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すみません。色々と長くなりそうです。

「うん。今日は行くのを止めにしようか?」

「はい?」

 夜会のエスコートのために我が家へと馬車で迎えに来てくださったフェリクス殿下の第一声がこれだった。

 身支度などの準備が滞りなく終わり、私は殿下が到着するまで自室で早めに待機していた。

 ようやく会えたと思ったらこれである。

「何を仰っているのですか? 今日の参加は前から決まっていたことでは?」

「あまりにもレイラが素敵なせいで、今日は夜会なんて行かないで、このまま部屋に引き籠もりたい気分なんだ。このまま腕の中に閉じ込めて、たくさん撫でて可愛がって、うんと優しくして、甘やかしたい。……そういう訳にはいかないけど」

 理由を聞いたら、近くに控えていた侍女が思わず赤面する程の甘ったるい台詞をいきなり吐いて来た。


「それはちょっと……さすがに」

 私の頬は赤く染まってしまっているだろうし、頬紅を付けなくても良かったのではと思うくらいには熱い。

「ねえ、もっと良く顔を見せて?」

 そういうフェリクス殿下も今日は一段と煌びやかなので、私としては直視できないのだけれど。

 私を見つめる時の殿下の瞳が最近、蜜のようにトロリと蕩けるせいで、そういう時は目をマトモに合わせることが難しくなった。

 今もそういう目をしてる……。

 本人はそれをわざとやっているのか、無意識なのか。それは彼にしか分からないけれど、どちらでもフェリクス殿下らしいというか。

 近付いてくる完璧な美貌と色気の暴力に私は1歩だけ下がった。

「そんなに見られては、どうしたら良いのか……分からなくなりますから……」

 ああああ。狼狽えてみっともない気がする!

 視線が先程から空中に彷徨っているし、もう少し狼狽しないで凛として、背筋を正すくらいのことはしたい。

「今すぐこの髪を解きたいくらいだ」

 何ですと!?

 いつもの伊達眼鏡を外して、薄く化粧を施し、髪も上げて整えた、侍女たちの最高傑作だというのに。

「せっかく着飾ったのですから、そんなことをなさるのは止めてくださいね?」

 フェリクス殿下の指先が、私の髪に伸びかけたので抗議するつもりで軽くジトリと見上げていたら、彼は間近でゴクリと喉を鳴らした。

「綺麗だ。凶悪的なくらい。ドレスも想像以上に似合ってて、正直どうしてやろうかと思った」

 どうしてやろうか!? え? 何をされるところだったの?

『ご主人、王太子の言うことに突っ込みを入れてはいけない。深く考えるな。それが良いぞ』

 ルナがそう言っているので、とりあえず無難な言葉を返すことにする。

「フェリクス殿下の贈ってくださったドレス、とてもセンスの良い品ですね。とても、着心地が良くて……」

「脳内でレイラに着せ替えをするのは楽しかったよ」

 明らかにペアと分かる青を基調とした青いドレスは、私の好みであるシンプルな造りをしたドレスだった。

 今まで私が着ていたドレスの好みを把握しているのだろうかと思うくらいにピッタリすぎて逆に凄い。

 本当に何なのかと思うけれど、フェリクス殿下だからという一点に集約される気がする。


「レイラは、緊張したりするの?」

 私の部屋の寝台にあるテディベアのふわふわの毛並みを堪能しながら問いかけて来た。

 婚約した直後に彼が贈ってくださったテディベアの定位置は当初から変わらない。


 あえて言うなら私は、フェリクス殿下の視線に緊張する。


 すぐに慌ただしく出発する訳ではないのは知っていたけれど、侍女が視界の端で礼をして、私の部屋から退室していくのを見て内心焦った。


 待って!? お願い! 今のこの状態で2人きりにしないで!?


 ルナは居るけど、今は影の中だ。


「……っ」

 上手く呼吸が出来ず、呼び止めることも叶わず、中途半端に引き止めるように手が持ち上がって、空中で止まった。


 テディベアと戯れていたはずのフェリクス殿下は、可愛らしいそれを寝台の上にぽふっと置きながら、クスリと笑う。


「ねえ、レイラ。このテディベアと一緒に寝てたりするの?」

 それはからかうような口調だったので、おそらく子どもっぽいとか思っているんだろう。

 恥じらうのもそれはそれで癪というか、フェリクス殿下の手のひらの上でコロコロと転がされるのは少し悔しい。

 なので、堂々と開き直ることにした。

 今日こそ、私は! 恥じらわない!


「はい。とてもふわふわして気持ち良いので、常日頃から手入れは欠かさず行い、寝る時は抱いて寝ています……!」


 堂々と言われてしまえば、きっと殿下も思ったのと違う反応に「あれ?」と思うはずだろう。

 開き直ってドヤ顔で言ってみれば。

 んん? フェリクス殿下の様子がおかしい。


「えっ……?抱いて寝てる……って。……えっ。それは、……反則じゃないのか」

 くるりと私から体ごと逸らしたと思いきや、後ろを向いて壁に頭をゴツンとぶつけた後、何やら「ああ……」とか「うぅ……」とか悶絶していた。

 口元を覆ってしまったので、表情が隠れてしまっているから全貌が分からない。

 あれ?前にもこんなことあったような?


『良かったな、ご主人。王太子に勝ったぞ。そなたは着々と男を転がす悪女に成長しているぞ』

 何その不穏な称号は!

 悪女とか嫌すぎる。それは死亡フラグしか立っていないと思う。


 少し心配になったので、フェリクス殿下の背中にそろそろと近付いて、様子を窺おうとした。

「あの……どうされました? 体調が優れないとか……」

「……レイラ」

「ひゃっ……!」

 声をかけるとフェリクス殿下は体を捻るようにパッと振り返り、何事もなかったかのように微笑んでいたので、私ははしたなくも素っ頓狂な声を上げて飛び退いた。

『さすが王太子。長年の習性。切り替えが早い』

「……っ」

 私は、そっと後ろへとジリジリと下がりながら再び距離を取った。

 私のあからさまな反応に気付いているのか、そうでないのか、フェリクス殿下は何事もなかったかのように何の含みもなさそうな爽やかな微笑みを浮かべている。

「テディベア気に入ってくれて嬉しいよ。それに今日は貴女とお揃いが多くて嬉しい」

 フェリクス殿下が贈ってくれたペンダントは首に、私が作った指輪は今日に限りきちんと指に嵌められている。


 あれ? なんか近付いて来ていない?

 壁際に追い込まれているような気がするのは、気のせいだろうか?


 こちらに踏み出される1歩に私は怯みながらさり気なく後ろへと下がる。先程まではそれなりに距離があったので良かったけれど、今のこの距離だと近付かれれば、私はあからさまに意識してしまうのだ。


「レイラ? どうして逃げるの? 少し近付いただけなのに。それだと、私のこと凄く意識してくれているみたいだよ?」


 コツンと靴音が私へと距離を縮めようと、反響した。

 意識はしている……。それはもう、何なら今はドキドキしすぎて余計なことばかり考えてしまう。

「ああ……もしかして、2人きりだから?」

 ひえっ!? 耳元に声!?

 壁際まで追い込まれ、フェリクス殿下の唇が耳に寄せられて、ちょんと触れられて、囁かれていることに気付いた時にはもう遅い。

 腰を引き寄せられて体は完全に密着しているし、お互いの呼吸の音が分かるくらいには顔も近い。

 コクンと息を飲む。おそるおそるといったように躊躇いながらではあったものの、私がそうっと顔を上げれば、フェリクス殿下も私の耳元に寄せていた顔を離して、ちょうどこちらを見下ろしたところだったようで、間近でパチリと目が合わさったところだった。

「あっ…………」

「レイラ…………?」


 その距離感にお互いが驚愕し、間近にある相手の顔に見入りながらも、虚をつかれて呆然として、時が一瞬だけ止まったような錯覚を覚えた。

 永遠にも続くと思われた沈黙。硬直。

 その硬直を解いて、初めに動いたのは、フェリクス殿下だった。

 戸惑ったように微かに吐息を零したものの、顔を最初に寄せて来たのは、彼。

 鼻先が少し触れて、今にも唇が触れ合いそうな距離まで顔を寄せられたところで、まるで許可でも求めるように私に視線を投げた。

 熱く濡れたような瞳には確かな欲望の火花が宿っていて、それは切っ掛けさえあれば今にも熱烈に燃え上がるのだろう。

 キスをしたいのだと切なげな視線で問いかけられ、頷いたらすぐに触れ合うことになるのだと本能でそう理解した。

 男が女を求める凄絶な色気のようなものを纏ったまま、彼は誘うようにレイラの頬に指を滑らせた。

 今にも触れ合いそうな距離。浅く息をしているのは、彼も緊張しているからなのか、それとも私と同じように鼓動が治まらないからなのか。

 それにしても、あの時は半ば強引というか、奪うように唇を奪って行った癖に、2回目は私に委ねるなんて。

 ……きっと奪うのではなく、私に許可されたいのだ。

 許可も何も、私がそれをする立場ではないのに。したいなら、すぐにすれば良いのに。

 殿下ならそれが許されるのに。

 フェリクス殿下は時折矛盾している。

 私を強引に連れ去るような真似をしておきながら、時折思い出したように私に選ばせようとしてくるところが。


 このまま、欲望のまま、お互いの息を貪り合ったら、どんな感触がするのだろう?

 甘美な誘いに心動かされた私の目も、きっとトロンとしてしまっているのかもしれない。


 零れる息は既に熱く、期待するように見上げる目はきっと熱で潤んでいる。


 だけど……。


「駄目です、殿下。今、こんなことをしたら、きっと私は身支度をやり直すことになると思いますから」


 そんな予感がした。フェリクス殿下はきっと、私の髪すら解いてしまいそうで。

 それから先は想像がつかないけれど、なんとなくそうされそうな気がした。


「……うん。レイラ、それは正解かもしれない」


 欲に濡れた声は明らかに渇望しているのに、フェリクス殿下はいつものように理性的で、その声のちぐはぐ具合がまた印象的だった。


 寄せていた顔をそっと離して、お互いに適切な距離を取る。

「……レイラ?」

「はい……」

 求められていることは分かっていた。今回に至っては怖がっている訳でもなかった。

 ただ、その欲の一端に触れて当てられてしまっただけなのだ。


 理性ある美しき獣。


 これは、簡単なこと。そんな存在に「美味しそうだ。食べたい」と言われたようなもので。


 時折、フェリクス殿下の年齢が本当に分からなくなることが多々あって、確かにそう思うことが多かったけれど、今回もそうだ。


 おそらく、彼の精神はほとんど成熟してしまっているのだけれど、まだ未熟な年相応さというか不安定さが垣間見れて、その落差に私は落ちてしまったのだろう。

 我慢出来ないと言いたげな視線には、焦りのようなものも見れたのだ。

 あのフェリクス殿下が振り回されている? よりにもよって、私に?

 それは、女としての自尊心を満たされたような気がして、その一瞬だけ私は悪い女になったような気がした。

 私をからかおうと悪趣味な行動をしようとする割に、彼は時折必死だった。

 普段は私に迫る時、余裕さを滲ませているのだけれど、今日は本当に珍しい。

 フェリクス殿下にとっても、今日はいつもと違った夜だったのかも?


「さあ、レイラ。私の手を取って?」


 誘われるようにして、私は彼の手に自らのそれを重ねた。

 きゅっと軽く握られる手が、甘く疼く。

 触れられた部分が火傷してしまいそうで、私はそっと顔を伏せて、ゆっくりと瞬きをした。


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