第四百八十七話 幕間(おばあちゃま)
一人では危険。
皆でついていく。
皆がそう言ってくれたけれど、私は断った。
だって、話をしに行くのに、まるで退治に行くみたいな顔を皆がしていたものだから。
もちろん、気持ちは分からなくもない。
私たちは弱くて、そして臆病だから。
「ここね……」
森の奥深くで、少し足場も悪いところを通らなければたどり着かない。
遊んでいた子供たちも「いつもより奥へ行ってみよう」みたいな探検の気分で行って、偶然「そこ」に辿り着いたということらしい。
ヒイロやマアムの子供のころもそうだった。
そんな二人にいつも手を焼いて、こういったところまで探しに来ていた経験が、おばあちゃんになっても活かされることになるとはね。
そういう意味ではアーくんはすごいお利口さんだったけど……でも、今ではもっとすごいところに行ける男の子になったのよね。
と、それはそれとして……
「小屋……それに畑……こんなところに……あまり日も当たらないから育ちにくいでしょうに……でも、とても……」
辿り着いた「そこ」には村の人たちが言っていたように確かに小屋があった。
手作の木造のもので、そして外には畑まで作られている。
ここで野菜を育てて――――分かる。
私も何年も畑仕事をしているのだから、こんな環境下では育ちにくいはず。
だけれども、とても丹精に畑を作り、耕し、木を切り開いて少しでも日光をと……
「あっ……」
――――ッ!?
そして、その懸命さが伝わってくる畑に見入っていた私の目の前に、とても体の大きな「彼」が姿を現した。
人間よりもはるかに大きな体。
片腕だけで人間を持ち上げることも、引き千切ることも、そしてその大きな口で人なんて簡単に……だけど……
確かに怖い。
だけれど……
「あの、私は……あ、ちょ、落ち着いて! 私は―――」
彼は途端にアタフタしだした。
その巨体、その一目で「力持ち」だと分かる体つきで、だけどその瞳は……
「ま、待って! ごめんなさい、ここはあなたの家なのよね。急にやってきてごめんなさい」
彼の瞳は、まるで迷子の子供のように弱々しく、そして怯えていた。
ありえない。
私はそれほど戦いなどには詳しくないけれど、彼の「種族」が並の人間なんかよりもずっと力が強いことは分かっている。
だから、私なんか彼の手にかかれば簡単に……なのに、どうして?
「私は近くの村に住んでいる、アヴィア。ここには私だけしか来ていないわ。……え? ……今日中に……出て行く? あ、待って、違うの! 別に私はあなたを追い出そうとか、そういうことのために来たのではないの!」
分からない。
どうして、彼の方が怯えるの?
どうして、それほど寂しそうな瞳をしているの?
どうして……
「あなたは村の子供たちが森で迷子になり、獣に襲われそうになったところを助けてくれたと聞いたの……子供たちも感謝していたわ! それなのに、昨日は村の人たちがあなたに会って……それほど怖がらせるようなことをしてしまったみたいね? 本当にごめんなさい。ここに住んでいるあなたに、恩人でもあるあなたにそのような想いをさせてしまって」
でも、こんな表情をさせてしまった彼に何も言わず、そしてこのまま追い出すなんて私にできるわけがなかった。
気づけば私は彼に頭を下げて謝罪していた。
私に対して逆に怯える彼の姿に、私の抱いた恐怖心がいつの間にか消えていた。
すると彼は私に頭を上げてほしいと、優しく……
「え? 仕方ない? 何を……ッ!?」
彼は私に微笑んだ。だけどその微笑は胸が張り裂けてしまいそうになるほど切なくて……
「慣れている? ……そういう種族だから……そ、そんなことは……いえ……」
彼は言った。
怖がられるのは当たり前だと。
自分はそういう種族だからだと。
私は「そんなことはない」と反射的に言いそうになった軽はずみの言葉を慌てて飲み込んだ。
そんなことあるのだから。
実際に私も一目見たときには恐れたから。
そして、彼はずっとそんな人生を過ごしてきたのだ。
だから彼はこれほど寂しそうに微笑んでいるのだと。
それなのに、それどころか彼は……
「え? お姉さん? うふふふ、嬉しいわね。でも、こう見えて私は既に結婚している娘どころか、孫までいるのよ♪ あら、本当よ本当……え? 私が……優しい?」
彼は私のことを「優しい」と言ってくれた。
自分が「そういう種族」なのに、正面から受け入れて謝ってくれた。
それが嬉しいと……彼が言った瞬間……
「え、ちょ、ちょっと、ど、どうしたの? え?」
彼は急に、その大きな瞳からポロポロと涙を零した。
一体どうしたのかと、私は気づいたら彼に駆け寄って……すると、彼は泣きじゃくりながら……
「え……友達を思い出した? その人も……そう、最初はあなたに驚いたけど、でもすぐ謝って……受け入れてくれて……そう……え? 人間の……!」
驚いた。
彼にはどうやら人間の友達がいたようで、とても大切で、本当に大切な友達だったようで、その友達と私を重ねてしまって思わず泣いてしまったとのこと。
「そう……あなたに人間のお友達が……そんなに大切な友達だったのね?」
私が驚きながらそう尋ねると、彼は涙を流しながらも初めて見せる心からの笑顔で私に力強く頷いた。
自分の、世界でただ一人の大切な友達なのだと。
でも……それなら……
「その……そのお友達は……今はどこに?」
掘り下げて聞いていいのか迷った。
今は一人で、そしてあれほど心細く寂しそうな瞳をしていた彼に、この質問をしてもいいのかと。
でも、私はこの時「この『人』を知らなければならない」と思った。
すると彼は……
「世界を旅していて……誘われたのに、あなたは一緒に行かなかった? それは何で……ッ!?」
その、彼の語る理由に私は思わず涙が溢れてしまった。
その人間のお友達も彼を大切にしていたのだろう。だから一緒に旅をしようと誘ってくれたのだ。
だけど、そんなお友達のことを彼も大切だから……本当に大切だから……一緒に行くわけにはいかないと……
「そう……そのお友達は今どこに? どういう人なの? ……え? 言えない? ……ッ! その人の……評判が……下がっ……ッ!?」
そして、私が彼に友達がどういう人なのかを尋ねると、彼はまた寂しそうな顔で「言えない」と答えた。
どうやら、人間の間ではかなりの有名人らしいのだけど、「自分みたいな化け物が友達だと知られたら、その人の評判まで下がってしまうから」と。
どこまでも悲しい理由……そして、この人はどれだけ優しい心を……。
私は彼と出会って、その姿を見ただけでまず真っ先に恐怖を抱いたことを恥じた。
「それは……私たち人間の所為なのよね……私たち人間が弱く、臆病で、そして心が狭いから……あなたのお友達のように、皆があなたを受け入れられない者たちだと、あなたに思わせてしまっているから……戦争はもう終わっているのに……」
そう、戦争はもう終わっている。
「あの村も、かつてモンスターに襲われて……いいえ、それは言い訳ね」
そして、ヒイロとマアムは過去のわだかまりを捨てて、憎しみ殺し合っていた者たちと手を取り合う世界を目指した。
だけれど、戦争が終わって十数年の月日が経っても、それは実現できていない。
そう簡単に、世の中も人も変わることはできない。
だからこそ……アーくんは帝国を……御前試合であんなことに……
そして、私もそうかもしれない。
愛するあの人を喪ったのは、全てかつての戦争で……そんな相手に、かつてのわだかまりを全て捨てて手を取り合って仲良くできるものなのかと……以前までの私は思っていたかもしれない。
でも……
――いくぜ、クロン!
――はい、今度は二人で!
――そして、見せてやるぜ、バサラ!
――刻んでみせます!
――俺たちを!
――私たちを!
もう、アーくんはとっくにその道を進んでいる……それなのに……私は……私たちは?
それなら、どうすればいいかなんて、分かり切っていることだわ。
アーくん……あなたなら……この場にあなたがいたら……きっとあなたは彼を受け入れるのでしょうね。
私はあの人と出会った、『いつまでも変わらない』あの村で生涯を終えるつもりだった。
でも、何も変わらないことをいつまでも良いことと思ってはダメ。
新しい時代のために、私たち古い人間こそ、今こそ変わらないといけない。
村の子供たちも私たちとは違う時代をこれから生きていくのだから。
孫の世のためにも……まだ見ぬ曾孫の世のためにも、私たちが足を引っ張るわけにはいかない!
大人である私たちが変わっていかないとダメなのよ。
「よし、あなたは今日限りこの森から出て……そして、私たちの村に住みなさい! あらゆる全ての責任は私が持つわ! 村の皆には、私が必ず説得してみせる!」
それが今の私にできる精いっぱいのこと。
だけれど、私はもう覚悟を決めた。
私の言葉に彼はすっかり目を丸くして、だけれどすぐに慌てて首を横に振った。
それでも私は引かない。
「あなたのお友達や私だけではなく……皆の認識を改めさせないと……私たちの村で一緒に暮らし、もっと私たちにあなたのことを教えなさい! そして、私が必ず皆があなたを知るようにするわ!」
アーくん。おばあちゃまは、あなたの無事を祈るだけしかもうできないと思っていた。
でも、それだけにしない。
おばあちゃまは、おばあちゃまにできることをやってみるわ。
「いいこと? もし、迷惑だなんだと思い込んで逃げだしたりすることは、絶対に許さないわ!」
世界も種族の壁も超えていくアーくんには、いつだって障害はつきものなのかもしれない。
でもね、そんなとき……あなたがいつか種族の違う女の子と恋をしたとしても……あなたが種族の違う人とお友達になっても……それを言葉だけではなく、心からあなたの味方になれるよう、小さなことかもしれないけど、おばあちゃまもやってみるわ。
「いいから黙って言うことを聞きなさい! 今度ごにょごにょしたら、お口をパッチンしちゃうわよ! ……おほほほほ、と、ちょっと大昔のヤンチャだった私だったりだけれど、とにかく来なさい」
私の差し出した手に対して、彼は動揺……いいえ、色々な感情がごっちゃになってどうすればいいのか混乱しているみたい。
「そして……私をあなたの世界で二番目の友達にしてくれないかしら?」
すると、体の大きな彼は、私の目の前でまた哭いた。
「え? ふふ、よく見たら私に見覚えがある? ふふふ、そうよ。あなたも見たでしょう? 昨日の鑑賞会に登場した……ええ、そう! アース・ラガンのおばあちゃまは私よ♪ そして、十数年前にアーくんがモンスターたちから私たちや幼い子供を守ったように、あなたもあの子と同じように村の子供たちを守ってくれた正義の味方なんだから、歓迎させ……え? ちょ、どうしてまた泣き出すの!?」




