(嘘)
* * *
静まり返ったサロンに、ウィルの動揺が響く。
「……女?」
トマスは「ええ」とにこやかに肯定した。
「そうですよ。皆さん、ご存じなかったみたいですね」
そうおかしそうに笑った青年を、リオは凝視し続けた。
どうして。
どうしてトマスが ここにいるの
全身から、冷水を浴びせられたようだった。
自慢の俊足は根が生えたように場に凍り付き、心臓はどくどくと激しく脈を打つ。思考は、全く動かない。
なんでどうしてどうしてなんで
なんでここにいるの。
なにしにきたの。
今、なんて言ったの。
瞬きも忘れて硬直するリオに、愛想の良い笑みを浮かべたトマスが歩み寄ってくる。
「それにしても本当に驚いたよ。リオなんてよくある名前だし、君、軍服着てたし、見かけた時は人違いだろうなって思ってたんだ。でも、ずっと引っかかってて……で、君も出てたあの決闘!一般公開もされるって聞いて見に行ったんだ。それで確信したんだよ、君だって。髪の色も、歯の食いしばり方も、よく憶えてたから、すぐにわかった」
すぐ目の前で、トマスが止まった。
贈り物を抱えるリオの手に、知らず力がこもっていく。
お願い。それ以上近寄らないで。喋らないで。今すぐ消えて。
されどリオの願いは叶わない。
「びっくりしたよ、僕、リオがあんなに強いだなんて思わなかったからさ。しかも北軍では首席だったんだって?凄いなあ。僕は無理だったよ。朝は早いし野良仕事はきついし恐い教官はいるし。でも、そうだよな。リオは昔から忍耐力だけはあったもんね。女将さんに言われた嫌な仕事も真面目に黙々とやってたし……僕はそんな君にずっと助けられてた。僕には君が、必要だった」
トマスは、昔を懐かしむように双眸を細める。
「なのに、軍を辞めて宿に戻ったら、君はいなくなってた
――ねえリオ。その時僕がどれくらい絶望したかわかる?ベルの暴力はもっともっと酷くなって、僕、君の借金まで背負わされたんだよ。君がいなくなったのは僕のせいだって言われてね。それから僕は懸命に働いたよ。今度逃げ出したらただじゃおかないって、夜は二階のあの物置に閉じ込められたから。はは、おかしいよね。行くところなんてないってのに」
狂気染みたトマスの瞳よりも、注がれ続けているウィルの視線が、痛かった。
「一年前、僕はやっとあの宿を抜け出せた。それからはね、ずうっと君を探してた。見つけたら、絶対に離さないって。だって君の借金を肩代わりしたのは僕なんだから、払ってもらわなきゃおかしいだろ?見つけられてよかった。でも、ホントに驚いたんだよ、まさか僕を追っかけて軍にいるなんて思わなかったら。男のフリをしてまでさ――」
額に、首に、腹に、じわりと汗が滲む。
「一緒に地獄に落ちてよ、リオ」
腕を掴まれ、リオは咄嗟にそれを振り払った。
「嫌……っ」
「リオ!!」
叫んだウィルが、トマスの肩を掴んでリオから引き離した。トマスは背中から派手に倒れ、リオの両手から零れたウィル宛て贈り物が、ベルベットの絨毯の上に重い音を立てて転がる。
「お前は!いきなり何なんだよ!!訳わかんねえことばっかり言いやがって、気色悪い奴だな」
リオを背にかばい、トマスを怒鳴りつけるウィルに、ロゼワルトがゆったりと声をあげた。
「全く。理解力のない男だな。聞いてなかったのか?君の後ろにいるのは、女なんだよ。おんな」
「んなわけないだろ」
「そう思うなら、本人に確かめてみるといい」
「必要ない。リオはアーデルハイトの騎士だ」
言い切ったウィルに、ロゼワルトは聞き分けのない子供を前にしたように息を吐いた。
「仕方がない」
ロゼワルトの合図で立ち上がったのは、決闘の立会人をした軍幹部とその付人達だった。
「では、公平に、第三者に確認していただくよ。構わないかね?アーデルハイト」
困惑を隠せないアーデルハイトが、ウィルの影に隠れるリオを見つめる。
「……リオ」
リオは軍服の裾をぎゅっと握りしめた。
「リオ」
ウィルが振り返る。
「さっさと言い返せ」
ウィルの透き通った青灰色の瞳がリオを貫く。
この綺麗な瞳を、リオはずっとずっと欺いていた。きっとこれは、その罰だ。
「始めろ」
時間切れだった。
アーデルハイトの制止を振り払い、軍の兵士たちが、リオを取り囲む。
「おい、なにしてんだ!」
「性別を確認するだけです。問題などないでしょう」
暴れるウィルを兵士が両脇から二人がかりで抑え、残った兵士がリオをとらえた。
「失敬」
「別室へ移動しましょう」
そんなところは配慮してくれるのか。リオは小さく笑う。滑稽な人達だ。
「いえ。確認は及びません」
毅然と顔をあげたリオを、ウィルが見つめる。
「――リオ?」
「ごめん。ウィル」
それだけを言うのが、精一杯だった。
アーデルハイトが信じられないと首を振り、キースは目をそらし、オーウェンはかたく両目を瞑った。
勝利を確信したロゼワルトが、高らかに笑う。
「なんたることだ!
神聖な決闘の場に、下賤の女が紛れ込んでいたのだ!それも、主君までも騙して!ああしかし、気づかないお前もお前だ、アーデルハイト。騎士団など粋がって、私に勝ったつもりなのだろうが。暴けばこれだ。まがい物が紛れていることにも気づかず、お前は、騙されていたのだ!!家臣の裏切りにも気づかぬお前が、どうして人の上に立てる。お前は黙って兄の私に従っておればいいのだ」
アーデルハイトがその場に屈み崩れた。
ごめんなさい。
リオは唇をかみしめ、俯く。
騙していたつもりはなかった。
でも、結局はそうなのだ。
どんな言い訳も意味はない。
恨まれるのも当然だ。
「リオ。君の身柄は罪人として我々が拘束する」
背後に回った兵士が、リオの両手に鉄製の錠をかけた。
ウィルが怒鳴る。
「……っおい!リオをどうする気だ」
「彼女は虚偽罪で裁かれます。騎士身分は剥奪、財産もすべて没収となります」
トマスがけたけたと笑い声をあげた。
「それは困りますよ、リオには僕が払った分を返してもらわなくちゃいけないんですから」
「うるさい。リオになんの罪があるって言うんだ!盗みを働いたか?人を傷つけたか?なにもしてないだろ!ただ軍人だっただけだ」
「軍律を侵しました。それこそが罪です――連れて行け」
軍幹部のひとりが顎で部下に指示をする。
リオは大人しくそれに従った。
「リオ、リオリオ!行くな!ちゃんと訳を話せ!」
ウィルの咆哮が哀しく、辛く、嬉しかった。暴れるウィルに手を焼いた兵士が声を荒げる。
「ウィリアム。軍務を妨害するなら、君もつれていくぞ」
「ああ連れて行けよ!リオひとりになんかさせてたまるか!」
リオは咄嗟に顔をあげる。
「駄目だよ。ウィルまで捕まったら、誰がアデル様を守るの」
ウィルの動きが、ぴたと止まる。
「こんなこと、僕が言えた義理じゃないけど……アデル様を守ってあげて欲しい」
リオは言って、床に這い肩を震わせるアーデルハイトにそっと声をかけた。
「アデル様、本当にごめんなさい」
謝ってどうにかなる問題ではなかった。アーデルハイトの未来も、アーデルハイトが救った家臣たちの未来も、リオは潰してしまったのだから。
それでも謝らねばならない。今のリオに出来ることなんてそれくらいしか、ないのだから。
リオは兵士に囲まれたまま、サロンを連れ出された。長い廊下を行きながら、兵士のひとりが小ばかにしたように口を開く。
「なあ。さっきの聞いたか?この餓鬼、一端に騎士気取りだったぜ」
「笑いを堪えるのが大変だったよ」
「!おい見ろよ、こいつの刀剣。一級品だ」
「これも没収だな」
「ああ、当然だ」
言われて、リオは無理やり武具を奪われる。侮辱にも嘲りにも何一つ反応を示さない無抵抗なリオに、兵士たちはつまらなさそうに舌打ちをする。
「可愛げのない女だな」
忌々しそうに背を押され、リオはよろめきながら公爵家を後にした。




