(王子様の魔法)2
*
「――我慢だよ、ウィリアム」
それは、数分程前のこと。
トマスのあまりにも一方的な証言に堪えきれなくなったウィルは、場に乱入しようとした。それをジャスティンの穏やかな声が押し留める。
「まだだ。まだ泳がせよう。大丈夫、反論の余地は十分ある」
「けど」
「リオを助けたいなら、感情に任せてはだめだ。ここは力でどうなる場所じゃない。君だって分かってるから僕を呼んだんだろう?」
「……」
くそ。
焦燥にかられながら、ウィルは尋問されているリオを見下ろす。気付いているくせに、入廷してからただの一度もこちらを見ようとしないリオが腹立たしかった。
真面目なリオのことだ。どうせ、申し訳ないとか自分のせいでとかそんなことをぐるぐる考えているに決まっていた。
リオ。
こっちを向けよ。
お前の仲間が、たくさん来てるんだぞ。
ウィルが苛立ちを募らせている間に、トマスの馬鹿馬鹿しく無駄に長い証言がようやく終わりを迎えた。
しかし、次いで現れた人物にリオの態度は豹変する。女は名を、ベルと言った。
――あいつが、リオの話していた暴力女
よほど恐ろしいのだろう。
リオの怯えようは、トマスと対峙した時とは比べものにならなかった。全身を凍り付かせ、ベルなる人物を凝視している。
初めて耳にするか細く震えるリオの声に、ウィルの心臓はぎりりと痛んだ。
助けなければ。
「……っリ」
「ウィリアム」
叱咤するようにジャスティンが低い声をあげる。
早馬でこの男が駆け付けたのはつい先刻のことだった。日数からすれば、奇跡と言わざるをえない。
「ここは僕に任せて」
ジャスティンが、額から伝う汗を拭った。呼吸を整え、立ち上がる。そうして、裁判長に向けて声を張り上げた。
「お待ちください」と――。
*
どうして、ジャスティン教官が、ここに。
驚きを隠せないリオは、茫然とその姿を見上げるしかなかった。遠目にするジャスティンは相も変わらず平然としている。
「あなたは確か、北軍の……」
呟いた裁判官にジャスティンが敬礼する。
「はい。北軍学校の教官を任されております、ジャスティン・リーウェル大尉です。北地では、彼女の指導にもあたっておりました」
「成るほど、指導に。それで、彼女の正体を八年も気づかなかったと――流石は北軍士官です」
裁判官の皮肉を、ジャスティンはするりとかわす。
「いいえ。私は最初からリオが女性だと気付いていましたよ。気付いていて、容認したのです」
裁判長が怪訝な声をあげる。
「どういうことです?」
「そもそも、宿屋で働いていたトマスを勧誘したのは私です。リオは女児でしたから、私はトマスだけを連れて軍へ戻りました。その後、数日後にリオが軍へやってきたのです。肩まであった髪を切って、男児の服を着てね。見覚えがある顔だったから、すぐに分かりました」
「それで?追い出さなかったのですか」
「ちょうどその頃、ディートハルト・リンジャーが稽古のために北軍にやってきました。その時の手合わせで、リオに剣の才があるのは分かっていました。ですから私は、彼女が独り立ちできるまではと、容認したのです。リオは勤勉でしたから、他の見習い兵たちの手本にもなりましたし。そして実際にリオは、北軍では首席、今はこうして騎士とまで認められました。なんの問題がありましょう」
にこりと笑い言い切ったジャスティンは、事態を理解しているのだろうか。
そんな証言をしてしまったら、彼まで――。
「おい、ジャスティン」
リオの思考を途切れさせるように、声変わりを終えたウィルの低い声が響く。
「お前、知ってたのか」
ジャスティンは顔色も変えず、ウィルをちらと見やる。ウィルは、怒っていた。
それでもジャスティンの涼しい顔は崩れはしない。
「知ってたよ」
「……っお前……知ってて、あんな」
訓練の仕打ちを思い出したのか、ウィルが信じられない者を見るようにジャスティンを見つめ返した。ジャスティンはふと笑みを隠す。
「君だってリオと打ち合ってただろ、全力で」
「オレは知らなかった」
知っていたら――
「ウィリアム・ウィンズ、静粛に。」
裁判官から注意を受け、ウィルは懸命に自分を落ち着かせた。ここで揉めては、アーデルハイトの印象をまずくすると気付いたのだろう。ジャスティンを睨みながらもゆっくりと腰をおろしたウィルに、リオは、ひとまず安堵する。
裁判官は、面倒そうにそれを見届けると審問を続けた。
「リーウェル大尉、あなたも軍律違反ですね」
「ええ。ですから私も裁かれに参りました。どんな処罰も甘んじて受けましょう……ですが、これだけは申し上げたい。ベル夫人がリオに躾などではなく、八つ当たりで暴力を振るっていたこと、これは紛れもない事実です。それだけじゃない。リオは、男性の相手まで強要されるところでした。私はそんな仕打ちに遭うと分かっているリオをあの宿に帰すことが出来なかった。ベルさんこそ、裁かれるべき罪人です」
「な……っ」
顔を赤くしたベルが甲高い声をあげる。
「でまかせだ!そんな恐ろしいこと、よくも思いつくもんだね!」
キイキイと喧しく喚くベルに、ジャスティンは張り付けたような笑顔で言った。
「でまかせではありません。あなたの宿の常連客から、事実を認める証文も頂いてきました」
ジャスティンは言って、証文の束を取り出した。
「リオとトマスに日常的に暴力を振るっていたことも、すべて記してあります。村の漁師さんたち、問い詰めたらすぐに話してくださいましたよ。『あれは酷かった。けれどベルの復讐が恐くて助けられなかった』と」
裁判官が無表情のまま言った。
「……証文を預かりましょう。ですが大尉、貴方も拘束対象となります」
「ええ、どうぞ」
ジャスティンは慌ただしく二人の兵士に囲われ、両手に錠をかけられた。それでもまだ、平然としている。
なんでそこまでしてくれるんだろう。
リオには理解できなかった。自分は我儘を言い続け、迷惑をかけている厄介者なのに。本来なら、見捨てられるはずなのに。
そんなリオの疑問に気づいたのか、拘束されたジャスティンはリオの隣に並ばされると、こっそりと囁いてきた。
「これは僕の騎士道なんだ」
だから気にしないでくれ。と、また微笑む。
その優しさと、強さと、潔さに、リオは心を締め付けられた。なんて、高潔な――。
リオが女と知っていて、リオを軍においたこと。
それは誰に強要されたわけでもない、ジャスティン自身が決めたこと。
だからその結果と責任を、ジャスティンはしっかりと受け入れるのだ。
きっとジャスティンは、リオが軍にいることを許してくれたその時から、ことが露見した時、自分も裁かれると決めていた。軍律違反が、どれだけ重い罪か知っていてなお。
リオを軍におくということは、そういうことだった。
彼も、巻き込んでいた。
分かっていたようで、ちっとも分かっていなかった。リオはようやっと気づき、心臓を押しつぶされそうになる。
「……っごめんなさい」
「君は、僕との約束を守ってずっと泣かなかった。だから僕は君に味方をしたいと思うんだよ」
頑張ったね。
「欲を言えば、王子様が気づいてくれたら良かったんだけど」
ジャスティンがぽつりとつぶやいたその言葉は、裁判官の声に重なり、リオは聴きとることが出来なかった。
ジャスティンの提出した証文を確認した裁判官は、顔つきを変えて証人台のふたりに目を向ける。
「トマス、ベル。反論はありますか」
「……っそんな証文、ニセモノだ」
「村人の漁師、その家族百十余名、全員が嘘をついていると?」
青ざめたトマスは、俯いた。反対にベルは顔を真っ赤にしてリオを睨む。
「お前のことを考えない日は一日もなかったのに!これがそのお返しかい?あんまりじゃないか!お前みたいな可愛げもなくて大ウソつきな子はね、地獄に落ちるよ、きっとひどい目に遭う。あんたの母親だってそうだったからね、間違いないよ。あたしの幼馴染を寝取った、最低な女だからね!」
喚きまわるベルを、兵士たちが力づくで抑える。
「トマス、ベル。貴方がたには、神聖な決議の間での暴言・虚偽の発言により追って処罰を申し渡します」
「裁判長!!」
「そんな……!あたしは被害者なのに!」
「お静かに。審問を続けます」
裁判官は、暴れるふたりの拘束も命じると、またひとつ咳ばらいををした。
「では続いて――ウィリアム・ウィンズ、証言台へ」
「はい」
苦悶を浮かべたウィルが、静かに立ち上がった。




