第五十九話 ハート
俺がトレイナと出会って最も向上したのは、拳闘術というよりはフットワーク。
マジカルラダートレーニングで鍛えた俺の足捌きは一流剣士であるリヴァルをも翻弄した。
左ジャブを中心としたヒット&アウェイこそ、俺が最もリスクを負わない戦い方かもしれない。
だが、今の俺は離れない。
インファイトを仕掛ける。
さっきのシノブたちとは違い、一撃入れられただけで全身が粉砕しそうなほどのパワーを持つアカさんにだ。
我ながら無謀。
でも、これこそが今の俺とアカさんの間では正しい選択のような気がした。
「グラアアアアアアアア!!」
だから、この拳も避けずに……ッ!
「でも、ちょっと流石に!?」
「ガアアアア! グガアアア! ガアアアア!」
「ちょ、やっ、ま、タイム! ま、待って!」
やっぱり、怖すぎる!
さっきまでイキがって啖呵切ったものの、実際一発でも食らえば死ぬ。
ダチ同士の殴り合い。
相手の攻撃を回避しないであえて受けて、今度はこっちも殴り返す。
それが一番カッコいいんだろうけど、一発食らったら死ぬ。
だから、反射的にビビッて回避しちまう。
「ガアア、ウアガアアアアア、ガアアアア!」
「ぐっ、つお、んの、そい!」
強くて速い。とはいえ、フルスイングパンチだから何とか軌道を先読みして回避できるが、今の我を忘れたアカさんは止まらねえ。
俺はただ、インファイトでも小刻みに脚を動かしたり、首捻り、上体逸らしなどで直撃を避けることしかできねえ。
『ふっ、なかなか器用なことができるな。結構その防御や回避も難しいのだぞ? まぁ、腰が引けているのは気になるが……ビビッたか?』
「わ、わーってるよ! くそ、あ~、もう!」
『受け止めてやると言って、それか? それでは逆にオーガをイラつかせるだけだぞ?』
さっきはカウンターで一発アカさんに入れられたが、こうも拳をブンブン振り回されたらタイミングが合わないどころか、失敗したときのリスクが高すぎる。
せめて、もう少しアカさんのパンチを見ねえと何もできない。
だが……
「ちょ、何やっているのよ、君は! くっ、私が今……」
「ッ、手ぇ出すんじゃねえ、シノブぅぅぅ!!」
「……え?」
何もできねーからって、余計な茶々も入れられたくねえ。
意地だってある。
「そ、そんなこと言ってる場合じゃ……」
「今こそ、そういうことを言う場合なんだよ! そんな場の空気も読めねえ奴らはすっこんでろ!」
これは戦いじゃねえ。生き残るためのものじゃねえ。
ぶつかるためのもの。
そう、だからぶつからなくちゃいけねーんだよ。
ビビるな。拳を出して、殴り合え!
『そうだ。臆するな。余とのスパーよりは楽だろう?』
そりゃ、実際に戦えばトレイナの方が強いんだろう。
でも、やはりファントムスパーやヴイアールでのスパーとは違う。
当たればリアルな死が頭を過ぎる。
『貴様は言ったな? これは喧嘩だと。なら、喧嘩で最低限必要なのは何だと思う?』
必要なもの? 技術? 身体能力? 経験? 頭? 意地? 根性?
『ハートだ』
いつも技術的なことを理論や理屈で説明して俺を納得させるトレイナが、ここに来て目に見えないものを俺に言ってきた。
だが、それが正解なのだと、俺の心が認めていた。
『これが戦いでもなければ試合でもないのなら、勝ち負けなど関係ない。貴様の言うように届けることが重要だ。倒れてもいい。逃げなければな。さすれば、その気持ちは届くさ』
そう。負けたっていい。逃げなければ。
「ウガアアアアアアアアアッ!!」
アカさんの唸りを上げるようにアッパーだ。
こんなので殴られたら顔がふっとぶ!
「もう、君は何をやっているのよ、さっきから! 戦碁ではあんな超級の思考力を見せつけてくれたのに、何でその距離でオーガと殴り合おうとしているのよ!」
だから、うるせえって!!
「もっと、『頭を使いなさい』よ!!」
だああああああああ、もう! 何が頭を使えだ!
振り絞るのはハートで、使うのは頭でいいのか?
「くっ、そっ、たれがああああああああああああ!!!」
アカさんのアッパーに対して、俺は上体逸らしで回避……いや!
むしろ踏み出す!
上体逸らしをしようとした体を、むしろ反動つけて前へ踏み込む。
ぶつかってやる。
やってやる!
ヤケクソになってでも!
「うるあああああああ!!」
「ウガアアアッ、ガっ!?」
アカさんのアッパーに対して、俺は勢いつけて顔面を突き出した。
その結果、俺の「額」にアカさんの拳が突き立てられ、「グシャッ」と潰れた音が響いた。
「な……なんてことを……そっちの頭を使うは違うわぁぁぁ!!」
驚愕したようなシノブの声が聞こえる……聞こえる?
聞こえるってことは、俺はまだ死んでないってこと。
『いや……そうでもない。そっちの頭を使うで正解だ!』
そして、トレイナの声まで聞こえる。じゃあ、俺は……?
「つっ、いっっっっっっつ!?」
頭蓋骨が粉砕された「みたい」に痛い……だが、痛いってことは、俺はまだ生きている。
でも、今、何かが潰れるような音がした。
じゃあ、潰れたのは……
「ガアアアアアグガアアアアア!」
咆哮するアカさん。だがそのとき、俺は見た。
俺を殴ったアカさんの拳が腫れていた。
なんで?
『なんてことない。相手の拳を強固な額で受けるのは、拳闘のディフェンスにおける高等テクニックの一つ。もちろん受けるほうも只ではすまぬが……体全体を使って全体重をかけた頭突きと拳の対決では……貴様に分があっただけのことだ』
顔面ではなく、額で受け止める?
『それが、高等技術……大魔ヘッドバット!』
別に俺は狙ってやったわけではない。
シノブの声にヤケクソになっただけだった。
つか、頭の中身が結構くる……でも……これなら……
『額から少しズレただけで、顔面を破壊される。ゆえに……必要なのは、優れた動体視力。だが、それだけでは完成しない。最も必要なのは、恐れず自身を投げ出す……ハートだ!』
アカさんの拳を避けるだけだったら、アカさんをイラつかせるだけ。
だが、これなら?
もうちっと受けてやれる……かな?
「ウガアアアアアアアア!!」
「ぜやあああああああ!!」
潰れていないもう片方の拳で再び俺を殴ってくるアカさん。
今度は自分の意思で、意識して、意図的に、そしてハートを振り絞ってもう一度頭突き!
「ウガッ!? ガアアアアア!」
「くはっ、わ、割れる……ぜ……だが……どうだい?」
視界が真っ赤になっている。目の中が爆発したのか、頭が割れて飛び散った血が視界を覆っているのか、もう分からねえ。
だが、そう見えるってことは、俺はまだやられちゃいない。
そして、我を失ったはずのアカさんが、自分の拳を見て一瞬状況に戸惑っているように見えた。
だが、ここからだぜ!
「二発殴ったな? アカさああああああん!!」
「ガグアっ!?」
「ウルアアアア!」
ボディを突き刺し、アッパーを打ち込む。手ごたえあり。ガラ空きの肝臓と顎に間違いなく……
「ガアアアッ!」
「つっ、大魔ヘッドバッド!!」
俺の攻撃は入ったのに、アカさんに怯む様子なく、潰れた拳で躊躇せず俺を再び殴ってきた。
だから、俺も躊躇しないで額を突き出した。
「な、にを……なにを、私たちは……見ているの……?」
「これは……いっ、たい……」
もう、シノブたちも唖然としている様子だな。
フウマとかいう奴らも、瀕死の体で俺たちを見て……まあ、どうでもいい!
邪魔さえなければな!
今は、俺とアカさんの時間だ!
「もう一発返すぞ、アカさん! 果てまでぶっ飛べ! 必殺・天羅彗星―――」
そして、今度は俺の番だ。右拳をフックとアッパーの中間の位置に構えて、そこから真っすぐ突き出すパンチ。
スマッシュだ。
俺の技名は、天羅彗星覇壊滅殺拳。
だが、もうそんなものが今になって俺はどうでもよくなった。
技名がカッコいいとかカッコ悪いとか、そんなんじゃねえ。
いや、カッコつけてる場合じゃねえ。そうだろ? トレイナ!
『そうだ、今こそ叫べ!』
だから、俺は途中まで叫びかけていた技名を叫ばず、師から教わった本当の技名を叫ぶ。
「大魔スマッシュッッ!!」
「グアガアアッ!?」
その瞬間、俺は心が解放された気がした。人目も、人の印象も気にしない。
ダサかろうが、堂々と叫べばいいんだ。
「どうだ、アカさん!」
俺の渾身のスマッシュで、アカさんの顎が跳ね上がる。
完全に無防備……ならば、もう一発!
「次は俺が余分に殴るぞ、アカさん! 覚悟――」
「ッッガアアアアアアアアアアア!!」
「うおっ!?」
だが、アカさんはすぐに態勢を立て直す。
変わらねえ野獣のような怒りに満ちた形相で、片足上げて更に振りかぶってから、俺に拳を投げるように打ってくる。
俺の拳も止まらねえ。
なら……
「ったく、だから……次も俺の番だって言ってんだろうが!!」
それなら、その勢い溢れるパンチも利用してやる。
俺は拳を突き出しながら、更に一歩踏み込む。
俺とアカさんの拳が交差する。
『それだ! 行け!』
珍しく興奮したように叫ぶトレイナの声が聞こえ……
「大魔クロスカウンタアアアアアアアア!!」
相手の直線的な攻撃に飛び込んで、交差させるように拳を叩き込むカウンター。
本当なら、そう簡単に成功するような技じゃねえ。
でも、俺は「できる」という自信があった。
アカさんの拳にまばたきしないで、寸分の狂いもなく額で受け止めたんだ。もう、今の俺の目は、たとえ視界が赤く染まっていても、全てを見切れるほど調子が上がってきた。
拳に残る、アカさんの顔面に打ち付けた感触。鼻や歯も砕いたかもしれねえ。
『ふは、ははは……見事。そして……ふはははは、あの娘も、そして忍の連中も、もはや脱帽しているな。そうだ、その目に焼き付けろ、愚かで矮小な人間どもよ! 世界よ! あれが余の弟子だ! そして、これが喧嘩だ!』
心臓がバクバク言ってるのが分かる。
友の顔面を全力で殴ったってのによ。
でも、次はアカさんが殴る番。
「さあ……次は……アカさんだ……こい……よ」
「グル……ガルルル……ウゴアアアアアッ!!」
手負いの野獣だが、それでもアカさんは何度でも拳を振るう。
なら、俺も再び……
「大魔ヘッドバッ……ぐぉっ!!??」
首が、曲がっ!?
『ぬっ、……童……』
やばい。アカさんのパワーに押されないように、首に力を入れてこれまでヘッドバッドをした。
しかし、それなら、俺はこれまでアカさんのパワーを……これで……何回目だ?
「いけないわ! もう、彼の体も……」
「無理もない……あの体格差だ……」
首の筋肉も、頭も限界で、もう痛みで体も……あ……ヤベエ……何も考えられね……いや!
「考え……る必要なんかあるか! 必要なのはハートだろうが! 首が折れ曲がっても、俺のハートは折れちゃいねえ! ヒビ一つ入ってねえぞ!!」
「ッ!?」
「何もかもが無くなっても……そこからまた、力が湧いて来るんだよぉぉ!!」
自然と拳を握っていた。そこから拳を捻り、肩、肘、手首を駆使してドリルのように突き出す。
「も、もう無理よ! 限界よ! やめなさい!」
なんか、聞こえる? 限界? バカ言ってんじゃねえ……だって……
「限界と書いて、『ここから始まり』と読むんだよ!」
もう、あんまり目も開けられねえから突き出すだけのパンチ。
「たとえ、取り返しのつかない傷を負ったとしても……取り返しのつかない後悔をするよりは!」
飛び跳ねたりしてアカさんの顔面を打つのではなく……
「大魔コークスクリュー・ハートブレイクウウウウ!!」
「ッッ!!??」
アカさんの左胸のハートを打つ。




