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 お兄様の追跡を躱した後、お父様に頼み、彼を領地に強制送還してもらい、王都である夜会にはなんとかお兄様の奇行を他の皆様に見せずに済んだ。


 最後の最後にお兄様は、置き土産というか、とんでもないことを、やらかして帰っていったのだ。


 領地に帰る前日のこと。普段は学園の寮に居た私も、この日は王都の屋敷へと再び戻っていて、出勤もこの時は王都の屋敷からだった。

 ディナーに向かう途中に通りがかった際に、お父様の書斎で起こった出来事である。

 男の人が争うような声が聞こえたので何事かと思い、扉を開けてしまった私は間が悪かったのだろう。

 その瞬間、お父様は何かの書類の束を持っていて、それをデスクに叩きつけるようにして置くところだった。

 お兄様が何かをやらかしたのかと止めに入ろうとしたら、お父様が疲れたようにかぶりを振って、私に気にするなとジェスチャーして、唐突にこう言った。

「レイラ……。お前には苦労をかけるな……。本当に」

「お父様、どうされました?」

 私を見ながらニヤニヤしているお兄様を見て、お父様は胃を押さえた。

 あ。これ、お兄様のシスコン関連だ、と私は瞬時に悟った。

 そして、お兄様が何をやらかそうとしたのか、その全貌が明らかになったのだった。

 お兄様が跡取りから逃げ出そうと、こっそりと従兄弟に引き継ぎ計画を実行中だという事実が判明した。

 従兄弟を領地経営に連れて行ったのって、もしかして。そんな前から……?

 それで何故、そんなことをしようとしたのか、原因の私ですら、その場に崩れ落ちて、現実逃避したくなるような理由だった。

 お兄様はこう叫んだ。

「何言ってるんですか!? 跡取りということは僕も結婚させられる! 僕に結婚相手が居たら枷になります! レイラを第1優先にする令嬢なんておそらく居ない! もしもの時にレイラの嫁入り先に突撃出来ないではないですか!?」

 え。何その悪夢。真顔で言い切ったお兄様に久しぶりに私もドン引きした。

『ご、ご主人の、け、結婚先にもアレが付いてくるのか……?』

 可哀想に、ルナの声が震えている。さすがにそこまでくっ付いてくるとは誰だって予想が出来ない。

「メルヴィン! お前は妹の結婚先にまで押しかけるつもりなのか! どう考えても現実的ではないだろう!」

「結婚相手とレイラが仲を深めたらどうするのです!? レイラは仮面夫婦を演じているだろうから辛いはずなのです。僕が慰めにいかないと」

『私にはこの兄が何を言っているのかわかりかねる』

 ルナがお兄様に向ける感情は、軽蔑、ドン引き、恐怖、困惑以外に何かないのだろうか?

 それにしても、後半とか妄想が過ぎると思う。私が男性不信だとお兄様は知っているようだから、そう思うのかもしれないけど、それにしてもどうなのか。

 普通、結婚相手と仲を深めるのは当然な気がするんだけれど?

「兄妹の絆は何より勝るのです、父上」

『良い話風にまとめているが、普通に気色悪い』

 簡単にまとめてしまえば、跡取りを辞退しようとしたのが父にバレて揉めた。

「ここ最近、お前が誰でも運営出来るようなマニュアルを作成して実行していたのは、作業の効率化ではなくて、丸投げするためか! 新たなプロセスを生み出し、その画期的だが応用が利く緻密さに感動していたというのに! 優秀な従兄弟を連れて行ったのは、右腕として育て上げるためかと思ったのに! 人選も完璧で、お前の慧眼に感服していたというのに! 感動を返せメルヴィン!」

 お兄様は何気に優秀だから、片手間に色々と改革出来るくらいは訳ないらしい。

『ご主人に対する病的な愛情さえなかったら、それなりの人間だろうに……。世の中、上手くいかないものだな……』

 ルナが言う通り、お兄様は要領も良く、何かをまとめ上げることや管理することに長けていて、シスコンを除けば人望はあるし、器用だし、跡取りとしては極上なのだ。

 ただ、天は二物を与えずとは言うけれど、何の因果かお兄様はシスコンに生まれ、あまつさえそれを極めてしまった。

 幼い頃に私が「お兄様とずっと一緒に居たい」とか言ったのが拍車をかけてしまったような気がする……。

 なんだろう。責任を感じる。

 お父様が指名するということは優秀なのは紛れもないし、お父様はお兄様が跡取りであることを望んでいる。領地経営の才能を無駄にするのは、お父様としてはプライドが許さないのだろう。

 優秀なお兄様になんとしても領地を治めさせたいお父様と、どうしても結婚をしたくないお兄様の戦いが火蓋を切って落とされた。

「領地はついでもらうぞ! メルヴィン!」

「嫌です! 僕は身も心もレイラに捧げる所存です!」

『当たり前のことを言って良いか? この兄に操を立てられても困るのだが』

 うん。本当に。どうしよう。涙が出そう。

 私の名前がゲシュタルト崩壊しそうなくらい、お兄様が「レイラレイラレイラ」と言うせいで私の目が死んでいくのを見たお父様は、私を痛ましそうに見つめている。何だろう。同情だろうか……。

 徐々に私の顔色が悪くなっていくのを見ていたお父様は、ついに折れた。

「ああああ! もう良い! 分かった! 結婚しなくて良いからお前は領主として私の後を継げ! 親戚から養子を取っても良いから、お前は老衰して死ぬまで身を削って働き続けろ! まともに嫁をもらったところで相手方が不幸になるのは目に見えている!」

 お父様はヤケになっていた。ここまで教育したお兄様が領主にならないことの方が我慢ならないらしい。

 そりゃあ、教育っていうのは時間と手間とお金がかかるもので……。それなりに費やしてきたというのに、「はい、そうですか」と跡取りを変える訳にはいかない。

「レイラ! お兄様の心はいつも一緒だよ! これで僕はレイラだけの騎士だよ!」

 独身貴族宣言をして見事にそれを勝ち取ったお兄様は誇らしげにそう言った。

「もう……私は多くを望まんぞ。ヴィヴィアンヌの血筋は残るのだから文句は言わない……。そう、絶えた訳ではないのだ」

 お父様は悟り切っていた。

「教育を間違えたのだろうか?」

『これは生来のものだと思うぞ』


「レイラ。お前は、普通で居てくれ。普通に結婚してくれ……頼むから」

 どうしよう。「はい」か「うん」しか言えない雰囲気である。

 そして、お父様は悲壮な表情で私に語りかける。

 私はとりあえずコクリと頷いた。

「すまない……レイラ。お前には苦労をかける。今までも、これからも大変な思いをさせるな……。矯正しきれなかった私たちが言うことではないが、無理はしなくて良いからな?」

 疲れ切った微笑みに、私の方が申し訳なくなった。

「とりあえず今シーズンは領地に閉じ込めるから、しばしの休息の期間を堪能してくれ……」

 お父様にがしっと首根っこを掴まれたお兄様は、「レ、レイラ─────!!」と叫びながらズルズルと引きずられて部屋から出て行った。

 これは、仕事がたんまり押し付けられるフラグだな……。

 部屋を出ていく寸前、お父様が「任せろ」と言わんばかりに頷いたのが頼もしい。


『嵐が去った……』

「今日は一段と酷かったわね……」


 お兄様は次の日、強制的に領地に飛ばされて、終始私の方を涙目で眺めながら悲痛な叫びを上げていたのだけど、お父様が紙の束をチラつかせた瞬間、黙った。


『ほほう……。これは、これは。あの兄対策が強化された……?』

 どうやらお父様が本気を出したらしい。これまでも地道に諌めていたけれど、色々と諦めてからは遠慮が一切なくなったように見える。

 どうやら私の心労を軽減することに重きを置くことにしたようだ。



 そんなことがあり、これからたんまりと仕事を押し付けられるだろうお兄様に内心手を合わせながら、私は次の日何事もなく学園の寮に戻った。



 その日、学園のカフェテリアで食後の紅茶をいただいていた時だった。

 叔父様も医務室に復帰し、今はお昼の私と入れ替わりで医務室で番をしているので、久しぶりにカフェテリアで優雅なティータイムと相成った。

 去年の卒業生の卒論をお供に時折サイコロケーキを口にして、と至福の時。

 木苺のムースの甘酸っぱさに頬を緩めていた折、「チョコレートムースもあるけど、どうかな? 姫」と聞きなれた声がした。

「フェリクス殿下。ごきげんよう。ここにいらっしゃるのは珍しいですね」

 リーリエ様と一緒の時は、まるで人目を避けるように行動していたから、このような衆目に晒されそうな場所に彼は顔を出すことがなかった。

「やっと、光の世界を出歩けるようになったというか、むしろ今は積極的に出歩いても良いかなって思えるようになって来てね」

 ちょうどテラスに居た私の正面に彼が相席すると、周囲がザワザワとほんの少しだけ騒がしくなった。

 周囲から人が離れていって、皆が期待した目で遠くから見守っているのが、こそばゆい。

「ほら、私たちのことが噂になってる。今はね、むしろこのざわめきすら愛おしい」

「そうですか……。そうなんですね」

 臆面もなくそんなことを告げるので、私は知らずのうちに顔を赤く染めて、誤魔化すようにティーカップに口を付けた。

 殿下は照れることが滅多にないのだ。狼狽えたら私は負けだ。

『苦労していたからな、この男は』

 ルナの同情する声は、おそらく殿下にはいつも通り聞こえていないのだろう。

 ルナもあえて伝える程ではないらしいので、いつもと変わりない。

 今までけっこうギリギリのことを言っていた気がするので、本当に聞こえてなくて良かったと思う。分かってて言っていたのだろうなあ。

 精霊の中では殿下の目について、有名な話みたいだったし。約定でもあるのか、基本的には伏せられていた情報だったのだろう。

「ほら。罪人が地下牢から出た時に第一声が『シャバの空気が美味い』っていうでしょう? 気分はそんな感じ。周りの目を気にせずに存在出来ることの尊み。生きているって素晴らしい」

 何か表現が若干ズレているような気がするが、きっと殿下にとってはそれ程に息が詰まっていたのだ。

「シャバの空気、尊み、ですか。うーん……? 本気で殿下の胃痛が心配になって来ます。特に、以前はこういう場所の方が気を使うことが多かったのでは? 人の目も集まりますし、授業中とは違いますし」

「そうそう! 食事の時とかにたまたま同じメニューを頼んだり、ちょっと取り分けてもらうことがたまたまあったりして、それだけで色々な憶測があったりしたから、何か行動する度に細心の注意を心がけなくてはいけなくて、本当に何だろうなって……。何故自分はここに居るのだろうと……」

 リーリエ様を相手にしていた時のことを思い出したのか、綺麗な空を見上げながら殿下は遠い目をしていた。

「それは、また……。食欲もなくなるというか、現実逃避もしたくなるというか……。私なら確実に医務室に篭もりますね。……彼女は良い意味でも悪い意味でも自由奔放でしたし」

 だから余計に苦労したのだろうと思う。

「うん。本当に、思い通りに動かない相手っていうのは1番厄介だよ」

「貴族の作法が通用しないのは、ある意味怖いですからね。予想がつかなければ、対応が後手に回る……確かにそれは厄介です」

 貴族として生きてきた人程、それは純粋に恐ろしいと思えるのかもしれない。

「そう……。だから私も珍しく手間取った。さらに牽制も拒絶も気付かない。純粋に恐怖した」

 おそらくそれはフェリクス殿下の本音。貴族社会で生きてきた彼は、リーリエ様のような方を相手にするのは初めてだったのだろう。

 未知だったのだ。未知の恐怖。

「ええ……。基本的には怖いものなしなフェリクス殿下を恐怖させるなんて」

「私にも怖いものはあるよ?」

 フェリクス殿下は苦笑していた。

「それはそうだとは思いますが、なんとなくですよ?」

 フェリクス殿下にも、怖いものはあったりするのだろうけど、そういう欠点を隠すのは彼の本能なのかもしれない。

 ふと思い出したようにフェリクス殿下は語る。

「当初はまだ彼女も普通だったのだけど、いつ頃かな。切っ掛けは精霊を得たことだったのかな。それが切っ掛けで──」

 そこから先は言葉にしなくても分かった。

 ただでさえ、数人の男子に特別扱いをされていて、彼らには婚約者も居らず、諌める人が周りに居ない……。

 そんな中、精霊と契約。自分が特別な存在だと素直に思い込んでしまうくらいには、その出来事は鮮烈すぎたのだ。

 私の表情で大方伝わったのが分かったのか、彼は苦笑した。

「レイラはそんなことないのにね。力に溺れることもなく、貴女は高潔だ」

「高潔とかではないですよ。私の場合は、ただただ安堵でした。精霊は嘘をつくことをしませんから」

「そっか。レイラにとっては精霊との契約は救いだったのかもしれないね。どんな形であれ、自分の思いを語れる誰かが居て本当に良かった」

『当時から、ご主人のその感情の動きに興味津々だったぞ。これは興味深いと』

 当時からルナは私の精神構造が厄介な作りをしていても、それを受け入れて好ましいと言わんばかりに『興味深い』と語る。

 私自身は面白みを何も感じないが、ルナにとっては面白くて、いじらしくて、興味深いらしい。

 私の屈折した部分を見てなお、フェリクス殿下もルナも私は私であると認めてくれているのが嬉しくて。

 私は淑女の微笑みではない、至って普通の子どもっぽい笑顔を浮かべてしまった。

 嬉しいからと、はしゃぐのは良くない。


 呆れられると思いきや、フェリクス殿下は私の

 表情を見て一瞬固まった。若干耳が赤い。

 だけど、すぐにいつものように王子様スマイルを浮かべたので、見間違いかもしれない。

「レイラ。このチョコレートムースあげるよ」

 そして、何故か先程言っていたチョコレートムースの皿を私の前に差し出した。

「ご自分で召し上がるためにお持ちになったのでは?」

「良いから、良いから」

『ご主人、遠慮なくもらっておけ。照れ隠しだ照れ隠し。ご主人は無意識に男の純情を弄ぶからな』

 いやいや。そんな悪役令嬢とか悪女みたいなことしないって。

 と言いつつも、さすが殿下が選んだ逸品。私はあっという間にチョコレートムースに夢中になっていて、ほうっとその甘さに頬が落ちそうになった。

「どうしよう。逆効果だったかもしれない……可愛い」

 私を見ながら殿下はそんなことを言うけれど、何の変哲もない食事シーンのどこが可愛いのか。礼儀作法としては完璧なはず。

 時々、男の子のことが理解出来ないのは今までのツケなのかもしれない。

 フェリクス殿下は珍しく、頬杖をつきながら私をぼうっと眺めていた。

「殿下。いただいておいてなんですが、やはりもう1つお持ちしましょうか? 他のスイーツとか、何かご希望のものがおありなら、ついでにお持ちします」

「いや、いい。胸がいっぱいだから、ケーキもスイーツも遠慮しておく」

「……そうですか? それにしても、殿下は甘いものがお好きなのですね?」

「時折、糖分が欲しくなる時があるんだ」

 尚更、それを今私に譲って良かったのかと気になってしまった。

「さて、その話はもう終わり! 明日の夜、夜会があると思うんだけど、その時に正式な婚約発表があるのは聞いてると思う」

『強引に話を逸らしたな』

 強引さはあったけれど、私は特に気にしなかったので、普通に応えた。

「はい。つつがなく、対応させていただきます!」

 やる気十分な私を見て、「なんだろう。戦の前の戦士みたいなオーラを感じるんだけど」とフェリクス殿下は呟いた。

「淑女にとって社交界とは戦いですよ? ドレスという鎧を纏い、笑顔という武器を携えて。扇で顔を隠すのは最終手段です。そして、さらに仲間を見極めて。敵の攻撃を避けて、最高の一撃をお見舞いすることもありますし、時には煙に巻いて、戦線離脱しなくてはなりませんし」

「うーん。言い得て妙だね。確かにあそこは過酷だ。壮絶でもある。魔術で戦う方がある意味楽かもね」

「魔術の方は勉強さえしておけば、それなりにどうにか出来ますが。社交においてはいつも反省点ばかりです。……あ、それはそうと、フェリクス殿下。朗報です。明日の夜会ですが、実は兄が領地に飛ばされて欠席です。少し我が家で兄が問題を起こしまして、しばらくは欠席するかと思われます」

 それは話しながら思い出したことだった。

 お父様の本気により、しばらくお兄様は社交界に顔を見せることがないだろう。

「あ、そうなの? 分かった」

 フェリクス殿下がこっそり拳を握っていたのは見なかったことにした。

 お兄様……。フェリクス殿下にも変な絡み方するからなあ……。

 フェリクス殿下はお兄様のことを嫌いではないらしいけど、リーリエ様とお兄様を同時に相手にするのは避けたいようだった。

 明日はリーリエ様も参加することになっていたからである。


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