第四百七十八話 最後のピース
『さて、そこのお兄さん。君はスパイスを選ぼうとしていた。これを使って料理をするのだろう? ボクは分かっている。もし、お金を気にしなくてもいいのなら……君は何を選ぶんだい? スパイスというのは、ハンター家業において大いに力となるもの……少なくともポーションよりもね。ボクはそう思っている。しかし、今の世の中はそれを知っている者もいなければ、理解しようともしない』
『はぁ……』
『このナイフもそうだよ? それに……このカロリーフレンド。これだって、栄養満点だよ?』
道具屋でアースに詰め寄る店長スレイヤ。
謎にアースに絡んでは、ポケットから『これ見よがし』に『ボロボロのマジカルサバイバルナイフ』と『カロリーフレンド』を取り出してアースに見せている。
その時、そのナイフと携帯食がやけにドアップで映し出されたが……
「うむうむ。あの男、分かっているではないか。大魔王様が考案された道具や携帯食はまさに画期的なものであった。イメージだけで敬遠する愚物どもと違い、先入観を持たずにちゃんと性能や本物を見極める目を持っている……流石はかつて名を轟かせたハンターといったところか……」
そんなスレイヤをヤミディレが感心したように頷いた。
「お、おぉ、師範が素直に人を褒めるなんて……」
「それに、お母さん少し嬉しそうです」
珍しいヤミディレの姿に苦笑するブロとクロン。
そんな中で、スレイヤはアースに挑戦状をたたきつける。
『君がボクを唸らせるようなスパイスをチョイスしたら……スパイスの料金はタダにしてあげるよ』
それは破格なようで、ある意味で無謀な条件。
そう、「アースを知る者」たちからすれば、アースがそんなの選べるわけがないと思っているからだ。
「う~、なんということでしょう……私があの場に居ればアースに教えてあげられましたのに……お母さんから教えてもらった、お母さんのカリーのスパイスを……コリアンダー、クミン、ターメリック、ガラムマサラ……」
『……あ~、こりあんだー、くみん、たーめりっく……』
「ええ、他にもクローブやカルダモンや……………ふぇ?」
自分が傍に居れば今の自分ならスレイヤも唸らせるスパイス選びでアースの役に立てたのにと悔しそうにむくれるクロンだったが、思わず固まってしまった。
「え……な、なんだと!?」
ヤミディレも驚きのあまりに声を上げた。
それは、まさに現在建設現場で大繁盛の「女神のカリー」クロンからすれば「お母さんのカリー」のスパイスチョイスそのものだったからである。
「え、あ、アースが……アースもお母さんカリー知ってるのですか!?」
「い、いや、な、なぜだ?! なぜ、アース・ラガンがあのスパイスをチョイスできるのだ!?」
二か月ほどアースと一緒に暮らしたことがあるヤミディレであったが、その間の料理はツクシやサディスがやっていたために、アースが料理をしているのは見たことが無かった。
だから、アースが料理に精通しているのにも驚いたが、それ以上に驚いたのは、そのチョイスしたスパイスである。
「あのスパイスは……私が……あの御方の振舞ってくれたカリーを求めて研究の末に辿り着いた……そ、それと同じ中身を何故あやつが……」
「アース……ひょっとして、アースもカリー大好きなのでしょうか!? それなら嬉しいです! 将来、アースと結婚してカリー屋さんをしたいって思ってて……アースも賛成してくれるかもしれないです!」
「へぇ~、弟分、あいつもカリー知ってたんか……」
「んぁ!? それなら僕にも食べさせてくれてよかったのん! 知ってたのに食べさせてくれなかったなんてひどいのん!」
まさかアースがカリーにまで精通していたことに驚く一同。
だが……
『……残念だけど……それだけだとダメかな?』
「「「「「…………え!?」」」」」
『その組み合わせで出来る……この大陸に伝わる伝統料理……カリーは……ボクは何度も試したが、物足りなかったな』
次の瞬間、スレイヤはヤミディレたちだけでなく建設現場の労働者たちですら驚いてしまう衝撃の発言をした。
「は、はあ!? 何言ってんだよ、あの若造は!」
「なぁ、クロンちゃん! クロンちゃんの彼氏が選んだスパイスが、俺たちがいつも食ってるカリーと同じ組み合わせなんだよな!?」
「バカな! メチャクチャうめーぞ! おれぁ、これを毎日食わねーと、もうダメな身体になってんだぞ!」
そう、この場に居る全ての者たちが女神のカリーの大ファンであり、クロンも自分でも食べて自信を持っているものである。
「そ、そんな……なぜです! お母さんのカリーは、とっっっても美味しいのに……満足できないなんてそんなの……きっと作り方や煮込み方が違うのです!」
いつもニコニコ笑顔のクロンもこの時ばかりはムッとした顔を見せた。
自分が大好きな母の考案した、自分の大好物のカリーを「満足できない」と言われたようなものだからだ。
だが……
「……こ……この男……」
「お母さん?」
ヤミディレは思わず身震いした。
それは……
「クロン様。確かに我々が現在振舞っているカリーは私の出せる最高の味です……しかし……私はあれ以上美味しいカリーを過去に食べたことがあるのです」
「……え?」
「私が求めているのはあの味です……」
そう、ヤミディレにとって今のカリーは「未完成」なのである。ヤミディレ自身も何かが足りないと感じて、今でも日々研究をしているのである。
そんなヤミディレにとって、今のスレイヤの一言はまるでそのことを見透かされたような一言だったのだ。
では、そんなスレイヤを唸らせるようなチョイスとは何か?
「ううむ……カリーか……私も何度か食べたことはあるが……ライヴァールは知っているかい?」
「無論だ。カリーは非常に栄養価が高く、山ごもりなどの際には俺も食している……」
「へぇ~……では、これの正解は分かるのかい?」
その頃帝国では、ソルジャに問われたライヴァールは不敵な笑みを浮かべ……
「そもそもアースがアレだけのスパイスの名称を知っていたのには驚いたが……恐らく欠けているのはスパイスではないのだろう」
「え? スパイスではない?」
「そう……カリーを構成するものの中で、スパイス以外にも隠し味や味のまろやかさを出すために煮込むものがある……」
「そ、それは……?」
そして、ライヴァールは自信満々に……
「ハチミツとリンゴだ!」
そして、再び建設現場において、クロンたちがアースがどう答えるのかと見守ると……
『あ~、魔界産のヘルズコーヒーってある』
『ッ!?』
アースのその答えに、スレイヤが目を大きく見開いて反応。
そしてヤミディレも……
「コーヒー……い、いや……コーヒー……」
「お母さん? コーヒーって言ってますけどどうなのですか?」
「コーヒー……い、いえ……コーヒーは確かに入れるのはそれほど珍しくはありませんが……しかし、銘柄までは私も……ヘルズコーヒー……だと? ヘルズコーヒー……わ、私もカリーに入れるコーヒーについては色々と考えてはいたが……そもそも戦争が終わって以降は魔界に行っていなかったので、あのコーヒーを試したことは……なぜ、アース・ラガンが知って……いや、それよりも……どうなのだ? ヘルズコーヒーは確かに私も確かめたことは……」
アースの口からただのコーヒーではなく、指定までされたその銘柄にゾクッと震えた。
『……いや……それは取り扱っていない……』
一方で、スレイヤもそれだけは取り扱っていなかったようだ。
そう、魔界の魔王軍がかつて利用していたマニアックな道具すら取り扱うスレイヤでも選択肢に入れてないほど、地上ではなかなか入手できない銘柄でもあるからだ。
だが、そこで終わりではなく……
『あ~……じゃあ、とりあえず帝国産は?』
『……………………それも……ない』
ヘルズコーヒーの代用として帝国産について尋ねるアース。
「ぐぬっ!? 帝国産……ぐ……こ、ここで……」
「お母さん!?」
ヤミディレもそこでまた反応。
「帝国のは……わ、私も……ヒイロたちの国ですので、できれば使いたくなかったのと……とはいえ、大手のものや王家御用達のものは一通り……」
『分かった、取り寄せよう! 銘柄を教えてくれ!』
『あ、あんま有名じゃなくて……帝国の中でも小さな田舎で製造されてる……ホシノコーメダっていうコーヒーなんだ』
「な……なん……なんだそのコーヒーは! わ、私は知らんぞ! し、しかし、それがヘルズコーヒーに近いコーヒーなのか!?」
もはやヤミディレは周りの目も気にならなくなるほど激しく取り乱している。
抑えきれない衝動。頭を抱えて自分の頭の中でカリーのレシピや過去に食べた味の記憶を振り返り、没頭する。
「ん~……お母さん……うん! そのコーヒーがあれば、もっとお母さんのカリーが美味しくなるのですね! アースが言うんだから間違いありません! 何とか手に入らないでしょうか……」
そんな母に苦笑しながら、何とかしてあげられないかと悩むクロンであった。
すると、
「あ、んじゃぁ、クロンちゃん。この現場の資材調達で関わっている奴に聞いてやろうか?」
「え?」
それは、現場で働く労働者の一人がそう言った。
「手に入るのですか?」
「分かんねーけど、聞いた話じゃ小さいものから大きなものまで何でも扱ってるって聞いてるから、コーヒーぐらい金さえ払えば調達してくれると思うぜ?」
「まぁ! それなら是非!」
「おうよ! 俺らの女神、クロンちゃんのためなら、向こうの社長にも直接言ってやらぁ!」
嬉しそうに笑顔を見せるクロンに、「任せろ」と男は胸を叩き、
「早速、『総合商社イナーイ』に聞いてみるか! シテナイ社長に!」
そしてその頃……
「ん~……スレイヤ君さ~……ちょっとうっとおしくない?」
「……何を……」
「だってさ~、お兄ちゃんはスレイヤ君と初対面なんだよ~? 馴れ馴れしくし過ぎじゃない?」
エルフの集落の川辺で、エスピにそう突っ込まれるスレイヤ。
対してスレイヤはムスッとして……
「何を言っているんだい! 僕がどれだけこのときお兄さんに抱き着きたい衝動を我慢していたと思っているんだ! むしろ、よく我慢したと賞賛するところだろう!」
「え~? そうかな~? 事情知らない人から見たらイライラすると思うよ~? もしさ~、このままお兄ちゃんに怪しい人だと思われて逃げられてたらどうするつもりだったの~?」
「そ、そんなことは……お、お兄さん……どう思う?」
不安そうに尋ねるスレイヤが振り返ると、そこには並んで座るアースとシノブ。
「ったく、お前ら……アマエのことで急にブチ切れて乗り込んだと思ったら……」
「うふふ、でも来てくれて私は助かったわ。あれ以上ハニーと二人きりだったら……間違いなく襲ってしまっていたから♥」
二人の時間を邪魔したようで、シノブは「助かった」と逆に感謝したりと妙な状況になってしまったが、いずれにせよエスピやスレイヤと合流した途端に、まさかクロンたちと別れた後のことまで今日流されるとは思わなかった一同は、そのまままた並んで鑑賞会を続けていた。




