第四百九十話 『いかん』と『いい』
『っ、いかん! 追いかけろッ!』
『まずい! 七勇者のエスピだけは逃がすな!』
『なんだ、あの動きは! まさか……ジャポーネ王国の忍者戦士か?!』
戦わずに逃げる。
だがしかし、その「逃げ」は世間一般での認識の「逃げる」とは意味が違った。
本来逃げるとは、怯えや恐怖からその場から離れるような行為のことを言う。
しかし、エスピを背負ったアースの動きは、逃げるというよりも、守る。
全ての者に指一本すら触れさせない高速の動きで、屈強な魔王軍の兵士たちを置き去りにする。
「す、すげえ! アース・ラガンが凄いってのは分かってたけど……」
「ああ! エスピ様を抱えて……エスピ様を守って……」
ベトレイアル王国の国民はそれまで「帝国の勇者の息子のアース・ラガンの物語」という、ある意味で本当に「ただの鑑賞会」として楽しんでいた。
しかしその物語に、自分たちの国の英雄まで関わっているのであれば話が大きく違った。
それこそ、史上最年少で世界より認められた七勇者の称号を持った、ベトレイアル王国で唯一と言っていい英雄。
王国上層部との関係悪化により国を飛び出してしまったとはいえ、それでもエスピは国民にとっては世界を救った「私たちの英雄」という存在でもあった。
だからこそ……
「すっげぇ! それに、エスピ様を抱っこして……へへ、エスピ様、ビックリしてキョトンとしてるよ!」
「うん。なんか、本当に子供っぽい……子供だけど!」
英雄の命を救った恩人……そうなってしまえば、より一層アースへの感情移入がベトレイアル王国では強くなった。
さらに……
『逃げきれ……ちゃった…………ねぇ、誰なの? こんなにすごいのに……私、あなたしらない。有名な人なの?』
「「「「わ~~ん、ポカンとしてるエスピ様、なんかかわいい~~~!」」」」
これまで、特に幼少期は心開いたもの以外には関心も反応も特に見せず、更には英雄の一人として魔王軍と戦っていたエスピを、国民は誰も子ども扱いしたりしなかったし、エスピも子供らしい姿を国民に見せたことはなかった。
だからこそ、そんなちょっとしたエスピの知らなかった一面や表情に国民は微笑ましく感じていた。
ただ、一方で……
「ぐぬぬぬ……なんと、エスピがアース・ラガンに命を救われておったとは……エスピめ、そのような報告は一度も!」
それをあまり良しとしない、ベトレイアル王国国王のクンターレであった。
当時連合にも秘密裏に実行していた作戦や、エスピへの扱いなど、自分や上層部の一部の者しか知らないことを国民に、ましてや世界中に明かされてしまった。
もはや「捏造だ」、「エスピの勘違いだ」などとは言ったところで誰も信じてもらえない状況下、クンターレは「これ以上ないだろうな?」と気が気ではなかった。
「し、しかし、国王様。こ、これはある意味でプラスに考えても……実際、もしこの場でエスピを失っていれば、我々ベトレイアル王国にとっては大きな損失だったわけですし……そう思わんか? アフォンダーラ書記官よ」
「た、たしかに、カヌ大臣の言う通りですね。ゴウダの暗殺は失敗しましたが、ここでエスピを失っていたら後の戦果などもまったくなかったわけですし……」
「国王様。ここは、帝国を責めるのではなく、むしろ『アース・ラガンに救われたことを感謝』という声明を送ることで、国民も歓声を上げるやもしれませぬ……ロダーケ将軍はどう思われます? 実際、エスピがここで死んでいれば、我々の損失も……」
「バカを申すな、ドイヒ参謀長! それでは我ら誇り高きベトレイアルが帝国なんぞに貸しを作ったことになる。仮にここでエスピが死んでいたとしても、このワシの剛腕で魔王軍なんぞ叩き潰していた!」
王国の宮殿にて最上層部のみが集って空を見上げて苦虫を潰したような表情で、様々な言葉が飛び交っている。
しかし、これはもはや既に終わっている内容を報じているものであり、どれだけ彼らが叫ぼうとも既に結末は決まっている。
そして、パリピは微塵も忖度しない。
『……なんでやさしいの? ……わたし、ダメな子だったのに……なんでやさしいの? たすけてくれるの?』
『お前も七勇者だろ? 他の七勇者……兄貴分とか姉貴分とかいるんじゃねーのか? 優しくしてもらえてねーのか?』
幼いエスピがアースの腕の中で小刻みに震え、不安そうに見上げ……
『ううん……七勇者だけど……ほかの七勇者はいつか敵になるかもしれないから、仲良くするなって言われたの……だから、私……ヒイロたちと、会ったことあるけど……ぜんぜん関わってない……』
「「「「ほぐわあ!!??」」」」
まさに嘘偽りもない正直な子供の言葉が世界に流れ……
『……なぁ……仲良くなっちゃダメって、誰が言ったんだ?』
「いかん! ちょ、ま、待つのだ、アース・ラガン! き、貴様、無関係の人間でありながら国の内情を知ろうとするなど、なんという遺憾! 何と言う常識知らず! 親の顔が見てみた……も、もはやこれはスパイ行為と言っても、ぐう、掘り下げるでない!」
クンターレが「いかん」と思って取り乱したように叫ぶも……
『え? ……私のくにの……王様とか……おとなのひとたちが……』
「え、エスピ!? な、なんという……!」
言ってしまった。
幼き頃のエスピにしていた所業。
それだけでなく、ベトレイアルの国王含めた上層部は、他国に対して「そういう認識であった」とエスピの口から漏れてしまった。
そうなってしまえば……
「「「「「ど……どういうことだこれは、国王ッ!!!!」」」」」
王都より一斉に怒号が響き渡ったのだった。
「大人たちって、この時からクンターレ国王だったし……十数年前に居た上層部って……」
「そりゃぁ……カヌ大臣やアフォンダーラ書記官とか、ドイヒ参謀長に……あのロダーケ将軍とかも昔っからトップにいなかった?」
「うお、あの四大老人が……っと、これは禁句だったな」
「いつまでも引退しないあの人たちが、エスピ様の件に関わってたんじゃないのか?」
「おいおい、ちょっと待て! 国王はエスピ様は裏切ってベトレイアルから出ていったと言っていたが、それもひょっとして嘘なんじゃ……」
「そんな、私たち、そんなこと全然知りもせず……」
そして、十数年前のことがつい最近の話題にまで繋がり、国民の疑惑や怒りが高まっていったのだった。
『ったく、子供の気持ちを無視して勝手なことを押し付ける国ってのは、どこにでもあるんだな……いつの時代でも……』
そして、世界に知れ渡ってしまったエスピの言葉と当時のベトレイアル王国の認識。
それをここ数日と同じように同じ顔触れで宮殿のテラスで空を見上げる、帝国皇帝ソルジャは早速頭を抱えた。
「アース……そこまでは……そこまでは知らなくて良かったぞ……」
ソルジャは今朝既にベトレイアル王国と会談をして、相手の要求を跳ねのけて自らの意見を主張した。
それは良かったのだが、ここに来て知ってしまったベトレイアルの情報はソルジャにとっては良い情報ではなく、面倒な情報となってしまった。
「これを知っている者が我々だけであるのなら、知らないふりをしつつ、裏で何か貸し借りなどの交渉をすればよいのだが……今回は民が、というより世界中の者たちが知ってしまった。である以上、我々もスルーして裏で話し合うという対応はできない。国としての明確な立ち位置を示して発言をしなければならなくなった……」
そんなソルジャの微妙な心境を察して臣下の者たちは苦笑しながらも……
「「「「「陛下、とりあえず……『遺憾である』でよいのでは?」」」」」
「……本当にそれ以上のコメントが今は思いつかんぞ」
一方で、父であるソルジャと反対に、フィアンセイ飛び跳ねていた。
「流石はアース! たとえ相手が現役の魔王軍といえども、アースの足さばきについていけない!」
最初はアースが戦わずに逃げることを不満に思ったものの、すぐにアースの動きに目を奪われて目を輝かせているフィアンセイ。
「すごい……通用する。アースのあの動きに魔王軍がついていけないんだ! って、アースは六覇を倒してるから当たり前なんだけどね」
「ああ……つまり、あの足に追いつくことが出来さえすれば……俺たちも……」
フーやリヴァルも、アースの力がかつての魔王軍の兵士相手に通用しているという状況に、どこか嬉しそうに疼いた表情で拳を握りしめていた。
一方で、サディスは……
「し、しかし、ど、どうなるのです? この後は……」
アースの無事は分かったものの、サディスは安心する間もなく、アースがこの後どうするのかと頭を抱えた。
「坊ちゃま……思いっきりエスピお姉ちゃんに関わって……どうするのです? このまま自分の正体をお姉ちゃんに隠したまま……お姉ちゃんも幼いですし、旦那様や奥様の幼少期を救ったときのように立ち去るということに……?」
サディスはエスピにはかなり可愛がってもらっていたと自分では認識していた。
そしてエスピは、アースが産まれた時も抱っこしたことがある。
そのときのエスピの様子はどうだったのかと、今ではもうあまりサディスも覚えていない。
とはいえ……
「でも……あのエスピって人、子? あんなにケガしてるし……弱ってるし……そんな状態の女の子をアースくんが置いていくかなぁ?」
「いやぁ……ないっしょ。あれだけアマエを甘やかすあんちゃんが、あんなに小さくて弱ってる女の子を……ないっすよねえ」
七勇者というものを知らないカクレテールの住民であるツクシやカルイたちからしてみれば、エスピは英雄というよりは、怪我をしている弱った子供としか見ない。
アースと二か月も一緒に住んでいた彼女たちからすれば、「アースはそんな薄情ではない」というのが正直な気持ちであった。
「ええ……そうですよね……でしたら、本当に坊ちゃまはどうするおつもりです? そして、現代のエスピお姉ちゃんは……坊ちゃまのことをどこまで……?」
「……うむ……確かに言われてみれば……あの七勇者のエスピ殿……アースと会ったときの態度がやけに……嬉しそう? 馴れ馴れしい? いずれにせよ……確かにヒイロ殿やマアム殿の息子であるアースに会えてうれしいといった様子ではなかった……」
アースが助かったのは良かったが、このあと、アースとエスピはどうなるのか? どこまで関わるのか? それによって、歴史にどう影響が及ぼされるのか?
色々な考えが過る中……
『よし、ここまでくればいいだろ……にしても、俺が料理か……いつもサディスに作ってもらってばかりだったけど……』
「……え?」
そこで、アースの起こした行動は、見ている者たちにはまた予想外の事。
森の中で、周囲の安全を確認したら、持っていた荷物から調理器具や野菜、そしてスパイスを取り出して……
『ええい、やってやる! カリーだ!』
料理を始めるのだった。
「な、なぜ、ここにきてカリーなのだ?」
「あっ、でも七勇者のエスピはアースと会ったとき、カリーを作ろうみたいに言ってたし……」
「そういえば……」
まさか料理をしようとするとは思わず、戸惑うフィアンセイたち。そして……
「ちょっ、坊ちゃま! 坊ちゃまが野菜を切るのは危ないです! 坊ちゃまの料理は……う、うう、わ、私が……私の役目で、坊ちゃまが料理はあぶないのですよぉ……いけないのですよぉ」
(((((六覇や冥獄竜王と戦っているのに、野菜を切るのが危ないなんて……)))))
まさに生まれて初めて自分で料理をしようとするアースに、サディスはまるで自分の一つの役目を奪われて、また一つアースが自分から離れてしまったような心境に陥って涙目になってしまった。
だが、その逆に、アースがカリーを作ろうとすることに対して異常な興奮をする母娘もいたりするのだった。
「お母さん! お母さん! アースがカリーを作ります! アースが!」
「……あのスパイスと、そして……あの例のコーヒーも使って、アース・ラガンがカリーを!」
二人そろって目を輝かせて空を凝視するクロンとヤミディレ。
その興奮に周囲は思わず苦笑。
「は、はは、おいおい二人とも興奮しす――――――」
「「ブロ! 今はシーです(黙ってろ)!!!!」」
「お、おう……」
その姿を一つたりとも見逃すものかと二人は食い入るように見る。
『ぐっ、たまねぎを切って……くそ、涙が! で、じゃがいもとニンジン……』
そして、その姿は……
「あうぅ~、ダメです、アース! 玉ねぎの切り方が……あぅ、ジャガイモとニンジンは大きく切り過ぎです! それではダメです!」
「ううむ……ええい! 手際がイライラする! あれだけのステップやジャブを打てるのに、もっとスムーズにできんのか、あやつは!」
「ん~、アースはお野菜を切るのが苦手のようです……結婚してカリー屋さんをやるなら、野菜切り係は私がします!」
「それがいいでしょう! そして火を……ぬぅ、薪の選びや火をつける手順は正解なのだが、モタモタしすぎている! 帝国のアカデミーはキャンプのやり方も教えんのか!? あの現代っ子め!」
「私もアレはちょっとよく分かりません……お母さんは得意なのですか?」
「ふっ、私はこう見えて、ある御方に憧れて時折ソロキャンプをしていたこともありますので」
「え、そうなのですか! 私もそのソロキャンプというのをしてみたいです、お母さん教えてください!」
「構いませんが、真のソロキャンパーになるにはあらゆる知識と経験が必要です。しばらくは、ふたりソロキャンプで色々とお教えしましょう! って、よそ見はダメです! 奴がスパイスを手に!」
「はい! ガラムマサラ、カルダモン、コリアンダー、ターメリック、クミン、チリパウダー……お母さんのカリーに入れるものばかりです!」
「む、タマネギの炒め作業に……ええい、やはり下手くそめ! それでも将来私たちとカリー屋をやる気があるのか!?」
「ううむ、アースは不器用さんです……なら、調理も私が――――」
「お待ちください、クロン様! 最初はそれでよいかもしれませんが、結婚後に子供ができたりしたら、妊娠期間中や育児の間、クロン様は働くのが難しくなります……もちろん、御子様の面倒は私も見ますが、やはりアース・ラガンにも一通りの作業を出来るようにさせませんと……」
「いいです! それはとてもいいですね、子供が……って、気が早すぎるのです。そのためにはまず、私がガンバしてアースに私を好きになってもらわなければなのです……が……ふふ、想像しただけで幸せです♪ そうなったら、お母さんは、おばあちゃんになるのですね!」
「いい!? ……は、はうわ! いかんです! わ、私が……お、おば、おばあちゃ…………おばあちゃん……」
話の最初にブロがツッコミ入れようとしたところで黙らされたので、興奮して気づけば話がどんどんエスカレートする二人の会話に誰も口をはさめずにいた。
「ちょ、ブロ君、なんかクロンちゃんたち大丈夫なのん? お兄さんのいないところで、どんどん話が進んじゃってるのん」
「……かっかっか、ま~、いいんじゃねえの? ヒルア。興奮しすぎて、これまで頑なに認めてなかった師範の『お母さん呼ばれ』も、なんか普通に受け入れちまってるし、幸せそうだからよ……」
二人のやり取りをブロや現場の男たちは微笑ましそうに温かい眼差しで見守ってホッコリしていた。
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