(ウィルの反撃)
「入れ」
槍剣を携えた牢番たちに命じられ、リオは軍本部の地下独房へ足を踏み入れた。背後で鉄格子の扉が軋みながら閉ざされる。
「沙汰が下りるまで大人しくしていろ」
錠をかけた牢番が言い捨て、軍靴の音を打ち鳴らしながら今きた道を戻っていく。どこかで、罪人のひとりが奇声をあげていた。
「……寒」
ひとりになったリオは、ぼんやりと牢内を見渡した。暗くじっとりした牢は、四方を石壁で囲われていた。家具と呼べる物は何ひとつなく、無機質な空間が広がっている。
――北軍の罰牢も、こんなだったな
双眸を細め、記憶を呼び起こす。荒くれ者や、聞き分けのない後輩、規則を破った者を模範生のリオはよく連行していた――親友と一緒に。
リオは、冷え切った独房の床にゆっくりと腰を下ろした。少なくとも今夜一晩はここで過ごすことになるだろう。背を丸め、すり合わせた両手にそっと息を吹きかける。気休めにもならなかった。
『これに着替えろ』
軍部に連れられたリオはまず、軍服を剥がされ、古びたシャツと薄い生地のスカートに着替えさせられた。十数年ぶりの女物の衣服は違和感しかなく、隙間風の通る股にリオは不安を覚えた。その上、軍部の男たちは男装をしていたリオが物珍しいのか、にやにやと不躾な目で眺めまわしてきた。それはモーリス・ベルの宿で漁師たちが向けてきた、あの眼差しに酷似していた。
もう子供ではないリオは、それがどんな意味を含んでいるのか知っている。
男達の視線を思い出して気持ち悪さに総毛立ちながら、リオは自身を守るように立てた両ひざを両腕で抱き、顔を伏せた。
どんな罰が待っているのだろう。
懲役刑、鞭打ち、強制労働。どれも考えられることだった。九つから十六まで八年間――八年間もの間、リオは皆を欺いていたのだから。どんな罰でも受ける覚悟はある。けれど。
問題はそんなことではなかった。
――ウィル
考えるだけで、左胸が突き刺されたように痛んだ。
信じられないと大きく見開かれた親友の瞳を思い出し、リオは一層強く己を抱きしめる。
怒っていた。当然だ。リオはウィルを騙していたのだから。
それだけではない。リオのせいで、アーデルハイトまで窮地に立たされている。ウィルの大切な主君を危険に晒しているのだ。最低だ。
どうしたらいいの。
リオはうずくまり、必死に考える。自分はどうなってもいい。だが、あの決闘だけは無効にしてはならなかった。アーデルハイトだけは救わねばならない。なんとしても。
方法はひとつ、リオひとりの罪にすることだった。
アーデルハイトは実質、詐欺にあった被害者なのだから、軍部に訴えればそれは可能なはずだった。
ただ、ロゼワルトはそれを認めないだろう。
リオは慎重に思考を巡らせる。
ロゼワルトは『アーデルハイトの見る目・上に立つ者の素質』を騎士団を通して判断すると誓約した。事実あの男は、アーデルハイトに対し『リオの性別を見破れなかった』と難癖をつけていた。
返す返すも、トマスの出現が恨まれた。
リオは拳を握りしめる。打ちひしがれる暇はない、権利もない。
ウィルに打ち明ける時間はいくらでもあった。それを言わなかったのはリオだ。
自分で蒔いた種は、自分で摘み取らねばならなかった。
*
「リオを取り返す」
リオが連行された後、不気味な程黙っていたウィルが唐突に口を開いた。
同じく考えこんでいたキースが、怪訝な顔をあげる。
「どうやって?」
ウィルは今までの沈黙を取り戻すように早口にまくしたてる。
「リオのこれまでの全ての成績と功績を書面にして軍部に提出する。女だからなんだっていうんだ。下手な将校よりあいつは強い。軍にそれを認めさせる。決闘は、有効だ」
「女性でも、騎士だと認めさせるってこと?」
「そうだ」
性別なんて関係ない。リオは強い。それは間違いない。
それが、ウィルが導きだした答えだった。
「あいつはこれまで、泣き言なんかひとつも言わなかった。
オレだって参りそうな訓練にも、歯を食いしばって耐えてきた。脱落していく男どもの隣で、あいつは耐えてきたんだ。証人はオレと、北軍全員だ。リオは騎士に相応しい」
ウィルは長椅子に座り込んでいたアーデルハイトの前に膝をついた。アーデルハイトが、不安そうにダークブラウンの瞳を揺らめかせながら、ウィルを見つめた。
「アデル、安心しろ。お前の見る目は正しい。お前は負けていない」
「……ウィル」
アーデルハイトは、強く頷き返す。
「ええそう――そうよね。リオは、私の大切な騎士だわ。お兄様の思い通りにはさせない」
「そうだ。だから、リオを取り戻すのも協力してくれるよな」
「勿論よ。リオが女の子なんて驚いたけれど、理由があるのよね?」
「ああ。あいつは両親がいなかったから、たぶん、軍以外に居場所がなかったんだ。だから性別を偽るしかなかったんだと思う」
キースが口を挟む。
「……おい、ウィリアム。相手はあの軍本部だぞ。本気で言ってるのか?」
「当たり前だ。このままリオをひとりになんてさせてたまるか」
決心すれば早かった。ウィルはすぐに行動に移ろうと腰をあげる。
「時間がない。キース、お前も協力しろ」
キースは呆れたように首を振った。
「君も騙されてたんだろ?よくそんな気になれるな」
「騙してたわけじゃない。話せなかっただけだ」
「それはつまり、君も信用されてなかったってことだろ?親友だとか言ってたけど、結局リオは君にすら心を開いてなかったってわけだ。違うか?」
考えないようにしていた事実を指摘され、ウィルは一瞬、口を噤んだ。
事実が露見する前にと、何も告げないままリオは軍を去ろうとしていた。きっともう、二度と会うつもりはなかった。
リオのあっさりとした別れを思い返し、ウィルの胸は鈍く軋んだ。
リオにとって自分はそれほどの存在でしかなかったのだと、思い知らされた。
ウィルは暗い気持ちを打ち払い、キースを見返す。
「ごちゃごちゃうるせえな。だからなんだって言うんだ」
「ウィリアム」
「リオに信用されなかったのは、それだけオレが頼りなかったってだけだろ。助けて、問い詰めて、謝らせて、一生分の恩を売ってやる」
そして今度こそ、本当の親友になる。なってみせる。
もう二度と、離れようなんて思わせないくらいに。
ウィルはオーウェンを振り返った。
「オーウェン、北軍に連絡を取りたい」
「わかりました」
さしあたっては、テイルとジエン、それからリヒルクに手紙を送ろう。それから気は進まないけれど、あの、暴力的な教官にも。
*
「出ろ」
リオが独房を出るように指示されたのは、それから数日後のことだった。
後ろ手に錠をかけられたまま、リオは軍本部の施設――決議の間に連れ出された。
軍法会議も行われるその場所は、罪人を尋問する場所でもあった。
リオが入室すると、決議の間には既に大勢の関係者が集まっていた。ロゼワルトはもちろんトマスも、その側近たちもいた。向かい合うように座っているのはアーデルハイト、ウィル、キースにオーウェン……ちらと視界に入った彼らと、目を合わす勇気はなかった。
アーチ型の天井に、裁判官の落ち着いた声が響く。
「静粛に」
リオの立たされた台より高くに、三人の裁判官の席があった。壮年の男たちは誰も皆、軍出身の老兵たちだという。
正面の裁判官が、リオを見下ろしながら厳かに口を開く。
「これより、裁きを開始する……では、罪人リオ、宣誓を」
「はい」
リオは決まりきった文句の宣誓を誓わされた。
決して嘘をついてはならないと言う、宣誓だった。




