(初恋)5
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観衆が見守る中、最初に仕掛けたのはウィルだった。
踏み込むと同時に剣を垂直に突き出す。
ディートハルトは、難なくかわした。
「リオ君も君も、本当に成長したね」
「それはどうも」
打ち合いの最中、ディートハルトとウィルの間に交わされた会話は、観客には届かなかった。
素早く、且つ力強いウィルの剣を、ディートハルトは喜々として受け止める。
刃こぼれも厭わないウィルの剣は、一撃一撃が重く、乱暴だった。
「リオ君にも、君ぐらいの積極性があればいいのにね」
「あいつは模範生ですから」
リオは、ウィルのような乱打はしない。
一撃一撃、正確に急所を狙う。教科書のような攻撃をする。
ウィルは違った。隙あらばどこでもあらんかぎりの力を使って攻め、打ち崩す戦法を得意としていた。ウィルはディートハルトの右腕を狙い、しかし弾かれ、後ろへ飛びのく。
リオとの試合で、ディートハルトは随分と体力を消耗していた。
それでも剣の鋭さは衰えず、眼光を失ってもいない。どころか、心の底から楽しんでいるようにさえ見えた。
「――姫様の護衛をしていると、あちらこちらに連れまわされてね」
言いながら、邪魔そうに騎士服の上着を脱ぐ。白いシャツの袖をまくりあげて、ディートハルトは剣を構え直した。
「こんな試合をするの、すごく久しぶりなんだ」
それで、この実力。
ウィルは目の前にいるこの男が、国一番の剣豪なのだと実感して、総毛だった。
幼い頃から憧れていた英雄――ディートハルト。
オレは今、そいつと戦っている。
夢にまで見た騎士として。
「絶対勝ちます」
「いや、オレが勝つ」
ウィルとディートハルトは互いに勝利宣言をして、同時に斬りかかった。
剣と剣がかち合い、耳をつんざくような音が響く。
勝負は一瞬だった。
ウィルが腕を振り上げて、ディートハルトがそれを受け止める――
「……っ!」
折れた剣先が、くるくると宙を舞った。
「……っそこまで!!」
審判の怒号で、ウィルは剣を止めた。
あと数秒でも審判の声が遅ければ、ディートハルトの顔は、血まみれになっていただろう――ディートハルトの折れた剣が、離れた場所に音を立てて落ちる。
「勝者――」
ロゼワルトの手から、高級ワインが入ったままのグラスが滑り零れた。音を立てて、砕け散る。
「ウィリアム・ウィンズ!!」
ウィルが、勝った。
割れるような歓声が響いて、人々は信じられないと言ったように立ち上がり、次々にウィルの名を叫んだ。
「まさか!」
「ウィリアムって、あの、ウィンズ家の子息が?」
「リンジャー卿が負けた……!」
色とりどりの紙吹雪がばらまかれ、勝利したウィルに祝福が捧げられる。リオはキース達とともに、茫然とその姿を見つめていた。
まさか本当に勝ってしまうなんて。
「愛の力かな」
冗談めかして、キースが笑った。
愛?
それは誰への?
尋ねることが出来ないまま、リオはキース達と共に壇上にあがり、放心しているウィルに駆け寄った。と、リオに気づいたウィルが、かすれた声をあげる。
「リオ……オレ、やった」
「うん、見てたよ」
リオは言いながら、ウィルに微笑んだ。
間近で、ウィルの試合を見ることが出来るのはきっとこれが最後だ。それが勝利で、本当に嬉しかった。
と、その時だった。
「ウィル!」
凛としていて柔らかなアルトの声がウィルの名を呼んだ。
振り返ったウィルの顔がほころぶ。
「アデル……っ!」
桟敷から降りてきたのだろうアーデルハイトが、ウィルに駆け寄り、その胸に飛び込む。ウィルは慌てて彼女を抱き留めた。
「おい、危ないだろ」
「……っありがとう!ウィル!」
アーデルハイトはぼろぼろと泣いていた。
「リオも、キースも、オーウェンも……っ本当にありがとう」
言いながらリオ達に抱擁し、アーデルハイトは細い肩を震わせた。
「これで、お姉さまも……辞めさせられた皆も助けられる……っ」
ウィルは目の前で号泣する主人に、あからさまに狼狽えた。その姿が滑稽で、キースたちが笑う。
「なあアデル。そんなに泣くなって。必ず勝つって言っただろ?」
涙もろい主人に、ウィルは仕方なくハンカチを差し出した。
「アデルってば」
アーデルハイトはハンカチを受け取ると、目元に押し当てる。
そうしてやはり、すすり泣くのだった。
リオはその夜、公爵家で開かれた祝賀会をめいっぱい楽しんだ。豪勢な食事に舌鼓をうち、楽隊の音に耳を傾けた。
アーデルハイトは勝利を手にしたその足で、不当に解雇されていた家臣たちをすべて呼び戻した。家臣たちも奇跡のようだと涙を流しながら、宴に参列する。
幸福な夜だった。
「――ウィリアムとアデル様、いい感じだな」
と、突然隣に座ってきたキースが言った。リオも、うん、と頷く。
「そうだね」
少し離れた席のウィルとアーデルハイトに目を向ける。呼び戻した家臣たちと共に何やら盛り上がっている様子だった。
「ほんと、お似合いだよな。悔しいけど」
キースの呟きにリオも同意して、紅茶に手を伸ばした。たくさんの料理をメイド達に盛り付けられ、もう、腹はいっぱいだった。
「……ウィルは気難しい奴だから最初は心配だったけど、相性がいいんだろうね」
「ああ。こりゃくっつくのも時間の問題だろうな」
「……くっつく?」
聞き返したリオに、キースはおかしそうに肩をゆすった。
「本当に君たち、この手の話題に疎いよね。北軍育ちは、皆そうなの?」
「なんのこと?」
顔をしかめ続けるリオに、キースは薄い笑みを浮かべる。
「恋人になるってことさ。今も公言はしてないけど、実質そうみたいなものだろ」
「……恋人?そうなの?」
その概念に乏しいリオの反応は鈍い。
キースは呆れたように頬杖をついた。
「君もだけど……ウィリアムは今まで、恋人とかいなかったの?」
「いなかったと、思う」
少なくとも、リオの知る限りは。
「ああ、なるほど。それで不器用なんだ」
キースが、吾知り得たり、というように微笑む。
「初恋なんだね」
だったら下手なのも一興だ、とキースが立ち上がる。
「親友の巣立ちは寂しいだろうけどさ、祝ってあげなよ」
「え?」
立ち去りながら、キースは手を振る。
「こんな場所で、そんな顔するなってこと」
初恋。ウィルが?
宴が終わり、豪奢すぎる自室に戻ってもリオの心はウィルでいっぱいだった。
恋なんてよくわからない。
リオは整頓しておいた手荷物を漁り、使い古した辞書を広げる。昔、ウィルから譲り受けたものだった。わからないことがある度に開き続けたそれは擦り切れ、もうボロボロだけれど、リオの大切な宝物だった。絨毯の敷かれた床に座り込み、月明かりを頼りにページをめくる。
恋。
意中の人。
心を占める人。
ウィルの心をいっぱいにしている人。
アーデルハイトだ。
間違いない。
「リオ?」
はっと気付くと、薄暗がりの部屋の中、入り口に立つウィルの姿があった。
「ウィル」
「傷大丈夫か?薬塗ってやるって言ったのに、遅くなって悪い」
言いながら、ウィルが大股で歩み寄ってくる。リオはそっと辞書を閉じた。
「いいよ、処置ならしてもらったから」
ディートハルトに勝利したウィルは、軍幹部や、記者や、一般市民に取り囲まれた。試合後、のんきに手当てし合う暇などあるはずもない。
そばにしゃがんだウィルが、リオの手元を覗き込む。
「で、なにしてたんだ。明かりもつけないで」
「片付け」
「今?」
なんで、とウィルは続けそうになって、リオのそばの纏められた手荷物に目を留めた。そうして気付く、異様に片づけられた部屋に。
「……なにしてたんだ」
繰り返された、ウィルの声がかげる。リオは何気ない風を装って答えた。
「軍を辞めることにしたんだ」
一瞬かたまったウィルが、焦ったように声を荒げる。
「聞いてない」
「だろうね、今初めて言ったもの」
「なんで」
「急にごめん。でもほら、このところ慌ただしかっただろ?ずっと前から考えてたんだけど、言えなくて」
「そんなのいつだって言えよ。リオの話なら絶対に聞いた」
アデル様にべったりだったのに?
そう口にしてしまいそうになって、リオは口をつぐむ。結局溢れたのは、謝罪だった。
「黙ってて、ごめん」
ウィルが、迷うように口を開く。
「いつから」
暗がりの中で、掠れた声がした。
「いつから考えてたんだ」
リオは、膝の上で撫でていた辞書を、鞄にそっとしまう。
「辞めようって思ってたのは北軍にいた頃から、かな」
これは本当。
「そんな前から?」
「うん、僕、結構料理が得意だろ?作るのも、食べてもらうのも好きだし。だから、小料理店でも開いてやっていけたらいいなって思ってたんだ」
これは嘘と本当が半分ずつ。
「でも、ウィルと騎士を目指したい気持ちもあって、諦めきれなくて、ここまで来ちゃった。あれもこれもしたいって、欲張りだよね」
力なく笑ったリオに、ウィルが「そんなことねえよ」と呟く。
「オレだって、リオとずっと一緒にいたい」
ウィルの伸ばした手が、リオの手を掴んだ。
「軍を辞めても、オレたち、友達だよな?」
心許ない声に、リオは初めて会った日のことを思い出した。あの夜もウィルはこうやって、リオの手を握ってくれた。
『今日からオレ達、友達な』
そう、言って。
とても可愛い笑顔だった。
リオは、ウィルの硬い手を握り返す。
「……当たり前だろ」
嘘だった。
軍を辞めたら、リオは女に戻る。
もう二度と、親友として彼の前に現れることは出来ない。
ごめん。リオは心の中で、何度も謝った。
と、ウィルがひと際強く手を握り返してくる。痛いほどに。
「本当はお前を引き止めたいよ。ずっとお前といたい」
握られた手が、ぎり、と悲鳴をあげる。
「でも、リオがやりたいことがあるんだったら、オレはそれを応援したい。だってそうしなきゃ駄目だろ?リオには、幸せになって欲しいから」
まずい。
暗くてよかった。
リオは目にたまっていくものを堪えながら、何度も頷く。
「リオ」
ウィルのもう一方の手がリオの後頭部に回され、強く引き寄せられた。鼻頭がこすりあう距離で、ウィルが囁く。
「忘れるな。どこにいたって、騎士じゃなくなったって、お前はオレの一番大切な親友だ」
「……うん」
「困ったことがあったら、いつでもなんでも言え。絶対に助けてやる」
うん。
「ありがとう……ウィル」
こんな友達が出来て、私は最高に幸せだ。
「リオ、大好きだ」
「僕も好きだよ」
ウィルの好きとは、だいぶ違うけれど。
構わない。
リオは必至にウィルの手を握り返した。痛くてもいい。折れそうだ、なんて加減されなくてもいい。この痛みが、ウィルから向けられる想いなら。
「僕も、大好きだよ」
恋じゃなくても、構わなかった。
* * *
深夜の高級クラブの片隅で、ロゼワルトは給仕係の女の顔が気に食わぬと、酒瓶ごと投げつけた。床に伏せる女の額から血が滴ろうともロゼワルトの怒りはおさまらない。
ダークブラウンの髪色が、あのくそ生意気な女に似過ぎていた。
「旦那様、どうかそれ以上は」
「煩い、この能無しが」
諫めようとする家来を鞭で据え、そばに並ぶ役立たずの騎士たちを罵倒し、蹴り飛ばした。
「……有り得ない。なぜだ」
ロゼワルトは頭を掻きむしり、大理石の卓を力任せに叩いた。
ディートハルトが負けたなど!
あってはならないことだった!
そのくせ、まけた当人は「参りました」と満足そうに報告をしてくる始末で――。
「くそ」
ただの寄せ集めかと思っていたが。
このままアーデルハイトの思うままにしていいわけがなかった。
何か、なにか手だてを。急がねば。
「ロ、ロゼワルト様」
と、怒り狂う主に怯えながら、従者が声をかける。
「なんだ」
「実はただ今、よい情報を持っているという男が、見つかりまして」
「くだらないことを言ってみろ。お前も、その男も舌を火であぶってやる」
「は」
従者は恐々としながら、頭をさげる。そうして、背後にぞんざいな声をかけた。
「おい、入れ。ご挨拶をしろ」
「はいよ」
覇気のない返事がして、暗がりから、ひとりの青年が歩み出る。
青年は、頭の上に乗っけていたベレー帽をひょいととって、ヘラヘラと会釈した。
「どうもこんばんは、公爵の旦那」
つぎはぎの上着に、使い古したような麻のシャツ。どう見ても、下層の人間だった。ロゼワルトは従僕を睨みつける。
「なんだ、こいつは」
答えたのは、青年だった。
「こいつだなんて酷いなあ、旦那。僕にも名前くらいあるんですよ。あ、仕事はないですけどね」
けたけたと笑った青年からは、腐臭がした。何日も水浴びをしていないのだろう。下町では珍しいことではないが、ロゼワルトには我慢ならないことだった。
「話にならん。つまみだせ」
ロゼワルトが鼻を覆い、背をむけかける。
と、もったいぶるように青年は言った。
「あーあ。いいのかなあ。僕、アーデルハイト様の騎士のことで、面白い話を知ってるのに」
「……どんな話だ」
「まあまあ、そう慌てずに。落ち着いて。まずは報酬の話をしましょうよ」
ねえ、と青年が笑う。
「旦那、あの騎士団をめちゃくちゃにしたいんでしょう?僕も同じです」
そのどろりとした恨みがましい瞳に、偽りは見えなかった。私怨か。ロゼワルトは慎重に向き直る。
「……話してみろ」
青年は、にわかに明るくなる。
「良かった!話のわかるお人だ!ああ、僕、トマスって言います。仲良くしてくださいね、公爵の旦那」




