(その日も、ふたりは)
* * *
それから、三カ月後。
「よし。こんなもんだろ」
「うん」
その日、ウィルとリオは軍の屋上で、設置し終えたばかりの軍旗とランズベルク家の紋章旗を見上げていた。天高く掲げられた二枚の旗が、爽やかな初夏の風にはためき、雲ひとつない青空を彩っている。
軍本部ではまもなく、任命式が行われようとしていた。リオは今日を以て、正式に軍に登用される――。
「で、トマスは二年の労働刑で、あの女は罰金刑なんだと」
ウィルが仕入れてきた情報に、リオは「そうなんだ」と相槌をうった。
ふたりが纏うのは、新たに誂えられた藍色の軍服だった。それは、アーデルハイトがこの日の為にとはりきって用意してくれた特注の品で、生地は丈夫なのに伸縮性に富んでいるという優れものだった。銀糸で縁取られたデザインもカッコよくて、リオもウィルもとても気に入っている。が、ウィルはやはり詰襟のボタンだけは外していた。首回りが締め付けられるのが、どうしても嫌だと言って。
と、ウィルが屋上の鉄柵に背中をつけてよりかかり、両腕を組んだまま低い声をあげる。
「けどやっぱ、あいつらもあの時ぶっとばしとけば良かったかな。思い出しただけで腹立つ」
「いいよ、もう」
リオは軽く首を振って、苦い笑みを浮かべる。
裁判で虚偽の申告をしたトマスとベルは、退廷する間際まで、リオを罵っていた。自分たちに罪はないと大声を張り上げ、不幸の矛先を最後までリオに向けていたのだ――。
そんな彼らを思い出して、リオは少し、哀しくなった。
ふたりはどうして、遠い過去に捕らわれたままなのだろう。
過ぎ去った日を振り返っていつまでも恨むより、未来の楽しいことを考える方がうんと楽なのに。ううん。そうしなければいけないのだとリオは思う。きっと。少なくともリオは、そうだった。
そして、そんな風に思わせてくれたのは、他でもないウィルだった。
『オレは絶対騎士になる』
ウィルは自身の家族を恨みながら、けれど負の感情に陥るのではなく、その鬱憤を野望に変えて、未来に夢を馳せていた。そんなウィルの瞳の輝きをリオはこの世界で一番綺麗だと思うのだ。
リオは言った。
「あのね、ウィル」
「ん?」
「軍部に、女性兵士を受け入れる体制を整えたらどうかって意見があるんだって」
「女部隊ってことか?」
「うん。それで僕、その一員になるかもしれない」
「騎士と兼務ってことか?」
「ん」
「大丈夫かよ」
「たぶんね。アデル様にも相談するけど、無理のない程度にやってみようと思ってるんだ」
この話を持ち掛けられた時、リオは素直に嬉しかった。女の人にも道が開けるのだと知って。だから、その協力が出来るのなら喜んで参加しようと思った。
「小さかった頃さ、行く当てがなくて僕本当に困ったんだよ。これからは、そんな女の子が増えないといいなって思ってる」
ウィルがからかうように笑う。
「孤児院でも開く気か?」
「それもいいかもだけど、僕はせっかくだから、騎士でいたい。女でも騎士として働けるって証明したい」
そうしたら、リオのように路頭に迷う幼子は減るに違いない。
ウィルは鉄柵から背を起こし、身体ごとリオへ向き直る。灰がかった青い瞳を細めて微笑んだ。
「出来るよ、お前なら」
「うん」
「応援する」
ウィルならそう言ってくれると思った。
リオは晴れやかな気分になって、屋上から見える王都を見下ろした。
先日、やっと監視の外れたリオは、王都内であればどこへでも自由に行動することが許されている。今日からここで、リオはめいっぱい働くのだ。誇らしさに笑みがこぼれる。
ふと、リオの脳裏にジャスティンの声が蘇った。
――『この人こそ』と思える主人に出会えることこそが僕たち騎士にとっては一番の幸運なのかもしれないね――
確かに。とリオは思う。
あの日、北軍の仲間と別れる際、リオは思い切ってジャスティンに尋ねていた。子供の頃から抱えていた疑問を。
『教官の主君って、誰ですか』
ずっと気になっていたのだ。ジャスティンが選んだ主君は、誰だったのか。しかし返ってきた答えは、途方もなく悲しいもので、リオは好奇心を反省した。ジャスティン本人は気にしてないようだったけれど。
『いないよ。僕には主君にしたいと思える人がいなかったんだ』
あっさりと言ったジャスティンは、けれど小さな頃から騎士にあこがれていたのだと言った。同期のディートハルトのように生きてみたかったと。けれど終ぞ、ジャスティンには現れなかった。そんなことも十分にありえるのだとリオは知った。
「ねえ、ウィル」
「ん?」
「僕たち、アデル様に会えて本当に良かったよね」
リオは、大切な主君の姿を思い浮かべた。
本当に彼女との出会いは奇跡だったと思う。
明るくて優しくて綺麗で可愛い、少し我儘なところもある、偉大な女性。
女の人をあんなに嫌いだと豪語していたウィルが、唯一膝を折った女性。
ウィルの、一番大切な女性。
「これからも一緒に守って行こうね」
言ったリオに、ウィルが力強く頷く。
「ああ」
と、涼やかな風が下方から吹き上げた。ウィルの鋭い視線とかちあう。幼い頃からリオは、このまっすぐな瞳が好きだった。自分にない明るさも、前向きさも、ぶっきらぼうな優しさも、すべてが好きだった。
「そろそろ降りよっか」
目を伏せて、鉄柵から離れる。
本当は、聞きたいことが山ほどあった。
女だと知って、どう思っているのかとか、迷惑じゃないかとか、怒っていないのかとか。
けれど、ウィルの心が分かったから、リオはそんなことを聞くのは止めた。
裁判から時間が経った今も、ウィルの態度は相変わらず以前と変わらないし、惜しみなく助けの手を伸ばしてくれる。つまりはそれが、ウィルの答えだった。
変わらず、親友でいようと。
「アデル様たちも待ってるよ」
ウィルが親友であることを望んでくれるなら、リオもその気持ちに応えようと思った。
だから、恋心は隠しておく。
そうして、大好きなウィルとアーデルハイトがこれからも幸せに暮らしていけるよう、全力を尽くすのだ――。
大丈夫。嘘をつくのは、慣れている。
リオは、階下へ降りる扉の取手に手をかけた。
ウィルとアーデルハイトが恋仲になるのはきっと、時間の問題だろう。
精神的な病にかかったロゼワルトは、しばらく遠方へ療養する。その間、アーデルハイトが当主代理を務めることになっていた。無論皆でアーデルハイトを支える手筈だけれど、貴族家出身であるウィルが一番の力になれるだろうことは、火を見るよりも明らかだった。
今までも互いに遠慮せず意見をぶつけあってきたふたりなのだ。これからは、より親密になるに違いない。
「リオ」
「なに?」
呼びかけられて、振り返る。
困ったような顔をしたウィルはまだ、鉄柵のそばに立っていた。
「どうしたの?遅れるよ」
しかしウィルは動かない。もどかしそうに唇を動かす。
「お前さ、さっきアデルに会えてよかったって、言っただろ」
「うん」
「オレは、それ以上にお前に会えてよかったって思ってるよ」
本当に、と付け足す。
「オレ、北軍でお前に会えてなかったら腐ってたかもしれない。友達がずっといなかったから」
「……うん」
そうだったね、と思い出す。
ウィルはその生まれと暴力的な性格のせいで、周囲から敬遠されていた。
「だからオレ、お前に本当に本当に感謝してる。ありがとう。リオがいてくれたから、頑張れた」
それはこちらのセリフだった。
リオだって、ウィルがいたから乗り越えられたことが沢山ある。楽しかったことが沢山ある。
「どう、いたしまして」
リオが言うと、ウィルが照れ臭そうにはにかんだ。
と、その時だった。
遠くで号令がかかる。
任命式が始まるのだ。
ウィルが言った。
「行くか」
「うん」
リオとウィルは、微笑み合い、いつものように隣あう。
そうしてゆっくりと、屋上をあとにした。
それはある良く晴れた日のことだった。
* * * * *
「――おい、ウィリアムだぜ」
広い食堂で、ウィルはいつも一人だった。
両隣にも、もちろん向かいにも、ウィルのそばには、誰一人座らない。
ウィルを避けるように、兵士見習いの少年たちは、席を選ぶ。
「あっちに行こう」
イラついたウィルが顔をあげて睨めば、少年たちは気まずそうに眼をそらす。面と向かって文句も言えないクセに。ウィルは臆病な少年たちから顔を背けて、食事をすすめる。
弱者共ばかりで、気が滅入っていた。
あんな奴らどうでもいい、関係ない、と自分に言い聞かせ、なだめる。
軍学校へは、騎士になるために入った。
友達を作るためなんかじゃない。
そうだ。
オレは絶対に騎士になる。
そうして、あの家族を捨ててやるんだ。
ウィルは体中に燻る闘志を持て余していた。
『――ウィリアム、新しいお母様になる方だよ。挨拶なさい』
半年前。母が死んで数日と経たぬうち、父親は、新しい女を連れてきた。その女に産ませた、ウィルと同じ歳の弟を伴って。弟は、嫌な奴だった。
『――ねえ。一カ月しか違わないのに、兄さんって呼ばなきゃいけないの?』
一切の可愛げもない開口一番の挨拶に、ウィルは激怒した。出ていけと叫び、しかし反対に、ウィルが叱られた。『年下には寛容になれ』と。年下?ばかばかしい。同じ歳じゃないか。ウィルは鍵のかけられた部屋に閉じ込められ、弟との接触を断たれた。お前は危ないから、と。
なぜ怒ってはいけないのか、ウィルにはわからなかった。
父は亡き母を裏切って、あの女に子供を産ませていたのだ。それも、ふたりも。
亡き母を思い出しては辛いでしょうと、後妻は善意を装って、亡き母の家財道具、衣装、化粧品、すべてを売り払った。
父は、後妻の言いなりだった。
ウィルは新しい家族に抵抗した。母を裏切っていた父が許せず、弟と後妻に勝手に屋敷を歩き回られるのにも我慢ならなかった。
――ここは僕の家なのに。
けれど、ウィルはまだ子供だった。
たかだか九つそこらでは、なんの権限もなく、訴えは我儘だとあしらわれた。
ウィルは悔しくてならなかった。
早く大人になって、あの女と弟と、ついでに自分勝手な父親も追い出してしまいたい。
権力を手にする日を、家督を継ぐ日をウィルは渇望しいていた。
しかし、先に追い出されたのはウィルの方だった。
『――軍で身体も精神も鍛えるのは、とても良いことだと思いますの』
淑やかに後妻は言って、ウィルを北軍へと送り込んだ。まるめこまれた父は、有無を言わさずウィルを軍へと売り渡した。
北軍は軍施設の中でも最高に劣悪な環境と専らの噂だった。若い兵士たちの脱走は後を絶たず、正規の騎士になれる者はほんのわずかだとか――。
ふん、そういうことかよ。
女の浅い考えが手に取るように分かり、ウィルは冷笑した。
ここでウィルが「嫌だ」と駄々をこねれば、父は「軟弱」だと評価するだろう。
軍に入ったあと、その境遇に耐え切れず帰郷すれば「情けない」とこれまた低い評価を下される。
また、たとえウィルが軍で好成績を収めたとしても、後妻に直接の痛手はない。「さすがはウィンズの嫡男」と周囲に褒められ、軍へ入ることを推奨した後妻は、株をあげるだけだ。
そうはさせるか。
ウィルはその時、家族を切る覚悟をした。
絶対に利用なんかさせない。
騎士になった暁には、ウィンズ家を捨て、独り立ちしてやる。
誰にも立ち入らせない、自分だけの領地と城を築いてやる。
そうかたく決意をして、ウィルは軍に入った。
けれど、北軍は思った以上に期待の出来ない場所だった。
各地の村から集められた兵見習いたちはやる気がなく、ウィルが稽古をしようと誘っても、野良仕事で疲れていると、付き合ってくれなかった。
しまいには、上級生に難癖をつけられる始末だった。
「――おい、ウィリアム。金貸してくれよ」
ウィルをウィンズ家の長男だと知った上級生が、ことあるごとにウィルにたかり、ウィルはそのたびに「金なんかない」と追い返さねばならなかった。騒ぎを起こすたびに懲罰房へいれられ、ウィルは罰をうけた。どこへ行っても、ウィルには居場所がなかった。
それでもウィルには騎士になるという野望があった。
その希望さえあれば、生きていけると思った。
けれど。
「女みたいな顔してんなあお前」
ある日、上級生のひとりが、ウィルを見下ろして言った。
体格のいい男が三人ばかり、囲うようにしてウィルに近づいてきたのだ。
亡き母の面影を継いだ顔をからかわれただけでも苛立ったウィルに、別の上級生は手を出してきた。顎をつかまれ、上を向かされた。
「ほんと、良い面だな」
「ここは女の子のくるところじゃないですよー」
げらげらと笑われ、ウィルは顎を掴んでいた上級生の腕を力の限り握り返した。
「大丈夫ですよ、男ですから」
「……っ」
上級生は大げさ過ぎるほど痛がり、手をのける。そうして、ウィルをわなわなと見下ろした。
「てめえ」
ぶっと嫌な音がしたかと思うと、上級生の吐き出した唾が、ウィルの鼻頭にべちょりとついていた。ああもう無理だと思った。ウィルはそれを手の甲で拭きながら上級生にとびかかる。力の限り込めた拳を相手の顔面にたたきつけると、気分は嘘みたいにすっきりした。だから、残りふたりにも同じように拳をふるった。
やっぱり力だと思った。
力がすべてなのだ。
もっともっと力があれば、なめられない。好きなように生きられる。権力が欲しい。腕力も欲しい。騎士になりたい。強くそう思った。
けれど。気に食わない教官が言った。
「今のままじゃ、君は騎士になんてなれないよ」
上級生と喧嘩をした罰で、ウィルは独房にいれられていた。これで三度目だった。
ジャスティン教官は、牢越しにウィルに言った。
「騎士はね、他人のために力を使う生き物なんだ。だから、今の君には到底無理だよ」
うるさい。決めつけるな。
ウィルがそう突っぱねれば、ジャスティンは面倒そうに息を吐いた。
その態度に、ウィルは益々苛立った。
嫌な奴ばかり。
家族も、北軍も。
独房から釈放されたウィルは、罰として打たれた背中の痛みに耐えながら、寮の自室へ戻る。
その途中ですら、ウィルを見かけた兵見習いたちは、自分を見て顔をしかめ、目を逸らす。
むしゃくしゃして、でも、それ以上に苦しかった。
オレは、間違ってないのに。
鬱憤を抱えたまま、古びた自室の扉の前に立った。
力なく押し開ける。
「――え」
と、誰もいないはずのその部屋に、小柄な人影があった。背丈は自分と同じくらい。髪は短く、色素が薄い。最初は、その可愛らしい容姿に、女の子がいると思った。どうして、と。
「誰?」
それが、リオとの出会いだった。
ウィルのことも軍のことも何も知らない無知なリオは、ウィルを怖がらなかった。
普通に話してくれることが嬉しくて、ウィルはすぐにリオに好意を持った。
こいつ、結構肝がすわってるかも。
面白い。
同じ女顔ということも、気に入った。
リオなら、自分の苛立ちや悔しさをわかってくれるのじゃないかと期待した。
そうして、ウィルは気付いた。
ああそうか。
オレはずっと、理解者が欲しかったんだ――。
*
やっぱり女だったじゃねえか。
ウィルは、自分の目が正しかったのだと思い返しながら、隣を歩むリオを見下ろした。
掴んだ時に妙に細かった腕や、中々伸び悩む身長も、すべてそのためだったのかと知って、半ば呆れかえる。もう二度とウィルは、リオ相手に本気で打ち合うことは出来ないだろう。昔から無茶ばかりするリオを、兄目線で守っていたつもりだったけれど、正体を知った今は、一層強く守らなければと思う。
裁判後、リオが軍に拘束されると聞いて、ウィルは自分もついていくとアーデルハイトと軍に直談判した。これ以上リオをひとりにさせることなど出来なかったからだ。
アーデルハイトには他に二人も騎士がいる。けれどリオには、自分しかいない。
と、見下ろしていたリオの髪に、何処から飛んできたのか、小さな葉っぱがついていた。ウィルは手を伸ばしてそれをとってやる。
気付いたリオが、こちらを見上げた。ウィルは手にした葉を見せる。まるで、誤解を解くみたいに。
「葉っぱ、ついてた」
「ああ、ありがと」
リオは言って、再び前を向いた。
ウィルもそれに続く。
降り立った広場には、大勢の軍人と列席者たちが集まっていた。リオが身を引き締めるのを意識しながら、ウィルも詰襟のボタンを留める。
ウィルは子供の頃からずっと、女と言う生き物を嫌悪していた。
けれど、リオやアーデルハイトと出会って、自分がいかに狭い視野で物事を考えていたかを知った。まだまだだな、と思う。色んな人とかかわって、知って、成長しなければ。
そうして大きな男になって、頑張り屋の、大切な親友を守り続けたい。これからもずっと、手の届く距離で。
「あ、もう整列してる。ウィル、早く」
「ああ」
ウィルは笑って、リオの背を追った。
(了)
こちらで本編完結となります。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
※後日、番外編とその後を更新予定です。




