(若木)
別の場所に書いたお話を改稿したものです。
恋人になったばかりのウィルとリオのお話。短めです。
子供の頃は同じ目線だった。
なのに。
またウィルの背が伸びている。
ふたりだけの模擬試合中、そう気付いたリオは木剣を握る手に一層力を込めた。このところ、負けが続いていた。少し前までは互角だったはずなのに。
悔しさに無意識に唇を噛む。反して対峙するウィルは凪いだ海のように平静だった。綺麗な灰青色の瞳が、静かに自分を見つめ返してくる。低い声がした。
「……なあ、本当にやるのか?」
気乗りしないのか、珍しくウィルはそう言って木剣を下ろした。
先日の稽古でリオの頬に肘鉄を食らわせてしまったことをまだ気に病んでいるのだろう。リオの頬にはその時の痣がまだ鮮明に残っていた。以来ウィルはリオを見るたび、罪悪感に苛まれるように難しげな顔を見せていた。俯きがちに謝られ、毎晩ひどくやさしい手つきで薬を塗られる。
そうしてリオは、そんなウィルに不満を抱いていた。
恋人になる前も北軍にいた頃も、怪我なんてお互いさまだった。こんなふうにいちいち気にするなんてことなかったのに。
ウィルはどうして急に態度を変えてきたのか。そんなのはおかしいと思った。だって自分たちは対等な騎士で、彼は、いつだって全力で振りかぶってきてくれていたのに────。
リオは、懇願するように言った。
「ねえ、お願いだから本気出してよ」
ウィルはひどく辛そうに表情を歪める。そうして長い沈黙の後、息を吐いた。
「わかったよ」
渋々といった様子で、木剣を構え直す。
その態度にも苛立ちが募る。
さっきのセリフだってひどいものだった。
──なあ、本当にやるのか?
その後に隠れているのはウィルの本音、余裕、傲慢──。
──どうせオレが勝つのに。
最低。
リオは鬱憤を撒き散らすように地を蹴った。そうして得意の突きを繰り出す。リオがウィルに勝るものは速さと身軽さだけだ。しかし、それすら見切られる。リオは続いたウィルの斬撃を避けて、後ずさった。募った不満が爆発しそうだった。やっぱりウィルは本気を出してはくれなかった。
本気のウィルの斬撃は、こんなに鈍くない。
キースやオーウェンを相手どる時と、気迫が全く違っていた。
前は、一緒だったのに。
リオはぎゅっと木剣を握りしめる。
数歩の距離をとったまま、ウィルは申し訳なさそうに視線を逸らしていた。
「なあ、やっぱり無理だって」
「どうして? 僕はそんなに弱い? 相手にならない? 女だから?」
問えば、ウィルは「そうじゃなくて」と頭を抱える。
「お前は強いけど──強いから、戦いたくないっていうか、怪我させたくないっていうか……特に、顔とか」
「そんなの今更だよ」
「今更じゃねえよ。分からず屋が」
ウィルが、声を荒げてリオを睨んだ。そうして大股に歩み寄ると、そのままリオの手首を掴み上げる。
「お前さ、オレたちがどれだけ加減してるのかわかってんのか? わかってねえだろ」
「ウィル、痛い」
「お前が本気出せって言ったんだろ──逃げてみろよ」
空気が変わる。木剣を投げ捨てたウィルは、リオの両手首を捉えると、挑むように見下ろした。リオも負けじと身を捩るが、掴まれた手はびくともしない。
それでも、勝ち誇ったようなウィルを見るのが嫌で、リオは必死に抵抗した。足で蹴り上げようとすると、今度は体勢を変えられ、全身で壁際に追い詰められてしまう。背中に硬く冷たい感触がした。
「リオ」
すぐそこにある灰青色の瞳がリオを覗いていた。彼の、その冷静さが怖かった。鼻と鼻が擦れ、口付けられそうになり、リオは硬直する。
ウィルは、怖くないのだろうか。
変わっていくことが。
「降参するか?」
本当に、おかしかった。
昔は、子供の頃は、寮の部屋で、彼に馬乗りになってこしょぐったりもできたのに。笑い転げるウィルに「降参?」と聞くのは、リオだったのに。
ウィル、と声を上げようとした、その時。
「──な、わかっただろ?」
ウィルが、不意に力を緩めた。
何事もなかったかのように身体を離して、投げ捨てていた木剣を拾いあげる。
リオは呆然と、その大きな背中を見つめた。
「お前は普通の男に比べりゃめちゃくちゃ強いけど、オレはもっと強いからな。まあ、そう落ち込むなって」
振り向いたウィルは、やっぱり背が伸びていた。
低い声と、骨張った手、しっかりした体付き。
それはまるで、知らない男の人のようだった。
彼はもう子供ではないのだ。
若木の成長は止まらない。
知ったリオは息を飲む。
ねえ待って。置いていかないで。
そう呟けば「置いていくわけないだろ」とウィルが困ったように笑う。
そっと手を握られた。
今度は、やさしい力加減で。
読んでくださってありがとうございました。




