表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
騎士団と嘘つき  作者: koma
<北軍編>
23/78

(泣かないこと)



 ***


「リオ君、ちょっといいかな」


 リオがジャスティンに呼び出されたのはその翌日のことだった。

 朝食を終え、畑に向かおうとしたリオをジャスティンが自ら手招きしてきた。周囲にいた訓練兵の表情がこわばり、リオもつられて身を固くする。ウィルとの喧嘩の件だろうか。

 リオは暗い気持ちでジャスティンの後を追い、教官棟の一室に向かった。



 

「どうぞ、入って」

「はい……」


 促されて入室した簡素な部屋には小窓がひとつと、机と椅子が一揃えあるのみだった。後から入ったジャスティンが「面談室なんだ」と言いながら扉と、──鍵も閉める。

 そのまま雑談もなく本題に入られた。


「君、あの宿屋の子だよね」


 リオは思わず振り返った。心臓がいやにはねる。

 ジャスティンは逃げ道を閉ざすように、扉によりかかった。


「回りくどいのはナシにしよう、リオ。君は女の子だろう?」

「…………なんのことですか」


 平静を装うリオに、憐れむような声が返ってくる。


「それで騙せてるつもり? すぐにバレるよ」


 低い声が、静かにひびいた。


「宿に戻った方がいい。そろそろトマス君も帰った頃だろうし」

「え?」


 リオは目を瞬かせた。


「トマスが帰ったって……本当ですか」

「やっぱりリオ【ちゃん】じゃないか」

「…………」


 ジャスティンは呆れたようにため息をつく。


「悪いことは言わない。はやく出て行った方がいい。……ここは君が思っているよりずっと大変な場所なんだ。ウィリアムとか、ディートとか、意地悪な上級生とかね。君だってもうわかってるだろ? 怪我をしないうちにお帰り。今なら見逃してあげられる」


 ジャスティンには、何もかも見破られていた。性別のことも、宿屋のことも、トマスのことも。


「せっかく綺麗な髪だったのに……もったいなかったね」

「…………ジャスティン、教官」

「駄目だよ」


 先手を打つように、ジャスティンは言った。


「帰るんだ」

「…………お願いです、ここにいさせてください。しばらくで良いんです。せめて、ひとりで生活出来るようになるまで」

「なにもこんなところじゃなくて良いだろう。確かに、宿屋の女将さんは厳しそうな人だったけど」

「っ! 厳しいなんてものじゃありません、わたしもトマスも毎日のように暴力をふるわれていました。それも、なにか失敗したからとかじゃなくて、あの人の機嫌一つで」


 口にすれば、記憶は鮮明に蘇ってきた。リオは知らず、服を握りしめる手を震わせる。ジャスティンが目を細めた。


「……それは……気の毒だけど」

「あなたがトマスを連れ出したあとが、一番ひどかった」


 リオは叫ぶように言っていた。責めるように。訴えるように。ジャスティンがトマスを連れていかなければ、リオだってまだ我慢出来ていたかもしれないのに。責任転嫁だと分かっていても、一度溢れ出した恐怖は止まらなかった。


「髪を掴まれて、何度もお腹を蹴られました。顔を殴られました。酒瓶を投げつけられて、残飯を食べさせられて、仕事が出来なかったら怒鳴られて……それから、それから」


 すぐそばにベルの息遣いが聞こえてくるようで、足がわななく。

 甲高く、しわがれた声。

 ぼってりとした紅い唇。

 下卑た笑い声、嘲るようなどろりとした瞳。

 全部が嫌いだった。


「……リオ。わかったら、もういい」


 ジャスティンが歩み寄って、リオの両肩に手を置いた。それでもリオは止まらない。瞬きを忘れた瞳からは涙が溢れだしていた。


「それから、わたしが大人になったら、男の人の相手をさせるって言ったんです」


 ジャスティンが息を止めた。


「…………なんだって?」

「わかりません。でもきっと痛くて怖いことに決まってます。村の男の人たちもみんな『楽しみだ』って笑ってました。でも、一番笑っていたのはベルなんです」


 リオはジャスティンに頭を下げる。


「お願いです、あの宿にはもう二度と戻りたくないんです、他に行く場所がないんです……お願いです、少しだけ……ここに置いては貰えませんか」

「……リオ」

「お願いします、お願いです……っ」


 きつく両目をつむり、懇願した。

 ──地獄を思い出していた。

 ディートハルトと対峙した時とはまた別の、地獄。

 嫌だ。

 もう嫌だ、本当に嫌なのだ。あそこに帰ることだけは。


「宿には、帰りたくないんです……!」

「リオ……」


 ジャスティンが片膝をついて屈み、リオを覗き込む。


「分かったから、落ち着いて」


 ジャスティンは迷うように数秒、沈黙していた。それから考えを巡らせるように呟く。


「…………孤児院……は、この辺りにはないな。確か南の方と王都にはあるけど……遠すぎるし」

 

 それからまたしばらく、何事かを考えていたようだったけれど。やっと結論が出たのだろう。ジャスティンは、しゃくりを上げていたリオに、尋ねた。


「……君は、トマスを追いかけてきたの?」


 こんな遠い場所まで、独りで。


「……は、い……」


 頷いた、リオの長い睫毛の先が震えていた。


「……わたっ……わたしも、男の子だったら、連れていって、貰えたのかなって……っおも……って」


 起きたらトマスがいなかった。あの朝の絶望が胸を軋ませる。


「男の子に……なりた…い……っ」


 しゃくりをあげるなんて、いつ以来だろう。

 泣いても無駄。

 わめいても無駄。

 そう気づいてから、泣くことなんてなくなっていたのに。


「ジャスティン、さん」

「……?」

「わた、しも……男の子、だったら……」

「……」

「連れて行ってくれた?」


 ジャスティンを責めても、仕方がない。

 生まれを呪っても、仕方がない。

 仕方がないから、諦めて、悟ったふりをしていた。

 でも。


「……うん。もちろんだ」


 ジャスティンはしっかりと頷いた。


「ごめんね。くだらない規則で」


 リオはやはり泣きじゃくった。どうしてわたしは女の子なの、どうしてお母さんは死んじゃったの、どうして、どうして、どうして。ジャスティンの大きな胸の中に抱き寄せられ、幼子のように背中を撫でられ、リオは不安を吐き出した。

 



「……ひとつだけ、条件がある」


 リオが泣き止んだ頃、ジャスティンがぽつりと言った。

 リオは椅子に腰かけ、向かいに座るジャスティンをぼんやりと眺めていた。いつもみたいに、貼り付けたような笑顔がない。そうしている方がずっとカッコ良いと、リオは思った。


「……条件?」

「──泣かないこと」


 ジャスティンの表情は真剣そのものだった。そんな顔も出来るのか、とリオは心の隅で驚いていた。


「ここにいるというなら、僕は君を男の子として扱う。贔屓(ひいき)もしないし、騎士道も君には通さない」


 ──女性を大切に。


 あのことか、とリオは頷く。


「わかりました」

「いいかい。君がひとりだち出来るまで、少しの間だけだよ」

「……はい」

「泣いたら、すぐに出て行ってもらう」

「……はい」


 リオは背筋を正した。

 と、少しだけ肩を力を抜いて、ジャスティンが言った。


「実はさ、ディート……ああ、彼、僕の同期なんだけど」

「……はい」

「そのディートの案でね、今度選抜した子たちだけの特別隊を編成することになったんだ」

「……そう、なんですか?」


 話の先が見えず、リオは首を傾げた。ジャスティンは困ったように微笑む。


「……その隊のメンバーに、君の名前もあがってる」

「え」

「それから、問題児のウィリアム君も」


 どうして自分が、と思う前にウィルの名を出されて、リオの困惑は益々強くなってしまった。


「ディートのお気に入りの人選なんだ」


 ジャスティンは胸ポケットから一枚の紙きれを取り出し、リオに差し出した。


「試練ばかりで弱ったもんだね。お互い」


 受け取った紙を開く。

 十余名の名が連なる【特別編成】と書かれた表。

 その最後の二行は、確かにリオのよく知る文字が並んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ジャスティンいい人じゃん!感動しました!!!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ