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 クリムゾンに書類をもらい、話し合いは数分で終わった。

 直接赴く必要あったのかと言いたいくらいすぐ終わったのだが、まあ……重要書類は手渡しというアナログな方法が良いに決まっている。


「ねえ、レイラ。せっかくなので、学園を案内してくれませんか?後学のためにも」

「……確かに学園との連携がこの先にないとも限りませんが、私がですか?」

 2人きりで行動して何らかの憶測を立てられてしまうのは勘弁してもらいたい。

 それにフェリクス殿下は、クリムゾンのことになると情緒不安定になるし……。

 さっきも、念話を入れたのだけど「分かった」と無機質な声で返答があったっきり。

 なんだか声が怖い。

 いつも私には優しいあのフェリクス殿下が、である。

 ……私はやはりフェリクス殿下を優先したい。

「お1人で回っては? 私は仕事がありますから」

「つれないですね? 私たちの契約についても話をしたいですし」

 契約。契約魔術の1件で何かあるのだ。

「歩きながら外でするお話でしょうか?」

「レイラとしてもここで俺と2人きりで居るよりも、学園内の方が安心ではないですか?」

「……」

 叔父様は研究室に篭っているし、確かに今は実質2人きりになっているようなもの。

 学園内を案内するならば、周りには騎士や学園勤務者たちの目がある。

 後者の方が人目があるという点では安心安全だ。

 というか1番良いのは、ここでクリムゾンが出て行ってくれることだ。

 クリムゾンは私へ近付こうと1歩踏み出して、私はさらに2メートルくらい距離を取った。

 そして私の心を読んだようにこう言った。

「貴方がここに居るなら、俺もしつこく留まります」

「……」

 つまりは私の居るところに居るから、諦めろと。

 叔父様は研究中で、集中してしまった叔父様は戦力外である。必要最低限しか仕事をしないセルフサービスモードに移行してしまっている。

「さあ、どうします?」

「…………」

 仕方ないから折れることしか出来ず、私は苦虫を噛み潰したように顔を顰めかけたが、慌てて淑女の笑みを浮かべて誤魔化して、にっこりと微笑んだ。

「では、私から2メートルの距離を空けてという条件付きでしたら」

「これは手厳しい。ここまで警戒されるとは悲しいですね。俺はケダモノではないのですけれど……。あの時の口付けは契約のため仕方なく……」

 切なそうな顔をしているが、どこからどこまでが本気なのか見当がつかない。

『あんなことをしていれば、警戒するのは当たり前だと思うぞ』

『我が主は、それを承知の上でいけしゃあしゃあと物を言っているのですよ。それに契約のため仕方なくとは言っていますが、後半はほとんど肉欲にぎゃああああ!』

 クリムゾンの影から、アビスの尻尾がゆらゆらと可愛らしく揺れていたが、それを彼はガシッと掴むとおもむろに引っ張ってぎゅうっと握り締めた。満面の笑みで。

「えっ、今、アビスは何を」

 アビスが何を言って怒られたのか、後半を聞き逃した。

『ご主人。聞かなくて良いぞ。ご主人には関係のないどうでも良いことだからな。聞いたところで害しかない』

 ルナは取るに足らないことだと教えてくれなかったし、当の本人のクリムゾンは。

「俺の精霊は余計なことや、適当なことを言う口の軽い精霊なのです」

 などと言っている。

『私が思うに、この主従に共通するのは、余計な一言が多いということだな。主人の方は煽り癖が酷いしな』

『分かってくれますか! 狼殿! 我が主が煽ってばかりのせいでワタクシは要らぬ苦労を抱えるのですよ!』

 ルナのごもっともな指摘に、持ち直したらしいアビスがここぞとばかりに同意していたが、アビスもアビスでそれを楽しんでいる節があるので説得力がない。

 ある意味では息のあったコンビなのだろうと思うけど。

「それじゃあ、レイラ。行きましょうか」

 ああ……。何故こんなことに。

 不可抗力ながら、学園内の案内をすることになり、私は遠い目をしながら、医務室をセルフサービスモードに切り替えた。長年の習慣からか、叔父様は合図のベルにだけは反応するらしい。


 そうして部屋は出たは良いものの。

 クリムゾンと2メートルの距離を空けて、学園内を案内するとは言っても、どこにどの教授が居るのか、主要施設を案内するくらいで、そんなの彼に必要なさそうだけれど。

 地図はあるし……。

 ん?そういえば、方向音痴とか聞いたような気もする。


 廊下を歩きつつ、とにかく契約について聞いてみないといけないと思い、小声で聞いてみた。

「ああ。後日、アビスをそちらに向かわせることにしました。その時に報告しようと思いまして」

「…………」

 直接、話すつもりなど元々なかったのだろう。

 連れ出す口実だったのか。

 私がここまで来た意味とは。

 キョロキョロと興味ありげに周囲を観察していたクリムゾンは、やがて感心したような表情で私に向き直った。

「俺は学校など通ったことはないのですが、ここの警備はかなり厳重ですね」

「……貴方が前に入り込んだから、さらに厳重警戒になったのですよ、クリムゾン」

 ジト目で見れば彼は何故か、やけにご機嫌というか、浮かれているというか、どこかご満悦にしているというか、楽しそうだった。

 フェリクス殿下が私に向ける表情に少し似ているというか、彼らは特に理由なく喜び始めるところが似ている。

 なんて思ったことがフェリクス殿下に知れたら、不機嫌になりそうだけれど。

「そんなこともありましたね。あの時の運命の出会い。良き思い出です」

『どう考えても物騒な思い出だろう』

 私の言いたいことはルナが言ってくれたので、私はそのまま黙殺した。

「……異界を通過するなんて、やはり規格外すぎますよ。警備などあってないようなものではないですか」

「見た限り、レイラの供応率もなかなかのものですし、空間転移を試す機会があったらやってみては?」

 精霊との供応率を上げて、精霊使いとしての熟練度を上げると、人間も異界へと入れるらしいと聞いた。

 私も日々時間が許す限り、瞑想による魔力操作の訓練をしてはいるけれど、そんな些細なことで少しは熟練度が上がったりしているのだろうか?

 まあ、でも使うつもりはあまりないというか。

「……非常事態時以外は、使いませんよ。そうポンポン使うものでもないでしょう。ルナに負担をかけたくはないし」

 あまり目立つ行動をする訳にもいかないし。

 ふと、クリムゾンの影の中に居るアビスの声が聞こえてくる。

『……我が主と違って、優しい……! うう……。我が主は精霊使いが荒く……。レディのような優しさが一欠片でもあれば……。いや、…………我が主にそのような優しさがあれば逆に寒気が……? それか空から槍が降ってくる前兆?』

『そこの黒猫の場合、余計な口を叩くせいで待遇が悪化しているようにも見えるがな』

 クリムゾンとアビスは何だかんだ言って上手くやってはいるのだろう。

 ぽんぽんと言い合うところが、悪友というか、共犯者というか。


 それにしても、早くこの状況をどうにかしたい。

 クリムゾンが隣に居るのは落ち着かない。


「……あの、やはり私が案内せずとも良いのでは?地図をお渡ししますよ」

 帰りたいオーラを出してみる。

「何を仰っているのか分かりませんね? 俺との仲じゃあ、ありませんか。案内くらいしてください」

 一蹴された。

『レディ。我が主はですね、かなりの方向音痴でして、生活必需品として方位磁石を持ち歩くお方なんですよ。建物から出る時も、入って来た方向と逆方向へと歩き出す有様でして』

「それは……また」

 採取の時とか、大変そうだなと思った。

「つまりは、案内はして欲しいのですよ。地図なんてアテになりませんし」

『我が主の方向感覚がアテにならないのですよ』

「後で覚えておきなさい、アビス」

『余計なことを発言しないと生きていけないのだろうか』

 最近、ルナの呆れ声ばかり聞いているなあ……。

「ちなみにその状況で昔はどうしていたのですか? 初めての街など大変でしょうに」

「初めて行く場所などは確実に迷うので、2時間前行動は基本ですよ」

 方向音痴なりに対処しているらしい。

 それにしても2時間前行動ということは、1時間以上迷う自信はあるのか。

 アビスと契約してからは道案内などは、アビスに頼りきりなのかもしれない。

 もし、契約精霊が方向音痴だったら、2人して全滅する気がする。

 方向音痴による出来事をいくつか話してくれたけれど、道に迷った先で殺人事件の真っ只中に出くわした話や、迷った先で強盗の人質になったりした話は壮絶だった。

 迷子になった子どもを救おうとしたが、一緒に迷った挙句、最終的に子どもに道案内をしてもらった話は微笑ましいというか情けないというか。

 本当にアビスと契約して良かったと思う。

 今の彼を見る限り、方向音痴なんて誰も信じないだろう。

 そんな色々な話を聞かせてもらいつつ、彼は最終的に開き直った。

「まあ、そういう訳です。不憫でしょう? 苦労しているでしょう? レイラの婚約者もそれくらい許してくれると思うのですよ。許してくれないのなら、どれだけ心が狭いのかっていう」

 笑いながら彼が毒を吐いたところで。



「心が狭くて悪かったな」


 廊下の先、少し先の角で、フェリクス殿下が壁に背中を預けて腕を組んで立っていた。


「あっ、フェリクス殿下!」

「レイラ」

 姿を見かけて思わず、ぱあっと笑顔になりつつ、ててっと駆け寄った私にフェリクス殿下の険しい表情がふと緩んだ。

 ふんわりと微笑んで私の名前を呼ぶ声は、いつも通り優しく甘かった。

 念話では怒ったような無機質な口調だったけれど、どうやら地雷を踏んだ訳ではなかったらしい。

『ほら見ろ、ご主人。念話は必須だっただろう? 私の采配に間違いはなかった』

 ルナのドヤァ!とした声。とにかく確信に満ちていた。


「おや? 心が狭いと噂の婚約者殿じゃないですか? 可哀想に。あまりにも貴方が粘着質なせいで、レイラは連絡を強要されていたのですね」

 クリムゾンは今日もフェリクス殿下に喧嘩を売り始めた。

『おい、煽るな』

『狼殿。申し訳ない。いつも申し上げておりますが、うちの主は性格がひん曲がっているので煽り癖が酷いのです。しばらくすれば慣れます』

『そんなものに慣れたくはない』

 精霊たちの会話と、2人の間の空気の険悪さにおろおろしながら私は周囲を確認した。


 周りに人は居ない区画みたいだけど。

 少し先に騎士が2人いるが、こちらの話は聞こえない位置で良かった。


「ふふ、ブレイン。お前がやらかしたことを思えば当然のことだよ。警戒するのもおかしくない。それに今回はレイラの方から教えてくれたんだよ」

「おや? 可哀想に。真実を知らないのですね。彼女の精霊が、伝えた方が良いとアドバイスしていたみたいですよ? それを知らずに……滑稽ですねぇ?」

 クリムゾンは可哀想なものを見るような目でフェリクス殿下を一瞥した。

 この人も心臓に毛が生えているに違いない。

 フェリクス殿下に喧嘩を売るような発言をいつもしているし、怒りに触れても懲りないのが、またすごい。

 そんな煽り全開のクリムゾンに対して、フェリクス殿下も負けていない。爽やかに笑いつつ、言い返す。

「ああ、そうなんだ。つまり、私たちは精霊公認ってことだよね。それは光栄だなあ。そういえばヴィヴィアンヌ侯爵に取り入って上手いことやって信用を得たようだけど、面の顔が厚いことで。少し感心してしまったよ。どの面下げてっていうね」

 うわあ。フェリクス殿下が満面の笑み。

「ははは。権力に頼り切る真似をするよりは、常識的な手段でしょう? まるきり嘘ではないですし?対応が遅れた誰かさんが言えるものかと俺も感心しています。すごいなあ」

 クリムゾンも似たような顔をしていた。


 怖い。普通に怖い! 何で私はここに居るのだろう!?

 フェリクス殿下の横に居るのに悪寒しかしない。


「…………」

 フェリクス殿下は痛いところを突かれたとばかりに苦々しい顔をして黙り込み、クリムゾンを鋭く睨んでいる。

「ふふ。ほら、何も言えない。貴方は、粘着質な割にはいつもレイラを守れていないですからね? そのくせ、嫉妬で余裕をなくすなど未熟すぎて失笑しますよ」

 ここぞとばかりに追撃するクリムゾンに、フェリクス殿下はまたしても綺麗に笑った。

「なるほど。確かにその点は正しい。私が冷静になれないことは認めよう。レイラの婚約者として私からも礼を言おう。……だけどね、お前は最終的にレイラを泣かせただろう? レイラがこうやって警戒しきっている時点で、お前はレイラの中では加害者として扱われている。その時点でお前は既に恩人ではない」

「そんなの知っています。それが何か? 言われたところで痛くも痒くもないです。あの女から救えたことに変わりはないので、殿下に何を言われたところで俺は悔しくないですし。俺は誇っているくらいです」

 クリムゾンは開き直った。

 フェリクス殿下もクリムゾンを見て失笑した。

「そう? なら良いけど? 悔しくないなら何より。まあ? 何を誇ったところで、レイラに警戒されている事実は変わらないけどね?ただ私は、お前が可哀想だと思うだけだよ。誇りのみで満足できるなんて大人だなぁ? ふふ」

「…………」

 今度はクリムゾンが黙り込んで、フェリクス殿下を睨んでいた。


 なんでこんなに仲が悪いの!

 もういっそのこと別室で2人きりで思う存分やって欲しい。

 普通に怖い!

 遠慮させて欲しいし、今すぐ医務室に帰りたい。


「そもそも殿下は、今勉強中の学生ではないのですか? こんなところで彷徨くとは、相当学力に自信がおありのようで? ここは大人の俺と医務室勤務のレイラとの交流です。学生は大人しく引っ込んでいてください」

「学力には自信があるし、大人のくせに大人げない男が居るから、出てきたんだよ。お前が言う学生の子どもとやらに、色々と言われる時点で、大人としてお前は終わっている。確か21かそこらだったな。何歳も年下相手にムキになっているのが既に笑える」

「年下の殿下に笑われたところで、何とも思いやしませんし。それにしても良いのですか? レイラの前で性格の悪さを露呈していますが?」

「私の性格の悪さは知ってると思うよ? ほら、婚約者だから、お互いをよく知る必要があるからね」

「婚約者を気取らないと自分を保てないのですか、可哀想に」

 ああ言えばこう言う。これはそういう応酬の類だ。

 どちらも引かないから、永遠に続きそうで、頭が痛くなってくる。


『おい、黒猫。そなた、主を止めないのか』

『面白いから傍観することにしています』


 いや! 止めよう!?

 それを面白がる理由が分からない。

 隣に居る殿下も、正面に居るクリムゾンも、とにかくお互いに一歩も引かなかった。


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