(早速、喧嘩)
* * *
「すごい……」
思わず、心の声が漏れ出てしまった。清らかな噴水に守られるように建っている天使の像の巨大さと、その精密さに驚きを隠せなかったのだ。
あんなもの、どうやって造るんだろう。
リオは目を奪われたまま、往来を遅々と進む。道にはせわしなく人が行き交い、怒号と喧噪で溢れていた。おかげで、独り言も掻き消されてしまう。
北軍基地を発って九日目の夕刻。
行程より一日早く、リオとウィルは王都グランヴェルスにたどり着いた。
──ここが、王様の街
初めて見る王の都は、ウィルが豪語していた通り何もかもが大きく、また人の数も北地の比ではなかった。
整然と立ち並ぶ建築物は北軍宿舎の何倍も背が高く、その壁面には繊細な彫刻等の意匠がこらしてあった。足元に敷かれた道は、赤や黄のレンガで隙なく舗装されており、所狭しと並んだ露店の品は珍しい物ばかりで、リオは四方に首を向ける羽目になった。
あれはなんだろう。
なんのお店だろう。
食べ物だろうか。
立ち止まりそうになるリオの手を、前を行くウィルが掴んで、引っ張る。
「リオ、こっちだって」
「……っごめん」
「見物はあとでな。先に、軍部にいかねえと」
リオから手を離し、ウィルは地図を見やりながら人の波をかきわけた。
北地で見かけるのはほとんど軍人だったのに対し、都は市民であふれていた。果物を片手に「安いよ!」と声を張り上げる若い女や、暇そうに新聞を読みながら店番をしている男、それから走り回る子供の群れ……軍服を着た兵士もいるにはいたが、その数は全体の二割にも満たない。
「な、言ったろ。人も多いんだって」
勝ち誇ったようにウィルが振り返る。
「うん……本当に、すごい」
頷いて、リオはウィルの背を追いかけた。
と、その耳に一際明るい声が届く。
「ねえねえ、見て」
「あの軍人さん達、素敵じゃない?」
「本当。でもまだ、訓練兵ではないかしら」
それは、リオと同じ年頃の少女たちの会話で、その視線は間違いなく自分たちに向けられていた。北軍の軍服は特別に誂えてもらったものだったから、珍しいのかもしれない。
リオはそう思った、しかし。
──カッコ良い?
リオは前を行くウィルを見上げた。
子供の頃は、可愛いと言われてひどく激高していたけれど、娘たちの評価はウィル的にどうなのだろう。聞こえているのかいないのか、ウィルの歩みは止まらない。
(まあ、見た目は良い方なんだろうな)
問題は中身であって。
リオは刺すように感じる人々の視線に、ウィルの容姿は他の男性に比べて大変に優れているのだと、改めて実感していた。
まっすぐな癖のない黒髪に、少しだけ吊り上がった青灰色の瞳。均整の取れた体躯。
恵まれたその容姿は、リオも羨ましいと思ったことがあるけれど、都人もその感覚は一緒らしい。大通りを歩く間、ウィルは何度も何度も振り返られていた。特に、若い娘たちに。彼女らはウィルを見て頬を赤らめたり、囁きあったりしていた。
「何処から来たのかしら」
「藍の制服なんて見たことないわ」
「でも、似合ってるわ」
「誰か話しかけてちょうだい」
「私は嫌よ!」
楽し気な会話は、留まるところを知らない。誰が話しかけるかを押し付け合い、結局解決に至らないまま、リオたちは遠ざかってしまう。
「リオ、こっちだって」
背後を気にかけていたリオを呼んで、ウィルが大きな角を曲がる──その時だった。
「っ!」
「……きゃ!」
人込みの中から、ひとりの娘が目にもとまらぬ速さで飛び出してきた。ウィルがのけぞるが、間に合わない──ふたりは、まともに衝突してしまった。
「ウィル! ウィル、大丈夫!?」
リオが駆け寄ると、ウィルが「なんなんだよ」と忌々しげに起き上がる。転んだウィルの反対側に、同じように尻餅をついた娘も、打った腰に手をあてていた。起き上がったウィルは、さっそく怒鳴る。
「あぶねえだろ。こんなとこで走んな!」
しかし、娘も負けてはいなかった。
鋭い深茶の眼光が、ウィルをまっすぐに貫く。
「あなたこそ、よく見て通りなさいな!」
「ぶつかってきたのお前だろ!」
「あなたが余所見してたからでしょう!」
「……っんだと」
青筋だてたウィルが立ち上がろうとしたその時、遠くから鋭い警笛が聞こえた。娘がはっと顔をあげる。娘の走ってきた方角が一層騒がしくなった。それにあわせるかのように、男たちの怒鳴り声も近づいてくる。
「どけ!どけ!」
「道を開けろ!」
不穏な気配がした。
「最悪」と呟いた娘は苛立ったように立ち上がると、ふたたび走り去ろうとする。が、ぶつかられたまま、ウィルが易々と逃すはずもなかった。
「おい」
「……ちょっと、何!」
ウィルが娘の腕を掴み、力任せに引き寄せ、もう一方の腕も拘束する。娘は悲鳴をあげた。
「痛い痛いっ本当に痛いったら!離して!」
「謝ったら離してやる、だから、今すぐ謝れ」
「小さい男ね!あなた軍人の端くれなんでしょう、婦女がぶつかったくらい笑って許しなさいよ!私急いでいるの!離して!」
「知るか。謝ったら許してやる」
埒があかない問答の間にも、警笛と、男達の怒号は確実にこちらへ向かっていた。
よくない予感に、リオはウィルを振り向く。
「ウィル、離してあげた方が良いかも」
「は、なんでだよ」
「痛がってるし、かわいそうだし」
「オレだって痛かった」
「それに」
リオの目線の先に、市民を押しのけるようにして近づいてくる複数の軍人──それも、騎士と思しき面々が現れた。立派な軍服に身を包み、長剣を腰に携えている。
その先陣を切っていた男が、娘を捕らえているウィルを見つけて、目の色を変えた。
「貴様……っアーデルハイト様に触れるとは何事か!」
屈強な肉体をした騎士が、ウィルの胸倉をつかみあげる。拍子に娘はウィルの手を逃れ、別の騎士に保護された。そうして気づけばリオの背後にも、いつの間にか騎士たちがついていて──つまりは、包囲されているのだった。
「ウィルの馬鹿……」
だから離した方がいいと言ったのに。
リオの独り言は、やはり都の喧噪にかき消されてしまった。




