(21)2025年8月3日 ヒュードラとアクシデント
◇
魔女ルナの狐耳をモミモミし終えた所で、閑話休題。
正気を取り戻した俺とルナは本日の本題である地下水殿攻略し始める。
と言っても、特筆すべき事はない。
地下水殿はゲームでプレイしたものと同じだった。
ダンジョンの構造も、モンスターが湧くポイントも、そして、宝箱が置いてある場所も。
そのお陰で、道に迷う事なく、モンスターに遭遇する事なく、難なく最深部まで辿り着く事ができた。
「いいんですか、宝箱の中身回収しなくて」
4階と5階を繋ぐ階段を降りながら、ルナは俺に疑問を投げかける。
俺は『ああ』と呟くと、宝箱の中身を回収しない理由を告げた。
「この地下水殿の宝箱の中身は、武器が殆どだ。今、武器は鍛冶屋で作った『アレ』で一杯だからな。回収しても、捨てなきゃいけなくなる」
「……本当に『アレ』だけで勝てるんですか? 今からでも強くて耐久力のある武器を回収した方がいいのでは……?」
「大丈夫。俺のテクと『アレ』さえあれば、水の四天王を速攻かつ確実に倒す事ができるから」
そう言って、俺達は階段を下り終える。
階段を下り終えた俺達を歓迎したのは、大きな扉だった。
この扉の向こう側に水の四天王──『ヒュードラ』がいるのだろう。
扉の向こう側からヤツの鳴き声が零れ出ていた。
それを聞きながら、俺はルナの方に視線を向ける。
「んじゃあ、予定通り、ヒュードラは俺1人で挑むから。あんたは此処で待機しといてくれ」
「本当に1人で大丈夫なんですか?」
「『アレ』を使うなら、1人の方が効果的だ」
もし2人で入ってしまったら、ヒュードラのヘイトが分散してしまうだろう。
もしルナにヘイトが向けられた場合、面倒な展開になってしまう。
より早く、より正確にヒュードラを倒す事ができなくなってしまう。
だから、俺は予め彼女に言っておいた。
俺1人でヒュードラに挑む、と。
「うぅ……、お役に立てない事が歯痒いです」
「まあ、そう言うなって。他の面では役に立っているだろ。ほら、一昨日の野宿とか」
「役に立った回数よりもユウさんにセクハラした回数の方が多い気が……」
「あ、それ、自覚しているんだ」
「くぅ……! 私の魔法がモンスターに通用していれば、こんな悔しい気持ちにならずに済んだのに……!」
悔しそうに地団駄を踏む魔女ルナ。
そんな彼女を眺めながら、俺は落ち着くよう促す。
「まあ、落ち着け。まだ1体目だ。今回は俺1人でどうにかなるけど、次からは俺1人じゃどうにかならないかもしれない。その時に力を貸してくれたら、ありがた……」
「はい、此処で唐突なおパンツチェック!」
「息を吸うようにセクハラすんな!」
俺のスカートを捲り上げようとするルナ。
それを予め察知していた俺は、身につけている自らのスカートを両手で押さえる。
「くぅ……! ガードが固くなりましたね! ですが、まだ甘い!」
そう言って、ルナは俺の胸に飛び込もうとする。
慌てて俺はスカートを押さえていた右腕を天高く掲げる。
そして、俺の胸に顔を擦り付けようとする彼女の脳天にチョップを叩き込んだ。
「こーん!」
俺のチョップを喰らったルナは奇声を上げると、地面に倒れ込んでしまう。
そして、俯せの体勢で地面に寝転んだまま、『へっ』と笑うと、起き上がる事なく、言葉を紡ぎ始めた。
「……あ、甘かったのは私の方でしたか」
「これでお触り権プラス1だからな。ヒュードラ倒し終えたら、また狐耳揉ませて貰うからな」
「へっ、それも一興。私的には耳触って貰えるわ、赤面しながらスカートを押さえるユウさんの姿を見る事ができたわで、この時点で私、幸せ一杯です」
「どう足掻いても、お前の勝ちになるの狡くない?」
ルナが立ち上がった所で閑話休題。
本筋であるヒュードラ討伐に戻る。
「じゃあ、俺、今から行くから。多分、すぐ終わるだろうから、少しの間、待っててくれ」
「お気をつけて。ご武運、此処からお祈りいたします」
頭を深々と下げるルナを一瞥した後、俺は大きな扉を開ける。
扉を開け、地下水殿の最深部──ヒュードラの下に向かって歩き始める。
扉の向こう側に足を踏み入れた瞬間、俺が先ず目にしたのは、樹木の群れだった。
(……なんだ、この木は)
足下の地面を覆う薄い水溜り。
その上に立ち誇る無数の木々を眺めながら、俺は首を傾げる。
確かゲームだと、この空間にはヒュードラ以外、存在しなかった筈だ。
にも関わらず、『この世界』には樹木のようなモノが立ち並んでいる。
一体、この木は何だろう。
そう思った矢先、空から『ヤツ』が降り落ちる。
上空から『ヤツ』──ヒュードラが舞い降りる。
「……っ!」
空を仰ぐ。
その瞬間、俺は目にした。
コウモリのような翼。
爬虫類のような鱗に覆われた巨体。
熊のような両腕、象のような両脚、蜥蜴のような尾、麒麟のように長い首、そして、蛇のような3つの頭部が特徴的なモンスターが、俺の前に現れる。
体長は目測20メートル。
まるでビルのように巨大な怪物──ヒュードラが、俺の前に舞い降りる。
ヤツが地面に着地した途端、ズシンという音と共に足下が縦に揺れた。
地面を薄く覆う水が跳ね、大地の振動が俺の身体全体を微かに揺らす。
「クオオオオオオオ!!」
ヒュードラの馬鹿みたいに大きな鳴き声が俺の鼓膜を貫く。
ヒュードラの身体から醸し出される体温が、ヒュードラの身体から滲み出る濃厚な獣臭が、ヒュードラの身体から放たれる不可視の圧力が、俺の触覚を蝕み、嗅覚を蹂躙し、直感を狂わせる。
三人称の時よりも濃厚かつ緻密な情報量。
それらが俺のゲーマー部分を刺激する。
一人称の臨場感が俺の背筋をゾクゾクさせる。
恐怖よりも愉しいの感情の方が打ち勝ってしまう。
早く愉しみたい。
そんな気持ちが俺の胸中を掻き乱す。
「……」
胸中で荒れ狂う愉しみたいという気持ちを必死に押し殺しながら、俺は脳内ステータス画面から『アレ』を取り出す。
ダール町の鍛冶屋で造り上げた『アレ』──『雷の棒』を取り出す。
雷の棒のストックは6本。
加えて、防具は紙装甲。
武器の数に限りがある上、敵の攻撃を2回以上喰らったら即ゲームオーバー。
たった1回のミスが死に繋がると言っても過言じゃない。
だが、俺は知っている。
魔王との闘いのお陰で熟知している。
『この世界』に痛みがある事を。
『この世界』に精神的疲労がある事を。
痛みと精神的疲労がプレイミスを誘発させる事を。
そして、一人称で相対するモンスターの恐ろしさを。
魔王との闘いはプレイミスした所為で窮地に陥った。
『この世界』の恐ろしさを理解し切れていない所為で、危うくゲームオーバーしかけた。
けど、今回は違う。
今回は『この世界』の恐ろしさを、ちゃんと理解している。
「クオオオオオオオ!!」
戦闘が始まる。
何処からともなくBGMが聞こえる。
ヒュードラ戦専用のBGMだ。
何度もゲームで聞いたBGMを聞き流しながら、俺は雷の棒を構える。
ヒュードラの瞳に敵意が宿る。
敵意が宿ったヒュードラの瞳に金髪金眼の美女──今の俺の姿が映し出される。
「……いくぞ」
さあ、生存競争を始めよう。
息を短く吐き出し、雷の棒の鋒を敵の方に向ける。
俺が敵意を露わにした瞬間、ヒュードラは再び雄叫びを上げた。
敵の口から放たれる咆哮が空間を激しく揺るがす。
骨の髄まで敵の叫びが染み渡り、振動に耐え切れず、手脚の先が微かに揺れる。
息を短く吸い込む。
敵の咆哮が鳴り止む。
後方に跳ぶ。
敵は口を開く。
手に持っている電撃の棒を構え直す。
敵の3つの頭部が腹の奥深くから水を引っ張り出す。
三人称の時と同じ挙動、そして、同じ動作。
それにより、俺は予知する。
敵の攻撃を。
敵の口から放たれる水の塊を。
此処までゲームと同じ。
となると、ヒュードラの遠距離攻撃は咆哮が終わって3秒後に放たれる。
故に、見誤るな。
タイミングを見誤るな。
3秒後に放たれる敵の攻撃。
それで勝負は殆ど決まる。
──敵の咆哮が鳴り止んで、1秒が経過。
敵の3つの頭部が頬を蛙みたいに膨らむ。
雷の棒を握り直す。
──2秒経過。
今だ。
腰の重心を落とし、雷の棒を振るう。
──3秒経過。
瞬間、敵の3つの頭部についた大きな口から吐き出される水の塊。
敵の口から吐き出された3つの水塊は、俺の背丈よりも大きかった。
来る。
目にも止まらぬ速さで放たれる水塊。
目で追う事はほぼ不可能。
攻撃が放たれた後に避けようと思っても、避け切れる代物じゃない。
故に、敵の攻撃が放たれる1秒前に雷の棒を振るう。
1秒前に振るう事で『リフレクトアタック』を繰り出す。
迫り来る3つの水塊を雷の棒一本でに跳ね返す──!
「──っ!?」
雷の棒が押し迫る3つの水塊に激突する。
右掌に強い衝撃が走る。
右掌に強い衝撃が走った瞬間、予想外の事が起きてしまう。
ゲームでは起こり得なかった事が起きてしまう。
──持っている雷の棒が、真っ二つに折れてしまう。
「なっ……!?」
ゲームでは起こり得なかった現象。
予想だにしなかった事象が俺に焦りを抱かせる。
頭の中が真っ白になってしまう。
その瞬間、目の前が真っ白に染まり──
7月21日(月)以降は、毎週月曜日、水曜日、金曜日に更新いたします。




