第五百四十五話 改めて自分を見つめ直す
人里離れた山奥の集落から王都へ。
山を越え、谷を越え、人の通らぬ道なき獣道を突き進むアースとシノブ……離れた場所で二人を眺めてニコニコなエスピ。
とはいえ、アースももうそういう移動は慣れたもの。
「なんだか、ハニーもすっかり忍者……いいえ、それ以上の身のこなしね」
「え? そうか?」
「ええ、初めて会った時の私との追いかけっこ……あの時もキレがすごかったけど、今はもっと余裕を感じるわ」
「あ~……あんときと比べたらな」
帝国での家出から始まって過去の時代を乗り越えて、足場も悪く薄暗く周囲もよく分からない密林を駆け抜けるような経験を何度もしてきたアースにはもうこういうことは普通のことであった。
シノブにとってはアースと出会った時の追いかけっこ以来のことであり、そのシノブの素直な評価にアースも頷いた。
「実は家出した直後の俺は、森の中でウサギを捕まえられないぐらいだったんだぜ?」
「え……うそ……」
「本当さ。腹も減って森の中を彷徨って、そんな中で見つけたウサギを『肉だー!』って飛び掛かるも、アッサリ逃げられちまってな……」
今の自分では考えられないぐらいのこと。シノブも驚くのも無理はない。
「でも、今なら楽に捕まえられるだろうな……シューティングスター」
「え? しゅーてぃんぐ……なに?」
「そのウサギの名前さ。結局捕まえたけどなんやかんやで逃がしたそのウサギに俺はシューティングスターと名前を付けた。今もまだ元気なのかな?」
と、少し昔を懐かしむように目を細めるアース。
その傍らで……
『……………』
非常に微妙な表情でトレイナは沈黙していた。
「まぁ、ハニーがどれだけ密度の濃い日々を過ごしてきたのか……もう十分すぎるほど分かってしまったから納得しかないのだけれど……でも、ウサギも捕まえられなかった男の子が、六覇を倒すまで成長するとは……それに比べて私は歯痒いわ」
「シノブ?」
「天空世界以降、己の無力を見つめ直し、一から鍛え直すはずがハニーとの差は広がる一方……君に憧れると同時に、嫉妬するわ」
と、少し寂しそうに微笑むシノブにアースはドキリとさせられる。
とはいえ、ここで軽はずみな言葉や、安っぽい慰めを言えるはずもなく、アースはただ傍にいて聞くことしかできなかった。
『ふん……そもそもバサラを師匠にというのが間違いだ。あれは生まれた時からの怪物であり、努力とは無縁の存在。修行と言いながらも、『とりあえず自分と戦って鍛えろ』だのと言っている光景が目に浮かぶ……理論もへったくれもない、アレはヒイロと同じタイプだ』
そんな二人の会話に、トレイナが皮肉を口にする。
そして、アースもトレイナの言葉に思わず笑みが零れた。
『はは……それは、俺もそう思った』
『だろう? まぁ、それで強くなることもあるが、少なくともシノブのようなタイプでは難しいだろうな』
『……え? ……どういうことだ?』
ただ、そこで付け加えるように告げたトレイナの言葉に、アースも顔を上げた。
『そもそも、『忍者戦士』というのは普通の戦士ではない……あらゆる分野に精通した存在……生涯修行で生涯勉強……まさに、膨大な学問なのだ。ゆえに、ただの強者であるバサラと戦うことで経験値を上げる……というトレーニングだけでは、期待した以上の成果は望めまい』
『……え、そうなの? って、ちょっと待て。だったら、バサラの下で今修行をしているっていうフィアンセイたちも無意味ってことになる?』
『いや、それは違う。あやつらは、逆にバサラの下で過酷な実戦を経れば化けることは十分あり得る。戦闘がそういうスタイルであり、帝国騎士という戦士はそこが忍者とは違う……純正な戦士タイプなのだ』
『……?』
『童、初めてシノブと戦った時を覚えているだろう? 搦め手、不意を突いた攻撃、陽動、暗殺……忍者戦士にとって正面から一対一で戦士のように堂々と戦うというのはそもそもがレアなのだ。そういうシノブにとって、今更単純な一対一の戦闘訓練では大した上積みは期待できないのだ』
『は……あ……なるほどなぁ……結構、忍者戦士ってスゲーというかメンドーなんだな』
トレイナなりの忍者戦士やシノブに対する分析に、アースは納得させられた。
そもそも、シノブというよりも、ジャポーネの忍者戦士とは帝国の帝国騎士とは分野が違い、戦い方も正面からの戦闘というわけではなく、同じような修行をしてもそれほど効果がない。
言うなれば、忍者戦士は忍者戦士専用の修行をしなければならないということなのだ。
『じゃあさ、トレイナがシノブを指導するとしたら……どういう修行を命じるんだ?』
なら、どうすればいい?
その答えをトレイナに問うと、トレイナは少し間をおいて……
『そうだな……それを知るには、まずシノブの得意分野や適性を知らねばな。たとえば得意な攻撃の術などな。まぁ、シノブは全てをそつなくこなすタイプだろうが……』
『なるほどな……』
トレイナの言葉に頷き、アースは隣を走るシノブに尋ねる。
「なぁ、シノブって得意な攻撃の術ってなんなんだ?」
「え? あら、珍しいわね、ハニーが私のことを知ろうとしてくれるなんて……ふふ、私の得意攻撃……恋のアタックかしら?」
「……す、すまん、ふいうちやめて」
「……ごめんなさいね、真面目な話よね。得意な術……と言っても、攻撃の術なら一通りすべての属性を私は満遍なく使えるからね……火も、水も、風も、土も、雷も……」
改めてアースは感心する。
自分も魔法で複数の属性を使えるが、当然ムラがあるし、今となっては雷などの攻撃魔法を戦闘で使うことはほぼなくなっている。
『すげーな、フィアンセイも魔法はすごいが全属性は無理だし……フーは全部の属性を使えるけど、肉弾戦はできないし……』
『だろうな……ここら辺がある意味で器用貧乏……童の目指す器用裕福には物足りないといったところだな。それを脱却するには―――することだな』
そんなシノブが今よりも殻を破るにはどうするか?
それは……
「え!?」
「……え? どうしたの、ハニー?」
「え、あ、いや、何でも……」
思わずアースが声を出してしまい、今のは自分の聞き間違いかと傍らのトレイナに心の中で尋ねるが、トレイナは冗談ではなかった。
『お、おおい、トレイナ? どういうことだ?』
『これがシノブの、ある意味で忍者戦士らしい特訓というものだ。さらにこれにより、過去の世界から帰還してから少し気が緩んでいる貴様の気を引き締めることにもなるであろう』
『で、でもだからって……ガチでやるのか?』
『そうでなければ意味がないであろう? まぁ、何も本当にヤルわけでもなく、本当にヤル気でヤレということだ。寸止めするかどうかはシノブの裁量次第ということでな』
ニタリと悪魔のような笑みを浮かべるトレイナ。
そしてそれはシノブに対するものだけでなく、それはそのままアース自身の特訓にも繋がっているようだ。
『わかるか? 別に断じてこの数日全然特訓に身が入っていないとか、放置されていた八つ当たりとか断じてそんなことではなく、圧縮大魔螺旋を身に着けるための感覚を養うため……少しは日常から気を引き締めることだな』
『……ったく』
そう言われてしまえばアースに拒否することはできず、アースは気が向かぬままシノブに……
「じゃぁ、シノブ……俺を暗殺する訓練してみねーか?」
「……は? え?」
暗殺の特訓。
まさかのアースの提案に意味が分からず固まるシノブ。
その反応は当然だと感じながら、アースは……
「今からよ、特に期限も何もない。いつでもどこでも……ジャポーネで買い物しているときでも、集落に戻ってメシ食ってるときだろうと、寝ているときだろうと、いつでもどこでも『ここだ』と思える瞬間に俺を殺す……暗殺の特訓。逆に俺はいつでもどんなときでも神経を張ってお前に殺されないようにする」
「ちょ、は……ハニー……何を……何を! わ、私にハニーを殺すなんて……」
「とはいえ、できればクナイの刃は潰してくれてたら嬉しいけど……俺が『あっ、殺された』と思えばお前の勝ち。どうだ? 暗殺ゲームだ。何もお前に一対一で正面から戦闘で俺に勝てって言ってるわけじゃないんだぜ?』
シノブはあくまで忍者。そういった戦闘スタイルである以上、それを伸ばすのは正面からの一対一の戦闘ではない。
忍者戦士の戦闘は相手を倒すことではなく、どのような手段を使ってでも相手を殺すこと。
それがトレイナの考えであり、そしてそのターゲットをアースにすることで、アース自身の神経をも鍛える。
それが『圧縮大魔螺旋』の新たな感覚を掴むのに必要なのだと。
「ハニー……ど、どうして……どうして君がそんなことまで……そんなことに何の意味が?」
「お前も、忍者戦士なら忍者戦士らしいやり方の方が色々と見えてくるんじゃねえのか? それに、俺には俺で新技を身に着けるために必要なことなんでな……」
「ハニー……」
「殺してみろよ、俺を」
アースがそう言って笑うと、シノブは感極まったように目元が潤んだ。
「もう……私のために……だから言ったのに……これ以上私を惚れさせないでよ……もう無理なのだから……これ以上は……」
「シノブ……」
アースの心遣いに胸を打たれ、そしてゆっくりとアースに近づき、そのままシノブは……
「疾ッ!!」
「ッ!? ぬおっ!!!!」
アースの首筋をクナイで切ろうとした。
「あ……お、お……」
間一髪。シノブがもし、『アースにも分かるほどの殺気』を放たなければ、今の一瞬でアースは殺されていた。
思わずアースの全身から汗が吹き出す。
「なるほどね、ハニー。なんだか自分の中で腑に落ちたわ」
すると、シノブはニッコリと微笑んだ。
「暗殺というのは対象に対して自分の持てる全ての手札の中から最適なものを駆使して完遂させるもの。逆に言えば『こういうとき、こんな力を持っていれば』という自分の課題が浮き彫りになる。確かに私には、こういう方が自分自身を見つめなおせていいかもしれないわね」
「お……おお……そ、そうか?」
「だから、今度からは……今のように見え見えの殺気をむき出しにしたりしないで、本気でハニーを殺す気でやるわ♥」
いや、ニッコリではない。
その微笑は、初めてアースがシノブと出会った時以来のもの。
「いい訓練だわ。暗殺を確実にするには対象となる相手を根本から知り尽くし、その上で24時間張り続ける……お風呂だろうと寝ているときだろうと付きまとって……うふふふふ、ふふ」
「ぬおっ!? っ、わ、笑いながらクナイを投げてきやがっ……っ!?」
シノブの微笑は口角が三日月のように鋭くなり……
「パトスが滾ったわ♥」
『あれェ? あの恋する可愛いシノブはどこ行ったぁ?』
思わず背筋が凍りつくアース。
だが、その恐怖の笑みはすぐに元のシノブの笑みに戻って……
「さ、ハニー。王都へ向かいましょう!」
「お、おお……ぬわああ、なんだ、落とし穴ぁ!? うわ、トラップ!? ちょ、いつの間に!? って、まさか……ちょ、このシノブ、分身じゃねえか!? 本物は!? え?」
「うふふふ、殺す気で君にアタックするわ、ハニー♥」
このときアースはトレイナの提案でシノブの殻を破る手伝いとなればと良かれと思っただけだったのだが、少し後悔した。
「へェ~、なるほどね~」
そして、そんな二人の様子を離れた場所で聞き耳立てて様子を伺っているエスピは感心したように頷いた。
「ああいうのが本来のシノブちゃんなんだ~、鑑賞会で映っていたパリピとの戦いの時とは違って活き活きしている……そして、ああやって自分の得意な分野ですべてを出し尽くしたうえで、それでもダメだった場合に自分の伸ばすべき課題が見えてくるって感じかな? …………絶対にトレイナのアイディアだし!」
エスピも二人のやる暗殺ゲームの意図を理解し、その上でそれが絶対にアースが自分で考えたものではないということも見抜いた。
そして……
「土遁・岩礫の術!」
「ちょ、そんな大技いきなり……いや、この術は囮……こっちだぁ!」
「ふふふ、逃がさないわよ、ハニー♥」
「ええい、捕まるか! マジカルフットワークッ!」
前を走って、危険なゲームでありトレーニングでもあることをしながら王都へ向かう二人を眺めながら、エスピは……
「それにしても……危険なのにイチャイチャしているようにしか見えないよぉ!」
と、少し呆れながらもニヤニヤしながらそう悶えた。




