく、殺気だった。

 それはおそらく、獣の勘なのだろう。

 フェリクス殿下は、その殺気というものにいち早く気付いたようだけど……。それもこんなに遠くから。


 その少年のキャスケットの隙間から色素の薄い金の髪が覗いている。

 その少年は殺し屋には見えないくらいには擬態しているようだ。

「ふふ、その道の者特有の血の臭いが消せていないんだよ。随分と頑張って取り繕っているみたいだけど一目瞭然」

 フェリクス殿下は歌うように余裕のある声でそう評した。


 そのキャスケットの少年が隠形魔術を使って姿を消そうとした瞬間。


「標的確認。彼を不思議の国の主と認定します」


 不思議の国の主。つまりはこの魔術で作られた特殊空間の主な標的として認定・登録し、その空間へと縫い付ける行為。私が逃がすか、それ以上の干渉力で振り払わなければ、逃げも隠れも出来ない。

 隠形魔術を使って逃げようなんて許さない。

 教会内部に侵入したものの、隠形魔術を使えず異変に気付いた犯人は、死角へと移動しようとした。

 私はここで本格的に魔術を起動させる。


 平行感覚や距離感がおかしくなったらしい少年が膝をつくのを確認したが。


「……っ?」


 私は息を飲んだ。

 彼の身にかかる不思議の国の効果。

 それを強引に振りほどこうと魔力を発動させている。

 この魔術に抗えるということは、相当な使い手だ。

 私は不思議の国の効果を高めるべく、魔力を注ぎ込み、少年の体へと負荷をかけた。


 これは、我慢比べかもしれない。


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