(53)2025年6月上旬『誰も踏み込めぬ理想郷(5)』/2025年8月25日 決戦
─────『誰も踏み込めぬ理想郷(5)』─────
◆side:瑠璃川桜子 2025年 6月上旬
くるみの家の前に辿り着く。
私は頬を伝う汗を拭う事なく、息を荒上げたまま、玄関のチャイムを押す。
すると、家の中から『ごーん』と言う音が聞こえてきた。
肩で息をしながら、私は待つ。
くるみが家の中から出てくる瞬間を待ち続ける。
けれど、いくら待っても、くるみが出てくる事はなく。
私は延々とくるみの家の前で立ち尽くし続けた。
◇
魔女ルナと恋人同士になった翌日。
そして、管理者を名乗る女と相対した翌日。
俺──神永悠改めプレイヤーネーム『ユウ』は九州地方で一番栄えている街──『新神』にある絵心公園と呼ばれる場所に訪れていた。
「待っていましたよ」
新神駅前にあるそこそこ広い公園。
その園内の中心にいたのは、管理者を名乗る女性と。
「………」
最後の四天王──炎帝イフリトだった。
「アナタ達の最後の相手は、『私達』です」
管理者を名乗る女性の隣にいるエネミー。
それはゲームの中で見たイフリトと同じ姿をしていた。
天に頭が届きそうなくらい巨大な躰。
焔のように輝く瞳。
火炎を吐き出す巨大な口。
万物を噛み砕く荘厳な牙。
火炎を纏った太い翼。
鋭利な爪を保持している太い両腕。
炎に覆い尽くされた爬虫類のような体躯。
大樹を連想させる程の尾。
全身凶器と言っても過言じゃない、全長20メートル程の赤いドラゴンが荘厳な雰囲気を醸し出しつつ、俺とルナを見下ろしていた。
「よくも魔王だけでなく、四天王達も倒してくれましたね。もう許しません。此処でアナタ達を排除します」
「………」
息を短く吐き出した後、脳内ステータス画面から武器を取り出す。
取り出したのは、先日エリザさん含む魔女達が掻き集めてくれた武器。
兵士の剣。
攻撃力は低いが、耐久力はそこそこ。
天空の剣には遠く及ばないが、武器自体にクセはなく、使い勝手はそこそこいい良武器だ。
「ルナ、下がってろ」
すぐさまイフリトと闘い始めようとする。
ルナはコクリと頷くと、俺と管理者を名乗る女性から距離を取り始めた。
「さあ、始めようか」
片手剣を構える。
肺の中に新鮮な空気を詰め込んだ後、眉間に皺を寄せる。
いつでも戦えるように身構える。
闘いの準備を終えた途端、管理者を名乗る女性──敵が唐突に指を『パチン』と鳴らす。
その瞬間、管理者の姿が消える。
同時にイフリトの身体から猛々しい炎が噴き出た。
「……っ!?」
イフリトの身体から噴き出た炎が、天を焼かんばかりに猛々しさを増す。
物凄い火力だ。
イフリトの身体から放たれる熱風が俺の肌を炙る。
体温が上昇し、額から汗が滲み出る。
それを眺めていると、炎の中にいるイフリト──ドラゴンの姿をしている──が、ゆっくり変貌し始めた。
イフリトの巨体が徐々に赤い炎へと変わり始める。
イフリトの鋭利な爪も、丸太のように太い腕も、大樹の幹の如く立派な胴体も、脚も、牙も、口も、頭も、赤い炎へと変わっていく。
やがてイフリトの身体が完全に赤い炎へと変わると、赤い炎は人型へと変容し始めた。
ゆっくり着実にイフリトだった赤い炎が、人の形を獲得し始める。
丸みを帯び始める。
乳房ができ、お尻が大きくなり、腰の辺りにくびれができる。
人の形を獲得した赤い炎の体つきが、女性らしくなる。
やがてイフリトだった赤い炎は、長髪の女性を模したシルエットに変貌してしまうと、俺達を見下ろし始めた。
『プレイヤーネーム『ユウ』、闘う前に一つ問いかけます」
巨大な雌型の炎の塊──イフリトの成れの果ての中から敵の声が聞こえてくる。
恐らくイフリトと同化したのだろう。
全長40メートル級の雌型の炎の塊が、長髪の女性を象った炎の塊が、敵──管理者を名乗る女性が、俺に敵意を向け始める。
それを感じ取った俺は、息を短く吐き出すと、片手剣──兵士の剣を構え直した。
『なぜアナタは私に刃向かうのです。此処は、『この世界』は、リバクエを模した『この世界』は、アナタにとって理想郷ではないのですか」
「……」
『アナタはリバクエを心から愛しているのですよね。ならば、「この世界」はアナタにとって理想郷とも言える場所なんですよね? ならば、なぜ破壊するような真似をしているのですか』
「本当にそうか」
片手剣を構えながら、俺はゆっくり口を動かす。
いつでも戦えるように身構えながら、俺は敵に疑問をぶつける。
「本当に此処は理想郷なのか」
『……』
「大半の人間を木の中に閉じ込めて、不自由を強いている『この世界』が、本当に理想郷なのか?」
何か思う所があるのだろう。
管理者を名乗る女性は俺の疑問に即答しなかった。
「まあ、別にいいよ。此処が理想郷でも、理想郷じゃなくても」
そう言って、俺は身体の重心を少し落とす。
「俺はお前を倒す。お前を倒して、木の中に閉じ込められた家族を取り戻す。世界を元に戻す。──ティンティンを取り戻す。それが俺の結論だ」
『……そうですか。ならば、私はアナタを排除する』
雌型の炎の塊──管理者を名乗る女性は右手を動かす。
ビルと同じくらいに太くて巨大な彼女の右腕は、ただ横凪に振るっただけで突風と熱波を生み出した。
「……っ!?」
熱波が口の中に入る。
瞬間、口の中の水分が失われた。
熱波に焼かれた喉が脳に痛覚を訴える。
『覚悟しなさい。プレイヤーネーム『ユウ』。どんな手段を使っても、私はアナタという脅威を駆逐する』
「そうこなくちゃ」
強い相手と闘えるかもしれない。
そう思った瞬間、不安よりもワクワクが俺の胸に押し寄せる。
未知の敵と闘えるという高揚感が俺の背を強く押し出す。
「じゃあ、思う存分、遊び尽くそうぜ管理者。──最後の1秒まで気抜くんじゃねぇぞ」
宣戦布告を叩きつける。
その瞬間、俺と管理者の死闘が始まってしまった。




