第八十九話 幕間(姫)
いつからだろうな……
常に我と対等、いや、幼い頃は我らのリーダーとして皆を引っ張っていたはずのアースを、いつからか我は軽く見ていたのかもしれない。
アースは幼馴染の中でも成長速度や、リヴァルやフーのように誰にも負けない特出した才があったわけではなかった。
アース自身もアカデミー入学の頃にそのことを自覚していたようで、昔のような夢を語ることもなく、どこか不貞腐れていた。
そんなアースに我は、「我の夫となってこの国の次期皇帝となる男がそれではダメだ」、「もっとアースを良き男にするのだ」と、「婚約者」としての使命を全うしようと、厳しく接した。
本当はもっと人目も気にせずに、同年代のカップルたちのようにイチャイチャしたりデートをしたりしたかったが、アースが誰にも文句を言われないぐらいの男になってからと、我は自分を戒めて堪えていた。
たまに、アースに言い寄ろうとする女たちも居なくはなかったかもしれないが、うん、まあ、それは、うん。
せめて、アカデミーの卒業までは……そう思っていた。でも、アースも男の子。サディスからの情報ではイヤラシイ本を所持していたことも確認済み。もし、アースが堪えきれないようであれば、まあ、そこらへんはいつでも来いとばかりに我も構えていたのだが、結局アースが我を押し倒すことはなかった。
だから、時折不安にもなったりした。
アースは我と進展したいと思わないのか? と。
そんな不安があったからこそ、御前試合でアースが我に勝って優勝して告白的なことをしようとしているのを知った時は、天にも昇るほど嬉しかった。
そして、アースがリヴァルを圧倒するほどの力を振るったときは、驚愕したが、同時に胸が高鳴った。
男としてのアースの魅力が許容範囲を超えて、すぐにでも抱いて欲しいと思うぐらい我は興奮していた。
しかし、そんな夢見心地だった我の前から、アースは逃げ出した。
理由はまるで分からない。ヒイロ殿を殴り、何かに絶望し、そして話によるとかつて滅んだ大魔王の力を振るったとのこと。
いつもアカデミーで一緒だった我は何度もアースと模擬戦をしていた。
我はこの世の誰よりも、それこそサディスよりもアースの力を知っている。その我ですらアースの振るった力を知らなかった。
我の知らないところで、アースの身に何かが起こっていたのは明白だった。
だが、それをいくら考えても分かるはずがない。
だからこそ、我は追いかけるのだ。
いかに妻になる身とはいえ、我はジッとしているだけの女にはならん。
『フィアンセイちゃん……ううん、……姫様……アースの追跡は私たちに任せてください』
『何を言う、マアム殿。夫の家出を妻として放っておけるか!』
『そのことも……うん……私も、ヒイロも陛下も……いつか本当にそうなってくれたら……って夢を語っていました。でも……それは私たちの願いであって……アースの気持ちを無視していたものでした。そのことに、私たちは……』
『??』
『貴方にも……本当に申し訳ないことを……変に期待させるようなことをしてしまったと……』
まったく。未来の母にまでこのような気遣いをさせてしまった。
つまり、アースが色々とやらかしてしまい、更には帝都の民からも罵倒されてしまった現状では、アースが我の夫となることは難しく、むしろ我に迷惑をかけてしまうという気遣いからこのようなことを……
『何も言わずともよい、マアム殿』
『姫様……』
『確かに……我はアースのことを分かっていなかった……我にとって一生の不覚』
どうして、アースがこうなったのか? アースに何があったのか?
しかし、そのことを思い悩んでいても答えは出ないのだから、今は考えても仕方ない。
『だが、分かっていなかったのなら……これから知る。そのうえで、我は何があろうと、たとえ世間がアースをどう思おうと、我はアースを見捨てない。アースを諦めなどせん』
そうだ。せっかく両思い……それはもう恋人同士と言って差し支えなく、恋人だったとして別に別れる予定もないのだから、すなわちもう夫婦なのだ。
『いえ、そうではなくて……アースは……姫様のことを……その……一人の女性としては……』
『はいはい、分かった。では、捕まえてから改めて我に惚れさせる。それでよいな?』
『姫様!』
『ふん、そんなことで我が引き下がると? 恋に障害は付き物で、それを乗り越えてこそより燃え上がるもの。では、アース捕獲に向けて出動だ!』
あまりにも、マアム殿が我に気を使って『アースは我を愛してないから、もう我には……』的なことを言って、我をこの件から遠ざけようと「嘘」を言っているようだが、そんな手に乗るほど我はお子様ではない。
アースと我の縁。それは誰にも断ち切ることも、覆せないものだ。
我がアースと初めて出会った、『あの時』から……
「だから、待てと言っているのに……アース!」
にしても、女に追いかけさせるとは、やはり相当の仕置きが後で必要だな。
そして、我が全力で追いつけないとはな。
だが、どんなに逃げてもどこまでだろうと……
「どうして外に飛び出した彼が急に逃げ出したのか……あなたたちが誰なのか……事情はまったく分からないけれど……」
「「「ッッ!!??」」」
誰だ? 若い女の声。そして気配。
我ら三人が同時に足を止めた瞬間、我らの目の前には三本の小刀が上から降ってきて地面に突き刺さる。
「誰だ? 我らに無礼な!」
「これは……クナイ? 忍者戦士の!」
「……何者です?」
上を見上げたとき、一人の女が木の枝の上に居た。
「無礼は承知よ。でもね、私は迷惑がっているハニーの気持ちを優先して、ここで足止めさせてもらうわ」
「なにを……ん?」
謎の黒髪の女。逃げるアースを追わせないために我らの前に立ちはだかっているようだが……アースとどういう関係というか……
「は……ハニーだと?」
「ええ、そうよ。私は……先日彼に出会い、そして彼に男の魅力をこれでもかと見せつけられ……ベタ惚れゾッコンラブなのよ」
は?
「でも、私はまだ彼と出会ったばかり。今を自由に生きようとする彼の旅にベタベタイチャイチャ付きまとって、鬱陶しいと思われたくはないの。だから、今の私にできることは、忍として影から彼を支えて力になるだけ……だから、あなたたちをここから先へ行かせる気はないわ」
はにー? は、はは、はにいい? こ、こいつ、こ、こ、この女……
「おい……何を勝手なことを言っている……貴様とアースの間に何があったかは知らないが、人の夫の周りでチョロチョロと……アースと我は小さい頃からの仲だ! 後から出てきた新参者は引っ込んでいろ!」
虫唾が走る。腸が煮えくり返る。我とアースの間に割って入ろうとする泥棒猫……
「夫? 小さい頃から……嗚呼、なるほど……そういうことね……」
「何がだ?」
「あなたが彼の初恋の、今でも忘れられない人ね」
「ん? そうだ!」
「ふふふ、なるほど……そういうことね」
すると、泥棒猫は我を見て何かを納得したかのように頷き、そして馬鹿にするように鼻で笑った。
「いくら、私が彼に惚れているとはいえ、それでも出会ったばかり。もし彼が昔から想いを抱き、どうしても忘れられない女性が居るならば……その女性の方が私よりも彼を幸せにできるならば……私は黙って身を引くことも考えていたけれど……」
「ぬ? な、なんだ?」
「いえ、ごめんなさい。大変失礼を承知で言うのだけれど……確かに、美人、胸もまあまあ……でも、ふふ、貴方なら全然勝てそうだと思ったの」
「……なに?」
その瞬間、我は理解した。
変な足止めで遠のいてしまうアース。
しかし、ここでこの女を無視しても、これからもこの女は立ちはだかって邪魔をしてくる。
今、ここで叩いておかねばならない敵だ。
「アースがいつの間に……そんなにモテていたなんて……」
「坊ちゃま……」
正直、今はこんな奴に関わっている場合ではない。
しかし、我の女としての本能が言っている。
「仕方ありません。奥様……ここは私が……」
「そうね……初恋のくだりとか、色々変な勘違いが起こっているみたいだし……」
この女から逃げるわけにはいかない。
そして、倒すのはマアム殿でも、サディスでもない。
我だ。
「二人は逃げているアースを。ここは、我がやる」
「「いやっ!? 姫様!?」」
流石に我を置いて先に行くことは躊躇う二人だが、そう言っていられない。
「これは命令だ! これでアースを見失うわけにはいかない! だから先に行って捕まえておくのだ! 我はこの猫に仕置きをしてからすぐに追いつく!」
「く、姫様、でも……」
「我を誰だと思っている! ここで逃がせばすべて水の泡だぞ!」
「なら、せめてここは私が……いくら何でも姫様を一人でなど……」
「我がやる! いや、やらねばならんのだ! 早く行け! 見失うぞ! これは、姫としてではなく、一人の女としてのプライドを賭けた戦争だ!」
「っ、ぐっ……わ、分かりました、姫様、でも気をつけて! 無理はされないよぅに!」
だから、これは命令だと強調し、二人を行かせる。
「ちょっと、誰も行かせないと―――」
「そうだな。貴様を二度とアースの元へは行かせん」
「ッ!?」
「帝国流槍術・槍源郷!!」
槍の「突き」そのものを風圧のように飛ばす我の攻撃を回避。
なるほど、少しはできるようだな、この女。
「風遁!」
「ッ!?」
「浪漫御開帳の術!」
しかも回避しながら攻撃? 魔法? いや、大した魔力を感じない。
風?
しかし、それは微風程度で、我の足元で少し吹くだけで、……ッ!?
「あっ、す、スカートが……くっ、なんのつもりだ?」
少しだけスカートが捲れてしまった。
まぁ、相手は女なので別に下着ぐらい見られても問題ないが……
「へぇ……白……一応、彼の好みは抑えているのね」
「ぬっ!? な、なに?」
「しかも、高級品質なシルク……良い所のお嬢様かしら? 姫様なんて言われていたけど、あながち……」
「いや、ちょ、ちょっと待て! 急に何を……」
アースの好み? ど、どういうことだ?
「貴方も知っているのでしょう? 彼が大好きな白い下着……ちなみに、先日私は見てもらったわ」
アースにパンツを!? い、いや、わ、我だって多分、気づかない間に見られたことぐらい……で、でも、そうか、アースは白が好きなのか……わ、我、今日のはたまたまで、黒派だったのだが……いやいや、それよりも、アースのやつめ、わ、我以外のパンツを見るとは何事か!
やはり仕置きは必要だ。
しかし、一方で我とアースはプラトニック過ぎる。というか、我があまりそういう隙を見せないから、アースも艶本なんぞに手を出すのかもしれん。
そ、それならば、ぱ、パンツぐらい見せてやってもいいかもしれんな。
ぬぬぬ、パンツか……そのままアースは鼻血を出して我を襲うかもしれんな……でも、そうなったらそうなったで……むふふ。
っと、今はそんなことよりも、目の前の卑猥な女に集中だ。
「ふん。身の程知らずな夢想の女……誰の男に手を出そうとしたのか、毛穴の奥まで思い知らせてやる」
「早急に朽ち果ててもらうわ。彼を苦しめる過去の亡霊は、この私が成仏させてあげるわ」
互いに譲れない。そんな想いをぶつけ合った私たちは……
「せめて名ぐらい聞いてやる。名は?」
「シノブ・ストークよ」
「そうか。我は――――」
「分かっているわ。あなたが……彼の思い出の女性、サディスさんということはね」
「……ん?」
え……ん?
「……違うぞ……?」
「え……?」
いや、なんで我とサディスを間違える?
「「………………………」」
そして、何で貴様はそれほど驚いてキョトンとしている?
というか、何てとんでもない勘違いをしているのだ?
「まあ、いい。どちらにせよ、アースは……」
「そうね。どちらにせよ、ハニーは……」
すぐに気を取り直して構え合う我ら。
「「我(私)のモノだ!!」」
そして、互いに譲れないとぶつかり合おうとした……その時だった。
「イイヤ……アレハワタシノモノダ」
「「え……ッッ!!??」」
「身の程を知れ……人間の小娘共め」
そして、我の意識はそこで途絶えた。
ヤヴァイ暑い。クールビズでもスーパークールビズでも、普段の私のネイキッドビズでも耐えきれん。
そんな暑さだからこそ頭も働かないのである。だから、私が姫の名前を素で忘れてしまっていたのも暑さの所為である。




