替わりはいくらでもいると言ったのに今更、どうされました?
それは週末、いつも通りにまとめて作り置きをしようと考えていた日の事。
材料を用意してくれているルイスがリネットの様子を見て、とても重々しく口を開いた。
『リネット、君はすごく頑張っていると思うけれど、それはあまりいい結果をもたらしていないと思う』
そんな言葉から始まって、彼は一つ学年が違うせいで、リネットが知らない婚約者デュークの学園生活について話をしてくれた。
そしてそれを確認するためにリネットはこうして、三年の教室がある階へとやってきていた。
リネットは教室の中へ入ろうか迷うこともなくデュークのことを見つけた。
なぜかといえば彼は、廊下で多くの女性に囲まれて、笑みを振りまいていたからだった。
ルイスの言葉が頭をよぎる。
もちろんリネットが毎週用意している魔法薬のおかげで、彼が首尾よく授業で好成績を残していて、それを称賛されているだけならいいのだ。
貴族はみな、鍛錬はやるけれど自分で手を動かして、なにかを作り出すことを芸術以外ですることを極端に嫌う。
だからこそ、それを担って人よりも質の良い魔法薬を作れる魔法使いは重宝される。そのはずである。
だから、デュークは感謝こそすれ、この魔法学園という愛憎渦巻く場所でだって、問題ないはずだと信じていた。
しかし、どんなによく見ても彼の隣にいる女性は、彼の腕に手を絡ませて、明らかに友人以上の距離で接している。
それに信じられないという気持ちを抑えながら、リネットは彼らの元に速足で向かった。
「すみません!」
声をかけて、リネットはデュークだけを見て前に進んでいく。
突然声をかけられた周りにいた女子生徒たちは、困惑の表情を見せたけれどリネットの必死な顔を見てスッと身を引く。
あっけなく彼の元へとたどり着くと、彼はリネットに気が付いてちらとこちらを見た。
「……なんだ、リネットじゃないか。なにしに来たんだ」
デュークはそっけない声でリネットに言う。
その言葉を聞いて、なんだか急に彼が遠い存在になったような気がした。
今までまったくそんなことはなかったのに、どうしてか二人の間に分厚い壁でもあるような心地だ。
しかし、だからと言ってここで黙るリネットではない。
「あなたこそなにをしているんですか……私というものがありながら……」
怒りを抑えて、リネットは静かに彼に言った。
声は少し震えていて、けれども視線はそらさず彼とその隣にいる一番、距離の近い女子生徒のことを見た。
彼女はリネットの様子を見て、ススッと手をどけて自分は修羅場には関係ありませんよという顔をする。
しかし、その対応をされて、デュークは彼女のこともちらりと見てから、急にがらりと空気が変わって苛立ったような顔をした。
「なんだ。婚約者だからって釘を刺しに来たのか? 私というものがありながら、こんなふうに女性に囲まれてどういうつもりだ~!って?」
そして軽快に話し出して、リネットのことをおちょくるように笑みを浮かべる。
彼がそう言うと周りにいる女子たちは、少しくすくすと笑った。
「ハッ、それで? お前はそれでどうするんだよ」
「どうって、そんなの」
「俺はお前にそんなふうに言われる筋合いなんてないな。嫌なら別れればいい」
彼はとても簡単に言った。
リネットの頭にはそんな考えなどない。
ここまでやってきたのだって、真偽を確認するためだったし、こうして彼が不貞行為をしていることを知って口を出したのだって、やめてほしくてだ。
別れようと思って言っているわけではない。
そういうことを許す婚約者もいるだろう。
けれどもリネットは許したくないし、許せない。
そう思う、だからやめて欲しいという気持ちを伝えて、ただ謝ってくれればそれでいいと思っていた。
「婚約なんてどのみちお前にしか利益がないことだろ? 俺に選ばれたい女なんて山ほどいる」
「それは……」
「さらにいえば、俺は四属性の中でも戦闘に向いている魔法を持っているし、実技の成績で言えばトップクラスだ。将来は魔法使いとして大成してより高い爵位を取得することも夢じゃない」
デュークは自分が如何に優れているかを口にする。
たしかに彼は爵位継承者であり、魔法使いとして将来を期待されている。
良い魔法も持っていて、実技の成績もいいなんて、誰から見ても魅力的な男性に移るのはリネットも理解できた。
「それに比べてお前はどうだ? 魔法すら持っていない、座学も実技もたいした成績じゃない、家柄だってそこそこ、できることと言ったら多少魔法薬を作るのがうまいぐらい」
そして彼は自分とリネットを比べて、こんなにスペックに差があるのだと示していく。
「幼いころに決められた婚約者だから、仕方なく、俺に尽くす機会をくれてやってるんだ」
「……」
「大人しく、首を縦にだけ振って俺のサポートに徹しているだけならまだ、許してやったものをわざわざやってきて……なぁ、リネット」
彼は厳しい瞳でリネットのことを見つめる。
……彼の言う通り私たちの間には差があります。……でも、それでも私はあなたにきちんと貢献しているつもりでした。
私の婚約者でいてくれるあなたに私なりに敬意を払って、手を尽くしているつもりでした……。
あなたもそれを必要として頼ってくれている……と思っていたのに……。
週に何本も魔法薬を作ること、それは本当は魔力の消費も激しいし、時間的にも厳しいことだった。
けれども彼の期待に応えるため、リネットは時間を惜しまず注ぎ込んだ。
だからこそ、婚約者として彼の浮気を咎めるのは当然の権利のはずだった。
「お前何様のつもりなんだ? お前の替わりなんて、いくらでもいる。ちょっと魔法薬が作れるぐらいで、俺になんでも指図できると思ったら大違いだ」
「っ……」
「お前の替わりなんて誰にでも務まる。俺が少し魔法薬をお前に頼っていたからって調子に乗ってんなよ」
「……」
「それで? 浮気が許せないんだったか? じゃあ、いいぞ。婚約破棄だ、お前の為に俺がいうことを聞くわけないだろ、そのぐらい分かれよ」
そうして彼は短く、リネットに対して別れを告げて、イラついた様子で歩き出す。
彼の周りにいた女性たちも、リネットのことなど興味なさげに彼についていく。
一人残されて、ふらふらとした足取りで戻ったのだった。
荷物を取りに自身の教室に戻る途中、こちらを探している様子のルイスと出会った。
彼は、リネットを見つけて気さくに話し出した。
「あ、リネット。昨日渡した素材の追加が用意できたんだけれど……」
しかし言い始めてから、リネットの様子がおかしいことに気が付いて言葉を途中で止める。
それからのぞき込むようにリネットのことを見つめた。
「どうかした?」
短く聞かれて、リネットは咄嗟に滲んだ瞳を少し拭って、スンッと鼻をすすった。
「…………振られました」
それから、なんとか普通を取り繕った声で言う。
彼はキョトンとして、それから少し視線を空にやって考える。
そして顔をさぁっと青くさせた。
「もしかして、僕が昨日言ったこと気にして会いに行った?」
言われてこくんと頷く。
「……ごめん……本当にごめん。言わなくていいことを言ってしまったとは思ってたんだ、それに僕、自分の感情に任せて言ってしまったけれど━━━━」
そうして彼は、幼なじみが振られる原因となったことを詫びた。
自分をきっかけにしてこんなことになって、彼が謝罪したい気持ちになったのもわかるけれど、リネットは頭を振ってこたえる。
「違います。あの人の態度を見てわかりましたが、いつかこうなっていたと思うので。あなたが悪いわけじゃないです」
「でも、考え無しに言ってしまった僕も悪い」
「違います。悪いのはあの人です。いくら、なんでも……私が魔法薬を作れるぐらいしか取り柄がないのだとしても、彼に将来性があるからと言って浮気が正当化されるわけありません。あんな態度を取るなんて尚更です」
「……それは否定しないけど」
傷ついて、涙しか出ないぐらいだったが、リネットはルイスが気にしなくていいように言葉を重ねた。
すると、自然と、なんで自分がこんなに悲しまなければいけないのかと思うぐらい彼は、酷い男だった。
「替えなんかいくらでも利くとしても、関係がきちんと決められている以上は相手に誠意を尽くすべきです。それは当たり前のことでしょう」
さらに自分の考えを言うと、それはまったく間違っていないと思えて、悲しみで埋め尽くされていたのがすっかり消えていく。
波が引いていくように、苦しかった胸が軽くなって声には確信が生まれた。
……そうです。そんなことも守れなくて、女の子を侍らせていい気になるなんて、酷い人です。いつかそれがわかるなら今傷ついても、早いうちにわかってよかった。
「だからこそ、ルイスが言ってくれてよかったです。彼のこと、私は疑いすら持ってなかったですし、知れてよかった」
「……でも傷ついたでしょう。配慮が足りなかったのは事実だ。ごめんね、リネット」
「じゃあ、許します。それはそれとして、ですね。ルイス」
それでも自分の非を見つけて言う彼を、リネットは簡単に許してから顔をあげる。
「なにはともあれ、避けようのないことでした。たしかに私は彼より劣っていますし、誰でもできる魔法薬を作ることぐらいしかできない、魔法もない普通以下の女です。でも、当たり前に尊重されるぐらいの生活を望んでもいいと思うんです」
「……」
「最低限不幸せではない程度の結婚生活を望んでもいいはずです。だからこそ、二人の間には浮気も不貞もない関係が必要なんです。だからこうなって当たり前だった。そう、思わないですか、ルイス」
リネットは、頭を切り替えて彼に言葉を伝える。
廊下の端でするような話ではないと思うけれど、話しているうちに心の整理がついて、それが正しい答えのような気がした。
ルイスもその通りだと言うと思ったが、彼は少し考えてから「それは違うよ」と優しげな声で否定した。
「……違いますか」
「うん。彼は君のために変わるべきだったし、君は振られて傷ついて当たり前じゃない」
「……」
「彼はいい成績を残しているかもしれないけれど、君は彼のお願いを無条件で聞いて長年支えてきた。それは誰にでもできることかもしれないけれど、やってきたのはリネットで、できるとやるのではまったく別の話だ」
ルイスは、きっぱりとそう宣言する。
「だから、想う人のために動けるリネットは、最低限不幸ではない結婚なんてものじゃなくて、最高に幸せな結婚をしたいと望んでいいんだって僕は思う」
「嬉しいこと言ってくれますね。ルイス」
真面目にそう返した彼に、リネットは小さく笑みを浮かべて彼に言った。
すると彼は、リネットの笑みに恥ずかしそうに視線を逸らして、座りが悪そうな様子だった。
そして話を切り替えて彼は言った。
「そ、それにね。リネット」
「はい」
「僕は、あの人のことをあまり深く知っているわけじゃないけれど、材料と頻度を見るからに、君の支えがあってこそ成果を出せているだけの凡人だと思う」
「…………」
「君の魔法薬は学生が作る初歩的な物じゃない。一般の魔法使いも重宝するレベルのものだよ。それを替えが利くなんて言ったのは、きっと君がそれを彼の要望に応えて惜しまず与え続けたからなんじゃないのかな」
ルイスは少し思案しながらも、仮説を口にする。
「だからきっと後悔するよ。リネット、きっと皆、君のすごさに気が付くよ。この際だからオリジナルのレシピを先生方に見てもらうのがいいかもね」
そうして、リネットは自分の価値を確認するためにそうするべきだと結論付けた。
彼はどうやら、リネットが自分の価値をとても低く見積もっていて、まず自覚が大事だと思っているようだった。
しかし、リネットは、彼の言葉にすぐに返さずに少し考える。
リネットにとってまったくもって自覚がないわけではなかった。
手を動かして自分で何かを作ること、それが嫌がられるから魔法薬を作る人間は多くない。
けれどもリネットは嫌いじゃないどころか普通に好きだった。
だからこそ、好きこそものの上手なれと言うように、既存のレシピで作ってみて、それからアレンジを加えたり、新しいレシピを作ったりと様々な工夫を加えていた。
自分でも、依頼してくるデュークの技能がめきめき上がっているな、とは思っていたのだ。
それが自分の作り出すものが寄与しているという自覚もあったし、だからこそ頼られているという自負があった。
対等とまではいかなくとも、愛し合うに問題ない程度に支えあえていると思っていた。
だから浮気は許せなかった。
……それに彼が要求する魔法薬は、普通のレシピで作っていたら膨大過ぎて魔力がいくらあっても足りません。
後悔とまではいかなくても、惜しかったと……そう思ってはもらえる程度だと思います。
だから、教師にわざわざ見せたり、なにか実質的な評価がなくてもリネットは特に問題がなかった。
ただし、彼が後悔するのを待つばかりで自分はなにもしないというのは少しだけ、胸に引っかかった。
「……」
「僕はリネットのこと凄いと思ってるよ。君に自覚はないんだろうけど」
「……」
「自覚したら君の心の傷も軽くなると思うんだ」
そうしてルイスを見ながら少し考えた。
彼は、ぽつりぽつりとリネットに言葉を続けていて、彼ならと思った。
「なら、ルイス。そのためなら……」
「ん?」
「私に協力してくれますか? 私、後悔ぐらいはしてほしいんです」
「え、っと? どういうこと?」
「お願いです。ルイス」
リネットが彼の手を取って、熱意の籠もった瞳で見上げると彼は、少し身を引いて、困っていた。
けれどその熱意の籠もった目に押されて「わかったけど、何するの?」と折れて困惑気味に聞いたのだった。
リネットはいつも通り、週末に魔法薬を作った。それを毎週続けた。
もうデュークに渡す必要はなく、しばらくすると正式に婚約破棄されたけれど、それでも自分のためにリネットはそうしていた。
幸い材料を融通してくれているルイスは変わらず協力的だし、リネットは自分のためだと思えばいくら作っても疲れることはない。
使うルイスは大変そうだったけれども、学年が一つ上の彼の元へと尋ねて、魔法薬を受け渡していると、自然と声をかけられるようになった。
「最初は半信半疑だったけれど、君が作ったんだって?」
「先生たちも、感心してたわ。流石にルイスが突然強くなったらそうなるわよね」
「それにしてもどうしてルイスにだけ融通を? ぜひ専属で販売する契約をしてほしいんだが」
最終的にはそんな提案までする人がいて、リネットは最後の彼の質問にだけ答えた。
「それはできません、先輩」
言いながら、成り行きを見守っていた、ルイスの服を掴んで腕を抱きしめる。
「私、大切な人のためになりたいから頑張っているだけなんです。今はこの人が私の一番大切な人で、この人のためになること以外はしたくないんです」
言うと彼らはその返答は予測していなかったようで、目を見開いて驚いた。
そして、一人の女子生徒が両手を自身の頬に添えて「まあまあまあ!」と声をあげた。
「素敵! 好きな人の役に立ちたいからなんて健気だわ!」
そう言って頬を染める。
その言葉に、なんだか妙に生暖かいような空気が流れて、ルイスは突然リネットに抱き着かれてカチコチに緊張していたけれど、「ま、まあね!」と投げやりに肯定した。
それから「じゃあ僕らこれから用事があるから!」とルイスは言って二人で早々に教室を出たのだった。
学園から出て、学園街の人ごみを抜けると小さな広場がある。
そこは街の端の見晴らしがいい場所で、綺麗な夕焼けが広がっている。
少し肌寒くて、けれども澄んだ空気を感じられて、リネットは深く息をした。
一方ルイスは景色を見ずに柵に寄りかかって、小さくため息をついた。
「……疲れましたか?」
ふとリネットが問いかけると彼は、ちらとリネットの方を見て、やっぱり頬を染めて視線を逸らす。
「そりゃね。秘密を教えろってクラスメイト達がうるさいし、なにかと好奇の目で見られるよ。君もそうじゃないの?」
「私は……実のところあまり変わりません。相変わらず尽くし上手だとは言われてますけど」
「そうなんだ。なんだか不思議だね。もとはといえば君が作っている物なのに。君の元婚約者の調子が出なくなってから、あっという間に話題になって今や学年中が、君こそが天才だったんだなんて話で持ちきりなのに」
彼はネクタイを緩めてくたびれた様子で続ける。
放課後にちらと様子を窺いに行くだけのリネットとは違って、彼はずっとそのあわただしい中にいて想像よりも疲弊しているようだった。
しかしリネットもまさかそこまで話題になるとは思っていなかったのだ。
「それに君の魔法薬はやっぱりすごいよ、だって普通の魔法薬の効能はあくまで回復を目的にしてる。君のは飲むだけで魔力総量が増えるなんて誰でも欲しがるに決まってる、それ以外にも……身体能力が上がるあれはなに?」
「全部あなたが用意している材料で作っていますが?」
「いや、だからこそ不思議なんだけど?」
「変なものは入っていませんよ」
「わざわざそう言われるとさらに怖いよ?」
ルイスは心底真剣にそう言っているみたいだったが、リネットはそれがおかしくて、口を抑えて笑った。
恐れるようなことなど何もない、リネットにとってはなにも難しいことのない当たり前の事象であり効能だ。
怖がるなんて少々どころか臆病すぎる言葉だろう。
「ふっふふっ、何言ってるんですか、ルイスは」
「……えぇ……なんで笑ってるの」
「だって、可笑しいんですもんっ、ふふっ」
「僕の反応おかしくはないと思うんだけどな……」
彼はそんなふうに呟いたけれど、リネットはその反応にまた笑みをこぼしてそれから夕日に目を向けた。
予想外に大きな反響を得られていて驚いたけれど、リネットも多くの人にそう言ってもらって自分の中で納得がいった。
リネットはデュークに貢献していたし、実際に彼の成績は下がることになった。
今頃後悔しているだろうと思うのだ。
だからもうさして大切なことではない。
今日の夕日がきれいだったことの方がずっと大切で、些細で穏やかな時間を共有してくれるルイスの方がずっとリネットは好きだった。
だからもう、デュークへの怒りも彼との思い出も忘れてしまおうと思えた。
しばらく話をして時間を過ごし、暗くなってきたので帰路についた。
ルイスは女子寮まで送ると提案してくれて、二人で人気の少ない学園内を歩いているとふいにデュークとすれ違った。
ルイスはすれ違う生徒のことなど大して気に留めることはなく、気が付いていない様子だった。
すれ違いざまに、リネットは彼と目が合った。
けれどももうどうでもよく思ってすぐに目をそらして、ルイスの手を取ろうと伸ばす。
しかし、すれ違って後ろから腕を掴まれ引かれると、あっけなくルイスとの距離は離れて、リネットは即座にデュークを振り返った。
彼は、何故だかうっすらと笑みを浮かべていて「やっと見つけた」と口にする。
「リネット?」
ルイスが、突然そばから消えたリネットを探しに振り返る。
デュークはリネットのことを探していたらしく「来い!」と短く言って、なぜかリネットのことを女子寮ではない方向へと引っ張っていこうとする。
彼の突然の行動に、慌てて手を伸ばすルイスの姿が見えた。
リネットはやっと自分の置かれている状況に合点が言って、それからつい先ほど捨て去った彼に対する思いが戻ってきた。
横暴な様子も、あの日とまったく変わっていなくて、今では明確な怒りを持って彼に対峙することができた。
ぐっと足を踏ん張って彼の腕を振り払う。
「っ、何のつもりですか! デューク!」
「……」
バシンと強い音が鳴って、彼は抵抗を予期していなかったのか、驚いたような瞳でリネットのことを見つめている。
「私になんの用ですか、こんな時間に。突然引き留めて、非常識ではありませんか」
「…………」
厳しく言うと彼は、リネットとルイスを見比べてそれから、短く「いいから来い!」と命令するように言う。
しかしその言葉にリネットは、すぐさま返した。
「行くわけがないでしょう。あんなふうに私を振った人についていくなんてありえない。きちんと覚えていますよ、あの日のことを。デューク」
「……」
「私の変わりはいくらでもいると言いましたよね? 私なんてあなたと比べ物にならない人間で、誰にでもあるような才能しかない。だから、私がする当たり前の主張も受け入れずに、あなたは気軽に私を捨てました」
「……」
「それが今更なんの御用ですか。替えの利く私なんかに、何を望むっていうんですか?」
彼に自分の行動を自覚させるようにリネットは丁寧に口にする。
「私の替わりにあなたの隣に座った女性に、望みは全部叶えてもらっているはずでしょう? あんなに偉そうなことを言って私を捨てたんですから」
「……」
「それともまさか、今更、私の価値に気が付いたんですか? それで今からでも寄りを戻そうと? そんな恥ずかしいことを考えているのですか?」
リネットは、挑発的に笑みを浮かべて、彼の行動をあざ笑った。
まさか、なんて言葉を使ったけれど、彼の行動はどう見てもそれを目的としたものであるし、それはとてもあさましくてリネットの気持ちなどまったく考えていない不快な行動だった。
せめて、それに気が付いたのならば、教訓にして静かに暮らしてくれればいいのに、そんなこともできずに、手を伸ばす。
リネットを傷つけたことなど気にせずに。
その彼のどこまでもリネットを馬鹿にした生き方に腹が立った。
「そんなことをしようとしているなら、私は自己中心的で、最低な人間ですと言っているのと同義です!」
さらにいうと彼は、ぐっと歯を食いしばって、リネットを責めるように見つめる。
しかし、ぐっと飲みこんでそれから、威嚇するように大きなため息をついてそれから言った。
「わかった、わかった! 謝ればいいんだろ! 謝れば!」
投げやりにそう言って続ける。
「悪かった! だからもういいだろ、別の男まで使って当てつけみたいなことしやがって、でもこれで満足だろ。認めてやるよ、仕方ないから浮気もしないでいてやる」
それからこれが欲しかったのだろうとばかりに、謝罪を口にして、要望を伝える。
「とにかく魔力用と体力用それから属性魔法の強化を明日の分、用意しろ」
「……」
「早くしてくれ、もういいだろ」
「……」
そうして彼はリネットの手を取ろうと伸ばす。
しかし、リネットは眉間にしわを寄せてその手を打ち払った。
やっぱりバシンという音がなって、彼は今度こそ不可解そうな顔をしてリネットのことを見た。
「謝罪なんて無価値なものは今更いりません。それにあなたに協力する理由もない、何を理由にそんなに偉そうに私に指図するんですか」
「は?」
「そんな程度の適当な謝罪で全部が無しになって、今まで通りにいくわけがありません。デューク、あの件で私あなたのことを心底嫌いになったんです」
「……」
「そんな嫌いで、感謝も尊重もしてくれない人、そんな人のどこに魅力を感じて、手を貸すと?」
「……」
「あなたの実力が露呈してから、あなたの周りにいた女性たちも去っていったんじゃないですか?」
「……」
「今のあなたにあるのはどうしようもない、自分だけですよ。恩恵を受けていたにもかかわらず婚約者をないがしろにして、それに気が付いたのに横暴なふるまいをするどうしようもない自身しかあなたにはない。……なのにどうしてそんなに偉そうなんですか?」
リネットは思いつくまま次から次に彼に対して、正論をぶつけた。
それはあの日に彼が言ったような言葉に似ていて、違うところは確信をついていて、正しい実力を元にしているということだった。
デュークはリネットの言葉を聞いて、絞り出したように「……なん、だと……?」と怒りに声を震わせた。
「っ、待った! 待った! そこまでにして、待って!」
リネットはその怒りで彼が何をするのかと警戒して彼のことを見据えていたけれど、危機を察知したルイスが間に入る。
人気は少ないとはいえ、修羅場の雰囲気を察知して何人かが立ち止まってそばにいた。
彼らも、押しのけられそうになっているルイスに加勢してくれる。
「落ち着いて」
「誰かー! 先生呼んでー!」
「どけ! この野郎、調子に乗りやがって! ふざけんなよ、俺がどれだけ!」
「あぶなっ」
必死になってルイスや一般生徒が抑えている間に彼はヒートアップしていき、血走った眼で、リネットのことを見つめていた。
少しして教師もやってくる。
暴力沙汰にこそならなかったものの、それは事件として学園全体に広がったのだった。
いろいろあったものの、彼はあれからリネットに対する行動や、止めた人間に対する暴言やその行動に反省が見られなかったこともあり、魔法学園から退学処分になった。
そんな体裁の悪い状況に追い込まれて、跡取りの地位も失ったらしく、彼は誇っていた多くのものを失い、リネットの人生には関わらない人間になった。
一方リネットはというと、協力してくれていたルイスと成り行きで関係を続けていた。
それはお互いにとって宙ぶらりんの関係で、ルイスに特定の相手はいないのでまずいことではないのだが、それでも仮初の関係を結んだままでは彼の未来を邪魔することになりかねない。
いつ、この関係を解消して、彼に恩返しの話をしようかと考え始めたころ。
放課後にいつものように魔法薬を持って彼の元へと向かう。
大抵このまま、形式的に彼に魔法薬を渡し、一緒に今日は何があったのかなどを話しながら帰るのが日課になっていた。
彼のクラスメイトたちはもうそれを慣れた光景として受け入れて、もうリネットたちに注目している人たちはいなかった。
「お待たせしました、ルイス」
「あ、リネット」
「明日の分です。それから一緒に帰りましょう」
いつもと同じように彼に向かって云うと、今日ばかりはなぜか彼は違っていて、いつものように返事はしない。
そして魔法薬の入った小さなバスケットを受け取らずに言った。
「……今日からは……リネット、もうそれは受け取らないことにしたい」
突然の彼の心変わりに、リネットは思った。
……もう関係はおしまい……ということですか。
休日をはさんで、週の初めだったからか、じっくりと考えてそういう結論を出したのだろうとリネットは考えた。
「突然のことだと思うけれど、聞いてほしい」
「はい」
さらにいわれた言葉に考えは確信に変わる。
きっとこうして、注目されていない中でも、公の場でいうことに意味があるのだろう。
けじめとして、二人の大衆に向けただけの関係を終わらせる。
そういう機会だと思った。
「リネット、僕にとって君は……それを作ることができても、できなくても、君というだけで、替わりの利かないずっと唯一の人だった」
しかし続いた言葉に、リネットは首をかしげて彼を見る。
とても緊張しているらしく顔がこわばっていて、決意がこもっていることが見て取れた。
「でも君には決められた人がいて、尽くすその姿も応援したくなった。でも同時に君をないがしろにする様子に腹を立てて、君に当てつけのように彼のことを伝えて傷つけてしまったこともあった」
「……」
「で、でも、こんな流されてばかりの自分だけれど、変わって君のそばにいたいと思う。す、好きなんだ。君のなにかを僕に与えて欲しいから選んだわけじゃない。君がどんなことができようとも、できなかろうとも僕の中には君以外の選択肢なんかないから」
それはまごうことなく告白の言葉で、驚いてバスケットを落としそうになった。
「だから、これを渡されるだけの関係じゃなくて、もっと深いところで大切にしあう関係に、なりたい……どう、かな?」
問いかけられて、リネットはぐっと喉が詰まるような思いだった。
泣き出してしまいそうな、そんな嬉しさがあった。
リネットが、こういう関係を結んで、当たり前のようにそばにいて気兼ねなかったこの時間が終わってしまうことが惜しい。
そう思った気持ちを、彼も同じく持ってくれていた。
どんな技能でもなく、求められているものはリネット自身で、それは決してリネット以外では替えが利かない唯一のものだ。
そう言ってもらえることが、これほど嬉しいとリネットは知らなかった。
「……」
「と、突然、ごめんね。でも考えてほしくて」
「ありがとうございます」
慌てて言う彼に、リネットはついお礼を言った。
それに対して「うん?」となんとなく返事をする彼に、続けて言った。
「よろしくお願いします。これからも」
「!」
「嬉しいです」
「ぼ、僕も!」
そうして、二人は傍から見ればいつも通り、でも二人にとっては初めて本当の意味で恋人らしく手を取って歩くことができたのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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