(12)2025年8月1日 水浴びと初心者殺し
◇
「今晩は野宿するのでしょう? ならば、陽が出ている間に、水浴びした方が得策かと」
「……水浴びしたいのか?」
「ええ。今日一日で結構汚れた上に汗も掻いちゃいましたし」
そう言って、狐耳と童顔が特徴的な少女──魔女ルナは己の身体を見る。
確かに彼女の言う通り、彼女の身体は土や泥で汚れていた。
彼女が着ている黒のローブも。
彼女の茶に染まった少し癖のある毛も。
「なので、この先に川や湖などがあるんだったら、水浴びしちゃってもいいですか? 勿論、覗くなりお触りするなりしてもよろしいので。何なら一緒に水浴びしちゃいますか?」
「あんたが水浴びしている間、俺が見張りをやっとく。勿論、覗きもしないし、お触りもしないし、一緒に水浴びしたりしない」
「んじゃあ、どちらが先に水浴びしますか。個人的に私は先でも後でもよろしいのですが」
「え、俺も水浴びしなきゃいけないの?」
「え、水浴びしなくていいんですか」
そう言われて、つい俺は自分の身体──女体となった自らの身体を一瞥してしまう。
大き過ぎる胸。
透明感溢れる肌。
視界の隅を過ぎる艶のある金髪。
握ったら折れてしまいそうな程に細い両腕に、芸術品のように整った指。
それらを見ながら、俺は自分自身に問いかけてしまう。
『初めて見る異性の身体(親は除く)が、自らの身体でいいのか』、と。
「……水浴び、した方がいいのかな」
「した方がいいと思いますよ。ユウさん、汗掻いてたでしょ。汗の臭い、薄っすらしますし」
「確かに魔王との闘いで薄っすら汗を掻いたかも……」
「そしたら、汗流した方がいいですよ。ほら、ユウさん、胸大きいですし。胸の下や胸の間みたいな蒸れやすい所、ちゃーんとケアしとかないと、汗疹などの皮膚トラブルを引き起こしますよ」
「え、そうなの」
「ええ。特に夏場や湿度の高い日とかにケアを怠ると、地獄を見る事になりますよ」
そう言って、魔女ルナは自らの乳房をチラッと見ると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
……あの顔、地獄を見た人の顔だ。
苦しそうに過去の事を思い出す魔女ルナから目を逸らし、視線を自分の胸に向ける。
……男だった時は『胸は大きければ大きい方がいい』と思っていたけど、大きな胸って面倒臭え事だらけだな。
何か思っていたよりも重いし、ちょっと動くだけで揺れるし、足下見え辛いし、ちゃんとケアしとかないと汗疹などの皮膚トラブル引き起こすみたいだし。
(……巨乳の人って、苦労してんだな)
『もうこの身体嫌だ、早く男に戻りたい』みたいな事を思いつつ、俺は空を仰ぐ。
夜が着実に近づいているんだろう。
さっきまで青かった空は、少しずつ茜色に染まり始めていた。
◇
魔女ルナから『水浴びしませんか』と提案され、凡そ1時間後。
すっかり空が茜色に染まってしまった空を仰ぎながら、俺──神永悠は河原で木の棒を握り締めていた。
「ふんふふーん♪」
背後から魔女ルナの鼻唄と水の滴る音が聞こえてくる。
恐らく現在進行形で水浴びしているんだろう。
背後から聞こえる『じゃぶじゃぶ』という水の弾ける音が、魔女ルナの奏でる音と混じり合う。
その音を背中で受け止めながら、俺は振り返る事なく、こう言った。
『モンスターを見つけたら、すぐに報告しろよ』、と。
「はいはーい、分かってまーす!」
元気良く返事する魔女ルナ。
それと同時に、『ざっぶーん』という音が聞こえてくる。
『川面にでも飛び込んだのか』みたいな事を思っていると、魔女ルナの声が俺の背中に突き刺さった。
「ユウさーん! 川の水、いい感じの冷たさでーす! 今、入ったら適温で入れますよー! どうです? 私と一緒に水浴びしません?」
「しません。一応、俺、男だし」
「でも、今は同性じゃないですか」
揶揄うような音色でクスクス笑いながら、魔女ルナは俺の背中に声を浴びせ続ける。
「私は何も気にしませんよ、裸の一つ二つ見られても。どうせ減るものじゃありませんし」
「……いや、気にしろよ。一応、こんな女体しているけど、俺、男だぞ。羞恥心抱けよ」
「ふっ、羞恥心なんてモンは、生まれる時に親の胎内に捨ててきました」
「いや、捨てるなよ。大切なものだろ」
「というか、羞恥心なんて持っていたら、こんな大自然のど真ん中で真っ裸になったりしませんし、そもそも水浴びしようなんて提案しません。仮に私が羞恥心なんてもんを持っていたら、水で濡らしたタオルで身体を拭く程度で終わらせていたでしょう」
「え、今、真っ裸なの? 真っ裸で大自然と戯れてんの?」
「こういう解放感ある場所で真っ裸になるのは、最高に気持ちいいですよ。どうです、ユウさん。アナタも全裸で大自然と戯れるのは。新しい性癖が見つかるかもしれませんよ」
「いや、いい。遠慮させて頂きます」
背後に全裸の女の子がいる。
そう思うと、なんか変な気分になる。
胸の鼓動が少しだけ早くなり、呼吸が少しだけ乱れ、胸がほんの少しばかり昂ってしまう。
そして、股間についている息子が熱を帯び──ねぇ。
その所為で、興奮が中途半端な所で終わってしまう。
不完全燃焼感が俺の中で漂う。
……何なんだ、この気持ち。
胸はざわめくし、昂りはある。
けれど、決してムラムラはしないというか何というか。
これも女の身体になった影響──息子が失踪した影響なのかと考えていると、
「あ、水浴び終わりましたよ」
背後から声を掛けられた。
振り返る。
水浴びを終えたばかりの魔女ルナの姿が目に入った。
新しいローブに着替えたんだろう。
先程の黒一色のローブとは違い、彼女が今着ているローブは黒紅色──赤みがかった黒色──に染まっていた。
「じゃあ、次、どうぞ」
少し癖のある髪の毛についた水をタオルでぬぐい落としつつ、魔女ルナは俺に新品のタオルを投げ渡す。
俺はそれを受け取ると、『サンキュー』とお礼の言葉を告げた。
「さあ、どうぞどうぞ。女体化して初めての入浴、心置きなくお楽しみ下さいまし。私は邪魔せず、ひっそりと髪の毛を乾かしておりますから」
「おい、やめろ。そんな事を言ったら、意識してしまうだろうが」
意地の悪い事を述べた後、魔女ルナはスタコラサッサと俺の前から立ち去る。
そして、俺に背を向けると、宣言通り、タオルで髪の毛についた水気を拭い落とし始めた。
それを一瞥した後、俺は服を脱ごうとしたその時、脳内にあるステータス画面が『今装備しているモノを外しますか?』と俺に尋ねた。
(あ、『この世界』の衣服の着脱って、ステータス画面でやるんだ)
そう思いながら、俺は脳内ステータス画面の項目の一つである『防具欄』を見る。
そこには今装備している衣服の名前が表示されていた。
「……『囚人の花嫁衣装』?」
初めて見る装備の名前だった。
少なくともリバクエ──ゲームの中にあるモノじゃない。
恐らくあの管理者を名乗る女が『この世界』を創る際、この装備を付け加えたのだろう。
一応、防御力を確認する。
防御力は、たったの1しかなかった。
(初期装備と大体同じくらいの防御力か)
そう思いながら、俺は脳内ステータス画面を弄り、今着ている衣服──『花嫁の囚人服』を外す。
外した瞬間、今まで俺の身に纏っていた花嫁衣装に似て非なる衣装が消え、俺は下着だけという姿になってしまった。
「なっ……!?」
大きな胸を覆っている黒い布──ブラジャーが外気に晒された途端、羞恥心が刺激され、俺は思わず声を漏らしてしまう。
ほぼ反射だった。
ブラに覆われている自分の胸を両手で覆い隠してしまったのは。
羞恥心が刺激されてしまう。
まるで身体が一気に炎に包まれたかのように、体温が急上昇する。
「…………っ」
ブラを付けている。
その事実が俺の羞恥心を刺激しまくる。
しかも、身につけているブラは男の情欲を駆り立てる形をしていた。
というか、布面積がヤバい。
隠さなきゃいけない所は辛うじて隠せているが、それにしたってデザインも布面積もヤバイ。
あと、サイズが合っていないんだろう。
乳肉がブラに食い込んでいた。
その所為で、余計にエロく見えてしまう。
しかもブラが黒だからか、俺の肌の白さが余計に際立って、本当エロティックなモノになっちゃっていた。
「……っ! ……っ!」
口から怒声が飛び出しそうになる。
けど、背後にいる魔女ルナの存在が、今の姿を誰にも見られたくないという羞恥心が、それを寸前の所で阻んだ。
(落ち着け、俺。恥ずかしいって言っても、今、誰かに見られている訳じゃない。だから、落ち着くんだ俺)
急上昇した頬の温度を下げようと、両手で頬を押さえる。
頬に触れた途端、火傷しそうなくらい熱くなった頬が俺の両手を押し返した。
(よし、次の町……は衣服屋ないから、次の次の町で下着を買おう。エロくない普通のヤツを買おう)
そう決断しつつ、俺は川の中に足を突っ込む。
そして、魔女ルナから貸してもらった新品のタオルを川面につけ──ようとした瞬間、俺は見てしまった。
川面に映る下着姿の美女──今の俺の姿を。
そして、胸に隠れて見えなかった股間部分を。
川面に映る俺はエロティックなパンツを履いていた。
布面積も少ねえ上に、セクシーなデザインをしてやがる。
もう誰がどう見ても勝負下着って感じのヤツを俺の身体は履いていた。
「〜〜〜〜っ!」
羞恥心が湧き上がる。
男としての尊厳を傷つけられた感覚。
無理矢理女にされた挙句、女装までさせられた憤り。
それらが俺の中で暴れ狂う。
同時に、この状況に俺を追い込んだ諸悪の根源──管理者を名乗る女性に憎悪を抱く。
俺をこんな姿にした管理者に喩えようのない怒りを抱く。
(あの女、俺をこんな姿にしやがった挙句、エッチい下着まで着せやがって……! 今度あったら文句の一つや二つ言ってやる……!)
羞恥心と怒りに悶え苦しみながら、俺は川面にタオルを叩きつける。
そして、水に濡らしたタオルで身体を拭こ──うとしたその時だった。
「ごぎゃあ!」
──空からモンスターの鳴き声が聞こえてくる。
それは俺にとって聞き馴染みのある鳴き声だった。
「ユウさん! 敵襲です!」
魔女ルナに指摘されるよりも先に空を仰ぐ。
そこにいたのは、
「ごぎゃあああああ!!」
──初心者殺しとして名高い『リュドラ』が中空で鳴き声を上げていた。




