(17)2025年8月2日 リドンと脅威
◇
前回までのあらすじ。
暴漢される女の人の気持ちを理解した。
「ユウさん。女の人にはね、触れられたくない箇所の一つや二つあるんですよ」
「何で被害者面してんだよ。被害者はこっちなんだけど」
ぷんぷんと怒る魔女ルナをジト目で睨みながら、俺達は朝日を浴びる森の中を歩く。
結局、彼女の暴走が落ち着くまでの間、俺は『ジャスト回避』し続けた。
その結果、何とか貞操は守る事ができたが、……
「まあ、いいじゃないですか。胸の一つ二つ揉まれる事くらい。命と比べたら安いモノです」
「胸揉んだ張本人が言う事かなぁ!?」
貞操は守る事ができたけど、ジャスト回避が間に合わず、俺は二、三回程胸を揉まれてしまった。
「ユウさんの胸、衣服越しなのに、すっげぇ触り心地良かったです。私のよりも柔らかい癖にハリはあるわ、弾力がいい感じに指を跳ね返すわで、……もう最高でした」
「感想言わないでくれる!?」
うっとりした表情で頬を真っ赤に染めながら、魔女ルナは賛美の言葉を口遊む。
彼女が俺に送った賛美の言葉は、男としてあり続けたい俺にとって屈辱的な言葉かつ羞恥心を煽る言葉だった。
男としての自尊心が傷つけられたところで閑話休題。
俺達は早朝の森の中を歩く。
『この世界』は俺が思っている以上に広いのだろう。
半日以上歩いているにも関わらず、地下水殿どころか次の町さえ辿り着かなかった。
(方角はこっちであっているんだけどな)
落ちている木の棒を拾った後、天を仰ぐ。
東の空には朝日が昇っていた。
『この世界』の季節は、まだ夏じゃないのか、陽射しが柔らかい。
そのため、木の葉の隙間から差し込む陽射しは、肌を焼く程の熱量を持ち合わせていなかった。
(このペースじゃ、地下水殿に辿り着くの、あと一日くらいかかりそうだな)
そんな事を思いつつ、俺は魔女ルナと共に歩く、歩く、森の中を歩き続ける。
すると、唐突に隣を歩く魔女ルナが足を止めた。
「む、ユウさん。あちらから足音が聞こえてきます」
ピコンと頭頂部に生えた耳を揺らしながら、魔女ルナは右横を指差す。
すぐさま指差した方向──右横数十メートル先を見る。
そこにいたのは、鹿のような角がついた馬みたいな生き物──『リドン』だった。
「確かあのモンスター……私の記憶が正しければ、人を襲わない系のモンスターでしたよね?」
「ああ。倒したら、生肉を落とす例のヤツだ」
リドン。
鹿のような角と馬みたいな体格が特徴的な草食モンスター。
草食であるため、基本的にプレイヤーを攻撃したりしない。
他のモンスターと違い、気性が穏やかな徘徊系エネミーだ。
「どうします? やっぱ倒しても旨みがないから、スルーしちゃう感じですか?」
「いや、倒しておこう」
そう言って、俺は木の棒を装備する。
俺の反応が予想外だったのだろう。
俺の言葉を聞いた途端、魔女ルナは目を少しだけ大きく見開いた。
「ほら、あんたが持っている備蓄食だって無限にある訳じゃないだろ。なら、あいつを此処で狩っておいた方が得策だ」
装備した木の棒を持ったまま、屈み込む。
魔女ルナに『此処で待っててくれ』と告げた後、俺はゲームの時と同じように屈み込んだまま、足音を立てぬよう、リドンの下に滲み寄る。
そして、数分かけてリドンの背後に滲み寄ると、俺は木の棒を振り翳す。
そして、──
「……っ!」
リドンの右後脚を思いっきり木の棒で叩いた。
◇
木の棒だけでリドンを倒す。
不意を突いたお陰で、想定していたよりも早くリドンを倒す事ができた。
「お疲れ様です」
息絶えたリドンが黒い煙と化す。
脳内に『生肉4個手に入れた』という文字が表示されると同時に、背後から魔女ルナの声が聞こえてきた。
「ですが、まだ用心した方がよろしいかと。あちらの方から複数の足音とゴブリンの鳴き声が聞こえてきます」
俺の下に近寄るや否や、魔女ルナは忠告の言葉を投げかける。
あちらの方──右斜め背後を見る。
まだ視認できる距離にいないのだろう。
ゴブリン達の姿は俺の視界に映し出されなかった。
耳を澄ます。
すると、僅かではあるが、ゴブリン達の鳴き声が聞こえてきた。
(昨日の水の音といい、やっぱ、こいつ、耳がいい……いや、良過ぎるな)
狐耳をピコンピコン動かす魔女ルナを見る。
まだ何か聞こえてくるのか、彼女は『うーん』と唸りながら、目を閉じ、聴覚を研ぎ澄ませていた。
「音の大きさから察するに、恐らく距離は百数メートル程。足音の数から予測するに、ゴブリンの数は6体程度。どうします? 此処から逃げますか?」
「いや、次の町に着くまでに金を少しでも稼ぎたい。このままだと、次のボスと闘うに必要な『アレ』が入手できなくなってしまう」
「『アレ』とは?」
「後で教えるよ」
そう言った後、俺はゴブリン達の下に向かって駆け出す。
今度は敢えて足音を立てる事で、ゴブリン達の注目を集める。
魔女ルナが言っていた通り、ゴブリンは百数メートル離れた所にいた。
数は6体。
みんな棍棒を持っており、俺の姿を視界に捉えると、俺を威嚇するかのように鳴き声を上げ始めた。
「うし、やるか」
木の棒を握り締め、泥と木の葉で覆われた地面を蹴り上げる。
そして、ゴブリン達に接近すると、木の棒を振り回し始め──
◇side:管理者
「やはり、この人の動きだけは他のプレイヤーとは格が違いますね」
『この世界』の裏側にある管理室。
そこにある無数のモニターの一つを眺めながら、私──管理者は大きな独り言を呟く。
「プレイヤーネーム『ユウ』。彼女……いえ、彼の動きだけは、クオリティが違い過ぎます。たった一日で、『この世界』に適応してしまったのでしょうか」
モニターに映る金髪金眼の美女──プレイヤーネーム『ユウ』を見つめる。
彼女……いえ、彼は舞を踊るかのように木の棒を振りながら、ゴブリン達と闘っていた。
「──っ」
たった一振り。
たった一振りで、彼はゴブリン3匹の頭を殴打する。
無駄のない洗練された動き。
彼が身に纏う純白の花嫁衣装が、彼に備わっている人並外れた美貌が、彼の理知的で洗練された動きを色艶やかに彩る。
ゴブリン6体と闘う彼の姿は、まるで踊っているかのように綺麗だった。
ただ最小限かつ最低限の動きをしているだけ。
ただ動きに無駄を省き続けているだけ。
ただそれだけの行為を行なっているだけにも関わらず、彼の動きは苛烈で過激で刺激的で。
思わず美しいと思ってしまう程の価値を有していた。
「………」
何十……いや、何分見惚れていたんだろうか。
気がつくと、彼はゴブリン6匹を倒し終えていた。
いつの間にゴブリンから強奪したのだろう。
木の棒を握っていた筈の彼の手中には、ゴブリンが使っていたであろう棍棒が収まっていた。
『いつの間に棍棒に持ち替えたんだろう』と疑問に思うと同時に、彼の技巧に見惚れていた自分自身に恐れを抱く。
『この世界』を創って、早一日。
その間に全てのプレイヤーの動きを見ましたが、やはりと言うべきなのでしょうか。
私にとって一番の脅威になりそうなのは、彼──プレイヤーネーム『ユウ』だけでした。
(殆どの囚人は『この世界』に適応どころか順応さえできていない。今も尚、一人称と三人称の差で苦しんでいる。にも関わらず、この人はたった数時間で『この世界』に順応し、僅か一日で適応してしまった)
加えて、彼──プレイヤーネーム『ユウ』は『魔女』と共に行動している。
『この世界』を破壊する事が目的である『魔女』と。
(プレイヤーネーム『ユウ』の目的も『この世界』の破壊。魔女同様、一刻も早く彼を排除すべきでしょう。ですが、私は公平であり公正な管理者。今の私の立場では、彼を良くも悪くも特別扱いする事はできない)
私が公平で公正な管理者である以上、彼が『この世界』の囚人である以上、私は彼を排除できない。
私が管理者である以上、今の彼に手出しできない。
幾ら私が憎いと思っていても、一刻も早く排除すべきだと結論づけたとしても、公平で公正な管理者である以上、彼に指一本触れる事さえできない。
「さて。どうしましょうか」
モニターに映る彼──プレイヤーネーム『ユウ』を眺めながら、私は大きな独り言を呟く。
『アレ』は眠っているのか、私の独り言に応えよっとしなかった。




