(手のひらの痛み)
本編その後。
リオがキースと恋愛について話します。
夕方、外出から戻ってきたキースの頬は赤く腫れていた。見事な、手のひら型に。
「早く冷やした方がいいよ」
偶然ランズベルク家の広いエントランスで出くわしたリオは「お帰り」を言うよりも前に、そんな言葉を口にしていた。キースの腫れた頬が、痛々しくてならなかったからだ。
キースは苦く笑い「そうだね」と頬を押さえようとして、激痛が走ったのか、素早く手を引っ込める。
リオは軽いため息をついた。
どうせまた女の子にでもひっぱたかれたのだろう。
当番制の休日になると必ず街へ出かけるキースは、たまにこうして頬に引っかき傷を受けたり、今のように頬を腫らして帰ってくる。
キースならもっと上手いことやれそうなものなのに。
裁判騒動の後、アーデルハイトの正式な騎士となって数カ月。
リオは未だ、このキース・アルベインという男のことがよく理解出来なかった。
「また振られたの?」
「……君はたまに直球すぎるよね」
リオがキッチンから貰ってきた氷水の袋を差し出すと、キースは「ありがとう」と大人しく受け取り、おそるおそる頬に当てた。
ふたりは食堂に移動していた。(おそらく自業自得なのだろうが)負傷した同僚を放っておくのもどうかと思ったのだ。
食堂の楕円形のテーブルには等間隔に椅子が十二脚並べられている。リオとキースは、キッチンに一番近い位置の椅子に隣り合って腰かけていた。
と、キースが物憂げに呟く。ほんの少しの笑みも混じっている。
「本当はアデル様が好きなんでしょって言われた」
「……ふうん」
それが振られた原因なのだろうか。
キースが弁解するように言葉を続ける。
「そりゃ好きだよ。可愛い人だし、ご主人様だし、大切な人だ――でも、恋愛感情じゃない。なのに……はあ。女の子ってなんで全部を恋愛に繋げたがるんだろう」
リオは首を傾げる。
「キースの態度が原因なんじゃない。なにがあってもキースは、アデル様を最優先するだろ」
デートの日取りも、まずは頭に叩き込んでいるアーデルハイトの予定表と見比べて決めているし、アーデルハイトに急な用事が入れば、キースは休暇中であってもすぐに飛んで帰って来る。デートの最中、取り残された娘が不満を抱くのも仕方がないことじゃないかと思った。
言ったリオに、キースが不可解だと言う風に眉を寄せる。
「当たり前だろ。仕事じゃないか」
「うん。それはわかるけど、でも、寂しいよ。好きなら一番に考えてほしくて、自分を優先して欲しいものじゃないかな、たぶん」
キースの腫れあがった頬を見つめながら、リオは思う。
キースの頬と、頬をひっぱたいた娘の手の痛みは、どちらが強いのだろう――きっとその娘の痛みは手だけに留まらなかったはずだと、他人事ながらリオは胸を痛めた。
キースが身じろぎすると、氷水の擦れあう音がした。
「リオもそう思うんだ」
「え?」
「気持ちはわかるけどさ、それは難しいよ。だってオレはアデル様の騎士だから」
リオは口を開いた。
「じゃあ、キースの一番には誰もなれないの」
「なれるよ。ネフィー……今日お別れした娘は、オレの一番だった。間違いなくね」
大好きだったんだけどな、とキースは笑う。今度はリオが不可解だと眉を寄せる番だった。
「ならどうして引き留めなかったの?その娘が一番だって話してあげれば良かったのに」
キースは軽く噴き出した。
「何度も話したよ。で、何度も喧嘩した。その結果がこれさ。彼女は最後までオレを理解しようとしなかったし、オレは自分を曲げることが出来なかった」
好きだから自分だけを見て欲しい
好きだから分かって欲しい
娘とキースの主張は、同じようで全く違った。簡単なすれ違いのように思えるのに。
「もう、仲直り出来ないの?」
そんなのは寂しすぎる。
リオが聞けば、キースは肩をすくめる。
「お互いを尊重出来ない関係なんて、戻ってもどうせ長続きしないよ」
そうして突然、話題を変えられる。
「リオもウィリアムには一番に考えて欲しいの?」
「え?」
どうしてここで突然ウィルの話が。
キースはからかうようにリオを覗き込む。
「ウィリアム、今日もアデル様と出かけてるだろ」
「うん、護衛で」
「嫌じゃないの?」
リオは別に、と首を振る。だって仕事だ。嫌もなにもない。
キースは笑う。
「つくづく冷めてるなぁ君って」
「そんなことないよ」
「ねえ。この際だから聞かせてよ。リオってウィリアムのことどう思ってるの」
「好きだよ」
「恋愛的に?」
「……友達的に」
「へえ」
キースは憐れむように囁く。
「頑張ってね」
何を、と聞き返すことは出来なかった。
エントランスの方が、にわかに騒がしくなる。
「女王様のご帰還だ」
テーブルに手をつきながらキースが立ち上がる。途端、頬に再び痛みが走ったのか、思い切りしかめる。
その横顔を見て、リオはふと思った。
そうだ。キースは結構な手練れなのだった。リオが得意とする突きも難無くかわすほどの。
そんなキースが普通の女の子の平手打ちをまともに食らうことなど、果たして本当にあるのだろうか?
もしかしてキースは、わざと彼女たちの攻撃を受け入れているのではないだろうか?――せめてもの謝罪、あるいは最後の愛情表現として。
……さすがに買いかぶりすぎかな。
エントランスで出迎えた主君の手をとり、エスコート役を買って出たキースを眺め、リオは考え続ける。
リオはその日やっと少しだけ、キース・アルベインのことを理解出来た―――ような気がした。
キースはよく恋人ができます。でも長続きしません。。
分かれた恋人とはその後、友達になることが多いようです。
番外編まで読んでくださってありがとうございました。




