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リーリエ様の相変わらずな様子に1番最初に撃沈したのは、当の本人であるフェリクス殿下だった。
「何故だ……。はっきり言っても何故……」
壁に手をつき、げんなりとした様子で項垂れる彼を見て、ノエル様がうんざりしながら説明していた。
「レイラとは正々堂々と戦うんだとさ。噂になんて負けないと言っていたぞ。僕に決意表明されても困るし、愛を語られても困る」
「うん。ごめん。ちょっと何言ってるか分からない」
何やら魂でも吸い取られたかのようにフェリクス殿下の顔が死んでいる。
まさしく無だった。
フェリクス殿下は完全に疲れ果てていたのだが、彼はそういう星の元に生まれてきたのか、そういう運命なのか。
彼に安らぎはないものか。
そうしている折、タイミングが良いのか悪いのか、医務室の扉がノックされた。
ただしくは、叔父様の実験室からも聞こえる程に激しく連打されるノック音。
「……なんか嫌な予感するので、私見てきます」
こういう展開、覚えがある気がするんだ。
『ご主人、それをそなたはお約束と言っていた』
不吉なこと言わないで欲しい。
というか扉が先程からドンドンドンドンドンと煩いし、確実に迷惑なのだけれど、どうなんだろう。
人様の迷惑を鑑みたりはしないのだろうかと本気で不思議に思う。
『あのご主人の兄でさえ、扉を煩く叩くなんて迷惑な真似はしなかったぞ。あの兄でさえ』
2回言った。
ルナのお兄様に対する認識って本当にどうなっているのだろうか。
「……あの、ちょっと扉を乱暴に叩くのは止めていただけますか?」
言いながらガチャリと扉を開けると、手を胸の前で組み、うるうると涙を滲ませたリーリエ様が居た。
犯人は貴女でしたか。
『見なかったことにしたいのだが』
ああ。精霊のルナでさえ現実逃避をするようになるなんて世の中は世知辛すぎる。
「私、負けない!」
涙を堪え、毅然とした態度で私の前に現れ、決意を胸に立ち向かっているリーリエ様の声は凛として聞こえ、その強い意志を持った瞳は私から目を逸らさない。
この部分だけみれば、立派なヒロインに見えるだろう。
『今までの話を聞いてきたからか。全く健気に見えない』
隠形魔法で光の精霊対策をしているルナがボヤいた。
「フェリクス様の傍に居なかった人より、私の方が絆が深い分、彼のことを想っているもの!」
『想っているなら、まずは話を聞け』
ごもっともである。まずは当の本人の話を聞くところから始まると思う。
絶句した私に何を思ったのか、リーリエ様は潤んだ瞳で語り始めた。
「恋愛っていうのは、どんなに想っていても報われるかどうかは分からないもの……。でも、いずれ気付くはずだと思うの。一途に想い続ければ、奇跡は起こるはず。だから、私はね、それまで自分を磨くことにしたの。だから、貴女には負けない! 貴女とフェリクス様の噂にも惑わされないもの!」
もう何を言って良いのか分からない。
「あの……リーリエ様? フェリクス殿下のお話を……」
リーリエ様は冷静ではなかった。
「レイラさんは狡いよ。そうやって婚約者だからって、最初から彼を手に入れているなんて。そんなの私の知る恋愛じゃないよ!結局、たまたまそこに居たから好きになったんだよね? たまたま婚約者になったから! だから、レイラさんの想いなんて大したものではないんだよ! それに、フェリクス様は優しいから! だから! 好きだなんて言葉の綾で……!」
「……っ!」
聞き捨てならなかった。
自分の感情がコントロール出来ない程焦がれる滅茶苦茶な想いも、情緒不安定に揺れる切ない感情も、矛盾しきった強い想いも、綺麗とは言えない薄暗い独占欲も、抱き締めたくなるくらいに大切にしたい純粋な恋い慕う想いも、その全てを否定する言の葉の刃によって踏み躙られた気がした。
だけど、1番気に食わなかったのは、フェリクス殿下が私にくれた宝物のような言葉たちをなかったことにしようとしたことだ。
あれだけ、何度もハッキリと伝えてくださった想いをなかったことにされようとしていたのが、気に食わなった。
散々向き合わなかった私に怒る資格などなかったのに。
目の前の少女に言われた瞬間、思わず冷静ではいられなくなった。
ルナの『ご主人?』という戸惑った声。
頭の中が真っ白になると、結局一言しか言えなくなるのだと思う。
温度のない私の冷えた声。
「フェリクス殿下のことも、私のことも、何も知らないくせに、知ったような口を」
酷く頭の中が冷静になって、冷たく澄み渡っているというのに、口から出る言葉は苛烈だった。
『ご主人? 怒っているのか?』
私が怒ってる? この燃え盛るような感情がそうなら、私は怒ってるのかもしれない。
私はこんなにも感情露わに怒り狂うような人間だっただろうか。
こんな私は知らない。
見苦しい。なんて意味のないことをしているのか。穏便に受け止めるくらい出来たはずなのに。
こんな冷たい物言いをしたら余計に悪化することなんて目に見えているというのに。
待って。冷静にならないと。私はこれ以上何かを言っては駄目。
さり気なく深呼吸しているうちに、リーリエ様は案の定、潤んだ瞳から涙を零し始めて、ほろほろと泣き始めたのだ。
ああああ。こうなったら私は悪人決定……。
医務室周辺に今のところは人が居ないとはいえ、誰かに見られてしまえば、私は悪役令嬢の道を突き進むことになる。
少し気が立っていたとはいえ、それはよろしくない。
「そんな……酷く言わなくたって……」
『酷いのはどっちだ』
ルナは呆れたように呟いていた。
リーリエ様にとっては、私は悪役令嬢にしか見えないのだろう。だから、少なくとも彼女にとっては、私は酷いことをした人間だった。
「フェリクス様が居ないからって、影でそうゆうことを言うなんて酷いよ。私は正々堂々戦おうと言っているのに」
『その割には色々言っていたがな』
ルナは、私が怒り狂って醜態を晒そうとも、その物言いから私の味方で居てくれるらしい。
先程から、私の気を奮い立たせるために色々言っているのかもしれない。
確かにルナが何かを言ってくれているおかげで、少しだけ気分が軽くなっているのは事実。
ありがとう。ルナ。
表立って相手に何かを言わなくても、私に寄り添う誰かがここに居るというだけで、ほっとした。
とりあえずこれだけは伝えておこう。
「……ごく当たり前のことを申し上げます。婚約者が居る男性に無闇矢鱈に近付くのは淑女としておかしなことです。……それに私はフェリクス殿下のことが好きです」
「そんなの! 私の方が好きです!」
比べる方がどうかしている。比べるものでもないだろうに。
内心そう思いながらも感情がコントロール出来ないのは困るので、端的に必要なことだけを私は口にしていった。
何かを伝えようとすればする程、私の感情はさざ波のようになってしまう。
「それとリーリエ様。先程、扉を執拗に叩かれていましたが、病気で寝ている生徒が居たら悪いと思わないのですか? よく、考えてください」
「レイラさん! そういう、冷たい言い方……」
私はニコリと微笑む。邪気のない笑顔で。
「リーリエ様。当たり前のことを申し上げますが、ここは医務室です」
「それは悪かったけど……ええと、誰か居るの?」
「そういう問題ではなく」
話が平行線になりそうなところで、私たちから少し離れたところから声がかけられた。
「業務妨害だよ! レイラの仕事を邪魔する奴らは大罪だよ!」
「お兄様!?」
まだ帰ってなかったの!?
ルナはドン引きしたように「これは酷い……」と呟いた後に、こんな言葉をその場で残した。
『世間にこれだけは伝えたい。それでは聞いてくれ。……………………お前が言うな』




