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 フェリクス殿下とクリムゾン、2人の応酬は終わらない。

 フェリクス殿下の隣に居る私をクリムゾンが挟む形で、先程から毒を吐きまくっている。


 挟まれた形で揉められるのも困るので、私はフェリクス殿下の横から、さりげなく体をズラそうとするのだけれど、私が離れた分だけフェリクス殿下は近寄ってきて、その分クリムゾンも移動するので、どうあがいても逃げられない。

 結局のところ、わざわざ私を挟んで言い合いをしているのだが、何かの嫌がらせか何かだろうかと思うくらい。


 そうこうしているうちに、学園内の時計塔の鐘が鳴り響き、ここでようやくクリムゾンが顔を上げた。

「ああ……時間を無駄にしましたね。せっかくレイラに案内してもらえると思ったのに、俺は何をしているのでしょう。俺としたことがこんな無意味な時間を」

「それはこっちの台詞だよ。何故、私はこうして時間を浪費してまで言い合いをしているのだろう。もっと有意義で建設的な時間の使い方があっただろうに。なんて無駄で無価値なのだろう」


 今度はお互いに無駄無駄言い始めた。

「レイラ。こんな粘着男のことは置いておいて、俺の案内の続きをお願いします。レイラが案内してくれるなら、無駄な時間を過ごしたせいで、ささくれた俺の心を癒してくれるに違いありません」

「……」

 クリムゾンはおもむろに私の手を両手でやんわりと握ったかと思えば、何故か手のひらをにぎにぎと揉んできた。

 クリムゾンのやること成すこと全て気に食わないのか、フェリクス殿下はそれを見咎めて噛み付いた。

「私の目の前で、レイラに触らないでもらえるかな? 触り方も妖しいから止めてくれ」

 私の手首をくいっと引っ張られて、フェリクス殿下の背中へと私は隠されていた。

「おや? さすが思春期少年。全てがいやらしく見えるお年頃なんですね? 俺はなんとなく手のマッサージをしてみようと試みただけなのに、フェリクス殿下は卑猥な目でレイラを見ている。淫らな目で見て、レイラを妄想で貶めるとは。心が穢れているからそうなるんですよ」

「はっ。マッサージ? それこそ脈絡がなさすぎる。無理があるにも程がある。誤魔化しにしてもお粗末すぎて、それこそ、自分が有罪だと自白しているようなものだよ」


 何故私の手1つで、いやらしいだの卑猥だの話になるのか、理解に苦しむ。

『そもそも本人の前で話すことなのかと問いたい』

 ルナは私に同情しているのか、影から手を出して、私の足をポンっと叩いた。

 ううっ……。元気づけられてる。

『そして、こんな時に何だが、1つ良いだろうか』

 ルナがそう切り出して。

『我が主、レディ。厄介事が舞い込んで来ましたよ。厳密に言えば、光の精霊の気配がするのですよ』


 クリムゾンがピタリと動きを止めた。

 もちろん、精霊の声が聞こえるのは、私とクリムゾンだけで。


「ふむ。緊急事態ですね」

「何が?」

 フェリクス殿下には精霊の姿は見えるが、精霊の声は聞こえていないためか、状況を掴めては居なかった。

 クリムゾンはあっけらかんとした様子でこんなことを言い始めた。

「なに、俺の部下から念話があっただけのこと。厄介事は御免こうむります。ということで俺とレイラは退避しますので。殿下には囮になってもらいますか」

 厄介事。つまり、リーリエ様の接近。

 同じ学園に居る以上、顔を合わせる機会はゼロではない。

 状況が掴めないフェリクス殿下を見て、クリムゾンはニヤリと笑って、突然魔術を繰り出した。

 それは何の脈絡もなく、いきなり魔力を編み上げて魔力で作られた鎖を出現させた。

 ジャラ、と床を引き摺る鎖の音。

 それと共にフェリクス殿下に一斉に襲いかかる鎖は無数。私だったら避けきれない鎖を伸ばして、フェリクス殿下に巻きついた……ように思えた。


 このままここにフェリクス殿下を縛りつけて放置して、リーリエ様と鉢合わせさせる気だ!


「はっ、学園内では良識的に振る舞うと思っていた私が馬鹿だった!」

 クリムゾンの鎖は魔力を抑える効果を持ち、魔術はおろか、肉体ですら拘束してしまう代物。

 私は、一切合切を封じられてしまったから、分かる。

 あれは並の魔術師では対応出来ない、手に余る代物で、恐らくその能力だけで魔道騎士団の上位の騎士に匹敵する程の能力だと。

 その強力な魔術の塊である鎖は、確かにフェリクス殿下に一瞬巻き付いた。

 腕を拘束して、足首にも巻きついていたのを、私は見た。

「……っく」

 もちろん、フェリクス殿下は無抵抗ではなかった。

 恐ろしい程の魔力が、フェリクス殿下の周りにぶわりと吹き荒れたと同時、足元には鎖の残骸がバラバラと散らばっていた。

 む、無理矢理、振り払った!?

 フェリクス殿下が鎖の残骸を踏み締め、ジャリっと音がして。

 クリムゾンに捕まえられそうだった私の体を引き寄せて、隠形魔術を発動させた。


「えっ!? 殿下!?」

「レイラ、じっとしててね」

 フェリクス殿下の腕に囲われる形で、トンっと壁に押し付けられた。

 手のひらが私の顔の横に置かれていて、まるで覆い被さるようなこの体勢。

 いわゆる壁ドンという状況の中、私はそのまま固まっていた。

 フェリクス殿下は、恐らく状況を飲み込めないまま、隠形魔術で本能的に姿を隠した。

 咄嗟に私ごと。


 私の手首を掴もうとした体勢のまま、一瞬硬直していたクリムゾンだったが、私とフェリクス殿下が隠形魔術で隠れたのを知ると、「なかなかの隠形魔術ですね。声も気配もほとんど遮断しているし」などと呟きながら、私たちの方向へと視線を向けている。


「ブレインには、私の隠形魔術が効かないのか?」

 フェリクス殿下は、有り得ないとばかりに、独り言を漏らす。

 そういえば、私の隠形魔術も以前見破られた気がするのだけど……?

 クリムゾンだし、そういうこともあるのかもしれない……。


「レイラと殿下がその辺に居るのはなんとなく分かるんですがね。ものの見事に姿を隠していますね。まさかこの俺に見破れない隠形魔術があるとは思いませんでしたよ」


 どうやらクリムゾンは半分くらいしか見破れていないらしい。

 お互いに「まさか己の魔術が効かないとは」などと呟いているところは同じだった。


 そして、驚愕からか少し放心していたクリムゾンは、やがて面白そうに肩を震わせ始めた。

「驚きすぎて退避するのを忘れましたよ。まあ、良いでしょう。暇つぶしに相手をしましょうか」


 退避。何から? 光の精霊の気配から。

 相手をする? 光の魔力の持ち主と?


 どうやらクリムゾンは、これからやって来るであろうリーリエ様の相手を務めようと思い立ったらしい。


 たったったっと軽い足音がしたと思えば、背中を反対側の壁に預けたクリムゾンの前には、見覚えのある少女。

 ここでフェリクス殿下も、クリムゾンが何をフェリクス殿下に押しつけようとしていたのかを知った。

「厄介事とはリーリエ嬢のことか。そしてあの男は私に押し付けようとしていたのか。レイラを連れて。うん。完全な嫌がらせだろうね」

「…………」

 フェリクス殿下に精霊の声が聞こえないのを良いことに押し付ける。

 確かに嫌がらせと言われればそうかもしれなかった。


 何だろう。全力で嫌がらせするとは、本当に……。わざわざ魔術を使ってまで……。

 なんというか。

『クリムゾンとやらは、大人げないな。年下相手に』

 あー……。特にフェリクス殿下を相手にすると、クリムゾンは大人げなくなる気がする。


「あー!! 貴方! 昨日の夜会で、私を鎖で縛り付けた人!!」


 クリムゾンを見つけたリーリエ様は、はしたなくも大声を上げて指を突きつけていた。

 リーリエの首には、罪人の枷のような鈍色をした金属の首輪が嵌められていて、彼女の後ろには、騎士が数名、彼女を監視するようにピリピリとした雰囲気を漂わせている。



「人を指差すなと幼い頃に家庭教師に習いませんでしたか? …………ああ、平民だから家庭教師がついたのは最近でしたっけ? それなら()()()()()()()仕方ないですね?」

『本当にあの男は、各方面に喧嘩を売るというノルマでもあるのだろうか? 常識知らずの部分に力を込めたぞ、今』

 相変わらずのリーリエ様に対する暴言。

 確かに、あらゆる方面に毒を吐き散らしている。

『だから、いつか慣れますって、狼殿』

 すっかり慣れ切ったアビスは、傍観の姿勢に入っている。

『いや、だから私はそんな常識に染まりたくない』

 ルナは苦々しげな声で答えた。


「あの鎖で縛られたままだったら、リーリエ嬢と鉢合わせしてたな。……正直、私が彼女の前に現れるのは得策じゃない。きっとレイラにも迷惑がかかると思うし。……今までの失策のツケだね、これは」

 私を壁に押しつける体勢だったフェリクス殿下は、くるりと私を回転させるとそのまま私を抱き込んだ。

 後ろから抱き竦めるような形になり、後ろから回った腕が思いの外、逞しい。

「……鍛えておられるんですね」

「ん? ああ……。昔からハロルドに鍛錬に誘われることが多かったからね。何故か、ハロルドは私の隠形魔術をよく見破ってたなあ……。今思えば、ハロルドのあれは野生の勘なんだと思うけど、当時は怖くて怖くて。逃げようとして、誰かの隠形魔術に隠してもらったり」

「ふふ、それでも捕まってしまったから、こんなに鍛えることになったのですね」

 そっと回された腕に手で触れると、フェリクス殿下は苦笑した。

「いや、ハロルドに誘われなくても私なりに鍛錬はしていたよ」

 無意識なのか、そうでないのか分からないが、後ろから抱き竦めていた腕が、きゅっとさらに絡んできた。

「……っ」

 魔術を使っているのだから息を潜める必要はないのに、声は自然に抑えられていた。

 ただの軽い接触だというのに、私は完全に意識してしまっている。

 殿下は、普通に話しているだけなのに。


「レイラ?」

「あ! いえ、何でも……ないんです」

「……ん? あれ、そういえば、昨日付けたはずの痕が見当たらないような。真っ白で綺麗な項だ」

 後ろから抱えていて、ふと気付いたのだろう。フェリクス殿下は私の首筋を指先でなぞると、不思議そうにしていた。

「今、そういうことは良いですから!」

 昨日つけられた痕は、治癒魔術で消した。さすがに首筋のあんな分かりやすいところに付けられたら、丸わかりなので。

 そのまま出勤するのは、いただけない。昨日、殿下とイチャついてましたと公表するようなものだ。

「せっかく付けたのに」

「い、今はそういう場合ではないですから!!それと、分かりやすいところに付けるのはお止め下さい」

「ごめん、ごめん。もう分かりやすいところには付けないから」

 必死な私をどう思ったのか、フェリクス殿下はそれ以上追求することはなく、軽やかに笑っている。

 息が耳を掠めてくすぐったかったけれど、たぶん今のは、わざとじゃないと思われる。


 ふとクリムゾンの方へと意識を向けた。


「貴方のせいで、私はこんなことになっているのに! 何とも思わないの!?」

 リーリエ様は己の首に嵌められた枷を掴み、ガチャガチャと鳴らしている。


「むしろ俺としましては、そこまでの状況になっても、現状を何とも思っていない貴女に色々な意味で感服しますけどね?」

 それにしても、リーリエ様は誰にでもそういう態度だけど、大丈夫なのだろうか? 色々と。

 フェリクス殿下は「うわあ……。覚えがあるなあ、リーリエ嬢のあの感じ」と呟きながらとんっと私の頭に顎を乗せる。

「あの……殿下…」

「ん?」

 最近、さり気ない接触が以前より増えた気がする。

 殿下的には、わざとやっているのか、無意識にやっているのか……それにより、私は彼への評価を改めねばならない。

 いやいや、今はそういう場合ではなくて!

 クリムゾンとリーリエ様の方へ意識を向けると、リーリエ様は自らの過ちには目を向けず、理不尽に責め立てているところだった。

「元はと言えば貴方が私にあんなことをするから──」

 現代でもああいうクレーマー居たなあ……。

「元はと言えばも何も、貴族の夜会で大掛かりな魔術を行使しようとした貴方の自業自得ですよ。その自業自得の結果を俺に言われましても。責任の所在は俺じゃないので他を当たってくれます?」

 うわあ。クリムゾンの人を馬鹿にしきったような、あの視線。

 冷笑っていうのだろう。あれを正しく。

『いっそ鮮やかなくらいの悪役だな』

 ルナがぽつりと零せば、アビスは訥々と返した。今も尚、彼はクリムゾンの影の中に潜んでいる。

『ほら、我が主は視線1つでも人を馬鹿にしきった態度を取るので、視覚でも人を不愉快にする天才なんですよ。煽った相手が逆上するのを眺めるのを楽しそうに見ているというか』

 フェリクス殿下とクリムゾンの喧嘩を楽しげに眺めているアビスも大概だと思うし、たぶん同類だと思うの。


「なっ! 酷い! なんて言い方なの! 女性にそういう言い方なんて」

「俺にとっては、貴女は女性っぽい何かなので」

 涼しげに返すクリムゾンは、もはや誰に何を思われても良いらしい。

 というか、リーリエ様を監視している騎士たちが、絡まれたクリムゾンに同情したような顔つきをしているのを見ているから、好き勝手言っているに違いない。

 リーリエ様は、顔を真っ赤にすると、予想外のことを言い放った。

「貴方みたいな失礼で性格の悪い人なんて、レイラ=ヴィヴィアンヌみたいなフェリクス殿下を誑かすような悪女とお似合いよ! 2人して国外追放されれば良いんだ!」

 何故、私が出てくるのか。


「は?」

 その瞬間、フェリクス殿下が今、物凄くドスの効いた声を出された。

 今、私の後ろのフェリクス殿下の顔を見たくない。振り返りたくない。切実に。


 クリムゾンはと言えば、きょとんと瞬いて、口元が愉快そうに笑みの形を作った。

「ほう。貴女はこの俺と、レイラがお似合いだと仰る?」

「性格の悪い人同士、結婚でも何なりすれば良いんだよ!」

「それは、良い考えだ」

「え?」

 クリムゾンの反応が思った通りのものではなかったのだろう。

 国外追放されれば良いとまで言ってのけたのに、クリムゾンに堪えた様子はなく、むしろ晴れやかに笑っている。

「ならば、レイラを連れて国外で安穏と暮らしましょうか」

 声は冗談っぽいけど、目が本気だった。

 え? ちょっと?

「なっ……! 冗談じゃない!」

「きゃあ!」

 その瞬間、フェリクス殿下が私を後ろから、回していた腕でぎゅうっと締め付けてきた。

 離さないと言わんばかりに拘束する腕はビクともしない。

「レイラ? あんな冗談、真に受けないよね?」

 フェリクス殿下の魔力が膨れ上がり、おまけに声も闇堕ちしかけていたので、私は抱き締めるフェリクス殿下の腕を宥めるように、きゅっと掴んだ。

「何を仰っているのですか? 私は、貴方のことが……好きなのですよ?」

「……レイラ」

 私が彼に触れた瞬間、今にも暴発しそうだった魔力が治まり、堕ちかけた声も元の声に戻った。

 フェリクス殿下も不安になることがあるのだ。

 皆、恋をするとそういうものなのかもしれない……。


 そんな一幕を繰り広げている間に、クリムゾンは最後にこんな爆弾を投げ込んでいた。


「まあ、仮に? もしも、の話ですが。貴女がフェリクス殿下の相手だったとしたら、国は確実に荒れると思いますけどね?」

「そんなの、分からないよ!!」

「いやいや、今の貴女の状況がそれを証明しているでしょう?既に今の段階で問題を起こしていますし、俺はね、感情のまま動く武器庫みたいな貴女が1番恐ろしい」


 ふっと笑った後、クリムゾンは騎士たちに目線だけで連れて行くように合図をした。

 申し訳なさそうに騎士たちはリーリエ様を挟み、まだ何か言いたげな彼女をこの場から引き離して去って行った。


「ほとんど罪人みたいな扱いなのに、何故学園にあの女が通っているのですかね?」


 ようやくリーリエ様一行が去った後、クリムゾンが問いかける。


 かけていた隠形魔術を解くと、フェリクス殿下は抱き締めていた私を離した。


 クリムゾンが先程とは違い、こちらを完全に認識し、ようやく視線が交わるようになった。

「……フェリクス殿下、あの女と顔を合わせるのは、本気で止めた方が良い。レイラもあの女の前に出さないように工夫した方が良い。学園を退学にさせてしまうくらいに本気で、ですよ。少しでも関わると災いを呼び寄せる類だと俺は思います。……まあ、退学が難しいのは分かりますが」

「忠告痛み入る」

 顔を合わせればお互いに不毛に争っていた男たちが、まともに会話をした──。


「まあ、全部? 貴方の采配が悪いんですけどね? フェリクス殿下。大方、貴方が誰にでも良い顔をするから単純な女がコロッと騙されただけのことでしょう」

「私の采配も、態度も改善点があるのは大いに認めるけど、お前は逆に、その誰にでも毒を吐く姿勢をどうにかした方が良いよ、ブレイン」

「ははは、人を選んでおりますので」

「それを本人の前で堂々と言う時点で、マトモじゃないことに気付けという」


 マトモに会話は出来なかった。


 それにしても。リーリエ様の前に姿を表さないように……か。


 そうは言ってられないというか、最近私は、学園の教師陣から依頼の手紙を受け取っていたのだ。わざわざ屋敷に届いた手紙だ。

 マナーの授業と、音声魔術概論の講師を務めて欲しいという依頼である。


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