(主従以上の関係)1
* * *
ランズベルク公爵――ロゼワルトは不機嫌の極みにあった。前々から目障りだった妹が、ついに面と向かって牙をむいてきたのである。
「アーデルハイトが、騎士を任命しただと?」
ロゼワルトの怒気を察して、報告係の若い側近は委縮した。
「はい。先日の闘技会で目ぼしい者を数名見繕ったようです。名簿はこちらに」
「早く見せろ」
側近の差し出した用紙を奪うように手に取る。並んだ四名のうち、三名は知らない者だった。
ウィリアム・ウィンズ――北軍
キース・アルベイン――王都軍
リオ――北軍
オーウェン――王都軍
「ふん。寄せ集めか」
大した名もなき面々に、ロゼワルトは安堵し、余裕を取り戻した。
アーデルハイトの側近――オーウェンの実力は知っているし、ウィリアム・ウィンズは、確かに闘技会で優勝している小僧だったが、そのどちらも、所詮ロゼワルトの所有する騎士団の敵ではなかった。ロゼワルトの騎士団は実践と経験を兼ね備えた屈強な戦士達ばかりなのだから。勝負は誰の目にも見えている。
ロゼワルトは用紙を投げ捨てた。
――馬鹿娘が
面倒なことをさせる。
だが、あの正義の味方気取りのじゃじゃ馬も、これで大人しくなるだろう。
ロゼワルトは愛用の葉巻に手を伸ばした。
ちょうど一カ月前。
勝手に見合いを破談させられたあの屈辱をロゼワルトは未だに忘れてはいなかった。土壇場でまた同じことを繰り返されてはたまらない。そこでロゼワルトはアーデルハイトが持ち出した賭けに乗ることにした。
生真面目なあの娘は、誓約書がある限り、それを裏切ることはない。
――勝った暁には、どうしてくれよう。
ロゼワルトは煮えたぎる復讐心を持て余し、想像をふくらませた。
男社会の事情も知らず、呑気に出しゃばってくるアーデルハイトが鬱陶しくてならなかった。あの娘がもっとも嫌がる方法で、公爵家から追い出してしまおう。
「とっておきの嫁ぎ先を用意してやらねばな」
ロゼワルトは独りごちて、もう一度、アーデルハイトの騎士名簿に視線を落とした。
キース・アルベインは名前は聞いたことがある。まだ年若い王都軍の兵士だ。
しかし、このリオというものは、強いのだろうか。北軍など興味もないロゼワルトにはわかりかねた。名前からして、庶民のようだが。
「おい」
ロゼワルトは名簿を側近に突き返した。側近は丁寧な所作でそれを受け取る。
「はい、旦那様」
「念のために、この者たちを調べておけ」
不安の根は、摘み取っておくに越したことはなかった。
* * *
「ねえ、ウィルを知らない?」
朝食をとっていたリオとキースにそう尋ねてきたのはアーデルハイトだった。リオはふるふると首を横に振る。
「いえ。今朝は見ていませんが」
「私もなの。全く、どこに行っちゃったのかしら」
キースがナイフとフォークを動かしていた手を止め、言った。
「今朝方、軍部に呼び出されたみたいですよ。ほら、あいつあれでもウィンズ家の人間ですから」
「ああ。やっぱりね」
リオはわけが分からず、キースとアーデルハイトの会話を見守るほかなかった。
「ウィルが戻ったら、私の部屋に来るように言ってちょうだい。お願いね」
「ええ。かしこまりました」
キースが微笑んで言うと、アーデルハイトはにこりと笑って食堂を出て行った。
公爵家の立派な食堂には、再びリオとキースの二人きりになる。
キースは、アーデルハイトの消えた方角をうっとりと眺めて言った。
「可愛い人だよなあ、アデル様」
「うん。美人だよね」
「いや、可愛いだろ」
「ん?アデル様は美人でしょう」
リオはもぐもぐとウィンナーをほおばって、首を傾げた。キースはいかにもなしかめつらを作る。
「なるほど。見解の違いって奴だな……まずいぞ、これは」
「え?なにが?」
「オレとリオには同じ光景が見えている。なのに、感想が全く違う」
「いや。だからそれがどうしたの?」
「危ないだろ」
「え?」
「オレ達はこれから一緒に生活する同志なんだぞ。なのに、意見が食い違うなんて。面倒だ。ことによっては仲違いになる」
リオはあっけにとられて食事を再開した。
「いいよ。その時は僕が折れるから」
「いやいや。そういう妥協が良くないんだって。不満の素になるだろ」
「気を付けるよ」
リオは淡々と言って、スープを飲みほした。
さすがは公爵家の賄いだ。スープひとつをとっても、おかわりが欲しくなるほど美味しい。それだけでもリオは得をした気分だった。
アーデルハイトの騎士となって六日。
リオ達は公爵家の離れに個室をもらい、そこで生活をしていた。その暮らしはリオの想像を絶する豊かさに溢れ、今もまだ、正直慣れていないし、慣れる想像もつかない。まるで、夢の世界にいるようだった。
個室は毎日綺麗に掃除され、ベッドメイキングをされ、望めば使用人が風呂を用意してくれて、朝昼晩決まった時間には栄養満点の食事が用意されている。至れり尽くせりとは、まさにこのことだと感じた。
もちろん、リオ達はアーデルハイトの家来にすぎない。制約はある。
日々の鍛練は無論、アーデルハイトの警護は第一の任務だった。今日は、王都軍出身だというオーウェンがアーデルハイトについている。まだオーウェンと親しく話したことはないけれど、彼も腕の立つ兵士らしい。一度手合わせもしてみたかった。ウィルとはどちらが強いのだろう。体格的には、大柄なオーウェンだろうけれど――。
「あ、そうだ。ねえキース」
「ん?」
「ウィルはどうして急に軍に呼ばれたの?ウィンズ家がどうって、なにか関係あるの?」
先ほど感じていた疑問を思い出して、リオは尋ねた。キースは「ああ」と頷く。
「貴族にはな、社交って仕事があるんだよ」
「ああ、うん。でもウィル、今までそんなの行ったことないよ」
「北軍なんて僻地にいちゃ、そりゃ呼ばれないだろうよ。でもここは華の王都だぞ。パーティーなんて毎晩みたいにやってる」
「へえ、そうなんだ」
パーティー。社交。と言われても、リオにはほんの少しもぴんと来なかった。
「たぶん、ウィルがこっちにいるって聞いた貴族の誰かが誘ったんだろ。ウィンズ家って言えば、結構な家だからな」
「へえ。知らなかった」
「リオって……本当はウィルとあんまり仲良くないのか?」
「ううん。そういう話しないだけ。仲はいいと思う」
ウィルとは稽古の話とか、軍のこととか、そういったことばかり話していた。ウィルは生家を嫌っていたし、無理に聞き出して思い出させるのもどうかと思ったのだ。
と、キースが言った。
「アデル様は、今夜のパーティーにウィルを連れていくつもりなんじゃないかな」
「え?どうして?」
「夜会はたいていパートナーを連れていくものなんだよ。ウィルなら護衛にもなるし、騎士を任命したって宣伝にもなるだろ」
「ああ、そうか。そうだね」
それは普通に考えて合理的な考えだった。
けれどリオにはまるでウィルが別世界の人間になってしまったかのように思えてしまった。
――変なの。ウィルが貴族だなんて、知ってたのに
何故だか、今更思い知らされたような感覚に陥る。
リオは無意識に話題をそらした。
「だけどキース、詳しいんだね」
彼も庶民の出だったはずだが。と、不思議がるリオに、キースは少しだけ得意そうに微笑んだ。
「まあね。知り合いのお嬢さんに頼まれて何度かエスコートしたことはあるから」
「へえ。凄いね。エスコートって難しそう」
「慣れたら楽しいよ」
キースはどうやら女性に人気が高いらしかった。
普段の優しい物腰と兵士としての荒々しい落差に女性たちは惚れるようだ。一度敗けているリオの目には、いつか倒すべき相手としか映らないが。
と、キースの表情が突然明るくなっていく。良いことを思いついた、とでも言うように。
「そうだ、リオ。今日は特に用事もないだろ?街に行かないか」
「街に?」
「ああ。面白いところに連れてってやるよ。可愛い女の子がいっぱいの――」
「何処に連れてくって?」
突然、低い声が響く。
耳慣れたそれは、ウィルのものだった。
「ウィル」
リオが振り向くと、食堂の入り口からウィルが入ってくるところだった。不愉快そうに眉を寄せたウィルは、まっすぐにキースに歩み寄った。
「キース、リオを妙なところに連れて行くなよ」
「妙だなんて。リオにも男の歓びを教えてあげたかっただけだよ。どうせ君たち、女の子と遊んだこともないんだろ?」
「キース、僕にはそんな暇ないよ」
リオが言うと、キースはやれやれと首を振った。
「リオもウィルも顔はいいんだから。もっと遊べよ。絶対女の子たちも喜ぶのに」
「女なんて喜ばせてどうすんだよ。煩いだけだろ」
ウィルは言って、リオを立ち上がらせた。
「リオ、行くぞ。こいつといると頭がおかしくなる」
キースが肩を竦める。
「ひどいな。弟をとられるのがそんなに嫌かい?」
「僕弟じゃないよ」
リオの発言は無視された。ウィルが凄む。
「いいかキース。またリオを誘ってみろ。二度と女を口説けない顔にしてやるからな」
キースも、さすがに口をつぐんだ。
「それは勘弁して欲しいかな」
女の子好きのキースと、女嫌いのウィル。
これも見解の違いだろうかと、リオは訝しんだ。確かに、仲違いの要因にはなりうる。気を付けようと思った。
「リオ、行くぞ」
「うん」
速い足取りで食堂を出るウィルに、リオは慌ててついて行った。




