第五百十八話 その親友は
アースの言葉。『そのこと』を、アースを知る者たちのほとんどが知らなかった。
聞いていなかった。
「どど、どういうことだ……聞いていないぞ……我は知らんぞ……アースにオーガの親友? どういうことだ!」
幼いころからアースと過ごしていたフィアンセイ。
今のアースが何をやっているのか、知らないことはこの鑑賞会で知った。
しかし、この数日間の鑑賞会で一度も出てこなかった「オーガ」に関する話題で、アースが衝撃の言葉を口にしたのだ。
「ど、どういうこと? 僕たちの小さいころから、そんなこと……そんなのなかったよね?」
「ああ……」
フーもリヴァルも当然知らなかった。
そして、「そんなことありえるのか?」と驚きが止まらない。
何故ならば、人間がオーガに対して抱いているイメージは、まさに先ほど捕虜になっているラルウァイフが口にしたように……
―――オーガということは、相手は狂暴残虐であり、魔王軍最強にして最恐のハクキ将軍の部隊だ! 貴様らごときで勝てるものか! ミナゴロシダ……女も子供も容赦なく凌辱されて死以上の苦痛を与えられる。そうだ……優しさや情けなど欠片もなき、鬼畜たちだ!
まさに、そういうものだと思っていたからだ。
「ねえ、そのオーガって……さっきの女性が言っていたような種族なの? それなのに、アースくんとお友達ってどういうことかなぁ?」
「オーガって、絵本とかでよく出る鬼のことっすよね?」
「鬼さん……怒ると怖いって絵本に書いてた……」
外の世界、そしてあまり異種族という文化を知らないツクシやカルイ、アマエを始めとするカクレテールの住民たちも戸惑っている。
すると……
「なるほど……それが例の……『アカさん』……ということですか……坊ちゃま」
「「「「「ッッ!!??」」」」」
切なそうに微笑みながら空を見上げてそう呟いたのは、サディスだった。
「ちょ、ど、どど、どういうことだ、サディス! あかさん? 誰だそれは! お前は知っているのか? そのことを!」
サディスに慌てて詰め寄るフィアンセイ。
サディスは頷いて……
「ええ。あのカクレテールの大会が終わった後……ほら、私が坊ちゃまと浜辺で話をしていた場面が鑑賞会でも流れましたでしょう?」
「あ……ああ……そういえば……」
「実はあの時、他にも色々と話をしていたのです。坊ちゃまが家出をしてから、どのように過ごしてきたのか……シノブさんとの出会いの経緯とか……そして……その中で出会ったアカさんという、坊ちゃまにとってかけがえのない親友……そう仰ってました」
「な、ん……だと?」
それは、フィアンセイたちですら今まで聞いたことのないこと。
自分たちは「幼馴染」、「クラスメート」、「親同士が仲が良い」などと、自分たちの関係性についてそういう言葉をアースの口から言われたことはあったが、「親友」と呼ばれたことなど一度もなかった。
そういう意味で、アースが「親友」と呼ぶものなどいなかった。
それなのに、アースには自分たちの知らないところで親友と呼べる友がいた。
しかも、それがオーガ?
『なん……だと? ありえるものか! 小生らと同じ魔界の住民ならまだしも、貴様のような人間がオーガと友だと?』
まさに、ラルウァイフと同じことをフィアンセイたちは思った。
だが、アースはムッとした顔で……
『事実だっつーの。その人は……家出した俺と偶然出会ったんだけど……メチャクチャツエーのに……誰よりも優しい奴だった』
事実であると答え、更にその人物をオーガという種族から程遠い印象のある「誰よりも優しい奴だった」と語ったのだ。
『この石の首飾り! これは、俺が親友からもらったんだ!』
そして、アースは証拠だと首飾りを見せる。
もちろんこの場にその首飾りが何なのかを知っている者は……
「ほぉ~、あれは確か~ダークエルフたちに伝わる紋様じゃなぁ。集落ごとに独自の形になっているようだが、基本となる紋様はソレじゃな」
と、頬杖ついて空を見上げているバサラがそう呟いた。
そして、バサラの言葉の通り、ダークエルフのラルウァイフが激しく動揺している。
『それは……ダークエルフたちに伝わる……お守りのようなもの……しかも、その形は……我が里……独自のエンブレムが施されている……』
『あ~、そういや……幼いころは両親と一緒にダークエルフの里に住んでたって言ってたな……』
『ッッ!!?? まさか……まさか……』
「お母さん、シンユーとは何のことでしょうか? お友達の種類でしょうか?」
ナンゴークのマルハーゲン一家の庭でクロンが首を傾げていた。
「あ~、し、親友とは、友の中でも最上級……最も親しい人物のことをそう呼びます」
「そうなのですか!? で、では、私はまだアースの親友ではないと……」
「いえ、親友と恋人と妻は違い、クロン様が目指すのは妻ですのでそこは気になさるところでは……ないのですが……」
ヤミディレはクロンに一般常識の言葉を教えながらも、頭を抱えていた。正直それどころではなかったからだ。
「ど、どういうことだ? ハクキ軍の……しかも鬼天烈の……そこと戦う? いや、それに、アース・ラガンにオーガの親友だと?」
「いや、ほんとマジでどーなってんすか? ハクキ大将軍のオーガ部隊なんて、あたいらアマゾネス軍も近寄れねえぐらいの連中……しかも、ラルウァイフがあの後どうなってたか知らなかったけど、エルフに捕まってたの?!」
「儂も正直、あの軍とだけは戦いたくはないと常々思っていた……そして、オーガの親友? 人間とオーガが?」
ヤミディレ、そしてショジョヴィーチとマルハーゲン、かつての戦争を生き抜いた者たちだからこそ、「何がどうなっている?」と戸惑うしかなかった。
『……ッ、人払いの結界が見つかって破壊された! 奴らが来る!』
だが、鑑賞者たちがどれだけ戸惑っていても、鑑賞会は止まらない。
そして、ゆっくりする間もなく、ついにソレが現れる。
『ふわふわキャッチ!』
『造鉄魔法・シャイニングダークネスオーガバスターブレード!」
強襲。
突然、空から刺々しい金棒が飛んできた。
だが、それにエスピとスレイヤが即座に反応して受け止める。
すると、その直後にズシンと大きな足音と共に……
『なんだ~べさ? オラの金棒が不発? どういうことだ~べさ』
青い鬼、アオニーが現れ、更にその後ろから……
『隊長、そんなことよりヤッちまいましょうよ』
続々と人間やエルフとは比べ物にならない巨躯の、それでいてヘラヘラとニヤケ面を浮かべた百人のオーガたちが姿を現したのだ。
「あら~、大きな方たちですね~マチョウより大きいですね」
「うわ、アレがオーガ……私、初めて」
「こわそ……」
「わー……」
オーガそのものを初めて見るクロンや三姉妹たちも息を呑み……
「ほ、本物だッ! 間違いない、何度か魔王城で見たことがある! ハクキの部下のアオニーだ!」
「うわぁ……アオニー部隊長……なっつ……」
「まさかあんなのとまで会っておるとは……もうどうなっておるのじゃ? ワシらの知らん歴史の裏で……」
ヤミディレ達は頭を抱える。
ただ、そんな中で……
「あ、でもそういえば……!」
そのとき、ショジョヴィーチが何かを思い出してハッとし……
「そういや、ラルウァイフには幼いころから用心棒で家族と一緒に自分の集落に住んでいたオーガの幼馴染が居て……一人はアオニーで、そしてもう一人……そのオーガにラルウァイフは惚れてて、でも戦争で人間に殺されたとかなんとか……で、あいつは復讐鬼になったとか……」
昔を思い出しながら呟くショジョヴィーチの言葉にクロンは少し顔が暗くなる。
「愛する人を……そうですか……それは……苦しいでしょうね。私もお母さんが目の前で連れていかれたときは胸が張り裂けそうでした……だからもし、お母さんを失っていたら……アースを失っていたらとか……考えるだけでも……」
「クロン様……」
当時は戦争。愛する者を失ったりすることは珍しい時代ではない。
それこそ、ヤミディレとて愛する主君を失っているのだ。
その悲しみを想像しただけで胸が苦しくなり、クロンは思わずヤミディレの腕にしがみついてくっついた。
ただ、ショジョヴィーチの言葉で重要なのは「ソレ」ではなく……
「ん? ちょっと待つのじゃ……先ほど彼は、そのオーガの親友からもらったという首飾り……あれは、ラルウァイフの故郷独特の……と言っておらんかったか?」
「……ッ!?」
「あ、ああ……だから、おっかしーなって……」
「どういうことです?」
そう、重要なのは「ソレ」である。
『お嬢じゃね~べさ~! 何してるんだ~べさ? 捕まっただっぺか!」
『くっ……あ、ああ……それより、アオニー! 少し話がある! お前の幼馴染の――――』
そして、捕虜となっていたラルウァイフの存在にアオニーが気づいた時――――
「ラルお嬢様……アオにーに……」
そして……
「わーー、ラガーンマンの首飾り、私たちがオニーちゃんからもらったのと同じー!」
「ほんとだー、なんでー?」
「それに、オニィと似て……ううん、似てない! 怖そうな人たちがいっぱい出てきた!」
子供たちが驚いた顔をしながら首飾りを掲げて、男に尋ねる。
男は変わらず震えたまま空を凝視している。
「本当だわ。アーくんが持っているのと……親友からもらった……か。ねえ、聞いた? どうやら、アーくんにとってあなたは―――」
「……うぅ……う……」
アヴィアが微笑みながら男の肩に手を置いた。
すると、その時だった。
アオニーだけでなく、ラルウァイフに気づいたオーガたちが……
『ああ、あの漆黒の! そう、あいつ……あのクソ腰抜けバカが住んでた集落の族長の娘っすね!』
『ああ、俺もそれ知ってるぜ! そうそう、あのクソかす……役立たずのアカが出身の集落だろ?』
オーガたちがヘラヘラと笑いながらその言葉、そしてその名を口にした。
「……え?」
アヴィアも、そして村の大人たちも驚いたように固まる。
そんな中でオーガたちは続ける。
『アカ? ああ、あのオーガ失格のどんくさいノリの悪いバカっすね!』
『ああ、オーガ史上最低の腰抜けで、空気読めない冷める奴だった奴!』
『いやいや、あいつは役に立ったぜ? なんせ、あいつは降伏した人間たちは必ず生かしてたからよ~、あいつが捕らえた捕虜の女たちを犯したり、いたぶって遊んだりして、いい暇つぶしになったぜ。まっ、その後あいつ何故か泣いてんの。げははははは!』
『そういや、あいつ行方不明だっけ? まっ、あんな馬鹿いなくても何も困らねえけどな。手柄ゼロのバカだしよ』
それは、まだ現時点では世界のほとんどの者が『その名』を聞いてもピンと来ない。
知らない。
『や~めるべーさ! あいつは死んだーべさ! 死んだ奴の話題は二度と出すなーべさ! そう、死んだーべさ!』
『ええ~? まぁ、どうでもいいっすけど、いいじゃないすかあのバカの話題を出そうが出すまいが』
それどころか、オーガから嫌われるようなオーガ失格のオーガ、そんなオーガが居たのかと少しザワ着く程度。
だが、この村は違う。
「あ、あなたは……」
アヴィアが悲しそうに男を見る。
それは、男にとってはあまり人から知られたくなかった過去なのかもしれない。
それをこんな形で世界に知られてしまった。
だが男は観念したように肩を落とし……
「そうだ……その腰抜けオーガっでのは……」
だが、その時だった。
『コルアアアアアアアアアアアア!! 大魔スマッシュッ!!』
「「「「「ッッ!!!???」」」」」
「……え?」
突如、アースがヘラヘラと笑っていたオーガの一人を渾身の力を込めて殴り飛ばしたのだ。
そのアースの行動には誰もが驚いた。
まさか、急に戦闘を始めたのか? と。
ただ、そうではなかった。
エスピやスレイヤたちも驚くほど、今のアースは……
『魔王軍は……敵でもなけりゃ、悪でもねぇ……だから、俺がたとえ人間でも、積極的に戦いにいくつもりはなかった……でもな、勝手でワリーが今回ばかりは違う』
鑑賞会でこれまでアースを見てきた者たちも初めて見るほど。
かつての幼馴染たちも、クロンたちも、戦闘で激昂するアースは見たことはあるが、これほど怒りに満ちて……
『テメエら、かかってきやがれ! 百人全員まとめて俺が相手してやらぁぁ!』
そしてどこか泣いているようにも見える表情で、自分の方から相手に殴りかかるアースを初めて見た。
そんなアースに祖母であるアヴィアも……
「アーくん……」
初めて見せる孫の姿に胸が苦しくなり、そして……
「……アースぐん……」
その傍らで、彼も哭いた。




