(英雄ディートハルト)3
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駆け寄ってきた少年たちの姿に、ジャスティンは舌打ちしたい気分だった。
なんで来ちゃうかな。
腕を組んだまま、呆れてリオを見下ろす。おおかたウィリアム坊に唆されたのだろうが、なにかと手間をかけさせてくれる少女だった。すぐ傍では、同僚がうずうずと殺気立っているというのに。自ら虎穴に入るとは。
ディートハルトが、挑発する。
「ほら、早く」
乗せられたウィリアムが戦場に躍り出た。ジャスティンは、ため息を押し隠した。
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速い。
鋭い。
恐い。
ウィルに続いて壇上にあがった途端、リオは全身が凍り付くのがわかった。熱気と砂塵に、足が竦む――そこには、本物の獣がいた。
肩で息をするディートハルトの額からは汗がほとばしり、角ばった顎を伝って、今まさに落ちようとしていた。それを拭いながら、ディートハルトは、挑発するようにウィルに白い歯を見せて微笑んだ。
前に立ったウィルが、勢いよくディートハルトに向かっていく。
ディートハルトは喜々としてその剣を受け止めた。
硬い木剣のぶつかり合う音が幾度も続き、場を圧倒する。
リオは、その勢いにただただ立ち尽くした。
「今のうちに降りた方がいい」
ふと届いた柔らかな声は、ジャスティンのものだった。
リオの前にさりげなく立った教官は、ウィルとディートハルトの試合を面白がるように眺めている。ウィルが明らかに劣勢だった。試合続きのディートハルトにも若干の遅れは見られたが、それでもその差は歴然で決着までにそう時間はかからないと見えた。
リオはごくりと唾を飲む。
ウィルの細い身体が勢いよく弾き飛ばされ、リオは悲鳴をあげそうになった。
「ウィル……っ」
「ね、ディートハルトは加減ができるような器用な男じゃないんだ。降りなさい」
ジャスティンが繰り返す。それはもう、命令だった。
リオはウィルに渡された木剣を強く握りしめた。ついさっき、ウィルに簡単な握り方は習ったけれど、それがなんだと言うのか。恐い、敵うわけがない。ジャスティンの言う通りにするのが一番だった。そもそもリオは、戦いたくなんてないのだから。
と、ジャスティンの肩越しに、ウィルの姿が見えた。剣を杖にして立ち上がり、再びディートハルトに向かっていく。どうせ勝てやしないのに。
「早く下がりなさい。ウィルが倒れたら、次は君の番だよ」
ジャスティンが口早になる。試合の終焉を示唆していた。
ウィルの腕に、ディートハルトの重い剣が食い込む。ミシミシと嫌な音が聞こえた。ウィルの手から剣がすべり落ち、両膝ががくりと地をついた。
「そこまで」
ジャスティンが手をあげて止めに入る。ウィルは蹲って呻き、ディートハルトは大きく口を開けて酸素を取り込んでいた。その瞳が、リオを捉える。
「次、君?」
「あ……」
リオは、違う、と首を振ろうとした。ウィルが蹲ったまま、顔をあげる。
「待ってください、そいつは」
「ディート、その子は」
ウィルとジャスティンが口を出すよりも速く、ディートハルトが動いた。英雄の突き出した切っ先がリオの頬を掠める。風を切る音に、リオは咄嗟に身を引いた。ディートハルトの眉間に縦線が寄る。
「やるね」
避けることが出来たのは、偶然だった。
反射、ともいう。
リオは間合いを取り、ディートハルトの次の攻撃を逃れようと全神経を集中させた。剣は、どこから飛んでくる?どんな風に?
歓声は遠のき、視界にはディートハルトの他、誰も見えなくなっていた。
リオは恐ろしい敵を前に、身を竦みあがらせる。
逃げ出したくてたまらないのに、足は震え、言うことをきかなかった。
正面のディートハルトが動くのがわかっても、今度は駄目だった。ディートハルトの剣が、まっすぐにリオの肩を目がけて振り下ろされる。
恐い
ベルの暴力が思い出され、リオは両目をつぶった。
「リオッ」
と、次の瞬間、ウィルの叫びと共に、リオは力強く突き飛ばされていた。手から剣が離れ、派手に尻餅をついてしまう。真っ暗な視界の中、何かがぶつかり合う音が聞こえる。
おそるおそる目を開くと、そこにはディートハルトの剣を腕で受け止めるウィルの姿があった。
「……ッウィル!」
ジャスティンがその間に身を割り込ませた。ディートハルトの腕と肩を掴み、押し返すように止める。
「ディート、そこまでだ」
「あ……ああ」
ディートハルトは大きく息を吐くと、力を抜いた。ウィルが、倒れこむ。リオはすぐに駆け寄った。
「ウィル、ウィル、大丈夫?」
返事はない。きつく両目を閉じたウィルの腕は、赤く膨れ上がっていた。折れているかもしれない。と、ディートハルトとジャスティンも背後から覗き込んでくる。
「うわ……ごめんよ」
「すぐに冷やした方がいいね」
ウィルは担架に乗せられ、運ばれていった。
リオはどくどくと波打つ心臓を落ち着かせるようにシャツのその部分を握りしめる。
もう、懲り懲りだと思った。
「今日はここまで」
ジャスティンが皆にそう呼びかけ、場は解散となった。
日がすっかり暮れてしまっても、まだ茫然と立ち竦んでいるリオをテイルとジエンが両端から囲む。
「リオ」
「大丈夫だったか?」
「……うん」
リオは無傷だ。
ウィルが守ってくれたから。けれど、嫌がるリオを戦場にひきずりだしたのもウィルだ。無事を願う反面、彼の強引さに腹も立つ。
悶々とするリオの隣で、テイルが済まなそうにつぶやいた。
「ごめん、リオ。ウィリアムを止めてやれなくて」
「オレも、ごめん」
ジエンまで頭を下げてくる。リオは力なく首をふった。全身の緊張が今頃になって出て来ていた。足がふらつきそうになる。
「別にいいよ。ふたりには関係ないことだし」
リオが言うと、テイルもジエンもなんとも言えない顔つきになった。リオが不思議そうに見返すと、ジエンが言った。
「関係ないなんて寂しいこと言うなよ」
「え?」
「ねえ、リオ。僕たちは、リオのこと友達だと思ってるよ」
テイルが眉を寄せて微笑む。
「だから、ウィリアムを止めたかったんだけど……おせっかいだったかな」
「あ……」
その時、リオは自分が彼らの優しさを踏みにじったのだとわかった。テイルもジエンも、きっととても心配してくれていたのに。関係ないだなんて。
「……っごめん。そんなつもりじゃなくて」
慌てて謝る。
「あの、ありがとう。でもわた……僕は大丈夫だから。本当に嫌だったら、ちゃんと自分で断れるし」
「本当?」
「怪しいなあ」
「本当だよ」
リオは必死に声をあげる。
テイルもジエンも笑っていた。
「あー、それにしても腹減った。今日の晩飯なんだろな」
「なんだろうねえ」
「確か、お魚だったと思うけど」
「さすがリオ。記憶力いいよねえ」
三人で並んで食堂に向かう。
リオは、輝き始めた星空を見上げた。北地の空は高く、山が幾重にも聳えている。心地よい風が少年達の間を優しく通り抜けた。
リオは思い切り息を吸い込む。
友達。その言葉は、リオにはまだこそばゆかった。なのに、嬉しかった。思わず頬が緩んでしまうくらいには。
と、ウィルの力強い声が胸に蘇る。
『今日からオレ達、友達な。』
そうだった。
ウィルもまた、そう言ってくれていたのだった。やはり多少、強引ではあったけれど。




