(58)2025年7月31日『誰も踏み込めぬ理想郷(8)』
◆ side:瑠璃川桜子 2025年 7月31日
鈍い光が私の頭の中に膨大な量の映像を流し込む。
それは私のものではない記憶──くるみの記憶だった。
「……っ!?」
くるみの記憶を覗き見る。
覗き見た瞬間、私は知った。
中学に入学して僅か2週間で、くるみがイジメのターゲットになった事を。
物を隠されたり、イジメの主犯格の女の子に打たれたり、集団でシカトされたりした事を。
階段の上から突き落とされた所為で右腕を折ってしまった事を。
私は知る。
知ってしまう。
くるみがイジメのターゲットになっていた事実を。
『瑞稀くるみはイジメを苦に自殺を図った』
くるみがイジメられているシーンを目撃しながら、私はドブ色の球体の言葉に耳を貸す。
『瑞稀くるみはイジメに耐え切れず、自殺という選択肢を選んだ』
くるみが高い建物の上に向かうシーンを目撃しながら、私はドブ色の球体の言葉に耳を貸してしまう。
『今、お前が見ている光景こそが真実だ。瑞稀くるみはイジメの所為で自殺という選択肢を選んだ。瑞稀くるみは自殺を選んでしまう程、追い込まれていたのだ』
くるみが高い所から飛び降りるシーンを目撃しながら、私はドブ色の球体の言葉を鵜呑みにしてしまう。
「……うそ」
『疑うのならば、確かめに行くといい。瑞稀くるみをイジメていた人物に疑問の言葉を投げかけるといい。そうすれば、真実かどうか判別つく筈だ」
ドブ色の球体に促されるがまま、私は向かう。
くるみをイジメていた主犯格の女の子──城島うみの下に。
城島うみの居場所はドブ色の球体が教えてくれた。
城島うみは駅の近くにあるゲーセンで友達と共に屯していた。
「……」
ゲーセンに辿り着いた私は城島うみと彼女の取り巻きに問いかける。
『アナタ達が、くるみをイジメていたのか』を。
「イジメ? そんなのアタシ達がする訳ないじゃん」
ヘラヘラ笑いながら、城島うみと彼女の取り巻きは私を嘲笑う。
その笑みは軽薄そのもので、とてもじゃないが無実の人間が浮かべる笑みじゃなかった。
「なんかイジメていた証拠があるんですかー? ないんだったら言いがかりをつけないでくださーい」
キャハハと品のない笑みを浮かべながら、城島うみと彼女の取り巻きは私を嘲笑う。
その笑みに誠実さなんてものは微塵もなく、私を挑発しているかのような笑みだった。
『……』
何処からともなく、ドブ色の球体の声が私の身体を揺さぶる。
その声を私は無視して問いかけた。
『お前らがくるみをイジメたのか』、と。
「だ、か、ら、イジメていた証拠があるんですか。ないんですよね? 証拠ないのにアタシ達を犯人扱いしているんですか? それ、超不快なんですけど」
城島うみは『イジメていた』の一言も『イジメていない』の一言も告げる事なく、私を煽る口調で睨み続けていた。
彼女の取り巻きもニヤニヤした顔で私の顔を見つめている。
それを見て、私は何となく把握した。
彼女が、……いや、彼女達がくるみをイジメていた、と。
『……』
ドブ色の球体の声が魅力的な囁きを私に投げかける。
その声を聞いて、つい私は願った。
願ってしまった。
──その所為で、歪な奇跡が起きてしまう。
「ん? なんだ、これ」
唐突に何の前触れもなく、城島うみと彼女の取り巻きの両手が、樹皮のようなものに包まれる。
「なにこれ? 木? 何でアタシの手が木に包まれて、……」
城島うみが疑問の言葉を呟いたその時だった。
その時だった。
樹皮に包まれた彼女達の腕がニョキっと伸びたのは。
「はぁ!? なにこれ!?」
城島うみ達の腕が変質する。
樹皮のようなものに包まれた彼女達の腕は、ニョキニョキと伸びると、木の枝のようなものに成り果てた。
指だった箇所は小枝のようなものになる。
それと同時に、彼女達の顔の皮膚が樹皮のようなものに包まれ、彼の身体全体が膨張し始める。
「何この木!? 何でアタシの手が……!? 何よ、これぇ!?」
ビリビリと音を立てながら、城島うみ達が身に纏っている衣服が破れ始める。
彼女達の身体の膨張に耐え切れず、衣服が音を立てて破れていく。
「これ、あんたの仕業……!? ねぇ、何でアタシの身体が木に……あ、ああああ!!」
ビリビリに破れた城島うみの衣服が霧散する。
膨張した彼女達の胴体は木の幹のようなものに変わり果てていた。
それだけじゃない。
彼女の両脚は木の根っこみたいなものに変わっていたし、彼女達の頭に生えていた髪は木の葉に変わりつつあった。
「た、助け……たすけ、……た、……」
助けを求めながら、城島うみ達は人の形を失っていく。
目を失い、鼻を失い、口を失い、顔の輪郭を失い、顎と首の境目を失い、彼女達の頭部は木の幹と化した胴体と一体化してしまう。
木の枝と化した両腕から小枝のようなものが生えると、無数の木の葉を生い茂らせる。
さっきまで人だった彼の身体が、あっという間に何の変哲もない樹木へと変わっていく。
そんな彼女達に私はもう一度問いかけた。
──『お前らがくるみをイジメたのか』、と。
こんな状況に陥って、ようやく彼女達は自白した。
私達がくるみをイジメたと自白した。
くるみの物を隠したり、くるみに暴力を振るったり、くるみを無視したり、色んな事をやったと自白した。
「あ、アタシ! くるみを階段から突き飛ばして……、あいつの腕を、折、折って、」
城島うみも自白する。
その音を聞いて、私の中にある大切な何かがプツンと切れてしまった。
「だ、だから、た、助け、……! 助けて……!」
そう言って、助けを懇願する城島うみ。
そんな彼女に対し、私は言った。
言ってしまった。
『もう遅い』、と。
「〜〜〜!!」
辛うじて残っていた城島うみの口はピクリと動く。
そして、全く動かなくなると、木の幹に吸い込まれ、消えてしまった。




