(ウィル、謝る)
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翌朝。宿舎の掲示板に“特別編成クラス”と題された書面が張り出された。
「なんだよこれ」
「オレの名前がある!」
各宿舎に設置された掲示板には、それぞれ寮の当番や軍全体の日程が書き込まれることになっていた。毎朝食堂に向かう前、訓練兵たちはおざなりに目を向けるのが定番となっていたのが、今朝だけは違った。掲示板の前は立ち止まった訓練兵で渋滞し、選抜されたのは誰なんだと押し合いになる。
期待と好奇心でいっぱいの訓練兵の群れを避けて、リオは宿舎を出た。
「えっ」
「おい、これって」
掲示されたリオの名に、誰もが驚いていた。
朝食をとるリオの耳に、陰口が聞こえてくる。
『ウィルはわかるとして、どうしてあんな奴が』
『選抜組ってことだろ?』
『だから、なんであいつが』
彼らの動揺も無理はなかった。
突如設置された特別編隊。
それは、先日のディートハルトにより選ばれた兵士のための強化クラスだった。選ばれた兵士は畑仕事を免除され、肉体の鍛錬に重きを置かれることとなる。過去にも例をみない大変な特別枠だった。
そんな編成クラスに選ばれたのは、計十二名。
うち十名が上級生で、残りの二人が見習い下級兵のウィルとリオだった。
ウィルは元々喧嘩が強く身体能力も高い。選ばれた上級生たちも剣に長けている面々だそうで納得の結果らしかったのだが、やはりどうしても新参者のリオの名に、嫉妬の目が向けられた。
『どうしてあんな奴が、』と。
そんなの、リオが問いただしたいくらいだった。
たかだか一太刀まぐれで避けたくらいで気に入られるなんて、見込み違いもいいところだ。リオは早く食堂を出ていこうとスープを皿ごと口につけて流し込んだ。しょっぱくて、咳き込む。
と、空いていた向かいの席に見知った顔が並んだ。
「おはようリオ。掲示板見たよ」
「凄いなあお前。エリートだな」
テイルとジエンだった。リオはほっと肩の力を抜く。
「おはよう」
「おはよ。ねぇ、昨日さジャスティン教官に呼び出されてから戻って来なかったでしょ?」
「心配してたんだぜ。話ってやっぱり、あの特別クラスのことだったのか?」
「……ああ、うん」
頷いたリオに、ふたりは感心したようにため息をついた。
「なるほどなあ」
「リオ、素早かったもんね」
「そんなことないよ」
リオは水を飲みながら曖昧に答える。
「ううん、早かったよ。遠目からでもびっくりしたもん」
「あぁ、動物みたいだったぜ」
「動物……」
その時だった。
食堂の入り口に立ったジャスティンが中に向かって声を張りあげたのは。よく通る声に一斉に視線が集まる。
「特別編成の兵士は別行動だ。五分後に教官棟へ。遅れたら腕立て百回。嫌なら急いで」
青ざめたリオは、慌てて立ち上がった。
腕立て百。
軍の敷地を二十周。
懸垂を三十。
これが、リオがその日のうちにこなした内容だった。
結局リオは遅刻した。
場所が分からなかった為だった。教官棟は遠く奥まった場所に有り、その上道もひとつ間違えてしまったのだ。誰かに尋ねようにも畑仕事と訓練時間のため人影はなく、案内板など親切なものは何もなかった。
リオは自力でひとつひとつの部屋や訓練場を見回し、ようやくたどりついた。
教室に集まっていた兵士の中に、ウィルの姿もあった。上級生に並んで、遅刻したリオに目を向けてくる。
二日ぶりだった。
心配そうな顔をしてくるウィルはもう、リオに怒ってはいないのだろうか。反省しているのだろうか。リオは絡まった視線を外せず、そのままかたまってしまう。
と、ジャスティンの朗らかな声が響いた。
「やあリオ。初日に遅れるとは良い度胸だね」
「……すみませ」
「とりあえずそこで、腕立てを」
にこりと悪魔に微笑まれた。
その夜、リオはまともに食事をとることが出来なかった。
酷使された身体は何も受け付けず、手は震えてスプーンを持つこともままならなかった。他の特別生も同様のようで、何人も胃の内容物を吐き出していた。
「リオ」
ウィルに話しかけられたのは、食堂でリオが休んでいるその時だった。大半の兵士は食事を終えていて、数名がまばらに座っているのみだった。
リオはそばで立ち止まったウィルを見上げた。リオよりたくさんの訓練を受けていたくせに、飄々としている。
「……なに」
「大丈夫かよ」
大丈夫なわけがない。リオは憮然と尋ね返す。
「……ウィルは?」
「オレは鍛えてるから。ここ、いいか」
返事を待たず、ウィルはリオの隣に座った。と、一口も手をつけていないリオの食事を見て顔をしかめる。
「飯食わねえの?」
「……いらない、吐きそう」
「最初はそうだよな。まあ……慣れたら大丈夫だから」
「ウィルも最初はもどしてたの?」
「ん」
ウィルは頷く。
リオはほんの少し顔の向きを変えた。
「でもさっき、先輩たちはもどしてたよ」
「あいつらは軟弱だから」
言って、千切ったパンを噛み砕く。よくそんなにばくばくと食べられるものだ。
「……ウィルの身体ってすごいね」
「鍛えてるからな」
ウィルは魚の切り身にナイフをいれた。普段ならおいしく感じたのだろうけれど、今のリオには匂いだけでも駄目だった。
「鍛えるって、なにしてるの」
「家にいた頃から体力は作ってた。従者に頼んで屋敷の庭とか毎朝走ってたし、リオが今日やってた腕立ても毎日やったし、剣の先生も呼んだ。身長が伸びるらしいから、嫌いなミルクも飲んでる」
そうなんだ。
と、リオは口元でつぶやく。知らなかった。
「ウィルは努力してるんだ」
だからそんなに、自信満々なんだね。
ウィルの横柄な態度や自信には理由があった。彼は口にできるほど、努力しているし、自分で考えている。
「ま、オレは、どうしても騎士になりたいからな。自分のために出来ることをやってるだけだ」
そうして少しだけ寂しそうに言う。
「でも、リオたちは違うんだよな」
ウィルの声から、ふと力が抜けた。
「悪かった」
「え?」
今、謝った?
ウィルは食事を止めてリオに顔を向けた。相変わらず黙っていれば可愛らしい顔をしている少年だ。
「反省部屋でずっと考えてた。リオに言われたこと。オレはさ、良かれと思ってお前を誘った。けど、お前は違ったんだよな。あのチビたちも。騎士になるって、どうしてもなりたいって、そんな奴ばっかりなワケないのに。オレ、勘違いしてた。悪かった」
食事を半分以上も残したまま、ウィルは立ち上がる。
「もう余計なことしないから。お前も好きにしろよ」
「ウィル」
立ち上がったリオに、ウィルは言った。
「特別クラスのこと、嫌だろ?オレからジャスティンに言ってみるよ。今日も、助けてやれなくて悪かった」
ごめんな。
そう言い残して、ウィルは食堂を出て行ってしまった。




