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(59) 2025年7月31日『誰も踏み込めぬ理想郷(9)』

◆side:瑠璃川桜子 2025年 7月31日


 ゲームセンターの片隅。

 そこに鎮座する数多の樹木──くるみをイジメていたヤツらの成れの果てを眺めながら、私は思う。

 『もう何もかもどうでもいい』、と。

 投げやり……いや、自暴自棄になってしまう。

 だが、自暴自棄になった途端、私の脳裏に過った。

 ──優しげな笑みを浮かべる、くるみの姿が。

 それを思い出した途端、まだ自暴自棄になるべきじゃないと思った。


『……』


 私の背後にドブ色の球体が現れる。

 私はゆっくり振り返ると、ドブ色の球体に身体の正面を見せつけた。

 そして、私は正体不明のそれに声を掛ける。


「此処から出ましょうか」


 そう言って、私はゲーセンを後にする。

 多分、ドブ色の球体が何かしたのだろう。

 城島うみ含む女の子数人が樹木の中に閉じ込められたにも関わらず、ゲーセンの中にいる人達は特に反応を示さなかった。

 何事もなかったかのように、ゲームに興じる人々を眺めながら、私はゲーセンから出る。

 ゲーセンから出た途端、夕陽に照らされる町の姿が私の目に入った。

 駅の周りに建っている建物を眺めながら、私は当てもなく歩き始める。

 その後をドブ色の球体が追っかけた。

 母親にお菓子を強請る子どものように。

 それを一瞥しながら、私は人気のない裏路地に向かう。

 そして、裏路地に辿り着くと、私はドブ色の球体の方に視線を向け、『何の用ですか』と尋ねた。


『──契約を交わそう。お前の願いを何でも叶えてやる』


「さっき何か言ってましたよね。願いを叶えてやる代わりに代償を払えとか何とか」

 

 そう言いながら、私はクスリと笑う。


「私が支払う代償って何ですか。寿命とか魂とかですか?」


『お前が支払う代償は、ただ一つ。膨大な魔力だ』


 ドブ色の球体は言った。

 『私が再誕するためには、膨大な魔力が必要である』、と。

 『そのためには、多くの人から魔力を摂取する必要がある』、と。


「どうやったら、その膨大な魔力とやらを手に入れられるんですか?」


『先程の女子のように、この世界にいる人達を木の中に閉じ込める。そうすれば、数多の人々から魔力を摂取する事ができる』


「ふーん。だったら、さっきみたいに勝手にやればいいじゃないですか。何でそれをやらないんですか?」


『それは私が願望成就機だからだ』


「願望成就機? 何ですか、それは」


『アラジンに出てくる魔法のランプを想像したらいい。私は、アレのようなもの。つまり、私は道具なのだ』


「言っている事がよく分かりませんけど、つまり、アレですか? 私が願わないとアナタは魔力とやらを手に入れられないんですか?」


『ああ、そうだ。私は願望成就機。お前の願いを叶えなければ、報酬である魔力を手にする事ができない。そういう役割(カルマ)を私は背負っている』


「もう一つ質問です。──なぜ、私なんですか?」


『お前なら私を使うと思ったからだ』


 ドブ色の球体はフワフワ浮かびながら、鈍い光を発し始める。

 それを聞いて、私は心が踊──らなかった。

 

「瑞稀くるみを助けたいのだろう? 彼女を救いたいのだろう? なら、お前は私を使う筈だ。彼女のためなら、この世界の人々に犠牲を強いる筈だ』


「……」


『自暴自棄になりたまえ、瑠璃川桜子。私を使う素質を君は持っている』


 ドブ色の球体はフワフワ浮かびながら、私に懇願する。

 それは悪魔のような囁きだった。

 多分、ドブ色の甘言に乗ってしまったら、この世界は大変な事になるだろう。

 世界中の人は木の中に閉じ込められ、魔力をドブ色の球体に与えるだけの存在になるんだろう。

 私のお父さんやお母さんも木の中に閉じ込められてしまうんだろう。

 私の願いを叶えるだけで、この世界は大変な目に遭ってしまうんだろう。

 だが、それに躊躇いを抱く程、私はこの世界に執着していなかった。

 くるみを自殺に追いやった世界に執着する程、私は理性的に動く事ができなかった。


「本当にどんな願いでも叶えてくれるんですか?」


『ああ、どんな願いでも叶えてやろう』


「だったら♪」


 声を弾ませながら、私は願う。

 昏睡状態に陥ったくるみの救済を。


『瑞稀くるみの意識を取り戻させるには、時間が必要だ。今の私では、昏睡状態に陥った彼女を即座に回復させる事はできない』


「どれくらいの時間が必要ですか」


『半年くらいだ』


「そうですか。じゃあ、次の願いです」


 声を弾ませながら、私は願う。

 この世界をくるみの大好きで溢れさせる事を。


『ん? この世界を瑞稀くるみの大好きで溢れさせる? それは一体どういう世界だ? 漠然とし過ぎて、願いを叶える事ができない』


「彼女はリバクエを心から愛していました」


 そう言って、私は思い出す。  

 彼女が大好きだったゲーム──『リバース・クエスト』の存在を。

 

「この世界を『リバース・クエスト』と同じにしてください。そして、くるみと同じ『リバースクエスト』を愛している者だけが存在する世界を作ってください」


『その「リバース・クエスト」やらを愛している者の定義は?』


「うーん、そうですねぇ。1000時間以上、リバースクエストをプレイしている人……、ですかね」


 クスクス笑いながら、私は願いを告げる。

 ドブ色の球体──人間(わたしたち)にとって絶対的な悪に願いを告げる。

 この世界にとって致命的な存在に私は願いを告げてしまう。

 頭では分かっている。

 このドブ色の球体が危険な存在である事を。

 このドブ色の球体に願いを告げてしまったら、多くの人が不幸になってしまう事を。

 お父さんもお母さんも木の中に閉じ込められ、魔力とやらを提供するだけの存在になってしまう事を。

 それを理解しているにも関わらず、私は自分を止める事ができなかった。

 自暴自棄を止める事ができなかった。


『本当にそれでいいのか』


 そう言って、ドブ色の球体は最終確認を行う。

 私はクスリと笑うと、自らの覚悟(こたえ)を口にした。


「私はあの(くるみ)のためなら、何だってやります。だから、──私の願いを叶えてください」

 

 そして、私はこの世界の……いや、全人類にとって致命的な願いを告げる。

 それを呟いた途端、ドブ色の球体は眩い光を放ち始めて──


◆side:瑠璃川桜子 2025年 8月1日


 世界が変貌するまで、一晩近くかかってしまった。

 

「……」


 たった一晩で変わり果ててしまった世界を私は一望する。

 私の目に入ってくる光景。

 それは、以前くるみと一緒にやったゲーム──『リバース・クエスト』と瓜二つだった。

 

『瑠璃川桜子、「魔女」が動き始めた』


 リバース・クエストそっくりな世界に見惚れていると、ドブ色の球体が私に語りかける。


「魔女? 何ですか?」


『世界の均衡を守る者の総称。簡単に言ってしまえば、「この世界」を破壊しようとする者達だ』


「なら、排除しなければなりませんね」


 そう言って、私はドブ色の球体に願う。

 リバース・クエストそっくりになった世界──『この世界』の平穏を。

 そして、『この世界』の存続を。

 くるみが目覚めるまでの半年間、そして、くるみが目覚めた後も、『この世界』が続く事を心の底から祈る。


『ならば、力を与えよう』


 そう言って、ドブ色の球体は私に力を与える。

 『この世界』を弄る事ができる力を。


「……」


 変わり果てた世界──『リバース・クエスト』そっくりになった世界を見渡しながら、私は誓う。

 『この世界』を、くるみの好きでいっぱいにする事を。


「さあ、始めましょうか」


 そして、私は指を鳴らす。

 ドブ色の球体から貰った力で、赤い布を生成する。

 生成したばかりの赤い布を被りながら、私は心の中で誓いを立てる。


(私は絶対に『この世界』を守ってみせる。くるみが目覚めるまで……いや、くるみが目覚めた後も)


 そう。

 全てはくるみのため。

 くるみの笑顔を取り戻すため。

 そのためなら、


 ──私は悪魔にだってなってみせる。


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