第四百五十九話 軽いものじゃない
「ンゴクゴクゴク……ふぅ……流石に飲んでしまうな……」
優雅にグラスに注がれていたワインを飲んでいたハクキも、グラスを落として割った後は、瓶から直で飲んでいた。
それほどまでハクキにとっても大ごとであった。
「まぁ、流石に世界丸ごとこれは衝撃だったであろう……知らない者たちも含めて……今頃、ライファント、ノジャ、ミカド辺りも目を丸くしているだろう……」
そう、それほどの衝撃。
そして世界中が思った。
――なんだ、アレは!?
と。
形はドラゴンでも、ただドラゴンという言葉だけでは片づけられない異質の存在。
たとえそれが、目の前に存在せず、姿かたちが空に映っているだけなのに伝わってくる圧倒的な存在感。
――凄すぎて分からない
と、多くの者が思い、言葉を失っていた。
「な……なん……だ、アレは!?」
「アースってば、な、一体何を召喚したっていうのよ!?」
それは、現時点で世界最強クラスのヒイロとマアムですらも手に汗握るほどの強大さだった。
「ふっ、そうか……ヒイロ、マアム、貴様らの世代はアレを知らんのだな……まぁ、人間であ奴を知っているのは、ミカドぐらい……貴様の師すらもあ奴とは戦っていない。カグヤ時代……モンスターテイマーのピーチボーイ、バトルアックス担いだゴールド、知将と呼ばれしトンチのワンナインなどの世代だからな」
「ッ!?」
「あれぞかつて、我らが仕えし大魔王様と魔界最強の覇権を争った伝説の存在……冥獄竜王・バサラだ」
その瞬間、ヒイロとマアムは口を開けてポカンとした。
「な……あ……いや……いやいや、待て……め、冥獄竜王って……女勇者カグヤの絵本に出てくるような……あ、アレが……か?」
「う、嘘でしょ? じ、実在して……っていうか、今も生きていたの?!」
「……だ、だが、確かに……あのデケー竜……見せかけだけじゃねえ……途方もねえ強さを感じる」
「ええ。かつてのあんたら六覇……ううん……それ以上の……」
もはや、実在していたことすらも驚愕の存在。
「ああ。誇張じゃなく……紛れもなくトレイナ級の強さを感じる……」
そして、驚きながらも「そんなわけがない」と否定することもできない強さをヒイロとマアムも感じ取っていた。
「ふふふ、そうだ。奴は地上の侵攻に一切の興味がなかった……いや、興味がないというより拒否したというべきか……バサラは大魔王様に敗れはしたものの、配下として貴様らの代の地上の戦争に参戦することはなかったからな……そういう意味で、貴様らは運が良かった。あ奴は『当時』の吾輩より強かったからな」
「ま、マジかよ……魔界に、まだそんなとんでもねえ奴が……あ、あんなのが野心も持たねえで世界の表舞台に出てこなかったっていうのかよ!」
「魔界というより……あやつがいたのは月だがな……そう……ある女の墓をずっと……ふふふ」
そんなバサラと旧知であるハクキは最初こそ噴出して驚愕したものの、その表情は穏やかでどこか嬉しそうであり、さらには……
「……ふふ……『貴様も』懐かしいであろう? ふふふ、そんなに嬉しそうに笑うとは……吾輩ですら妬けてしまう」
「あん? 懐かしい? いや、俺は初めて……」
「気にするな。貴様らに話しているわけではない」
「?」
どこか思わせぶりな独り言を呟きながら、ハクキはまた笑った。
「で、でもちょっと待ってよ! ど、どうしてアースがそんなとんでもない怪物を召喚できんのよ! い、いくらなんでも……場面が出てこなかっただけで、ひょっとしてヤミディレが教えてたとか?」
「ああ。そうとしか……だって、あんな召喚魔法、聞いたこともねえし」
そしてヒイロとマアムの疑問はそこであった。
そんな伝説の怪物をどうしてアースは召喚できたのかということだ。
唯一考えられるのはヤミディレであったが、そこはハクキが首を振った。
「それはない。そして……ふふふ……それにしても……この世で最も自重しない者は我らが闇の賢人だと思っていたが……ふははは、あの御方も意外と自重しないのだな……背負っていた重荷から解放されて、はしゃいだか? それとも、よほどあの小僧と情が深まったか……」
ハクキはもう答えに辿り着いていた。そして更に機嫌よさそうに笑みを抑えきれずに笑っていた。
「こうなってしまっては、アース・ラガンに吾輩が負けたら子分になってやるというよりは……ふふふ、『子分にしていただく』が正しくなってしまうかもしれないなぁ……ふはははははははは! いずれにせよ……血が沸く!」
「「?????」」
「……しかし、バサラか……もう月へ帰ったのだろうか……まだいるのなら……少し会いに行ってみても良いかもしれんなぁ」
そして、辿り着いた答えをハクキはヒイロとマアムには言わなかった。
「ふぉっふぉっふぉ、の~、アミクスちゃん。お茶をもういっぱいいただけるかの~」
「あー、わらわも欲しいのじゃ~緑茶がいいのじゃ~」
そして、同じく世界の者たちと一緒になって唖然としている者たちばかりのエルフの集落では、ミカドとノジャだけが現実逃避しているかのように正座してニコニコとお茶を味わっていた。
「あ、えっと、あの……わ、分かりました……けど……えっと」
「おー、あとあのお菓子、パイパイも欲しいのぅ~。このボケボケで歯もボロボロで幻覚見てしまうようなジジイにも食える素晴らしいお菓子じゃ」
「うむなのじゃー。お茶もうまい。お菓子もうまい。空もとっても綺麗でとても平和なのじゃ~」
アミクスが顔を青くしてどうすればいいかと周りに助けを求めるかのように右往左往し、その気持ちが他の者たちにもよく分かった。
ミカドとノジャ。
外の世界をあまり知らないエルフたちですらも、この二人がどれほど桁違いの力を持った存在なのか分かっている。
そして、そんな二人が明らかにおかしな態度で現実逃避しているのだ。
つまり、空に映し出されているドラゴンは、それほどの存在なのだと皆に二重の意味で知らしめるものでもあった。
「……シノブ……冥獄竜王の弟子になったって……比喩ではなくホンマやったんやなぁ……」
「もう、拙者には……申し訳ないが、ジャポーネでの王位がどうのこうのがとてつもなくスケールの小さな問題に思えてしまうでござる……」
「ええ……それにしても、こういう流れで師匠を召喚したのね……ハニーは」
「もうオイラにも……分からないことばかりじゃない」
「……小生も初めて知った……あんな召喚魔法……そして噂では聞いたが姿を見たのは初めてだ……伝説のバサラ……」
カゲロウもオウテイも、シノブもコジロー、ラルウァイフすらも半笑いで視線を横に向ける。
そこには……
「……お兄ちゃん」
「……お兄さん」
ガックリと項垂れているエスピとスレイヤに挟まれるように、蹲って顔を上げようとしないアース。
「……ううん、お兄ちゃんというか……うん」
「お兄さんの隣にいるんでしょう? 一言……やりすぎ」
このことに関してはエスピとスレイヤももはやフォローのしようがなく、皆の前では名前を出せない「トレイナ」に向かって、とにかく「やりすぎ」とツッコミを入れるしかなかった。
『……いや……そ、そう言われても……この時のシーンを含めて、これが世界全土に同時に流されるとはいくら余でも……な、なぁ、童もそう思うであろう?』
「……俺もお茶とパイパイ欲しい……」
『童ぇぇ、貴様まで現実逃避するなぁ! いや、する気持ちは分かるけどもだ!』
そしてアースまでもが現実逃避。
もはやこれが世界同時に流れているのであれば、当然父も母も含めて自分のことを知る者たちにまで説明のしようもないことを知られてしまった。
これをどうやって誤魔化せばいいかなどアースに分かるはずもなく、そして……
「おー、そうかー、アースくん。では、ワシと一緒にお茶とパイパイを楽しもうではないか~」
「そーなのじゃー、婿殿~、ではノンビリと茶ぁしばこうなのじゃァ~」
同じく現実逃避に入ったミカドとノジャもフラフラニコニコしながらアースへ近づき……
「ちょ、二人ともぉ!」
「まって、今は僕たちがお兄さんと話を―――」
ただ、そんな二人にイヤな予感がしたエスピとスレイヤが間に入って止めようとしたが、時すでに遅く―――
「アースくん。事情を説明してほしいのぅ」
「おい、婿殿。全部話すのじゃ。さもなくば、今犯して孕んじゃうのじゃ」
『「「「…………」」」』
と、エルフやシノブたちには聞こえないぐらいボソリと真剣なトーンで尋ねるガチモードのミカドとノジャ。
その言葉に、アース、トレイナ、エスピ、スレイヤはドキッとする。
その問いにアースは少し間をおいて……
「……やだ」
「「ッ!?」」
そう返した。
「色々考えたけど、流石に誤魔化せるレベルの話じゃないってのは分かってるけど……だからこそ……ホイホイ教えたくない。親父も母さんもクロンもシノブもフィアンセイたちにだって教えてないんだ……だから、俺があんなことをできる事情はあるけど、教えられない」
誤魔化す言い訳が何も思いつかないので、誤魔化せない。
それは分かりつつも、やはり教えられないと言うしかなかった。
それだけ、トレイナのことは重く、特別であり、だからこそアースも自分にとって本当に特別な者にしか教えてないのだ。
聞かれて誤魔化せないから教える……というのは、アースも嫌だった。
「ぬぅ……」
「むっ、う~……婿殿ぉ……わらわを除け者にするかぁ~?」
そんなアースの、どこか触れるのを躊躇わせるような雰囲気に、ミカドだけでなく、ノジャですらも思わず言葉を飲み込み……
「うん、そーいうことだよ、二人とも!」
「お兄さんが教えられないって言うんだから、これ以上聞くのはダメだよ? もし力ずくでもって言うなら、ボクたちが全力でお兄さんを守るけどね」
そして、そんなアースの想いが嬉しかったのか、ニヤけが収まらない表情でエスピとスレイヤはアースを左右でガッチリガードしてミカドとノジャの前に立ちはだかった。
この壁を崩すのはいかに二人でも容易ではなく、全く納得できないが、これ以上強行することはできなかった。
「貴様らぁ……ならば力ずくで……としようと思ったが、ま、もう少し見させてもらい、その上で更に我慢できんくなったら……なのじゃ。バサラも出てきて続きが更に気になるのじゃ」
「確かに……まだ続きがあるようだしのう……」
既に色々と我慢できないが、この上映会そのものはまだまだ終わる気配もない。
ならばコレを中断するというのも惜しいというのもあり、しぶしぶドカッと胡坐で座り込んだ。




