(花)2
ウィルを団長に据えたのは、他でもない主君アーデルハイトその人だった。
ウィルならば剣技は言うまでもなく決断力もあるし、それに、四人の中で一番の自信家だから、と。
リオをはじめ、他の誰もその決定に異を唱える者はなかった。
皆ウィルの実力は身をもって知っていたし、それにウィルにはよくも悪くも周囲に振り回されない頑固さと、一度決断したことを強行する力があったからだ。(リオが軍部に連行された際も、彼が率先して動いてくれたという。)
そう。だからウィルが団長ということに対して、リオに一切の不満はない。
むしろリオは、ウィルの出世を心から喜んでいた。
ウィルの夢は今も昔も変わらない。自分の領地を持ち、城を建てることだ。そのために主君の信頼を勝ち得るのは、大切なことだ。
リオも微力ながら、その夢を応援したいと思っている。
だってウィルは、リオのとんでもない嘘を許してくれたのだ。
本当だったら嫌われ、絶縁されても仕方がないほどの裏切りを、ウィルは受け止めてくれた。
それだけじゃない。
彼は自分の未来を危険にさらしてまで助けてくれた。
だからリオも、出来る限りウィルの力になりたいと思っている。
その心に偽りはない。
けれど、それはなにも、団長だからといってウィルの全てに頷くという意味ではない。
ウィルの指示が間違っていると思えば指摘もするし抗議もする。でなければ、これまで築いてきた関係が崩れてしまうような、親友でいられなくなるような気がしたからだ。リオはウィルの部下になりたいわけじゃない。親友でいたかった。
「まあまあ。リオもウィルも落ち着いて。怪我人が出なくて良かったじゃないか」
気まずい空気を払拭しようとしてくれたのだろう。キースが明るく言った。それをウィルが鋭く睨む。
「そういう問題じゃねえんだよ。リオが簡単に団長を蔑ろに出来ると思ってるのがまずいんだ」
リオはわずかに表情を曇らせた。
「そんなこと思ってないよ」
「でも従わなかった」
「だからそれは」
「あのな、リオ」
ウィルは厳しい口調のままだった。
「いい機会だから言っておく。オレたちはもう子供じゃない。仲良しこよしってわけにはいかないんだ。線引きはちゃんとしろ。オレたちはアデルから少なくない俸給をもらってる。見合う働きをすべきだ」
「それは……僕が働きに見合ってないって言いたいの?」
ウィルは一瞬、ほんの少し困ったように眉をあげる。しかし続けた。
「そうは言ってないだろ。ただ……オレは飾りの長にはなりたくない。なったからには中途半端は嫌だ」
ふたりの間に直立したまま、キースは黙ってその会話に耳を傾けていた。
「オレだってな、なにも考えなしにお前に待機を命じたわけじゃなかった。あの暴れ馬を止めるなら、オーウェンみたいな体格の奴が必要だと思ったんだ」
それは、リオも考えたことだったから、大人しく頷く。
「……うん」
「だろ?でもお前は、従わなかった。個人の判断で動いた。オレたちは集団で動かなくちゃいけないのに。――リオ、頼むから、指示は聞いてくれ」
リオは息をついた。ウィルの言う通りだと思い、うなだれる。リオはそこまで深くウィルが団長になった意味を考えたことはなかった。
「わかってる。本当にごめん」
ウィルは首を左右に振った。
「いや。オレもきつく言い過ぎた。ごめん」
そう言い終えたところで、人込みをかき分けながらアーデルハイトとオーウェンが姿を現した。リオたちに駆け寄り無事を確認して「良かったわ」と胸を撫で下ろす。
「さ、そろそろ帰りましょう。お茶にしたいわ」
「はい」
アーデルハイトに促され、リオはなんとか笑顔を取り戻した。ウィルも普段通りの彼に戻って「買い物が長すぎる」などとアーデルハイトに呆れた表情を向けていた。
それで一見、その場は解決したかのように見えた。けれど。
そっか。これまで通りじゃいられないんだな。
ウィルの意識の高さに感心すると同時、リオはわずかに感じたウィルとの距離に焦りを覚えた。
置いて行かれないように、これまで以上に頑張らなければ、と決意を新たにする。
そうでなければ、一緒にいられないから。
* * *
ルイスと名乗る男性がランズベルク家を訪ねてきたのは、それから二日後のことだった。
稽古中だったリオはウィルとキースと共に鍛錬場にいたのだが、アーデルハイトに呼ばれているとメイドに急かされ、ひとり連れ出された。
汗を拭き、メイドに差し出された真新しいシャツで身支度を整えたあと、「お早く、お早く」とせっつかれて客間に入る。いくら聞いても、メイドからはなんの説明もないままだった。
リオはいぶかしみながら、客間の白塗りのドアをノックした。
「アデル様、リオです」
声をかければ、すぐに中から「入って」とアーデルハイトの軽やかな声が届く。リオは黄金色の取手を握り、押し開けた。
「失礼します」
何度か足を踏み入れたことのある豪奢な客間の中央――奥の長椅子にアーデルハイトが座っており、その背後に、オーウェンが姿勢正しく直立していた。
アーデルハイトが、にこりと笑む。
「リオ。ごめんなさいね。稽古中に呼び出して」
「いえ」
リオはそれより、と、もうひとりの人物に目をやった。大理石の低いテーブルを挟んでアーデルハイトと対峙するように手前の椅子に腰かけている。
そのふんわりした赤と茶を混ぜ合わせたような珍しい髪色には、見覚えがあった。
でも、どこでだろう。
考えているうち、その人物はゆっくりとこちらを振り向いた。眼鏡をかけたその顔に、リオは思わず声を漏らす。
「あ……」
「どうも。急にお邪魔して、すみません」
青年の言葉は、先日、往来で会った時と同様に柔らかかった。
「あの時の」
立ち上がった色白の青年に歩み寄りながら、リオは言った。間違いない。二日前、暴れ馬が出た際にリオが助け起こした青年だった。
今日は、真新しそうな黒のジャケットを着ていたから、少しだけ印象が違って見えた。けれど、醸し出されている柔和な雰囲気は同じだった。
「どうされたんですか」
「いえ、その……きちんとお礼が出来ていなかったものですから」
言いながら青年は、リオに小さな花束を差し出した。ピンクと赤の薔薇が数本、白い小花と一緒に白い薄紙にくるまれ、光沢のある赤いリボンで丁寧に結ばれていた。
リオは青年を見上げる。
「え?」
「あの時は本当にありがとうございました」
「あ、いいえ」
戸惑いながら、差し出された花束を受け取る。
綺麗だとか思うよりも先に、疑問が浮かんでいた。
リオは先日、確かにこの青年を助けたけれど、たかだか数秒手を貸し、本を拾うのを手伝っただけだ。ここまでしてもらうようなことじゃない。
それに、どうして彼はリオがランズベルク家にいると知ったのだろう。不可解なことだらけだった。
しかし、その疑問はすぐにアーデルハイトが解決してくれた。
「もう、ルイスったら。リオが困ってるじゃない」
アーデルハイトはリオを手招きして、自分の隣に座らせた。待機していたメイドが、待ちかねたように紅茶を注ぎ、リオの前に差し出す。
「彼はね、ルイス・スウィックス。スウィックス家の次男で、私の友人なの」
「子供の頃からのね」
ルイスが座りなおしながら付け足す。アーデルハイトが「幼馴染なのよ」と肩をすくめた。
「この頃は疎遠だったんだけど、彼ったらね、さっき急に訪ねてきたのよ。リオ、あなたを知ってるかって」
そこでアーデルハイトは言葉をきり、ルイスをねめつけた。
「いい?ルイス。私だから許すけど、訪問する時は必ず先触れを出しなさい。せっかく訪ねてきてもリオがいないんじゃ意味がないし、訪ねられる方にも準備があるんだから」
「わかったってば。悪かったよ」
リオが来るまで、ルイスは何度もその小言を聞かされたのだろう。苦く笑う。
アーデルハイトはリオに向き直った。
「それでね、詳しく話を聞いたら、この前街に出かけた時、この人、あなたに助けられたっていうじゃない?そのお礼がしたかったんですって。それであなたのことを調べたら、今は私の騎士だって知ったから、こうして訪ねてきてくれたみたい」
「そんな、大袈裟です」
謙遜ではなく、本心からそう言った。
「ちょっと手を貸しただけです。ここまでしてもらうようなことじゃありません」
言ったリオに、ルイスは一瞬きょとんとし、「ああ」と首筋に手をやって摩りながら、力なく笑った。
「すみません。突然、やっぱり……おかしいですよね。でも僕、その……もう一度ちゃんとあなたにお礼がしたくて」
アーデルハイトは浅いため息をこぼす。
「ごめんなさいね。リオ。彼、少し変わってるの。豪邸で大切に大切に育てられてきたものだから、浮世離れしてるっていうか……ズレてるっていうか。でも、悪気はないのよ。普通じゃないだけで」
主君の辛辣で率直な評価に、リオは「いえ」と小さく首を振る。
「僕もその、花を貰うことなんてなかったので、驚いてしまって……ありがとうございます」
そうしてやっと「綺麗ですね」と言うことが出来た。
安心したようにルイスが微笑む。そうして、思い出したように自分の隣に置いていた幾つもの箱を持ち上げた。
「あの、良かったらこれもどうぞ」
包装用紙に包まれた箱はどれもみな、都の高級菓子店のそれだった。積み重ねられた箱を受け取りながら、リオは再び目を丸くする。
「すみません。リオさんの好みが分からなかったので、色々と買い込んでしまいました」
「……ありがとうございます」
驚くリオに、アーデルハイトが耳打ちした。
「ね?変な奴でしょ」
本人を前に頷くことなんてとても出来なくて、リオはその日、何度目かの曖昧な笑顔を浮かべた。
それから小一時間程談笑し、ルイスは「また」と頭を下げて帰っていった。
「〝また〟来るつもりなのかしら」
ルイスを乗せた馬車が角を曲がり、見えなくなった頃、アーデルハイトが呟いた。
「リオったら随分気に入られたみたいね」
「ええ……不思議な人でしたね」
リオが言った途端、後ろからキースの声が届く。
「誰に気に入られたの?」
振り返ると、稽古終わりらしいキースとウィルが通り過ぎようとしているところだった。ふたりとも髪は乱れ、稽古用の使い古しのシャツがべったりと汗にまみれている。
アーデルハイトが胸の下で両腕を組んで言った。
「私の幼馴染。この前、偶然リオと知り合ったみたいで、遊びに来てくれたのよ。リオにお土産をたっぷり持ってね」
「へえ。僕も会いたかったですよ」
キースが言って、ウィルに「ねえ?」と同意を求める。
ウィルは「別に」と手にしていた布で汗の滴る首筋をぬぐった。早く着替えたいのだろう。リオも稽古終わりはそうだ。汗であちこちがベトベトして、気持ちが悪くなる。
しかしウィルは言った。
「それより、リオ。お前稽古途中だったろ」
「ああうん。これから夕食までするよ」
「付き合う」
「え、いいの?」
キースと打ち合ったばかりで、疲れているだろうに。
リオが聞けば、「当たり前だ」とウィルは言った。
「団員を鍛えるのも、オレの役目だ」
そうか、そうだよね。
リオは頷いた。
「ありがとう、助かる」
「別に、礼を言われることじゃねえよ」
「それより早く」と急かされ、リオは再び鍛錬場へ向かったのだった。




