(騎士になるよりも難しいこと)
***
どうして自分と同じだと思ってしまったのか。
ウィルはひどく物悲しい気持ちのまま、寮の自室に戻った。ひとりぽっちの部屋に両隣から楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてくる。ほどなくリオも戻ってくるだろう。せめていつものように接したい。ウィルは服を脱いで、夜着に着替えた。
「二週間か」
持った方だよな。自身に言い聞かせるように声に出す。いつも同室になる訓練兵とは上手くいかず、部屋を変えられてばかりだった。リオとなら、長くいられると思ったのだが。やはり、ダメだった。
初めてこの部屋で会った時から、ウィルはリオには好意を持っていた。怯えるでも、媚びへつらうでもなく、淡々と自分と話してくれた不思議な少年。根元間際で切り揃えた小麦色の髪は猫の毛みたいに柔らかそうで、細くて、何度も撫でたくなった。宝石みたいに綺麗な琥珀色の瞳は大きく、可愛らしかった。「ウィル」と、呼んで貰えることが嬉しくて、駆け寄ってくれるリオが可愛くて、ウィルはリオの一番の友達になりたいと思った。なれると思った。リオはウィルと普通に話してくれたし、騎士のことも興味深く聞いてくれた。頼られたことが、嬉しかった。本当に嬉しかったのだ。
だから、ディートハルトが来た時もリオの手をとったし、絶対に怪我をさせるつもりはなかった。リオの為になると思った。
なのに、どうして上手くいかないのだろう。
独り善がりだった自分の考えを、ウィルは深く反省した。騎士になれば、名誉も富も身分も全てが手に入る。だから、誰もが欲しがるものだと思ってしまった。こんなところにいるのなら、尚更。
「……つまんねえの」
ウィルは二段ベッドの上にあがって、仰向けに寝転んだ。
目を瞑れば、耳障りな隣室の笑い声が聞こえてくる。
今日あった面白いこと。
明日の食事のこと。
だんだんと寒くなってきたこと……。
混ざることができない会話に胸が軋んで、ウィルは頭からシーツをかぶった。
友達。あれはいったい、どうやって作るんだろう。
ウィルにとっては、騎士になるよりもずっとずっと難しいことに思えてならなかった。
***
『もう余計なことしないから』
ウィルはその宣言通り、リオとの接触を絶った。
必要最低限の会話しかなく、同室だと言うのに生活はばらばらだった。息が詰まって仕方がないリオは部屋を抜け出してテイル達の部屋に入り浸った。食堂ですれ違っても、ウィルはもう、何も言わなかった。
たったひとつ、ウィルが声をかけてきたのは編成クラスの件だった。ウィルはジャスティンに強くかけあってくれたようだが、リオを外すことは無理だったらしい。
リオはそれに対し「良いよ」とだけ返した。ウィルはそれでも「必ずなんとかするから」と強く言った。
「もういいよ」と言う意味は、ウィルには伝わらなかったようだ。
ウィルと話すことなんか、慣れっこのはずだったのに、気まずくて仕方がなく、それが寂しかった。
そんな生活が、四、五日続いた頃だろうか。
「ねえリオ、ウィルと喧嘩したの?」
とある夕食時、テイルがこっそりと尋ねてきた。食堂の隅には、ウィルの姿があり、その周囲はぽっかりと空いてしまっている。
リオは「うん」と力なく頷いた。
「喧嘩って、初めてかも。仲直りって難しいね」
トマスとはこんな喧嘩をしたことはなかった。彼はお調子者で、少し言い合いをしても数時間後にはケロりと話しかけてきたからだ。それはそれで腹が立ったものだけれど、ウィルのように長引かせられるのは、もっと気が滅入るものだった。
ウィルはよく言えば意思が強く、悪く言えば頑固だった。
──どうしてこんなに拗れちゃったんだろ
リオは食堂の隅で食事をとるウィルをぼんやりと眺める。
と、スープをかき混ぜながら、テイルが口を開いた。
「リオはさ、ウィルと仲直りしたいの?」
「え?……うん。まあね」
「やめときなよ。今の方が安全だと思うよ、僕は」
「……うん」
テイルの言葉の意味は、よく分かる。リオもそれが一番だと思った。
それでもリオはウィルを意識せずにはいられなかった。
目も合わせて貰えず、「おはよう」と言っても無視されて。「おやすみ」にも返事はない。
それがとても、ひどく、哀しかった。
あれからずっと、ウィルの背を見ては、リオは問いただしたくてたまらなくなった。
わたしのこと、嫌いになった?
わたしが、騎士にならないから?
見限った?
そう思うと、ひどく胸が痛んだ。
ウィルと、仲直りがしたい。出来れば、前みたいに。仲良く──
その時だった。
食堂の隅が、俄かに騒がしくなる。
「リオ、あそこ」
ジエンの囁きに振り向けば、ウィルが三人の上級生たちに囲まれているところだった。ウィルは座ったまま、上級生たちを睨みあげている。
「なんだよ」
上級生のひとりが、にたにたした笑いを浮かべながらウィルを見下ろしている。その手には、修練用の木剣が握られていた。
「特別クラスに選ばれて、いい気になってるって聞いてな」
「オレ達が直々に指導してやろうと思って」
「指導?お前らが?」
ウィルが馬鹿にしたように笑い返す。
「やってみろよ」
挑発に挑発で返し、ウィルは食事の乗ったトレイごと掴んで上級生たちにぶちまけた。がしゃん、と大きな音が鳴って、ウィルが拳を振り上げる。よく見れば、それは以前リオに難癖をつけてきた上級生たちだった。ウィルが打ち負かした相手でもある。また、性懲りもなく突っかかっているようだ。
「最悪」
テイルとジエンが青ざめて目をそらす。他の訓練兵たちも、同様だった。
「ウィル……」
リオはぎゅっと服の裾を掴む。
三人を相手にしても、ウィルは確かに強かった。殴られる前に避けて、殴り返し、上手く膝を使って相手の腹部を狙った。これならきっと勝てただろう。しかし、今回は、その三人ばかりではなかった。
「相変わらず強いなあ」
「オレ達の相手もしてくれよ、ウィリアム」
寄ってきたのは、他の上級生、それもディートハルトに選ばれなかった者たちだった。リオも何度か睨まれたり、肩をぶつけられることぐらいはあった。だが、ここまで露骨な態度は初めてだった。リオは冷や汗を滲ませる。
誰か、教官を呼ぶべきだろうか。
でも、足がすくんで動かない。
「いいですよ」
リオが困惑している間に、ウィルが言って上着を脱ぐ。シャツ一枚になったウィルに、上級生が飛びかかり、ウィルが仰向けに倒れこんだ。そこへ他の上級生たちも便乗していく。その数は十を超えていた。次から次に襲われ、ウィルの攻撃はだんだんと力を失っていく。右から殴られたかと思えば、腹に膝がめり込む。背中を殴打されたウィルが倒れそうになると、さらさらの黒髪を無造作に掴まれ、無理やり顔をあげさせられた。血が滴っているその顔を、リオはもう見ていられなかった。
上級生のひとりが、息も切れ切れに言う。
「生意気言ってすみませんって謝ったら許してやるぜ」
「これからオレ達の下僕になるならな」
「ほら、手、つけろよ」
しかし、それでもウィルは折れなかった。
「誰が謝るかよ」
ああ。馬鹿。
リオは祈るように服を強く握りしめていた。
無理だ。勝てるわけがないのに。
暴力が、激しさを増す。
「ウィ……ル」
リオは助けに入ろうとしたが、怖くて足が動かなかった。
いつかのリオみたいに、ウィルも早く降参すべきだ。
膝をついて、手と額を床につけるだけでいい。それだけで良い。
無駄な争いはやめた方がいい。
だって、勝てるわけがないのだから。
──と、リオの肩に重い手が乗せられた。同時に耳元に低い声と熱い息がかかる。
「あれ?君も優秀生だったよなあ」
「リオ君だっけ?見てないで参加したらどう」
「ウィルと仲良いんだろ?」
「……っや」
気持ち悪さにリオが慌てて手を振り払うと、相手は明らかな不機嫌顔でリオを見下ろしてきた。
「いてー」
「こっち来いよ、ガキ」
短い髪を掴まれ、リオは引きずり寄せられた。傍では、固まったテイルとジエンがリオを眺めている。恐怖で動けないのだ。よく、分かる。リオもそうだから。だから、恨んだりしない。
テイルとジエンのいる場所から引きはがされ、リオはウィルの隣に蹴飛ばされた。もう何十発も殴られたらしいウィルの顔は、赤く腫れていた。
「……ッウィル!」
「……リ……オ?」
ウィルがしかめ面でリオを見上げる。
近くで見るウィルの怪我はそれは痛々しいものだった。ディートハルトに打たれた腕も狙われたらしく、包帯は解け、幾つもの足跡が残っていた。蹴られ、踏まれたのだろう。
「……ひどい」
「逃げろって、リオ。お前、関係ねえんだから」
「関係なくなんてない」
リオはウィルを庇うように立ちふさがった。上級生のひとりがリオの胸倉をつかむ。
「はは、仲いいな」
「お前ら、ディートハルトさんに随分気に入られたみたいだなあ」
「いくら金積んだんだ?友達の分も払ってやったのかよ、なあウィリアム?」
「……ウィルは、お金なんて払ってません」
リオの声は、情けなく震えていた。
それでも、負けちゃ駄目だと思った。
「実力って言いたいのか?」
「なら、手合わせしようぜ」
言いながら、上級生のひとりがリオを床へ投げ飛ばした。ウィルが起き上がり、リオに駆け寄る。
「リオ!ってめ、リオに何すんだ!」
「訓練だよ、訓練」
リオは投げ飛ばされた衝撃で右肩を強く殴打していた。じんじんと痛みが広がる。
「リオ君。立ってくれよ」
転がったままのリオの頭に、上級生の足が乗った。ウィルが怒鳴る。
「だからやめろって!そいつは友達でもなんでもねえよ!」
リオははっと目を見開いた。
ウィルは、友達じゃないと公言することで、リオを守ろうとしてくれていた。それはなによりも、ウィルがリオを友達と思ってくれている証拠だった。
だってウィルは、友達じゃない人間を守るほど親切な奴じゃない。
リオは片肘をついて起き上がろうとした。
その瞬間。
「へえ、そうなんだ」
「……っ!」
負傷したリオの肩に、鋭い痛みが走った。
上級生に木剣を振り下ろされたのだと分かって、リオは身体をまるめる。本能的に頭を両腕でかばっていた。その間にも、何度も何度も剣を振り下ろされる。
「リオ……っ!」
叫んだウィルは左右から腕をとられ、うつ伏せに拘束されていた。
「別に友達じゃないならないでも良い。こいつ、目立ってて気に食わなかったしよ!」
ひと際強く打たれて、リオは悲鳴をあげる。
ざわめきが大きくなった。
「ってめ!リオを離せ!オレが相手になってやる!」
ウィルの怒鳴り声に、上級生はぴたりと攻撃をやめた。
「お前が謝ったら許してやるぜ」
「……あ?」
「ほらリオ。手本見せてやれよ。お前、前にもオレたちに頭下げたもんなあ?得意だろ」
あの日の上級生が屈みこみ、リオを覗き込んだ。
「はは、やっぱりお前も可愛い面してんなあ。でも、お前はウィリアムと違って素直だもんな」
体中が痛かった。
ウィルがぎり、と歯を食いしばる。
「……お前ら、リオにそんなことさせたのか」
「ああ。お前と仲良しごっこしてたから、お前の仲間かと思って遊んでやったんだよ。けどこいつのが賢いみたいだな。抵抗なんてひとつもしなかったぜ」
ウィルは射るような瞳でリオを見つめた。と、リオの怪我を見て、表情を変える。そのまま数秒かたまり、そうして、喉の奥から絞り出すような声をあげた。
「…………オレが謝ったら、リオを離すんだな」
「ああ、もちろん」
ウィルはぐっと唇をかみしめた。
ウィルの頭が、下に向けられる。
「約束は守れよ」
上級生たちの視線が一斉にウィルに集まる。
ウィルは、謝ろうとしていた。リオのために。どうして、とリオは思った。
ウィルは、なんにも悪くないのに。
ただ、努力をして上を目指しているだけなのに。
悔しくて悔しくてたまらなかった。
「どうしてウィルが、謝らなけりゃならないの」
気づけばそう、口にしていた。
「は?」
上級生の、いや、その場の全員の視線が、リオに向けられた。
「ウィルはなんにも悪くないのに、いったい何を謝るの」
リオは痛みを堪えて立ち上がった。
「こんな理不尽な言いがかりをつけて、謝るのはあなた達だ」
「お前、誰に向かって言ってるかわかってるのか?」
「あなたに言ってる」
「ああ?」
「ウィル、謝ることなんてないよ。僕はこんな人達に負けたりしないから」
リオは転がっていた木剣をとった。
ここ数日、ジャスティンの稽古を受けていたから握り方や振り方、基本の動作くらいならばわかった。
「リオ……っやめとけ」
ウィルが身をよじる。
リオは首を左右に振った。
このままでは、あの宿にいたころと何も変わらない。暴力に怯え隠れ、ただ耐えているだけ。これからもずっとそうなのは、嫌だと思った。
「自分で戦ってみるよ」
リオが構えると、相手は目に見えて怯んだ。だから彼は、特別クラスに選ばれなかったのだとリオは分かった。隙だらけで、木剣の持ち方もまるでなっていない。
リオが踏み込み、腕を狙った。相手は「くそっ」と毒づくと仕方なしに受け止める。驚くほどに軽く、弱かった。リオは剣をはじき飛ばし、もう一度振りかぶる。今度は、肩を狙う。
「……っ!」
鈍い音が響き、肉と骨をたたく手ごたえがあった。リオの完璧な勝利だった。
「……っリオ!くそ、離せ!」
ウィルがもがく。
リオはウィルを拘束している上級生に向かった。
「ウィルを離してください」
「……お前」
「ジャスティン教官にすべて報告します」
「……訓練外の試合が違反だって知らないのか。お前らだって罰を受けるぞ」
「知りませんでした。でも、罰なら仕方がありません、一緒に受けましょう」
「……っ」
リオは淡々と言って、ウィルの手をとった。
惚けたウィルは、変わらずかわいらしい顔をしていた。怪我はやっぱり、とてもひどかったけれど。




