(花)1
リオとウィルのその後のお話です。
つづきます。(4~6話の予定です)
※まとめられず、9話になりました……
どこからが恋で、どこからが友情なのか。
ウィルは言った。
わからない、と。
* * *
「大丈夫ですか?」
抑揚のない声が降ってきて、ルイスははっと顔をあげた。
ひとりの青年がうかがうように自分を見下ろしていた。軍人だった。それも、なんらかの栄誉を受けたであろう優秀な―――
「立てますか?」
―――言った青年の胸元で、勲章が揺れる。
「は、はい」
ルイスは、ずれた眼鏡をかけ直しながら、青年の差し出した手を取った。道端で尻餅をついていたルイスは、ぐいと引っ張られ、立ち上がる。
そうして向かいあえば、青年は思いのほか小柄だった。
それに、随分と若い。声も、顔もだ。
自分の方が背が高いことにいささか驚いていると、青年が言った。やはり淡々とした、感情に乏しい声だった。
「お怪我は?」
「いえ、大丈夫です」
言って、ルイスは青年の端正な顔を眺めた。猫のように丸く、凛とした眼差しがルイスを見返してくる。
ルイスは、片手で首筋をかきながらたじろぐ。
相手が軍人だと思うと、どうにも緊張した。
「すみません、お手間をかけました」
「いいえ。無事で良かったです」
青年は言うと、背をかがめて道に散らばった本を拾い始めた―――ルイスが転んだ際、ぶちまけてしまったものだ。
ルイスも慌てて青年に倣う。
「す、すみません」
「いえ」
青年は短く言って、ルイスが買ったばかりの本を片手に積み上げていった。
てきぱきした動作に、ルイスは感心する。
若いのに、しっかりした人だな。
そう思うのと同時、自分が情けなくもなった。
本に夢中で、暴れ馬が出たことにも気づかなかっただなんて。友人たちに知られたらまた笑われてしまう。
書店からの帰り道、ルイスは買い込んだ本を早く読みたいとそればかりに気をとられていた。
おかげで周囲が大騒動になっていることにも気づけなかった。背後から突進してきた馬にすぐそばをすり抜けられ――幸い接触こそしなかったが――避けたはずみに仰向けに横転、この有り様だった。
そこを通りがかりのこの青年が手を貸してくれた、というわけだったが。
ハードカバーの分厚いミステリーを拾い上げながら、ルイスは深いため息を零す。
なんだって自分はいつもこうなのだろう。
どんくさいというか、のろまというのか。
幼い頃、父親に言われた通り軍役についていれば多少は違っただろうか……。空想し、しかしすぐにルイスは心の中で首を振った。
外で剣を振り回すよりも、屋内で本を開いている方が自分は落ち着く……そうだ、早く帰ってコーヒーでもいれて、お気に入りの椅子で新しい本を早く読まなければ―――
「これで全部ですか?」
青年の声で、ルイスは我に返る。また空想していた。
「あ、は、はい」
ルイスは青年から幾冊の本を受け取り、頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
「いいえ。それじゃあ、お気をつけて」
青年は少し笑んで踵を返した。急いでいたのだろうか、走っていく。とても速かった――。
ああしまった。名前を聞いておけば良かった。あっという間に小さくなったその後ろ姿を眺めながら思った。
まあ、でも、軍部に繋がりのある知人に頼めばわかるだろう。琥珀色の瞳をした、小柄な、それも勲章を受けた騎士を――。
ルイスは本を抱えなおしながら再び帰路を歩みだした。
と、その耳に、密やかな会話が届く。
「おい、さっきの」
「ああ。例の女騎士だろ」
――女?
さっきの子が?
ルイスは思わず足を止め、道端で話し込んでいた男たちに視線を向ける。話に夢中の男たちは気づかない。
「初めて見た。思ったより普通だな」
「あれでめちゃくちゃ強いんだぜ。オレ、試合見た」
「ディートハルトさんと戦ったって?」
「ああ。打ち返してたよ」
なんの話だろう。
常日頃から家に引きこもり、本を読んでばかりのルイスにはわからなかった。ただ思い浮かぶのは、彼――いや、彼女か?――がほんの少しだけ向けてくれた微かな笑顔。
可愛らしかった。
ルイスは本を胸の前に抱えなおし、眉を寄せる。
心臓が、痛むのがわかった。
* * *
返す返すも、散々な一日だった。
アーデルハイトの買い物に付き添い、街中を散策していた最中のこと。
リオ達は、その暴れ馬に遭遇した。
「誰か!誰か捕まえてください……っ」
なにがきっかけかは分からなかった。
男性の叫び声が聞こえた方向から、人々の悲鳴と、馬の嘶きと、砂塵が舞ってきた。リオ達は咄嗟にアーデルハイトを囲み庇った。
その数秒後、往来の向こうから猛スピードで駆けてきたのは、見事な黒馬であった。わき目も振らず、こちらへ突進してくる。危ない、そう思った次の瞬間には、馬はリオ達のそばを矢張り全速力で走り抜けていった。
リオは、心臓がドクドクと波打つのを聞きながら、走り去った馬を見やった。
馬のあとを追うように、砂埃と悲鳴が続いている。
あの様子では、怪我人がでるのも時間の問題だった。
見過ごせなかったのだろう、ウィルが言った。
「捕まえて来る。キース、オーウェン、行くぞ。リオは待機。アデルといろ」
え?
ウィルの突然の指示に、リオは抗議しようとした。
「待って、ウィル」
しかし、次の瞬間にはウィルとキースはもう駆け出していた。リオはオーウェンの腕をつかみ、「僕が行きます、アデル様を頼みます」と早口に言い、ウィル達のあとを追った。
騎士団長の命令が、明らかにおかしいと思ったからだ。
リオが追い付くと、ウィルが暴れる馬の背に乗って、手綱を握っているところだった。
昂奮した馬は、鼻息も荒く四肢を未だばたつかせている。
けれど、捕まえることが出来てとりあえずは良かったと、リオはほっとする。負傷者もないようだった。
「このっじゃじゃ馬が……」
ウィルは跳ね上がる馬上で苦戦しながら、手綱を片手に強く絡ませ「どうどう」と何度も馬に声をかけた。
リオは肩で大きく息をしながら、同じく息を荒くしているキースの隣に立った。
キースが言う。
「あれ、なんでリオが来たの」
「だ……って」
「怒られるよ、団長様に」
そこは、街の大広場だった。
円状に開けた広場の中央には巨大な噴水があり、しばしば待ち合わせなど使用されている。(今は無論、人々は避難していたけれど。)
馬は息まきながらも、だんだんと落ち着きを取り戻してくれた。
「どうどう……そうだ、良い子だ」
しばらくして、馬は完全に静かになった。
と、馬の持ち主らしい男が、汗だくで走り寄る。商人のようだった。
「助かりました……っ!なんとお礼を言ったらいいか」
「いいえ。どういたしまして」
おざなりにウィルは言って、馬を降りた。
「ウィル、大丈夫だった?」
リオとキースも走り寄る。と、リオを見たウィルが顔をしかめた。
「来るなって言っただろ」
「うん、でも」
リオは弁明するように口を開く。そう目くじらを立てられることでもないはずなのに――この頃ウィルは命令に厳しかった。
「オーウェンさんより僕の方が足は速いから」
オーウェンだけじゃない。足の速さなら、リオは四人の中の誰にも負けない自信があった。
しかしウィルは言った。
「命令は命令だ。今度聞かなかったら処罰対象だからな」
言い返すことも出来たけれど、リオは引き下がった。
「……わかったよ。ごめん」
ここで言い争っても、ウィルは決して折れないだろう。確かに足は自分の方が速くても、暴れる馬を止めるのに適していたのはオーウェンかもしれないとも、思いなおしていた。
でも、私だって馬術の心得はあるのに――
リオが正式な騎士に任命されてから数カ月。
アーデルハイトの私設騎士団の団長に就任したのは、唯一無二の親友、ウィリアムだった。




