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戦国時代で可能なチート覚書  作者: 上里来生
9/10

戦国時代で可能なチート覚書:銃火器編その5(後編)

大砲関係チートの続き。

以下テンプレ。


A:知識さえあればできるもの

B:知識さえあればできるが、法制度、慣習などを解決する問題があるもの

C:知識さえあればできるが、地理的制限があるもの

D:ある程度加工技術があれば当時の技術で実行可能なもの

E:転生、転移者の寿命内の技術開発で可能なもの


・一回点火方式(single firing) E(もしくはC+D)

 臼砲の項で説明したように当時、榴弾は導火線に点火してから砲撃していた。

 この方式のため、砲身の短い臼砲でしか撃てなかった。


 しかし、18世紀半ば頃に誰かが「イチイチ点火してから発射しなくても発射炎で点火するのでは?」思いついた。

 この思い付きは正しく、野戦でも榴弾が使用可能になり、軽量短砲身の榴弾砲と言う砲種が普及することになった。

 装薬の発射ガスは弾より先に砲口から飛び出すため、

 砲弾は発射炎に包まれながら発射され自動的に導火線や信管に点火する。


 だが、これで榴弾が戦場で主流になったかと言えばそうでもなく、

 跳弾射撃と言う球形弾を使用する際における画期的な射撃方法が発明されたため、

 球形弾と併用されることになる。


 コロンブスの卵的な代物で発想さえあれば使用可能であるが、

 戦国日本では大砲と榴弾をセットで作れる勢力がないためE判定。

 国友や堺の鉄砲鍛冶にゼロから製造技術を構築させるよりも、

 中国大陸や欧州から鋳物師を手配して技術指導してもらう早期に製造可能になると思われる。


 少しでも早く導入したいのならば、カノン砲だけでも欧州から大枚を叩いて輸入し、

 榴弾と信管は日本で製造と言う手法が最も手早いだろう。

 この場合、南蛮貿易が可能な勢力が早期導入可能と言うことで技術判定はC+D判定。


 ただし早期に運用を開始した場合、周辺大名だけでなく欧州と言う将来の仮想敵に技術が流れる可能性がある。

 戦国転生モノでは何かと欧州勢力を敵視する作者が多いので、そう言う志向の人は気分が良くないだろう。

 史実で欧州人が大砲を売ってくれたのは、日本の造船、航海技術の低さから脅威になり得ないと判断されたからであり、

 船舶関係のチート技術を投入済みの場合、大砲を売ってくれないかもしれない。

 個人的には気軽に欧州人に頼んで、技術が流れて将来戦う時に苦戦すると言う展開もありだと思う。


・跳弾射撃(Ricochet firing) C

 元々はフランスの著名な軍学者で軍人であるヴォーバンが要塞攻撃のために多用した砲撃術。

 これをフランス革命戦争直前に野戦で用いるために改良したもの。

 装薬量をやや落として鋳鉄製の球形弾を水平に発射し、バウンドさせながら敵の戦列に当てる。


 これまで遠距離を狙う場合、数度の角度を付けて撃つのだが、

 弾道は飛翔する砲弾は敵兵に当たる直前以外、頭上を通過してこの区間では効果が無い。

 しかし、この砲撃術の場合、敵兵の頭の高さ程度のバウンドを数回繰り返して飛ぶため、

 射線上がほぼ全て危険区域となり、遠距離における命中率が飛躍的に向上した。


 砲弾重量の大きいカノン砲から発射された弾ならば十数人は吹き飛ばし、

 その惨状はさながら人間ボーリングであったとも言われてる。

 何より恐ろしいのがこの砲撃術の場合、弾速が低下して弾が目視できると言う点である。

 自分に向かってくる砲弾を直視して耐えられる雑兵はそういないだろう。

 命中しなくても回避するために陣形が乱され、目の前で友軍がミンチになる姿を直視した敵兵は

 士気も下がりう戦力が低下することは間違いない。


 しかし、欠点としては地面が前日の雨などでぬかるんでいると上手くバウンドしないことと、

 起伏に富んだ地形では丘などにぶつかって、敵戦列の頭上を飛び越えて無効化されてしまうことがある。

 史実でも地形を利用して、跳弾射撃を回避する戦術機動がナポレオン戦争でも多用されている。

 有能な戦国武将が即座に跳弾射撃の特性を見抜き、地形を利用して回避し見せ場を作る手法も良いと思われる


 戦国日本でも製造可能な大筒を用いて可能な射撃術ではあるが、地形的な制限があると言う点でC判定。

 沖積平野が多く地盤が軟弱で、雨が多く古戦場を見る限り起伏に富んだ地形の戦場が多いと、

 日本では欧州の平原地帯のような1kmクラスの遠距離射撃は困難かもしれない。

 大筒でワンバウンドさせて500~600m程度が限界か。

 大陸に出兵して戦場が満州、華北の平原に移ったら、カノン砲の跳躍射撃を使用する機会はあるだろう。


・時限信管 (time fuze) D(もしくはE)

 榴弾、榴散弾を使用するために必要な時限発火装置。

 木製、もしくは紙製の筒に火薬を詰めてその長さによって起爆時間を設定するという、ごく簡単な構造。

 0.5秒ごとに目盛が刻んであり、砲手が敵との距離や砲の角度などを測定して、

 ノコギリで切り落としたり専用の鋏で切断することで起爆時間を設定。

 起爆時間は安全に使用できる最短、最長の長さがあり、至近距離では使用できず、あまり長距離の砲撃でも使用できなかった。

 もっとも、命中率の関係からあまり長距離の射撃をしても意味がないが。

 射程距離はおおよそ600~1100mの区間。

 木槌で信管を取り付け口に打ち付けて固定していた。

 その原始的な構造から起爆時間の設定にはかなりの経験と勘が必要だった。


 正確な燃焼時間のため、木製信管はドリルで穴を開ける際に油が使用できなかった。

 これは油が火薬に染みこむと燃焼時間が狂ってしまうためであり、防湿のために油を塗ることも同様であった。

 防湿のための油が使えないことは、いざ発射のために梱包を解いたら不良信管が混ざっていることがあったそうで、

 西南戦争では砲弾用の紙管、木管が使用した砲弾の数と釣り合わないケースが散見されている。

 弾薬や信管の梱包は漆や柿渋を塗布した包装紙で防湿していこう。


 正しく運用するためには正確な時間測定とその記録が必要が必要であり、その計測には秒針の付いた時計が必要。

 秒針の付いた時計は1674年に王冠脱進機の付いた振り子時計が初であり、それ以前は使徒信条を唱えることで燃焼時間を測定していた。

 作中で似たような手法を用いるのなら何か歌を歌わせるのがいいかもしれない。


 この型の時限信管は燃焼部分が外部に露出しているため、初速の速いカノン砲では上手く点火しなかったり、

 飛翔時の風圧で火が消えてしまうことがしばし起きるため、カノン砲では使用されることはほとんどなかった。

 一応、装薬量を減らして撃てば榴弾を撃てないこともないが、それならば軽量な榴弾砲を使えばいいのであまり意味がない。

 カノン砲から撃てる榴弾は後述のボクサー信管のような点火部分が露出していない信管の発明を待つことになった。


 技術判定は信管と大砲を作るだけならばD判定。

 ただし、信管の時間を正確に測定、記録するためには秒針のある時計が必要なため、振り子時計とセットで考えた場合はE判定。


・榴弾(shell) D

 鋳鉄製の外殻の中に炸薬を詰めた炸裂弾。

 上部には上記の時限信管用取り付け用の、底部には弾底板を取り付けるねじ穴が付いていた。

 炸薬の炸裂によって外殻が飛散することで、周囲に弾片を撒き散らし殺傷する砲弾で中長距離で威力を発揮した。

 また爆破と同時に発生する火炎は建造物や陣地にも効果があり、攻城戦でも効果があった。


 敵の頭上で炸裂する時が最も効果があるのだが、前述の信管の不正確さから地面に落ちてから炸裂したり、

 敵に信管の火を消されたり、退避時間を与えてしまうことがしばし起きた。

 もっとも、密集隊形の戦争が行われていた時代、一度戦列の中で炸裂したら周囲に死を振りまく榴弾は恐怖の対象であった。

 榴弾が飛び込んできて隊列が乱れたら、それだけで戦闘力の減少に繋がるだろう。

 

 また、あまり小さい大砲では榴弾は効果が薄いことと、信管の製造難度が上がることから意味がないことも注意するべき。

 大鉄砲や抱え筒程度の大きさならば球形弾を撃ったほうが効果的であろう。


 砲弾を製造するだけならば難易度はD判定。


・キャニスターショット(Canister shot ) E

 ケースショット(Case shot)とも称される大砲から発射される散弾。

 ブリキ製の容器に鉛か鋳鉄製の球形弾を詰め、隙間を埋めるようにおが屑が一緒に充填されている。

 容器に詰められているのは散弾が乱反射して砲身が痛まないように保護するのと、弾が拡散し過ぎないようにするため。


 発射の衝撃で容器が破壊され散弾が円錐状に拡散して、広範囲の敵を殺傷する。

 容器が破壊されるタイミングで拡散具合が変わり、遅いほど拡散範囲が狭く遠くまで効果があった。

 その調整のために木製の弾底板やフィレットを挟んで発射をしていた。


 弾が大型の散弾を使用する場合、跳弾射撃のように地面でバウンドさせて殺傷範囲を広げる技術があり、

 熟練の砲兵はこれを使用したと言う。


 射程距離が短く、最大射程で300m、跳躍射撃を併用した場合でも400mからだったと言う。

 ただし、最大射程で発射すると散弾の多くが地面に突き刺さるか敵兵の頭上を飛び越えて、

 弾の多くが無駄になって威力も減衰してしまうため、実際にはもっと近距離で使用していたそうだ。

 更には効果があるのは敵戦列の前面のみであるため、熟練の砲兵ほど接近されるまでは球形弾で敵戦列の奥ごと吹き飛ばし、

 敵兵に切り込まれる寸前で散弾を使用していたと言う。

 緊急の場合、射程が短くなるもケースショットを二つと装薬一つを突っ込んで二倍の密度の散弾を飛ばす

 「ダブルキャニスター」と言う手法も取られたようだ。


 技術判定は発明された時代でもケースの作成難度が割と高かったと言う点でE判定。

 ただし、物語開始時点の素の戦国日本の技術力では無理と言うだけで、

 若干でも加工技術力が向上したらそこまで困難ではないだろう。

 

・榴散弾(Shrapnel Shell) D(もしくはE)

 イギリス陸軍のヘンリー・シュラプネルが1784年に開発。

 散弾の攻撃範囲の広さと榴弾の射程距離を合わせ持った砲弾。

 キャニスター弾とは異なり遠距離でも威力が落ちないため、野戦においては絶大な効果を持っていた。


 初期の榴散弾は暴発事故が多発したため、実戦投入が遅れてしまった。

 これは炸薬と散弾が混合された状態で充填されていたため輸送、装填中に散弾同士が擦れ合って炸薬に発火したことが原因。

 炸薬と散弾を分離する方式に改良することで暴発事故が防げるようになり、

 1808年の半島戦争の時期に大体的に実戦投入されることになった。

 その戦果もあって英国砲兵隊の使用する砲弾の50%を占めるほどになった


 榴弾と異なり敵の頭上の適切な距離で炸裂しないと効果が低いことから、扱いが難しい。

 しかし時限信管の調定が適切ならば、一発で十数人は薙ぎ払えるほどの威力があった。

 反面、散弾である以上、人馬に対しては効果的であっても、

 建造物や塹壕に対しては効果が著しく減少してしまうため攻城戦では出番がなかった。


 信管は前述の紙管や木管のような簡単な時限信管でも使用可能だが、この原始的な信管は調定した時間がズレることがしばしあったため、

 英国陸軍ではより正確な燃焼時間が設定ができるボクサー信管(Boxer fuze)を開発してる。

 ぐくれば大雑把な構造が分かるが、点火によって発射炎で信管側面に充填された火薬が燃焼することで

 信管内部のワイヤーが剪断(せんだん)され、ワイヤーで固定されていた釘が慣性の法則によって信管の奥へ前進し、雷汞を突くことで信管に点火。

 火道信管の火薬が燃焼し、装填前に設定した秒数の穴から炸薬に引火することで炸裂すると言う機構になっている。

 初めてカノン砲から榴弾を撃てる大砲と言われているペクサン砲の信管もこれに類する信管と思われる。

 ボクサー信管は木製であるものの、より正確な燃焼時間を求めるのならば鋳造の黄銅製にするべきであろう。


 最低限榴散弾を開発、運用するだけならば技術難度はD判定。

 ボクサー信管まで開発するならば雷汞が必要なのと開発、製造時に秒針の付いた時計が必要なためE判定。

 

  想定Q&A


Q:何から導入するべきか?

A:最優先で単脚式砲架、螺旋式仰俯機構、前車。

  砲の命中率と運用のしやすさ、戦略機動性が断然変わる。

  乗せる大砲は既存の大筒でも輸入砲でもいい。


  和式砲術はこの手の砲架と駐退の技術が欠如していて、輸入した大砲も俵や土嚢を積んで撃つ、

  仰俯角を調整する機構はないか縄で上下させる、簡単な架台に乗せただけ、

  抱え筒も転がって反動を受け流す、杭と縄で架台を作るなど戦国時代の西洋と比較しても劣っていた。


  フランキ砲などが輸入され、国産品が生産された時に参考にした砲架が艦載砲の四輪砲架だったのが要因と思われる。

  このタイプの砲架は平坦な甲板上で運用しやすいように作られているため、野戦では使い辛い。

  故に砲身だけを取り外して運用していたのならば、上記の不可解な砲の運用にも説明が付く。

  抱え筒の砲術は平和な江戸時代においても「実用性に欠けた大道芸」と言う批判があったほど。

  野戦で大砲を使用するにはまず砲架の技術が必須。


  幸いにも江戸時代後期に海防のために洋書を基に鋳鉄砲を製造した際、

  野砲の二輪砲架も再現できているためそこまで難しい技術ではないと思う。


Q:色々説明するのがめんどくさいので、何かモデルになる史実の大砲ないですか?

A:砲架込みの重量が1トン程度の12ポンドナポレオン砲(12 pdr. Napoleon Field Gun)、

  もしくは重量が2/3程度の6ポンド野砲(M1841 6-pounder Field Gun)を作ったと書いておこう。

  射程や耐久性を犠牲にしても軽い砲を望むなら220kg程度の12ポンド山砲(M1841-12 pdr. Mountain Howitzer)。

  南北戦争で多用された青銅製野砲で前編で紹介した先進的な機構や各種砲弾がほぼ全部入っている。

  前提技術は反射炉と砲腔を彫るボール盤と中ぐり盤。

  技術判定はE。


  分解して駄載可能な山砲のほうが街道が未発達で戦国日本では活躍の余地があるかもしれない。

  鎌倉街道、熊野古道を見ると理解できるが、アレが中世日本の道路事情の標準。


  ただしナポレオン砲は製造時は滑腔砲だったものにライフリングを施してライフル砲に改造したと言う実績があるため、

  将来性を考慮するとこちらに軍配が上がる。


Q:大砲の配備率はどれくらいにしたらリアリティがあるか?

A:ナポレオン戦争の頃の欧州では時期によるけど大隊(=5~600人)につき2~3門程度の配備率。

  大陸軍で一個師団(4000~6000人)に付きカノン砲と榴弾砲が計18~24門程度。

  ただし戦国日本は畜産能力が低く、馬匹も体格に劣ることからこの数を配備するのは現実的ではない。

  なぜかと言うと1門のカノン砲を運用するのに必要な馬匹の数は10~12頭。

  これに糧秣を運ぶ馬匹の分も含めると一個師団の大砲の運用だけで300頭オーバーの馬匹が必要となるからである。


  馬産の能力を半分程度と仮定して、500人につき1門が妥当。

  織豊期に定められた軍役の基準なら、2万石相当の勢力でようやく1門配備できる程度と想定。

  軽量な山砲に限定するならもっと増やしてもよいかと。

  なお、これは野砲の場合で攻城砲や臼砲のような城攻め用大砲は別腹。

長々と解説していますがこれらは作者の脳内に止めておくべきで、作中で全て説明する必要はないかと。

小説で要約はダイジ。

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