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R15です。
苦手な人はご注意を。
押し倒されたまま、こちらに身体を傾ける男を受け止める。
私の髪に差し込まれた指に頭ごと引き寄せられ、唇には優しく彼のそれを重ねられる。
ちゅっと可愛い音を立てて、僅かに離れた後、何やら不機嫌そうな彼に問いかけられた。
「それで? あの男には、どこまでされた?」
「……どこまで……って。血を口移しされて……」
他の男に触れさせたことを私は詳しく語りたくなかったし、聞いてきた当の本人のフェリクス殿下も聞きたくなかったことなのだろう。
だというのに、少々殺気立った様子を見せながらも彼はそれを聞いてくる。
「気分的には、私の血も飲んで欲しいくらいだけど、さすがに奴の追随しているみたいで嫌だし、偏執的だから止めておく。……はぁ」
悩ましげな吐息すら甘く感じるのは、それが好きな人のものだからだろう。
「……恋人同士がするような……そういうキスはしておりません」
男の舌が口腔に入り込みそうになった瞬間に、私は舌を歯を突き立てることで拒んだのだ。
「……そっか、怖かったね」
私を労るような瞳の中には、真っ赤な怒りの気配も滲んでいて、そんなフェリクス殿下の瞳に、少なからず安堵した。
怒るということは、私は彼にとってどうでも良い存在ではないという証なのだから。
そんな薄暗い想いを抱くこと自体がもう罪深い気がするのに。私は、そうやって彼の真剣な想いを無意識に穢すような真似をしている。
これが……執着というものなのだろうか?
こんなに不健全な想いが?
自分の暗い感情に恐れ戦いた。
私は、フェリクス殿下を相手にすると、おかしくなってしまう。
純粋に好きだったはずだったのに。
課外実習で、魔獣に襲われたあの日のことを思い出す。
人っ子一人居ない森の中、1晩野宿することになったあの時の記憶は今でも鮮明だった。
本当は助けて欲しくて、それでも誰かが迎えに来ることなどないと諦め切っていた私を迎えに来てくれた、ただ1人の人。
私にも救いに来てくれる王子様が居たのだと夢でも見ていたようなあの一瞬。
あの瞬間の私の寂しさを察知してくれたのは、フェリクス殿下だけだった。
誰の助けも要らないと強がっているくせに、助けを求めていた私を、助けに来てくれてから、私にとって、フェリクス殿下は白馬に乗った王子様だった。
それを伝えることはしていなかったけれど。
周囲の期待に答え続け、「優秀だから、心配は要らない」と後回しにされる羽目になる良い子の振りした私たち。
周囲に頼ることを学ばずに、大人になった振りをして、都合の良い何かを演じる私たち。
助けて、と言えない私たち。
そういうところが、私とフェリクス殿下は似ている。
自分だって助けて欲しいと言えないくせに、私の孤独を察知したフェリクス殿下は、あの時、私の心を心配してくれた。
そんな彼のことを私は尊敬しているし、純粋に好きだった。
幸せになってくれれば良いと、思っていたのに。
それは透明な色をした純粋無垢な想いだったはずなのに、気がつけば黒く染まっている。
嫉妬に身を焦がすフェリクス殿下を見て、私は確かに純粋ではない薄暗い喜びを感じてしまっている。
求めてくれている。求めてもらっている。望まれてる。
今の私はそれだけで十分で、早く奪って欲しいとそればかり。
欲しくて仕方なくて、どうすれば彼を動揺させられるのか、そればかり考えて。
「フェリクス様」
ただ名前を呼んだだけの、拙い誘惑をした。
ああ。私が名前を呼んだだけで、彼は、物欲しそうな目をしてくれた。
今にも喰らいたいと言わんばかりの。
その熱や疼きを堪えながら、フェリクス殿下は紳士の振りをして、穏やかに微笑んだ。
目には熱が宿ったままで、ちぐはぐだ。
鼻先が触れ合い、今にも口付けを交わす寸前に、フェリクス殿下は教えてくれた。
「息が苦しくなったら、鼻で呼吸するんだよ」
艶めいた欲で濡れたような声は、少し掠れていて、どきどきした。
こくりと頷くのを見た彼は、実地だと言わんばかりに早速、私の唇を奪って吐息を吹き込んだ。
後頭部に差し込まれた手のひらが私の頭を支えて、しっとりと濡れた感触が唇を覆っている。
「んっ……ぁ」
ちゅっ……と何度も角度を変えられながら押し付けられる唇の温度は熱くて、私は恍惚としながら唇の隙間から喘いだ。
そうだった。口呼吸じゃなくて、鼻で息をするのだと思い出して、ゆっくりと息を整えていれば、それを確認したフェリクス殿下は僅かな唇の合間をついに塞いだ。
熱で浮かされたような、脳髄を焼くようなその疼きは、心の快楽なのか。
気を使っているのか、強引なキスになる前にフェリクス殿下は自制しようとする気配を醸し出す。
今にも貪り尽くしそうな目をしているのに、私のことばかり、考えている。
理性が飛びそうになるのを堪えようとする彼の気配をなんとなく感じながら、唇をはむっと甘噛みされる度に、それから先を期待した。
半分くらい理性が飛んでいるように見えるのに、フェリクス殿下はまだ冷静さをかなぐり捨ててはいない。私を気遣って、怖がらせないようにと窺ってさえ居た。
もっと触れて欲しいと思った瞬間、今まで触れていた唇が唐突に離れた。
「あっ……」
残念そうな声を出してしまったのが恥ずかしくて、私は頬を染めた。
私を見下ろす彼は、私の下唇を指でなぞりながら、密やかな声でこう囁いた。
「レイラ。口を少し、開けて」
そうしてゆっくりと身を屈めて来た。
私は言われるままに、僅かに唇を開き、殿下の顔をそっと見上げた。
「目が潤んでる。可愛い」
吐息そのもののようなちょっとした口説き文句は、確かに私の耳に届き、私の頬は熱くなった。
きっと顔は茹でダコのようになっているだろう。
フェリクス殿下の唇は、先程まで私とキスをしていたせいか、僅かに濡れていた。
艶々として血色の良い柔らかそうな唇の感触が、見た目通り、とても心地良いのは私だけが知っている。
触れる寸前に忠告された。
「……噛まないでね」
直後、柔らかく唇が重なった後、やわやわと味わうように貪られて、いつもよりいやらしいキスだと思った刹那。
僅かに開いた唇の隙間をこじ開けて、ゆっくりと挿入された熱く柔らかなそれに、私の舌先が絡め取られた。
「んぅ──!?」
噛まないで、と言ったそれが、彼の熱く柔らかな舌だと気付いた時には、口腔の中は既に犯されている最中だった。
頬に添えられた手がゆっくり顎へと移動して、顎を指で固定される。
みっちりと合わされた唇に、口内をゆっくりと這い回り粘膜を擦り合わされる生々しい感触は官能的だった。
知らない。こんなキスは、知らない。
私にとっては初めての感覚だ。
快楽からか、私の目から一筋の涙が零れ落ちる。
逃げようと無意識に顔を逸らそうとした瞬間、顎をくいっと上げられる。
「んっ……んんっ……ぁ……」
ちゅく……と淫らでいやらしい音と、私の少し荒い吐息。
僅かに細められつつも、欲を孕む男の目を真っ直ぐ受け止めながら、彼の吐息も受け止める。
「っ……はっ……んっ……」
殿下も息が乱れていて、微かに喘いでいるようにも聞こえる。
夢中になってむしゃぶりつくみたいに、絡み合わせているそれ。
クリムゾンに強引にされたあの時は、噛み付いてしまった、自分のではない他人の舌の感触。
好きな人相手ではないと私は受け入れられないという事実に改めて気付いた。
歯列を執拗になぞられ、頬の内側も舌の表面も舌先が器用にくすぐっていく。
焦れてしまうようにゆっくりと咥内を抜き差しされる柔らかな舌の感触は、正直言ってすごく気持ち良かった。
「んっ…ぁ、ぅ……んっ」
縮こまり、逃げようとする私の舌の先を、肉厚な男の舌が逃さないとばかりに追いかけては、絡め取る。
擦り合わされる舌が探るように蠢いた瞬間、私はその気持ち良さから思わず太腿を擦り合わせてしまった。
そのことに彼は気付いていないと信じたい。
目からポロポロと落ちていく透明な涙の雫は、横になっているせいか、ソファに落ちていく。
私の顎から指を離した殿下は、私の目の端についた雫を指でそっと掬い取った後に、ゆっくりと唇を離して、舌を抜き取っていった。
「んぁ……っ」
くちゅり、と水音が立って、深い口付けは解かれて、絡み合っていた舌同士を透明な糸が繋いでいた。
フェリクス殿下の紅い舌が酷く艶めかしくて、ぺろりと自らの下唇を舐めとる姿が妙に様になっていて……。
押し倒された体勢のまま、息を荒らげて胸を上下させながら、私は呆然とフェリクス殿下を見上げていた。
「ごめん。泣かせちゃった」
「んっ……」
目元の雫を唇でそっと拭われた後、労るように瞼に小さく口付けられる。
「怖い?」
怖くはない。ふるふると首を振った。
「レイラは、こういうキスは嫌?」
「嫌じゃ、ありません……」
むしろ、とても気持ち良かった。
それを言うのは、はしたないだろうか?
「……少しは、塗り替えられたら良いけど」
「……ぁ」
塗り替えるどころじゃない。こんなの……こんな触れ合いは、とてつもなく。
「……すご、かった……。もっ……もっかい」
舌っ足らずになりつつも、今の強烈な感触が、クリムゾンの与えた冷たい唇の感触を覆い隠してくれると思ったから。
もう1回、溺れてしまいたいと思ったから、はしたなくももう一度欲しいと強請った。
「……っ!」
フェリクス殿下はゴクリと喉を鳴らした後、私を熱っぽい目で見つめる。
それから、ぐっと私の肩を押さえつけると無言で私の唇に食らいついた。
「ぅむ……ん……」
くちゅくちゅと水音が部屋の中に響き渡り、今度の深いキスは、私からも積極的に求めた。
気持ち良い。気持ち良い。すごく、良い。
思わず彼の腕に手を添えて服をきゅっと掴んで、そのまま快楽に身を任せた。
ほんの少しだけ荒々しく、咥内を暴れ回る男の舌に、自らのそれをそっと絡め合わせて、細い吐息をお互いに時間をかけて奪い合う。
それは丁寧にじっくりと時間をかけて快楽を引き出し合うように。
お互いに理性があるように振る舞ってはいるものの、混じり合う吐息は熱い。
深い口付けを交わしている最中、フェリクス殿下の大きな手が、ちょうど私の体を這い回り、くすぐるように脇腹を撫で回している。
くすぐったいはずのそれが、快楽に変換されている。
今の私はきっと、どこを触られても気持ち良いのかもしれない。
そんな馬鹿なことを考えた。
たっぷり数十秒絡み合った後、舌がゆっくりと抜き去られる。
その刺激にすら、刺激されてしまう自分はおかしいのだろうか?
「はぁっ……。んっ……」
「レイラ……っ」
背中の下に回された手がゆっくりと何度も撫でるように摩られて、やがて項の部分へと到達した。
「あっ……駄目っ…」
指先が数本侵入した瞬間、背中に電流が走ったようになって、ビクリと体が跳ねた。
ナイトドレスは薄く防御性能はない。体の線も普段よりはっきりと分かってしまう。
「だめ……そんなところ、触られたら……私…」
「駄目?」
甘い声で問いかけられて、思わず口を噤んでしまう私に、フェリクス殿下は密やかな溜息をつくと、今度は腰を撫で回してきた。
「やぁ……! 駄目です」
「どこを触っても、駄目? くすぐったい?」
コクコクと必死で頷いていれば、フェリクス殿下はソファから身を起こした。
ソファの上できょとんとしたまま、見上げていれば、彼の腕が私をそっと抱き上げてきて。
「おいで、レイラ」
ふっ、と微笑んだフェリクス殿下は私を自分の膝の上へ向かい合うように下ろすと、間近で愛おしいものでも見るような眼差しを向けている。目線が近い。
触られることはないだろうとホッとしたのも束の間。
背中に手が回されて抱き締められたと思ったら、お互いの体を密着させて、ゆっくりと体を擦り合わせるように動かし始めた。
ナイトドレスの布が擦れる。
「あっ……」
深いキスをしていたせいで昂ってしまったのは、体もだったのか。
ただ抱き合いながら、ゆっくり揺れ動いているだけだというのに、身体中がどうも疼いて仕方ない。
フェリクス殿下の胸元に手を置いて、そわそわとしていたら、そんな私に気付いたらしく、彼は苦笑した。
「もっと、触りたいなんて言ったら怒る?」
「そんなことは……あっ!」
「何をしても擽ったいようだったから、なら抱き締めちゃえと思って」
どうやら確信犯らしい。抱き締めながらも、どこかいやらしいのは気のせいじゃなかった?
でも、これは……。何かおかしくて……。
抱き締められているだけではなくて、揺れ動くこれが淫らに思えてしまうのは、私が変態だからなの?
膝に跨るように乗っている時点で色々アウトな気がするのは私だけ?
「でも、これ……なんか変、なんです……。体が熱くておかしいっ……!」
「……レイラがそう思ってくれるなら、私としては本望だよ」
「でも……恥ずかしっ……んっ……」
重ねられた唇から侵入した舌が、私の舌を、ちうっと音を立てて軽く吸い上げる。
彼の膝の上でそわそわしながら、結局は彼の思惑通り、もぞもぞと体を寄せあう羽目になっている。
「私もね、大分おかしくなっている。あの男が何をしたかは詳しく聞きたくないけど、その時の記憶は全て貴女に忘れて欲しくて仕方ない。上書き、出来ているなら良いんだけど」
「……もう、殿下とのキスが気持ち良くて、それ以外考えられません……」
冷たい感触も衝撃的だったけれど、好きな人とする濃厚なキスはそれ以上に私をおかしくさせた。
一言で表すと。それはなんと言えば良いのか。
「癖になりそう……」
フェリクス殿下はピタリと硬直すると、大きく溜息をついた。
「……本当、そういうのどこで覚えてくるの。天然? 天然なの?」
「えっ……なに、何を怒っているのですか?」
情緒不安定なのだろうか?
さっきまでお互いに熱を分け合っていたというのに。
「もう知らない」
「えっ、あっ……?」
唐突に横抱きにされていて、目線が高くなったと思いきやベッドまで移動させられて、コロンと転がされた。
覆い被さってくる彼に迫られて、もう一度、深いキスに溺れる。
情熱的で衝動的な貪るように口付けられて、頭の中がぼんやりと膜を張ったように陶酔した。
ここでまたキスをしてくれるのかと思っていたら、肩からナイトドレスがするりと下ろされそうになった。
「やっ……待っ」
待ってと叫ぶ瞬間、フェリクス殿下の手に添えられる手。
それは、私の手じゃない誰かの手で。
「それ以上は、あうとだぞ、王太子よ」
聞き慣れたルナの声。
ん?ルナ?
「い──」
「い?」
ルナが人の姿で、不思議そうに首を傾げているのが横目で見えた。
「いやあああああぁ!!」
のしかかっているフェリクス殿下を思い切り、渾身の力で、ドンッと押し退けた。
ずっとルナに見られてた?
いや、当たり前だ。いつも、ルナは私の影に入っているし、外の様子も逐一観察しているし。
忘れていた私が悪いんだけど! でも! でも!
ベッドの上で後退りながら、自分の体を抱き締め、落ちそうになったナイトドレスをサッと直して。
「えっ?」
フェリクス殿下が押し退けられて呆然としているのを見た。
「今までの、あれこれ……ずっと見て?」
顔が熱くて仕方なくて、もう溶けそうだ。
私の醜態を、ルナに、見られて?
失念してた私が悪いのだけど!!
「なんで、そんな平然としているの!」
「別にそう照れることでもないぞ。……時にご主人、好きな動物は何だ?」
何故、その質問!?とりあえず、答える。
「い、犬……?」
「そうか。ふむ。ご主人は犬が好き。つまりは愛玩している訳だ。例えるならば、そなたが犬の交尾を見かけた際もそれは変わらず──」
「や、ややや止めて!! なんとなく分かったから、それ以上は止めて!」
その生々しい表現は止めて!
私は人型のルナをポカポカ叩いている。
「して、そこの王太子は全く動揺してはいないみたいだが」
椅子に座り、優雅に足を組んでいるフェリクス殿下にルナは視線を向けた。
なんだろう。同じく目撃された立場のはずなのに、平然としているのは。
さっきまで、唖然呆然としていたのに!!
「王族って、普段から人に見られる立場だからね。私は見られることを特に何とも思わない。……レイラの可愛い姿を誰かに見られるのは勿体ないとは思うけど」
「ふむ。独占欲も程々にしておくように」
「肝に銘じておくよ」
爽やかに微笑むフェリクス殿下は、心臓に毛でも生えているのだろう。そうに違いない。
うう。王族怖い……。
俯きながら顔を上げられない私に配慮してくれたのか、ルナが助け舟を出してくれた。
「ふむ。ここは事の顛末でも聞こうか。光の魔力の持ち主は捕縛されたか否か、気になっていたのだが」
「ああ。そう言えば色々あって忘れていた」
なんでこの人たち、平然と切り替えて話が出来るのだろう。
別世界の人たちなんだ。そうに違いない……。
とりあえず、リーリエ様について殿下は語ってくれることになった。




