(可愛い?)
「なあ、名前は? 聞いてるだろ」
呆けたリオにむっとしたウィリアムが低い声をあげる。
しかし、目の前にいる少年がテイルに忠告された危険人物なのかと思うと、緊張と警戒でリオの口は思うように動かなくなった。硬直するリオに、ウィリアムの灰青の瞳が急かすように細められた。
それでリオはようやっと自身の名を吐き出した。
「……リオ」
ウィリアムはふっと息をつく。
「リオね。歳は?」
「九つ」
「ふうん、同い年なんだな。面倒だからオレの事はウィルでいいぜ」
そう言うと、ウィルは床にどかりと腰を下ろした。
「痛……っ」
と、自身の背中をかばうように手を伸ばす。リオがよく目を凝らしてみれば、その背中には赤く細い傷がいくつも重なっていた。
なんだろう。
傷はぶくぶくと腫れあがっている。
「リオ」
ウィルが握っていた小さな薬壺を差し出した。
「悪いけど、塗ってくれないか」
断って機嫌を損ねられるのも面倒だ。
「……うん」
リオは薬壺を受け取り、少年の背後に両ひざをついた。
そうして思わず顔をしかめてしまう。傷口はすっかり膿んでしまっており、膿と血がじくじくと混ざり合っていた。べルは酷い女だったが、リオはこんな怪我を負ったことはない。
「塗るよ、染みると思う」
「……そっとな?」
「うん」
声をかけたが、それでも指先が傷口に触れた瞬間、ウィルの白い背はビクりと震えた。相当に痛むのだろう。ウィルは深呼吸を繰り返して痛覚の波が過ぎるのを耐えていた。
「あいつら……絶対許さねえ」
ウィルの低い唸りに、リオは首を傾ぐ。なにがあってウィルはこんな目に遭っているのだろう。
「あいつらって?」
「あ?」
ウィルの顔が、わずかにこちらを向く。
「威張り散らしてる屑共に決まってるだろ……って、そうかお前、今日入ったばっかりなんだっけ」
悪い悪い、とウィルの声が少しだけ和らぐ。
「オレさ、顔が可愛いだろ」
「……ん、ん?」
唐突な会話の変化に、リオの反応が遅れる。
可愛い……
可愛い、だろうか。
振り向いているウィルの顔を凝視する。
整っていると言えば、そう見えるけれど。
ウィルは構わず言葉を続ける。
「で、上級生の屑共に女みたいだとかってからかわれてさ。唾までかけられて、ムカついたから仕返ししてやったんだ。
それだけだぜ?
ああくそ。思い出したらまた腹立ってきた。それでなんでオレが反省部屋なんだよ納得いかねえ……! お前もそう思うだろ」
ウィルが勢いをつけて身体ごと振り向く。真っすぐ伸びたウィルの黒髪が、さらりと揺れた。
正面から激昂した灰青色の瞳に射抜かれ、リオはその上級生たちの気持ちがわかった。
大きな二重の瞳も、白くてふっくらした頬も、赤い唇も、確かに、可愛らしく見えるかもしれない。怒ってさえいなければ、だが。
ウィルは続ける。
「しかもだ。教官共は『上級生を気絶させるまで殴るなんて普通じゃない』って、オレの方を閉じ込めたんだぜ? 一発殴ったくらいで気を失う方がどうかしてるだろ。軟弱なんだよ、騎士候補生のクセに」
ふてくされるように唇を噛む。
「ああくそ。むしゃくしゃする」
「とりあえず落ち着きなよ」
ウィルに薬壺を返して、リオも尻を床につけて座り込んだ。
「ああ。ありがとうな」
鬱憤はまだまだ溜まっていそうだったけれど、ウィルは深く息を吐いて、愚痴を飲み込んだ。
テイルはこいつに近づくなと言っていたけれど、リオには今のところウィルがそこまで悪い奴には見えなかった。
事情を聴けば、ウィルは全く悪くないし、怒ってしまう気持ちも分かる。
きっとテイル達は『ウィルが上級生を殴った』という情報しか知らなかったんだろう。それで怖がって、事実を知らないまま、ウィルに近づかないようになる。ウィルを『乱暴で怖い人物』とだけ認識する。そうして、それだけが真実として残り、リオに伝わった──大方そんなところなのだろうと思った。
「災難だったね」
ぽつりと心の内をこぼす。
「僕も、その上級生の態度は良くなかったと思うし、教官の判断は間違ってたと思う。咎めるなら上級生も一緒であるべきだったよ。ウィルは手加減した方が良かったかもしれないけどね」
言いつつ、リオは頭をかいた。
「まあ……こんな偉そうなこと言っても、僕は仕返しする勇気もないんだけど。ウィルは凄いね」
リオはベルの暴力に耐えることしか出来なかった。歯向かうなんて考えたこともない。臆病者なのだ。
「そう、か? そんなこと、初めて言われた」
ウィルも、少しこそばゆそうに首の後ろをかく。そうしてふと言葉を和らげた。
「お前も女顔だから、苦労してそうだな」
「え」
リオは焦って、息をのむ。
「僕、女に見える?」
「ん?ああ。最初、なんで宿舎に女がいるのかと思ったし」
熱くもないのに、汗がじわりと浮かんでくる。
「……あいつらにも、オレってそう見えてたのかな。でも、だからって馬鹿にすることないよな」
しかしウィルは、喧嘩を売られたという時のことを思い出したようで、再び拳を握りこんだ。
「好きでこんな顔に生まれたんじゃないっての」
「そうだよね」
会話の流れに乗ろうとリオが同調すると、ウィルがぱっと表情を明るくした。
「だよなあ!?」
それは、とても可愛いらしい笑顔だった。
「よかった。分かってくれる奴ひとりもいなくって。オレ、今めちゃくちゃ嬉しいかも」
ウィルは片手をずいっと差し出す。
「今日からオレ達、友達な。困ったこととか嫌な奴がいたら言えよ。絶対助けてやるから」
「うん……ありがとう。よろしく」
できれば、穏便な方法でお願いしたいけれど。
リオが握り返した手は思いのほか熱くて、力強かった。




