第五百十三話 訪問
ナンゴークの島にある一つの家。
近隣住民たちも羨む仲睦まじいアットホーム。
しかし、その家の夫婦が二人震えていた。
「あ、あのぉ、だ、大将軍様、茶ぁ、どーぞっす」
「…………」
今にも泣きそうなぐらい顔を引きつらせている妻のショジョヴィーチに、顔を強張らせながらも気圧されぬように必死に前のめりの姿勢の夫のマルハーゲン。
「……うむ」
「まぁ、美味しそう。ありがとうございます!」
対面の来賓用のソファーに座り、真っすぐ真剣な目でショジョヴィーチとマルハーゲンを見るヤミディレと、ニコニコのクロン。
正直、ショジョヴィーチとマルハーゲンはヤミディレの存在に緊張が止まらなかった。
「ふむ……名は知っているが……話をするのは初めてだったな、ショジョヴィーチよ」
「は、はいっす……」
「行方不明、生死不明、捕虜になった、色々と話はあったような気がしたが……ただ、無事に生き続けていたか」
「は、はい! ヤミディレ大将軍様もお元気そうで何よりでありますっす!」
普段は大胆で言葉遣いも荒いショジョヴィーチが今では小動物のようにプルプル震えながら真っすぐ起立して直角に頭を下げる。
当時、直属の軍の将ではなかったとはいえ、たかが一部隊の一部隊長クラスだったショジョヴィーチと伝説の六覇とはそれほどの差があったからだ。
たとえ魔王軍が解体して十数年の月日が経ち、ショジョヴィーチも戦から離れた日々を過ごしているというのに、実物のヤミディレを前にすれば冷静でいられるはずがなかった。
一方で……
「そして、まさかショジョヴィーチとそなたがな……貴様ともこうして面と向かって話をするのは初めてだな……マルハーゲン」
「うむ……むぅ……そうだな……ヤミディレよ」
かつて人類連合の将として魔王軍と戦争していたマルハーゲンもまたショジョヴィーチとは違った意味で落ち着かなかった。
すると、そんなマルハーゲンの頭をショジョヴィーチがスパンと叩いた。
「ば、バーロ、ダーリン! 大将軍様相手に呼び捨ててって、おま、首刎ねられるぞ!?」
「ぬっ、い、いや、しかし、ワシは敵だったし、部下でもないし……」
「バーロ、妻の元職場の上司なんだからそりゃ呼び捨てマジーだろ! つーか、それを抜きにしても天下の六覇に呼び捨てはまずいって!」
「い、いや、そ、そうは言われても、わ、ワシが……こやつに敬称を―――」
「こやつとか、そういうのもぉ!」
と、内輪もめを始めてしまった。
何だか色々と勘違いされていると思い、ヤミディレが二人を止めようとするが……
「落ち着け、貴様等。騒ぐな。別に私は―――」
「ぬ、ぬぅ、ええい、まどろっこしい! 何をしに来た、ヤミディレ! 言っておくがワシの妻にも子供たちにもワシの命に代えても指一本触れさせんぞぉ!」
と、マルハーゲンが半泣きになりながら立ち上がり、妻であるショジョヴィーチを守る様に前へ出て叫ぶ。
このままでは一向に話が進まないとヤミディレが戸惑うと……
「お母さん、ひと様のお家にお邪魔しているのにムスッと怖い顔をしている方が悪いのです。色々と勘違いされてしまっています」
「ぬあ、く、クロン様!?」
「「ッッ!?」」
と、そこでヤミディレを窘めるようにクロンが口を挟んだ。
「ごめんなさい。ご主人、奥さん、今日ここに私たちは魔王軍とかそういうこと一切関係なく来ているのです。私のお母さんはこの通りニコニコするのが少々苦手なのですが、決して何かをするために来たわけではありません。そこはご安心ください」
「はぅ、あ……う……あ……」
「改めて、現在建設現場にて女神のカリー屋で調理担当をしております、クロンと、母のヤミディレです。何卒よろしくお願い申し上げます」
「あ、ど、どうもご丁寧に……」
「これ、お土産です。お母さんと二人で焼いた、カリークッキーです」
「あ、こ、これはこれは……え!? だ、大将軍とクッキー焼いた!?」
正直、かつての戦争を知るマルハーゲンとショジョヴィーチからすれば、年端も行かぬ少女がヤミディレ相手に窘めるということ自体が既に衝撃である。
それどころかヤミディレを母と呼ぶ。
だが一方で、こうして目の前でクロンを目の当たりにすると……
(あ~、びっくりした……大将軍とクッキー……スゲーな、この娘……つか、なんだろ……鑑賞会では、ただの世間知らずな箱入りの天然のお嬢さんって感じだったのに……)
(純真な慈愛……それでいて身に纏うオーラのようなものが……しかし、それだけではない……あの冥獄竜王に立ち向かっていたのだから当然と言えば当然かもしれんが、この優しい瞳の奥に確かな強さと意思が宿っておる……)
一応鑑賞会でクロンのことは知ってはいたのだが、こうして同じ空間に居るだけで包まれるような不思議な感覚にパニックになっていた心が徐々に落ち着いて安らいでいった。
「ふっ、まぁ、二人からすれば私が色々な対象ではあるかもしれんが……恐れることもあるまい。そもそも今の私は魔力も封じられている状態であることは鑑賞会で承知しているであろう?」
「い、いや、まぁ、そうっすけど……」
そう、そもそも二人とも家族と一緒にアースの鑑賞会のアレを鑑賞していたので、天空世界での出来事も、その後ヤミディレが力を封じられたこともちゃんと知っているのである。
しかし……
(いやぁ、無理っしょ……力封じられててもオーラすげーもん……睨まれただけで漏らしそうだし……)
(というか、正直魔法なしでもワシら二人を殺すのも容易いと思うが……とはいえ、このクロンという娘も妙なことを考えているように見えんし……)
それでもヤミディレが腕っぷしだけで自分たちより遥かに強いだろうと思っており、そもそも存在感だけで臆してしまうので、ビビるなというのが無理であった。
そして……
「今日ここに来たのは、建設現場で二人の話を聞いてな……まぁ、名を知る二人が居るのに顔を出さんのもどうかとも思い、それとクロン様が是非二人に話をと……」
ようやく話が本題に入る。
そもそも二人は何しに来たのか。
たまたまかつての大戦期の魔王軍の部下と敵が夫婦として暮らしているのを知り、一応顔だけ出しに来た……ということのためだけにヤミディレが来るとは二人も思っていなかった。
なら、一体……
「お二人は……人間と魔族……つまり異種族同士の結婚なのですね? それにすでにお子さんもいるとか……」
「「ッッ!!??」」
本題の問いに二人の身体がビクッとなって少し浮きあがる。
そして……
「鑑賞会でご存じかもしれませんが、私、好きな人がいます」
「……? え、あ、それって、ヒイロの息子の……」
「はい、アースです! ですが、種族的に私は魔族というもので、アースは人間で種族が違います。私自身は好きという気持ちがあればいいと思っていますが、でも、魔族と人間同士の結婚というのは今の世の中ではまだ普通じゃないというのは何となくですが分かっているつもりです。でも、そんな世の中でお二人は結婚し、お子さんも居て、とっても仲睦まじい家族だと建設現場の方々は仰っていました!」
「は、はあ、そ、それは、どうも……」
「そこで、教えていただきたいのです! お二人の馴れ初めや、結婚に至るまでの苦労や、種族が違う者同士の結婚で困ったこととか、でも、こういうのが幸せとか、……私……お二人の結婚のお話を今後の参考にしたく、今日ここに来ました!」
「…………ふぇ?」
ショジョヴィーチとマルハーゲンは口を半開きにして固まる。
それは、二人があまりにも予想外の要件だったからだ。
かつて魔王軍の兵だったショジョヴィーチと人類連合の将だったマルハーゲンの元に、未だに世界からお尋ね者とされている六覇のヤミディレがやってきて、その要件は娘が将来の結婚の参考にしたいので、自分たちのラブストーリーを教えて欲しいという耳を疑うもの。
(え、こ、これ、何かの罠? いや、でも鑑賞会でもこういう感じの娘だったし……何か企みがあるわけでもなさそうな顔……)
(目を輝かせて鼻息をフンフン荒くして身を乗り出して……え? 本当にワシらの話を聞きたくて?)
もはや、肩の力が抜けるどころでなく、全身が脱力してしまった二人。
まさかこんなことのためにここまで来るか? と引きつってしまった。
「すまんな……私には流石にこの手のアドバイスができんのでな。どうか、クロン様の恋の成就のために……頼む」
「ぎゃああああああああああ、ちょ、ま、待ってください、大将軍!? うぎゃあああ、ええええ!? 分かったっす! 教えるっす! だから頭上げてくださいっす!」
「あ、あの六覇のヤミディレに頭を下げられ……こ、コレを見られたらなんか誰かに殺されたりせんか!?」
と、ヤミディレもペコリと頭を下げる。
流石にこれはまずいと思った二人は慌てて頷いた。
「まぁ、しかし、確かにあたいらはあたいらでイロイロあったっすけど……ま、発端はダーリンがあたいに惚れたからっすね。『お前が居ないと生きていけんぞ~』って言われたっけ?」
「……は? いや、ちょっと待つのじゃ! それは違うであろう! 『お前と結婚できないなら教会で首を吊るぞぉ~』と泣きついてきたのはお前であろう! だからワシは本来は許されんと知りつつも、職を辞め、あの『イナイ』に頭を下げてまで―――」
「……は? 何言ってんだし! あたいに骨抜きになったのダーリンじゃん! あたいとスケベなことしてメロメロになったじゃんか! 知ってんだぞ、あたいとエロエロするために、イナイの息子のシテナイにコッソリ精力剤発注してんの!」
「バカを言うな! スケベなこと好きなのはお前の方であろうが! お前が一回や二回で満足せん性獣ゆえにワシの身体が持たんから発注しているだけであってだなぁ」
と、クロンに自分たちのことについて話す……はずが、気づけば何やら二人で勝手に再び口論を始めてしまった。
「あら?」
「おい……貴様等、クロン様は真剣に――――」
クロンとヤミディレそっちのけの二人。ヤミディレの目尻がピクリと動いて二人に口出そうとするが……
「うふふ、ごめんなさい、お父さんとお母さんはいつもこうなんです。お恥ずかしい限りで……」
と、その時、苦笑しながら一人の少女が手にお茶菓子を持って入ってきた。
黒いショートヘアーでその体にはハーピーの翼を生やし、真っ白いワンピースに身を包み、荒々しい野性的なショジョヴィーチと違ってどこか清楚感漂う少女。
「初めまして、私は長女のセイソヴィーチです。どうぞ、セイソと呼んでください」
「あ、初めまして、クロンです!」
クロンとも年齢の近そうな少女。口論始める両親の代わりに、セイソが代わりに丁寧に応対する。
「いつも二人はこうやって口論し、でも最後には仲直りして……そのままパコ……こほん、そのままイチャイチャしたりして……それで私と妹二人はデキたとかデキなかったとか」
「まぁ、そうなのですか。わぁ、喧嘩してもちゃんと仲直りされて……本当に仲がよろしいのですね~」
セイソの話を聞き、気づけばヤミディレもクロンも口論を仲裁することなく二人を眺めていた。
「そういえば、私は……アースとまだ口喧嘩したことないですねぇ……喧嘩するほど仲がいいということは、喧嘩もする必要があるのでしょうか?」
「あはははは、アース……あの鑑賞会のカッコいいアース・ラガンくんですよね! クロンさん、彼のことを好きなんですよね」
「はい!」
「でも、喧嘩が必ずしもいいとは思いませんよ? ほら、アレだけ美人で口論したあの帝国のお姫様は……ほら、少々不憫なことに……」
気づけば、本当に年齢が近いために互いに話しやすく、互いに簡単に打ち解けてスラスラとクロンはセイソと会話で盛り上がっていた。
クロンからはコイバナやアースのことで『鑑賞会のこの場面でこう思っていた』などを話したり、セイソからは娘から見た父と母のことや混血である自分のことについてなどを。
ただ、その流れで……
「そうだ、クロンさん」
「クロンでいいです。呼び捨てで。あと、敬語も不要です!」
「うん、じゃあクロン……あのさ……鑑賞会で見た限りあの後、ブロって人と一緒だったと思うけど、あの人は一緒じゃないの?」
「ブロですか? ブロは現場でお留守番ですが……」
「あら~……そっか……」
と、話はブロのことについて。
それはクロンも意外に思い首を傾げると……
「うん、実は先日私たちと関りのあるシテナイ総合商社を経由して……この島に三人魔族が移住してきてね……トウロウくん、ヤサシくん、スケヴァーンさん、っていうんだけど……その中でスケヴァーンさんっていう女性は――――」
全く何も関係のない縁。しかしそれも紐解いていくとどこかで繋がっていたりするということをクロンは知る。
そう、そんな平和な楽しい時間はあっという間に過ぎ、気づけば日も落ちて今日の鑑賞会開幕の時間が近づいていた。




