(英雄)
ああ、なるほど。
そういうシナリオか。
リオは事態をいやに客観的にとらえていた。
全てはロゼワルトの計略なのだろう。
「卑怯?卑怯とは、何を指していうのかね」
呆れたように首を振ったロゼワルトに、アーデルハイトが掴み掛らんばかりの勢いで身を乗り出した。
「リオを、リンジャー卿と戦わせることよ……っ」
「実に慈悲深く公平ではないか。勝てばお前の騎士は認められるのだから――何をそんなに怒ることがある」
ゆったりと構えたロゼワルトは、アーデルハイトからリオへと視線を移した。
「なあ、罪人リオ。君は“騎士”なのだろう?」
「……はい」
「ならば、存分に戦いたまえ。それが君の仕事だ」
リオはじっとその目を見つめ、観察した。
鍛えていない貧相な身体。
きっとテイルよりも弱い。
一突きで倒せる自信があった。
でも、違う。こいつを本当の意味で倒すには、決定的な一打が必要だった。完膚なきまでの、敗北が。
「わかりました」
リオが言うと、場内はいよいよざわめきを大きくした。
隣にいたジャスティンが口早に言う。
「リオ、止めろ。君の境遇には皆同情してる。今ならそう重くない刑で済むはずだ」
「それでなにか解決するんですか」
「いい加減にしろ!」
ついに怒鳴られる。
「相手はディートなんだぞ、僕でも勝てない」
「でも、このまま戦わなくても負けるだけです。だったら、勝てるチャンスに賭けるべきです」
最初から白旗をあげるなんてかっこ悪すぎる。
それにリオは、怒っていた。自分を軽んじる男たちに。
「無事じゃすまない」
らしくないことを言うジャスティンに、リオは苦笑した。
「今さら怪我なんて怖くないですよ」
腕まくりをすれば、そこには無数のキズがある。
「リオ、これはチャンスなんかじゃない。ただの見せしめだ。軍律に逆らえばどうなるか、脅しているんだ」
「そうですね。それが軍とあの男の思惑なんでしょう。ディートハルトさんを出せば、僕が怖気づくと思ってる」
誰もが、リオは戦わないと思っている。
リオが女だから。
きっと、最初からリオは、ディートハルトと戦わされる予定だったのだろう。
開廷してからずっと気にかかっていたロゼワルトの余裕が、それを物語っていた。
勝てるわけがないリオは敗北を認めざるをえず、軍部から処罰を受ける。
そうしてアーデルハイトは一生、ロゼワルトに飼い殺されるのだ。
アーデルハイトは、何にも悪いことをしていないのに。
ただ、妹だと言うだけで、理不尽にロゼワルトに従わねばならないのだ。
リオはぎゅっと拳を握りしめた。
アーデルハイトを救う方法はただひとつ、リオが勝つことだけ。
「リオ!待って」
アーデルハイトが席を降り立ち、リオに駆け寄ろうとした。それを衛兵たちが押しとどめる。
「アーデルハイト嬢」
「被告に近づかないでください」
「どいてっ触らないで!……リオ、棄権して!!」
衛兵たちを押し返しながら、アーデルハイトが叫ぶ。
「お願い、もう良いから……っ!ごめんなさい、私があなたをこんなことに巻き込んだ……っ!!」
リオは、泣き叫ぶ優しい主君を見つめた。彼女はやっぱり、美人だ。泣いていても、ぐしゃぐしゃの顔でも美しい。
「アデル様。それは違います。巻き込んだのは、僕のほうです」
「違う、違う……っ」
「違いませんよ。僕がちゃんと男だったら、こんなことにならなかった」
言いながらリオはアーデルハイトを追いかけてきたキースとオーウェンにも目を向けた。彼らにもちゃんと謝っていなかった。
「ややこしいことになって、ごめん」
深々と頭を下げたリオに、キースとオーウェンは苦渋を向ける。アーデルハイトの涙は止まらなかった。
「なんで謝るの?リオは悪くないのに……っお願い。もう戦わないで……」
「アデル様まで僕が負けると思ってるんですか?僕を騎士にしてくれたのは、あなたなのに」
言ったリオに、アーデルハイトがはっと顔をあげる。
「大丈夫です。絶対に勝ちますから」
それは、自身に言い聞かせている言葉でもあった。
リオは強くなった。努力もした。
剣の使い方は知っているし、戦い方も習った。
歩み寄ってきたウィルだけが、リオを静かに見守ってくれていた。
一番剣を合わせたウィルは、信じてくれていた。それが今は、とてもうれしい。
リオは、深く息を吐きだし、呼吸を整えた。
ディートハルトと剣を交えたのは、北軍時代と決闘の時の、二度だけ。
北軍の時は相手にもならなかったけれど、先の決闘では彼の剣を打ち返すことができた。勝機がないわけでは、ない。
「お待ちください、裁判長殿」
その時、ディートハルトが片腕をあげた。冷静に努めながら、しかしその瞳は困惑に揺らいでいた。
「女性に剣を向けるなど、私の騎士道に反します。ほかに、方法があるはずです」
「問題ございません。彼女自身が自分を女性であることを否定されているのですから。そうでしょう。リオ」
頷く以外に、どんな手があっただろうか。
「――はい」
ディートハルトの顔が、露骨に歪む。
「リオ、馬鹿な事を言うな。君の腕は知ってる――加減は出来ない」
リオは思わずはにかんだ。
「光栄です」
ディートハルトは気づいているだろうか。
彼は今、公衆の面前で、リオの実力を認めたのだ。
「ディートハルトさん。ご迷惑をおかけしますが、どうか、お相手を願えませんでしょうか」
「リオ」
「お願いです」
リオの真摯な頼みに、ディートハルトは喘ぐ。
幼い頃から、女性を大切にしろと言われて、生きてきた。
こんな小娘を相手にできるものか。
けれど。
「お願いです。ディートハルトさん」
ディートハルトは、息を飲んだ。
今にもリオの両目からは、涙が零れ落ちそうだったからだ。必死に目を開き、瞬きを堪えている。
この子はこれまで、幾度、そうしてきたのだろう。
「お願いです……」
掠れた、喉の奥から絞り出されるような、繰り返されるリオのひたむきな願いに、ディートハルトは、折れた。
リオは、努力の塊だった。
思い出す。
手合わせをした時の、剣技、気迫、眼光。
全てが、一般兵以上だった。
そうでなければ生き残れなかったのだろう。
「わかった」
リオの最後の希望を、自分が潰すことになる。
「君を、ひとりの騎士として相手にしよう」
それが、ディートハルトが示すことの出来る唯一の誠意だった。
彼女自身が、そうありたいと望んでいるなら。
「全力でおいで。オレも全力で戦う」
「はい」
リオが背筋をただす。
ウィルは、その横顔から、目を離すことが出来なかった。




