(友達になった日)
ウィルの頬に軟膏を塗った瞬間、大げさな声があがった。
「っ!」
「大丈夫?」
「…………大丈夫って言いたいけど、無理」
「我慢して」
「……」
ウィルはやつれた顔でうなだれた。なにせ十数名を相手に喧嘩をした後だ、流石に参っているらしい。不満顔で、悪態をつく。
「くそ。あいつら無茶苦茶やりやがって。絶対仕返ししてやる」
「やめときなって」
リオに宥められ、ウィルはまた不貞腐れた。
上級生をジャスティンの名前で脅してまき散らし、ふたりは何とか寮の自室に戻ってきたところだった。
狭い部屋で、心もとない蝋燭の明かりを頼りに、互いの手当てをしていく。リオはリオで酷かったが、ウィルのそれは比べものにならなかった。ディートハルトにやられていた怪我もやはり悪化しており、細い腕は倍ほどにも膨れてしまっている。
「明日一緒に医務室に行こう?」
「ひとりで行ける」
「歩けないでしょ」
「歩ける」
「無理だって」
「ほっとけよ」
「やだ」
ウィルが猫みたいな大きな瞳で、じとりと睨んできた。
「お前、ちょっと喧嘩に勝ったくらいで調子に乗ってるんじゃねえか」
「別に調子になんて乗ってないよ」
「危ねえから、もうすんなよ」
「必要がなかったらしないよ」
「……編成クラスもやめろ。成績を落とせば、外されるはずだ」
「やだ」
「リオ」
リオは軟膏の入った薬壺に蓋布をかぶせ、その口を紐できつく縛った。
「僕も強くなりたいから、やめない」
言い切ったリオに、ウィルが困ったような目を向けてくる。リオはその視線を受け止めながら、薬壺を返した。
「……さっきはありがとう。ウィル、謝ろうとしたの、すっごく嫌だっただろ」
ウィルがそっぽを向く。
「オレがもっと強けりゃ、あんなことにならなかったけどな」
「うん。僕もそう思った」
「……悪かったな」
「や、そうじゃなくて。弱いとさ、あんなふうに嫌なことも受け入れなくちゃいけないんだなって。それってすっごくムカつくなって……だから僕もウィルみたいに強くなりたいって思ったんだよ」
あの時、ウィルが頭を下げさせられそうになった時、自分の非力が悔しくてたまらなくなった。
ウィルは矜持を曲げてまでリオを守ろうとしてくれたのに。
「オレ、別に強くねえよ」
「え?」
ウィルの灰がかった青い瞳が、暗がりの中で煌いた。まるで星空のように綺麗で、リオはほんの少し見惚れてしまう。
「あの時、お前が殴られてるのを見て、めちゃくちゃ怖くなった……オレのせいだって」
ウィルの瞳は、僅かに揺らいでいた。
「悪かった」
「ウィル……」
「あのさ、オレも、もっと、もっと強くなる……だからさ、リオ」
風で、蝋燭の炎が揺れた。ウィルの腫れた顔が、橙色の灯りに淡く照らされる。
「……何?」
いつもの自信はどこへ行ったのか。
「また一緒に……飯食わない」
まるで迷子の子供みたいに、ウィルの声はか細く、頼りなかった。
「……いいよ」
リオが言えば、ウィルの顔がほっとほころぶ。
可愛い。
そう声にすれば、せっかくの笑顔が引っ込むことは目に見えていた。だからリオは口をつぐむ。
と、その時。
年季の入った扉が控えめにノックされた。リオもウィルも、反射的に顔を向ける。凝視した扉の向こうから、遠慮がちな、小さな声が届いた。
「……リオ……ウィリアム、君……いる?」
テイルだ。
リオは立ち上がって、扉を開けた。と、暗い廊下を背景に、テイルとジエンが立っている。
「どうしたの? ふたりとも」
驚いたリオに、テイルが頭を下げる。ジエンもそれに続いた。
「さっきはごめん」
「え?」
「オレも……見てるだけで、助けられなくて」
「そんなの」
リオは慌ててかぶりを振った。
「僕たちが売られた喧嘩だし、ふたりとも気にしないで」
けれどテイルは顔をあげない。
「教官を呼びに行こうとしたんだ。でも、見つかって、僕まで殴られたらって思うと、怖くて、出来なかった……本当にごめん」
「臆病だって言われても、仕方ないと思う」
ジエンがリオの肩越しに、奥を覗いた。
座り込んだままのウィルが怪訝そうな目を向けている。
「それで、安全になったから謝りにきたってのか? 本当臆病なんだな」
痛いところを突かれ、テイルとジエンが黙り込む。しかしジエンは、勇気を振り絞るように持っていたズタ袋を掲げた。
「手当て、しにきた。オレの実家薬草も育ててて、詳しいから」
「ジ、ジエンの薬はよく効くんだ。医務室の薬なんかよりずっと」
テイルが弁明するように顔をあげる。
「そうなんだ」
リオは「ありがとう」と薬を受け取った。
「入りなよ。薬の使い方教えて」
「……いいの?」
ウィルを気にしたテイルがおどおどと視線を泳がせる。
「いいよ。僕の部屋でもあるし。ねえ、ウィル。いいだろ?」
ウィルはふんっと鼻を鳴らした。
「勝手にしろ」
「素直じゃないなあ」
ふふ、とリオが笑うと、ウィルはまた顔をしかめた。
四人で向かいあうように座り込むと、部屋はそれだけで窮屈になる。けれど、なんだかとてもワクワクした。
「ウィリアム君……い、痛い?」
「いてえよ。痛くないわけないだろ」
テイルがおそるおそるウィルの打撲した足に、ジエンの薬草を貼りつける。
「しかもこれ臭いし」
「よく効くんだってば」
顔を顰めたウィルに、ジエンがもごもごと口答えする。ウィルの手当てを終えると、次はリオに身体を向けた。
「リオも、肩腫れてるだろ。上脱いで」
「…………うん」
胸が膨れているわけでもないし、上だったらバレることはないかな。
ここで躊躇うのもおかしいかと、リオは上着を脱いで、三人に背を向けた。そうして、息をのまれる。ベルに受けた火傷や裂傷の痕は、まだ生々しく残っていた。
「リオ、それ……」
「ああ。訓練の時の怪我じゃないよ。前に宿にいたって言っただろ。その時、そこの女将さんにつけられたんだ。癇癪もちな人だったから」
こともなげに言うリオに、ウィルの低い声がとどろく。
「……どこの宿だよ」
「もう二度と帰りたくないから、忘れちゃった」
「言えよ。オレが敵とってやる」
「いいよ」
背をさらすリオに、ジエンが、労りながら薬草を貼ってくれた。確かに、少し臭った。
「復讐は自分でするから」
「どうやって」
「──今からここでいっぱい訓練して、騎士になって、贅沢に幸せに暮らすんだ。そしたらあの女、きっとめちゃくちゃ悔しがると思う」
「……?」
「それが僕の復讐なんだ」
言葉に出すと、すっきりした。
力をつけて、幸せになる。
誰にも屈さず、強く生きてみたい。
ウィルの隣なら、それが叶うような気がした。
「ふうん。いいな、それ」
ウィルがふっと肩の力を抜いた。
その微笑みに、テイルもジエンもわずかに驚いていた。どうだ、可愛いだろうと、なぜかリオが誇らしげな気分になる。
「でしょ」
リオは言って、開け放したままの窓から空を見上げた。群青のカーテンを背負った満月が、明るく宿舎を照らしている。
──この身体で何処まで出来るかなんて、まだ、わからない。きっと限界は来る。
でも、今は。
大切な友人たちといられるこの時間がとても幸せで、満ち足りていた。
このお話で前章(子供時代)が終わりです。
ここまでお付き合いくださって本当にありがとうございました。
次回からは成長したリオとウィルのお話しになります。
どうぞよろしくお願い致します。




