第五十三話 駆ける
嫌な予感がする。
街から見えた狼煙を目指して、俺は走った。
大量のケーキの箱を袋に入れ、それを左右の手で持ちながら、俺は山の中を走った。
少し乱暴に走ってケーキの形が崩れるかもしれねえが、そこはアカさんに我慢してもらおう。
「……なぁ、どう思う、トレイナ。さっきの話……」
『ジャポーネ出身のハンターチーム……か?』
「あの女……ハンターチームに何か関わっていると思うか?」
『まぁ……その可能性は高いだろうな』
「もし仮にあの女もハンターだったとして……アカさんが見つかったらどうなる?」
『さぁ……な。戦後とはいえ、どういう反応を示すかは余も分からん……こともないな。どういう反応を示すかは……きっと、昔も今も変わらんだろうからな』
ジャポーネと言われて真っ先に思いついたのは、あの女だ。
そして、その側に居たコウガとかいうおっさん。
話しぶりから、他にも何人か仲間と一緒に居るようだったが、あいつらはジャポーネの連中だった。
俺と同じ歳のあの女がハンターの仲間? 兄さんがどうのとか言っていたけど。
『あのアカというオーガ……貴様には親切にしていたが、戦えばその力は恐らく……心配いらぬと思うが……』
「ああ。でもよ、な~んか、嫌な予感がするしな……アカさんが無事ならそれでいいさ」
しっかし、こう、両手に荷物を抱えて、しかもあんま乱暴に扱えないものを持って素早く移動するってのも難しいんだな。
一つ先、もう一つ先の障害を読んで、最短、安全コースを進む。
昨夜はトレイナにマジカル・パルクールを教えてもらったが、うまく活用できてねえ。
『おい、急ぐにしても、マジカル・パルクールにはもっと周辺視野、そして戦碁で使うような先読みをもっと意識しろ』
「わーってるけど! でも……ほげえ、頭打った!?」
『二つ、三つ先の障害を読んで避けたぐらいで気を抜くな! 一つ避ければ、また次の次の次まで常に読まなくては、木などの障害物に激突するぞ!』
「だ、だから、ケーキを抱えてるから、あんまりうまくできないんだって!」
『ガムシャラにダイナミックに突き進むことばかりするな。それこそデリケートなものを持って動いても苦にならないぐらいの、丁寧さや繊細さも併せ持て』
「それってかなり難しいぞ!」
急ぎ過ぎれば木にぶつかる。木を意識しすぎれば遅くなる。ケーキに気を遣えば中途半端になる。
体の使い方がうまくいかねえ。
つか、アカさんの無事を確認するのが先決だし、ケーキなんか放り棄てちまうか? また買えばいいし。
『やはり、昨夜も思ったが、貴様は平地や闘技場での戦い方や体の使い方しかできていない。パルクールに必要な、『ランディング』や『ローリング』の基本がそもそもできていない。だから、ウサギすら捕まえられんのだ』
「また、新しい用語出しやがって……何だよ、それは! 走りながら教えろ!」
正直、腰を下ろしていつもの丁寧な解説を聞いている状況じゃないので、俺は急かすようにそう言った。
『ふぅ……ランディングとは、四点着地と呼ばれるものだ。簡単に言えば、両手両足を使って着地することで、落下時の衝撃を四つに分散させる基本技術。そして、ローリングとは着地の際に前転をすることで、衝撃を分散する技。走り方よりも、安全な着地の仕方こそが、パルクールを習得する前の必須と知れ』
「そんなこと、やったことねーよ!」
『こういうのは、幼少の頃に外で遊んだり、山で走り回ったりして自然と身に付けるモノだと思っていたが……やはり、都会暮らしのボンボンめ……』
「あー、またボンボンって言ったな!? 結構、気にするんだぞ、それ! 大体、ケーキ持ってたら、そんな四点何たらとかできねーだろうが! つか、もう捨てるぞ、このケーキ!」
俺はどうやらパルクールを習得する前の基本というか、必須的なものがまずできていないということらしい。
じゃあ、どうする?
これはやっぱ、体で覚えるしか……
「ん……? ッ!!?」
その時だった。
「おやおや、騒がしいですな~……お若いの。こんな山奥で、お荷物抱えてどうしたでござる?」
突如、急いでいる俺の耳に、やけに落ち着いたノンビリとした声が聞こえた。
思わず足を止めて声のした方へと体を向ける。
「な……に?」
隣の木の枝の上で胡坐をかいている誰かが居た。
全身を黒装束で包み、頭も黒い頭巾、口元も黒いマスクで覆っている。
そしてその背中には、小さく短いが、剣と思われるものを背負っている。
誰がどう見ても怪しい人物。
「……おい、誰だ?」
「ん~……拙者はハンターでござるよ」
落ち着いた口調で、あまり敵意も感じさせない。
と言っても、顔を隠されているから表情までは分からねーが。
「ふーん。ま、ちょっと悪いが俺は急いでるんで」
「ああ、ちょっと待ってもらえないでござるか? いや、急いでいるのなら本当に申し訳ないでござるが」
ちょっと反応を窺おうと思って、俺がそう言った瞬間、案の定、俺を止めてきた。
「拙者らは現在、ちょっと厳しめな特訓をこの先で仲間たちとさせてもらっているでござる。お急ぎの所申し訳ないでござるが、ちょっと回り道をしてもらえないでござるか? すごく急いでいるのであれば、拙者が抱えてひとっ飛びするでござる」
丁重に言ってはいるが、要するに、特訓中だから邪魔をしないで欲しいということのようだ。
別にそれならそれで構わない。
ただの「特訓」ということであるのなら。
「あんたらか? ジャポーネのハンターってのは?」
「お? 街で聞いたでござるか? いかにも、拙者らがジャポーネ出身にして、フリーのハンター……『抜け忍ズ』ござるよ」
やっぱりか。そして、同時に……
『童……気を付けろ……』
「ん?」
『こやつら……フリーのハンターなどと言ってるが……そんな甘いものではないぞ?』
トレイナが目の前のハンターに何かを感じ取ったようだ。
確かに、見てくれも普通には見えないし、怪しさ全開だ。
「ま、あんたらがどこのハンターかはどうでもいいが、俺はこのケーキを早く友達に届けたいんでな。この先に居る」
「……ん?」
「あんたらに迷惑をかける気はないが……仮にも帝国の領土内で、他国の連中、ましてやフリーのハンターに指図される気はねーんだが?」
「まぁ……それを言われたら、ぐうの音もでないでござるが……」
別にこいつらがただ怪しいだけならそれでいい。
ちゃんと普通に訓練しているんなら問題ない。
ただ、どうしても気になることがある。
それは、こいつらがアカさんと何一つ関わりなく、たまたまアカさんの居る所で訓練をしているだけで、アカさんの存在にも気づいていないのであれば、何も気にすることはない。
だが、「この先にオーガが居るけど知ってますか?」なんて、俺の口から言うわけにはいかない。
だから、ちょっと回りくどい探りになるが、これでどう反応するか……
『童……神経を張り巡らせ、気を付けろ……そして、顔に出さずに聞け。今……囲まれているぞ?』
「………………」
『斜め左後方に一人……右後方に一人……』
おやおや、気付かなかったぜ。随分とかくれんぼがうまいんだな。
つまり、目の前のこいつを入れて三人か。
まぁ、別に何も問題が無いのであれば、物騒なことにもならないんだが、果たして……
「ふぅ……大事にならないようにしたかったが……分かった、正直に言うでござる」
すると、目の前の男は観念したように敵意が無いことを示すように両手を上げた。
「実は、拙者らが特訓中に危険な存在を発見したでござる」
「危険な存在?」
「残虐非道なモンスター……オーガ」
ああ……何でこう、嫌な予感が当たるんだか……
「かつての大戦で何千何万の人類に死と悲劇をもたらした危険種……放置して地上の人々に危害をもたらす前に、今、拙者らのリーダーと仲間が総力を挙げて討伐しようとしているでござる。だから、今、この山も森も非常に危険でござる。そのため、拙者らも誰かが来ないように見張りをしていたでござる。どうか、ここは我々の言うことを聞いてもらえないでござるか?」
そして、それなら仕方ねえ。俺も頷いた。
「そうか。残虐非道なモンスターが居るのか……それは知らなかったな。そりゃ~討伐しねーとな」
「うむ、急いでいる所に申し訳ないでござるが、ご理解感謝でござる」
そうだ。討伐しないといけない。残虐非道なモンスターなら……な。
「ところで……」
「ん?」
「実はこの先に、あんたらの言う奴とは別に、『心優しいオーガ』が住んでいるんだが……それは知ってるか?」
「……は?」
「俺の友達なんだが……ま~さか、あんたら……俺の友達を勘違いして襲ったりしてねーよな~?」
そう、アカさんは違う。
誰よりも優しくて、情に脆い人で、そんなアカさんを、まさか残虐非道だなんてほざく奴、居るわけが……
「……おぬし、あの赤いオーガの関係者でござるか? 心優しい? どういうことでござる? まさか、あの赤いオーガと一緒によからぬことを企んでいるのではござらんだろうな?」
ああ……どうしてこうなるんだろうな?
俺が大魔王の技を使ったら、恥知らず。
俺がオーガと友達になったら、良からぬこと。
帝都の奴らだけでなく、他国の奴らまで……あ~、もう!
そうじゃねえ、早く事情を説明して、何とか話し合いを……話し合い……話し合いを……
「あ~もう、そうじゃねえよ! 確かに、オーガはオーガだ! でもな、その人は困ってた俺を助けてくれた!」
「なに? ……助け……まさか、人間の情報を得るために?」
「ちげーって、ただの善意だよ! アカさんと話せば分かる! 優しくて、不器用で、本当は人間と友達になりたがってるんだ!」
「なんということだ……まさか、ここまでオーガに懐柔されているとは……」
話し合い……話し……
「本当だ! 今すぐ、あんたの仲間を止めろ! 少し話せば分かる! アカさんみてーな良い人は、人間にだって居ねえ!」
「そうやって油断させ、虎視眈々と何かを企んでいたのかもしれぬでござる。相手はオーガ。そなたは、オーガのことを何も分かっていないでござる!」
話し……あ……い……
「かつての戦争を経験した拙者は、オーガという種の鬼畜さは知り尽くしている。奴らは一匹残らず駆逐せねばならぬ種! これだから最近の若い者は……」
あっ、もうだめだ。「最近の若い者」、これが出たらもうダメだった。
「……おい……いい加減にしろよゴラ……」
「ん?」
「これだから昔の者は思考停止しやがって……どいつもこいつも……どの国も!」
俺は持ってたケーキを木に立てかけて置き、そして一気に吼える。
「テメェら! アカさんに何してやがるんだゴラァ!!」
「ッ!?」
飛び込み、そして、一発!
「は、速いッ!?」
「うるあああ!」
右のストレートを顔面に思いっきり打ち込んでやった。
男は俺の拳を受けて地面に落下し……ん!?
「な、なに!? ま、丸太!?」
俺は今、間違いなく男の顔面を殴った。
だが、その瞬間、男の姿は丸太になった。いや、入れ替わった?
『変わり身の術だ! 童!』
「は? 変わり身?」
『背後だ! 来るぞ!』
トレイナの言葉に反応した直後、俺の背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「君が現れたのは驚いたけれど……どういうことか、後で説明してもらうわよ」
「ッ!?」
「とりあえず、今はおやすみなさい」
首元に手刀で一撃。振動で全身に痺れが走り、俺の体は地面にそのまま落下する。
これって、人を気絶させたりするのに使う……
「まったく、驚いたわ……ねぇ? 『イガ』、ちょっと危なかったのではないかしら?」
「うむ。あと一歩遅ければ殴られていたでござる。只者ではないでござるな……お嬢の知り合いでござるか?」
「その若いの、さっき街でな……お嬢と戦碁を打ってたやつなんだが……ほんと、どうなってんだか……」
ああ……ほんとに危なかった。トレイナの一言で、俺が反応して打たれる箇所を僅かでもズラしていなければ、多分俺は意識を失っていただろうな。
「ったく……やってくれるじゃねーか……」
「「「ッッ!!??」」」
立ち上がった俺に驚いた顔を浮かべる三人。
一人は、『イガ』と呼ばれていた、さっきまで俺が話していたマスクの男。
もう一人は、『コウガ』と呼ばれていた、街で会ったおっさん。
そして……
「ちょっとビックリしたぜ……あんた、何やってんだよ。シノブ……だったか?」
「君は……今ので、起き上がれるというの? 君は一体……?」
やっぱ、この女、シノブも関わってやがったか。
だが、邪魔をするなら、手は一つ。
俺は大魔フリッカーの構えをして、軽くステップを踏む。
「とりあえず、今すぐテメエらの仲間を止めろ。それができねーなら、三人まとめてぶっとばしてでも、俺は先に行くぞ!」
そして今日、俺はあらゆる意味で初めて尽くしの相手と戦いをすることになった。




