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夕方頃に更新がもう1話あると思います。
2人きり。婚約者が居る令嬢が、他の男性と2人きり。
婚約発表当日にこれは非常にいただけない、避けるべき案件だ。
広い客室の中、廊下に繋がるドアを横目で確認して、さり気なくにじり寄る私に気付いたのか、クリムゾンはフッと笑った。
殺気は、感じなかった。それなりに警戒をしつつ、距離を取ろうと後ろに下がって、ここは魔術で乗り切ってトンズラしてしまおう。
脱兎のごとく、ずらかるが勝ち!
こっそりと控えめに魔術を発動しかけたその瞬間、クリムゾンは動いた。
「なかなか無駄のない術式で、発動も気取られにくい。レイラが素晴らしい腕前の持ち主だということはよく分かりましたけどね」
クリムゾンには壁に背を預け、体を楽にしながらこちらを悠然と見守る様は、余裕そうだった。
こちらの力量を興味深そうに推し量ったかと思えば。
『ご主人!』
「えっ?」
ジャラ、と鈍色の鎖が体に巻かれていて、気が付けばベッドの上に仰向けに転がされていた。
もがきながら、身動きが取れず、絡まった鎖の効果のせいで無理矢理振りほどくことも出来なかった。
「っ……! 離して!! ……っく、何これ」
魔力を流して力任せに弾くことも出来ない。
物理的にも魔術的にも。
『ご主人!!』
『おっと。狼殿。我が主の邪魔はなりません。ほんの少しで良いのです。我が主に時間を与えてください』
『自分の主が拘束されて黙っている精霊が居ると思うのか?』
視界の端で、ルナとアビスの魔力が膨れ上がる気配がした。
膨大な魔力の奔流の中、2匹の獣がぶつかり合っている。
「ああ。アビス。この部屋を滅茶苦茶にするのは止めてください。大事にしたくないので」
『面倒ですが、承知しました』
ざわっと空気が揺れる感覚の後、空中にキューブの形をした透明な空間が出現し、ルナとアビスはその中で肉弾戦を始めている。
『ふざけるな、ここから出せ!』
ルナが抗う声。
『ふっ。魔力の供給は、ワタクシの方が上です。何しろ、我が主の魔力量はフェリクス=オルコット=クレアシオンよりも上ですから。まあ、あの光の魔力の持ち主には少し劣りますが』
『無理矢理、破壊するにしても、ご主人の体に負担がかかるか。強固すぎる』
ルナがアビスと2人閉じこもった空間は、どうやら私の魔力を使い果たさないと破壊出来ないくらい強固な作りらしい。
私がこんなに簡単に捕まってしまうなんて!
どうして? 今、殺気もなければ、敵対心もなく、攻撃の意志すらも感じられなかったし、そもそも魔力の流れも感じ取れなかったのに!
「あの王太子と俺くらいの魔術師になると、最低限の魔力で気取られることなく発動出来るようになったりしますよ?」
フェリクス殿下もそうだけど、このクリムゾンも規格外の術者らしい。
「何故、ですか? 貴方は以前、私に危害は加えないと……」
精霊のお墨付きもあったはずだ。
ルナも危険なことはないはずだと言っていた。
「危害は加えませんよ。……こちら側も事情が変わりまして。王太子の手駒があまりにも優秀なので、レイラに口止めをしなくてはいけなくなりました」
「元々は、貴方がそれを教えてくれたのではないですか?一方的に知らされた私にその行いは理不尽すぎます。それに誰にも伝えていません」
私がその秘密を探り出した訳ではない。フェリクス殿下に伝えていた訳でもない。
まさか、状況が変わり、私は生かしておけないと。そういうことなのか?
青ざめる私に、クリムゾンはこちらにゆっくりと近付きながら答えた。
「誰にも伝えていないのなら好都合。……俺の主も最近、理不尽でして。クリムゾン=カタストロフィとブレイン=サンチェスターが同一人物だと知られる訳にはいかなくなりました。それを知られたら、庇護下の子どもたちが殺される」
「え?」
子どもが殺される?
衝撃的なワードに抵抗していた体から力が抜けた。
「俺の主の実験動物です。正体が知られたら問答無用で殺すというから、さすがに寝覚めが悪くなりましてね。それを聞けばレイラなら黙っていてくれるとは思ったのですが……」
「やっ……! 何を!」
鎖で縛り上げられた私の上に覆い被さって来るクリムゾンは、私に顔を近付けると、ほくそ笑む。
「俺は、ある意味では犯罪者ですから。この先、悪事を重ねることもあるでしょう。その事実を黙っていれば、レイラのことです。罪悪感に苛まれるだろうと思ったので。それならこの方法しかないかと思ったんです」
そこに私に対する悪意は微塵もなかった。
心から痛ましいと言わんばかりに私を見つめて、耳元で「可哀想に」と呟いた。
体の底から冷気のようなものが漂って来ている。
違う。これは悪寒だ。よく知っていた錯覚を覚えていたけれど、私はクリムゾンのことを何も知らない。
背筋が寒くなって、体がガタガタと震え出す。
「あの王太子は、こんなレイラを見たことはないでしょうね。勇猛果敢で凛々しい彼女が涙を零して震えている姿なんて」
「え?」
私が泣いてる?
「泣く程、怖いですか? 傷付けることはしないというのに」
私に覆い被さる男は、私の目尻から零れ落ちる涙を掬い取るように唇で拭った。
思わず悲鳴を上げた。
「っ……いやああああぁ!!」
何をされたか理解して、私は暴れた。
体が拘束されているのも、動けば動く程、鎖が食い込むのも無視して。
「ああ。暴れると痛い思いをしますよ」
「いやっ……! ルナ!! 助けてっ!!」
ジャラジャラと鎖が鳴る音。
自分が何をされるのか、見知らぬ部屋で拘束されて、男に覆い被さられていれば、さすがの私も危機感を覚えた。
私とよく似ているこの男は、見知らぬ男性なのだと。
自分がその対象になるなど、考えもしなかった。
「お願い! 止めてっ……! それだけは……! 駄目! 嫌っ、いやっ!! フェリクス殿下!!」
ここには居ない婚約者の名前を思わず呼んだ。
必死で顔を背ける私を嘲笑うように、簡単に顎を掴まれる。
「っ……!」
恐怖で声が出なくなった。
「暴漢みたいですが、そういうことをしようとしている訳ではないです。さすがの俺も無理矢理、乙女を奪うことはしません。目的は、別にある」
「…………?」
口をはくはくと開閉しながら、窺っていれば、クリムゾンは私の顎を離すと、平常時と同じような目──どこか気安げにも見える友好的な目を向けていた。
鎖から手を外そうと徐々にズラして行こうと苦戦している私に、彼は顔を寄せて言う。
「契約魔術です。俺がクリムゾンでもあり、ブレインでもあるということを誰にも言わないこと。それから俺がアビスと契約していることも。それをレイラは誰にも言わない。婚約者にも。伝えようとしても伝えられない……そういう魔術の契約をかけさせてもらおうと思います。罪のない子どもが殺されるのは、貴女も望むところではないはず」
「……!」
罪のない子どもが殺される?私が、何かを言うことによって?私の選択によっては、子どもが殺されていた?
もしも、さっき、フェリクス殿下に伝えていたとしたら?
子どもが問答無用で殺されていたと言うの?
先程も聞いた、その恐ろしくおぞましい事実に頭が働かない。
罪のない子どもが殺される?クリムゾンの正体がバレるというだけで?
確かにそれを聞いた私は、フェリクス殿下にクリムゾンの正体を伝えることに臆してしまうだろう。
それが嘘であれ、真実であれ、簡単に決めることは出来ない。
だが、たとえそれが真実だとしても、クリムゾンを見逃せば、新たな事件が起こる可能性だってある。
私が頭の中で情報を整理しようと努めたところで、クリムゾンは何故か、間近で微笑んだ。
「簡単に決められることではないでしょう。貴女は強いから、よく考えてその答えを導き出すのだと思いますが、どちらの選択をしたところで必要以上に自分を追い詰めるんでしょうね。まあ、俺が無理矢理、契約魔術を使って縛り付けるせいで口止めさせられるので関係ないですけど。レイラに選択の余地はありませんよ」
皮肉げに憫笑しながらも、私を気遣う色がチラリと見えた。僅かに見えてしまったそれ。
クリムゾンが見せてしまったそれ。
彼が心底楽しそうに笑っている。
それはもう、面白がるように。傍から見たら、どこの悪人かと思うくらいに。
あまり交流をして来た訳ではないというのに、彼の考えていることが手に取るように分かってしまうのは何故なのだろう?
彼が話せば話す程、分かってしまうことがあった。
ああ。彼は、私の罪悪感を少しでも消そうとしているのだ。
私が何を思ったところで、クリムゾンが手段を全て奪うから、悩む必要などないのだと。
彼が契約魔術で口止めしたのだから、私には何の責任はないと。
私をとことん被害者にして、自分を加害者に貶めようとしているのだ。
レイラ=ヴィヴィアンヌは、クリムゾン=カタストロフィの被害者なのだから、何の責任もなく、罪悪感を覚える必要などないと、そう言いたいのだ、彼は。
「筋金入りの……偽悪主義」
自分は悪人だとクリムゾンは先程から強調している。そして私を怒らせるような発言ばかり繰り返す。
この人は偽善を嫌うあまり、悪を演じようとするタイプの人間だ。
彼は虚をつかれたように一瞬真顔になると、その直後、何故かは知らないが、嬉しそうに白い歯を見せた。
「自分は最低な人間だと、心から思い込んでいるレイラが言えることじゃあないです。貴女は偽善者に見せかけた偽悪主義だ。お互い様です。というか、貴女の方が厄介な性格をしています」
口調は嘲るようでいて、目の奥にあるのは、同志に向けるような……同胞に向けるような理解者の目。
クリムゾンは、私の上から退いて、ベッドの端に腰をかけてこちらを振り向いた。
そして、ぐるぐる巻きにされた鎖を少し解くと、私の手を取って懐の中にあった小刀を取り出して指先を傷付けた。
「……っ!」
何をするのだと、再び抵抗しようとしたら、その人差し指に舌を這わされた。
「いやっ……!!」
私の血を舐め取っていた彼は、目を細めながらもう一度「可哀想に」と呟いた後に、こう言った。
「残念なお知らせですが、契約にはお互いの血が必要なんですよ」
「待って! 私に契約なんて必要ありません! 貴方に決めてもらう必要など!」
「ほら。俺たちにはお似合いですよ。人間不信同士、契約で繋がれた方が安心するではないですか。……それにあの王太子に嫌がらせの意味も込めて」
「だから、私は!」
「はい。今度はレイラの番です」
「しません!」
少なくとも流されるように契約するのは間違っている。
フェリクス殿下に伝えるにしろ、相手方へ絶対に露見しない方法があるかもしれないのだから。
「言っておきますが、俺は王家も信用していませんし、フェリクス=オルコット=クレアシオンも信用していません。契約はお互いの信用あってこそ、でしょう?」
クリムゾンは体に魔力を纏っていて、徐々に体の表面が薄らと光っていた。
彼は鎖で縛られ転がされている私を、静かに見下ろしている。
「え……? この魔力は……」
クリムゾンの魔力の気配が、少しずつ違う気配へ変わっていくのを、近距離で感じ取った。
魔力の変換?
それも……これは。この気配は。
「レイラの魔力そっくりでしょう?」
「どうして? 私と似た……魔力を?」
「色々理由がありまして、己の魔力を別の気配に変更する魔術を開発しようと試行錯誤していましたが、見事に失敗しまして」
どこが? 成功しているようにしか思えない。
これは、私の魔力の質とほとんど同じだ。
「研究の副産物として、見知った魔力への一時的な偽装とそれを利用した契約の術式を発明しました。この術式のすごいところは、契約後に残る魔力の気配も偽装し続けられる点です」
「……それはまた」
犯罪者が好きそうな魔術である。
「朝からこの術式を体内に仕込んでいたせいで、体調不良が酷くて酷くて」
なるほど。何かを飲み下しているように見えたのは、そういうことなのだ。
複雑な術式を体の中へ隠していた、と。
「大丈夫。痕跡など残りませんから、あの婚約者にも怪しまれません。何しろ、貴女の魔力が貴女の体の中に渦巻いていたところで違和感などないのですから」
「ですから! 私の了承なく、勝手に契約をされるのは困ります! そもそも、フェリクス殿下に助けを求めたとして。それが何故いけないのか……、理由はあるのですか? 殺されないように保護する方法だってまだ考えてもいません」
「俺があの男を嫌いだから。それから、言っても王太子にはどうにも出来ませんよ。子どもたちにはすぐに殺せるように術式が仕込んであるようなので」
「……」
惨い仕打ちに私は思わず黙り込んだ。
何か方法はないの?
「時間切れですね。レイラ、言ったでしょう? 王太子に対する嫌がらせでもあると。俺はレイラの性格をよく知っておりますから。ふふ、全部、何もかもを俺のせいにすれば良いのです」
「なっ……何をして」
小刀の刃の部分をぎゅうっと握り締め、クリムゾンの手のひらに血が溜まっていく。
痛覚なんて存在していないと言わんばかりに、微笑んだままの男。
泉の水を掬い取るようにして、己の流した血をクリムゾンは口に含んでいく。
私の血を口にして、自分の血を口にした?
口の端から血を滴らせた男がこちらへと蕩けるような目を向けた。
再び私の上に覆い被さって来る男。
金色の瞳が仄暗く光る。
縮まる距離に私はベッドの上で、もがきながら拒絶した。
「いやっ……! 来ないで!」
先程までとは違う雄の気配。
どこかでこれを私は見たことがあった。
血に濡れていない方の手が私の顎を優しく掴んで──、そして。
「っ……ん、んぅっ!? んっ……んー!!」
唇に柔らかく冷たい感触と共に、唇越しに血が注ぎ込まれて、鉄錆のような味が口腔へと侵入していった。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
こんなのは嫌!!
顔を逸らすことくらいしか私には出来ない。
文字通り手も足も出ない状況で、口も塞がれては抵抗する術が全くなかった。
私の頬を冷たい涙がぽろぽろと流れ落ちていく。
私に触らないでと言うことも出来ない。
私に触れて良いのは1人だけで、こんなことは裏切りだった。
血を飲み下せと言わんばかりに強引に重ねられた唇は、目的を果たすまでは離れることはなく、ごくんと喉を鳴らして私が血を飲み下すまで口移しは続けられた。
そのうち、何か体の中で術式が成立したのか、熱を帯びた何かが身体中を通り抜けていくような感覚を覚えた。
血を飲み終わった後、鉄錆のような味が薄まっているというのに、なかなか離れない男の唇。
まるで男の欲でも発散させているようなそれに恐怖を抱きつつ、抵抗は完全に無意味だった。
息が苦しい。息が出来ない。
もう無理だと思った瞬間に、唇の隙間から何か生暖かいものが侵入しようとして。
未知の恐怖が込み上げて来て、私は柔らかいそれに思い切り歯を突き立てた。
歯が食い込む感触が酷く生々しくて、恐ろしい。
「……っ!」
パッと離れていく男の唇は濡れていた。
ときめきも何も感じずに、ただただ怒りの感情のみで目の前の男を睨みつけた。
頬は羞恥や照れではない感情で赤く染まっていた。
こんなことをするなんて。この男はどういうつもりなのか、と。
クリムゾンは痛みからか口元を押さえながらボヤいた。
「俺にも痛覚があったんですね。舌ですけど。てっきり度重なる実験で全てなくなったかと」
色々気になる発言だが、今はどうでも良い。
ふーっ、ふーっと、息が荒くなりながら、私は横向きに体を転がして行き、最終的にはベッドから落ちた。
「用は済んだんだから、鎖を解いて」
「そこまで拒否されると、楽しくなって来ます。ふふ、これで楔は打った。俺はね、レイラのことをよく知っていますから、こんな方法を取ったんですよ」
何を言っているのか意味が分からない。
『つまり、レディが抱くであろう罪悪感が婚約者である2人の仲にどれだけ作用するのか、ですよ。我が主は性格も捻くれているため、嫌がらせ方法も捻くれている』
先程まで隔離されていたアビスがベッドから落ちていた私の目の前に座っていた。
しっぽでぺしぺしと鎖を叩けば、それが崩れ落ちて、やがて拘束が解かれていった。
「アビス。何故、鎖を解くのですか」
『もう契約は終わったでしょうが。そろそろ、他の者たちが来る頃合でしょう』
「それもそうですね」
床にペタンと座り込んだ私は、肩で息をしていたまま、呆然と主従を眺めていた。
何が起こって、今はどういう状況で……。
『ご主人!』
ルナが慌てたように私の前に現れ、慌てて人の姿へと変身した。
「えっ?」
それは見覚えのある人物の姿だった。
くたびれた白衣を羽織った銀髪の髪の男性の姿。
「叔父様?」
学園に戻ったものの、絶賛徹夜3日目となり、夜会直前にぶっ倒れたので、そのまま医務室内の緊急治療室のベッドに点滴付きで拘束して来たから、本人ではない。
何故、ルナは叔父様の姿をしているのだろう。
服なども再現している。
ルナは部屋の中にあったクロゼットへと歩み寄ると、その中から大きめの白い上着を取り出すと私に被せた。
さらに私の乱れた髪を解いて、とりあえず手ぐしで適当に整えてくれる。
「とりあえず、髪飾りは空間転移の時にどこかへ飛んで行ったということで良いな?」
叔父様の声で、こんなハキハキとした話し方をするのが違和感ありまくりだった。
そんなどうでも良いことを考えながら、私の持っていたハンカチでルナに顔を拭われていく。
どうやら血の跡を拭っているらしい。
「ご主人。しゃんとしろ。守れなかった私も悪いが、切り替えろ。人の気配がするからな」
「ルナは、悪くないわ。あれは私の魔力が足りなかったから……」
「それでも、だ。私が至らなかったのだ」
精霊同士が互角でも、使役者に差があり過ぎたのだ。
だから、ルナは悪くない。
そんな顔をしなくても良いのに。
叔父様の顔で落ち込んだ顔をしている方が違和感あるのに。
叔父様は落ち込むことはあるのだろうか?
……行きたかった学会に行けなかった時は、こんな顔をしていたかもしれない。
そして、ルナは闇色の炎を左手に持ちながら、突如ベッドの方へと近付いた。
「ルナ!?」
ご乱心なのか、ベッドの上のシーツをおもむろに燃やし始めたではないか!
「何してるの! さっきから!」
「この部屋から疑わしいものを払拭しているのだ。ベッドの上の血など、いかがわしいから全部燃やす。証拠隠滅だ」
「はい!?」
ルナは小声で内緒話をするように私にこう囁いた。叔父様の声で。
「よく考えろ。あの王太子に誤解されたら、対応が面倒になるだろう。さらに煩わしいことにならないために出来ることと言ったらこれしかない。保護者が居た方が、怪しまれずに済むだろう?私はそなたの兄らしき何かの発狂を見ているからか、ああいう類の男を刺激しないための対応には自信がある」
お兄様の悪影響がここにも。
なんだかよく分からないけど、ルナが確実に人間社会に馴染んで来ている。
てきぱきとした行動には内心、舌を巻いた。
そして、クリムゾンとアビスが後ろで楽しそうに語らっていた。
『我が主。王太子への嫌がらせの内容を1つ減らされたようですよ?』
「ベッドの上の血。レイラの乱れかけた髪やドレス。妖しい雰囲気に我を忘れるあの男の姿が見たかったというのに、残念です」
『ふむ。貴族の貴方としてはあまり大事にしたくなかったのでは?』
「おそらくこの部屋に来るのは、あの男だけですから、大事にならないと思いますよ。あの男の行動パターンからして、騎士たちはいったん近くで待機させるでしょうし」
どうして、クリムゾンはフェリクス殿下の行動パターンを把握しているのか、どうして全力で煽ろうとしているのか、その意味を考えようとしたところで、扉が乱暴に開けられた。
「レイラ!?」
クリムゾンの言う通り、フェリクス殿下の姿以外は見えなかった。




