50 聖女エスカ
早速、マニュアル作りに取り掛かった私たちだが、まずコンセプトをどうするかという話になった。その中で、ネスカの意見が採用されることになった。数々のエグい戦術を生み出してきた、ネスカならではの嫌らしい意見だった。
「僕もすべて読んだわけではないけど、聖書は矛盾が多いんだ。同じような事象でも全然違うことが書いてある。その点をまず指摘して、聖書があまり信用がおけないとダミアン王子に思わせる。その後に僕たちが作ったマニュアルを見せて、自然とダミアン王子がマニュアルに食いつくようにするべきだと思うよ」
悪徳商法の典型的な手口だな・・・
一旦、自分は不幸だと思い込ませて、親切なフリをして「この壺を買えば、救われます」とかいうやつだ。ネスカは将来、聖職者になってはいけないと心から思った。
ここで少し、聖書の擁護をしておく。
そもそも私たちが信仰しているヤスダ教は、全知全能の絶対神ヤスダが世界を作ったという設定で、絶対神ヤスダから啓示を受けた預言者マイモッダとその弟子が、絶対神ヤスダの言葉をまとめた物が聖書なのだ。絶対神ヤスダが全知全能の神だと仮定したとしても、それを受け取った側は人間なのだから、面倒くさくなって、適当に書いたところや想像で適当にまとめたところがあっても大目に見てあげるべきだと思う。
レニーナ様も意見を言う。
「私はこのエランツ派が書いた解釈書は許せません。聖書の「神を冒涜して信仰しない者や嘘吐き、泥棒とは付き合ってはならない」との言葉を曲解し、独自の自然信仰をしている獣人や亜人を排斥して、敵対している魔族を殲滅することを謳っています。聖書にも「隣人を愛しなさい」という言葉があるのに・・・」
レニーナ様はかなり怒っている。それはそうだろう。領地には多くの獣人や亜人が居住し、共存しているのに、その獣人たちを排斥する教えを広めていることは許しがたいのだろう。
最終的にはエスカトーレ様も納得した。
「あまり聖書を貶めるのも気が進みませんが、この際仕方ありません。ネスカさんの基本戦術で戦いましょう」
戦うって・・・まさに聖戦ってやつだろうか?
そこからは皆が担当を決めて取り掛かった。まずレニーナ様は他種族の排斥は間違っているという点を指摘する資料を集め、他種族と共存して上手くやっているケンドウェル伯爵領の実情もまとめる。「この解釈ではこうなっているけど、実際、他種族と共存して上手くやっているところもある。あれ?おかしいですよね?」というやつだ。
ミリアは解釈書に出てくる数字の根拠に着目し、矛盾点を指摘する。
例を挙げると「寄付は10分の1を目安に行う」という解釈書の解説に注目し、「根拠が曖昧過ぎるわ。売上げか利益かも書いてないし、ツッコミどころ満載よ」と言っていた。まあ、一流の商人にしてみたら、難しい話ではない。
ネスカはというと、実際にダミアン王子と対峙するエスカトーレ様に具体的なアプローチ方法をレクチャーし、ゴンザレスはというと・・・
「俺は「体を鍛えろ」という言葉に注目し、トレーニングメニューを作るぞ!!初心者と上級者では全然メニューが違うからな」
本人が頑張っているので、そっとしておいた。多分、というか絶対今回の件では使わないだろうけどね。
ただ、ゴンザレスが後年功績を上げ、注目されることになるのだが、そのとき、今回まとめたトレーニングメニューが脚光を浴び、この世界で初となるフィットネス本として発売され、ベストセラーを記録することになるのだが、それはまた別の話だ。
そして私はというとマニュアル作りに追われていた。
エスカトーレ様から「ダミアン王子の考える力を高めてほしい」との要望があり、その点を加味しながら作成している。手始めに性格診断などでよくある、設問に「はい」「いいえ」で答えていけばゴールにたどり着く「イエスノーチャート」も採用した。
設問を工夫すれば、考える力が育めるし、思考のプロセスも学べる。これは評判がよく、すぐに様々なパターンを作ることになった。
私たちは、のんびりとした職場研修の結果報告作成から一変し、地獄のマニュアル作りに奔走することになったのだった。
★★★
3日後、いよいよダミアン王子と対峙する。
建前はダミアン王子に留学で学んだことや解釈書の解説をレクチャーしてもらうという体を取った。ここでは、心を鬼にしてエスカトーレ様がダミアン王子を責め立てる。
「殿下、おかしいですよね。実際に他種族と共存して上手くいっているケンドウェル伯爵領もありますし、それとこの寄付は10分の1というのも、矛盾してますね?ちゃんと説明できますか?まだまだありますよ・・・・それから、それから・・・・」
仕舞にはダミアン王子は泣き出してしまった。
「ぼ、僕はこれからは何を信じて・・・ウッウッウウ・・・」
そこですかさず、エスカトーレ様がマニュアルを手渡して、優しく微笑む。
「殿下、こういう物がございます。この解釈書は画期的で、一つの事象を多角的に、より深く考えるようにできています。様々な条件によって聖書の解釈は変わってきます。ですので、この本は、ほとんどの事象に対応できるのですよ。殿下、折角ですから私が教えて差し上げます」
後は簡単だった。もうエスカトーレ様の言いなりだ。帰り際にダミアン王子に「もっと別のところの解説もほしい」と言われたときはぞっとしたけどね。
でもそこはエスカトーレ様が上手く対応した。
「殿下、ご自分でも解釈書を作ってみてはいかがでしょうか?私もお手伝いします」
「そうか!!じゃあ、エスカと一緒に作っていこう」
エスカトーレ様は嬉しそうだった。その顔を見ると今までの苦労が報われた気がする。それは私だけでなく、みんなもそんな思いだっただろう。
★★★
話はそこで終わらなかった。
私たちのマニュアル本がきっかけで一大ムーブメントが起きた。夏季休暇中のケーブ学園では各種学会が開かれていたのだが、このマニュアル本が、小国家群にある学園都市の宗教学の権威である教授の目に留まる。ダミアン王子が晩餐会で披露したらしい。その教授は感銘を受けて、学会で発表した。すると多くの教授や研究者がこぞって称賛した。
ヤスダ教には多くの宗派が存在する。過激派の筆頭であるエランツ派以外にも庶民派、多種族共存派、現実派などである。因みに私がお世話になっている神父様は庶民派だという。
話を戻すと、過激派以外にはかなりウケがよかったのだ。「イエスノーチャート」では、この場合はこうだけど、こっちの場合はこうだというのがよくある。上手く利用すれば、他の宗派とも折り合いが付けられるのだ。まあ、「ケースバイケースだからね」というやつだ。
だから、各宗派はこぞって推薦をした。そして、誰が作ったんだという話になり、エスカトーレ様が注目されることになる。普通の学生が思いつきで書いたのなら、そこまで評価はされなかったのだろうが、エスカトーレ様は違う。実績が桁違いだ。
スラム街に対するボランティア活動を主導し、冒険者としてもCランクの資格を取得している。そして、言わずもがなケンドウェル伯爵領での一連の事件を解決して、ナダス大会も盛り上げた。最近大量に検挙された官僚や騎士団員による不正事件もエスカトーレ様のお陰だと噂されている。
なので、エスカトーレ様を聖女だと崇め奉る者が多く表れ、多くの宗派が聖女として認定している。若干、プロパガンダに使われた感じはあるけどね。
聖女というのは役職や象徴みたいなもので、ジョブではない。その昔「聖女」というジョブを持った者がいたそうだが、最近ではいないらしい。
エスカトーレ様のジョブは「大魔導士」で、風魔法が得意なので、エスカトーレ様は「風の聖女エスカ」と呼ばれるようになったのだ。
もちろん、レニーナ様を筆頭にした派閥のメンバーは大喜びだった。単純にエスカトーレ様の活躍を喜ぶ者、「風の聖女」の派閥に入っていることがステータスだと思っている者などなど・・・・
しかし、これが大きなトラブルの始まりになるとは、このときは誰も思っていなかった。
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